2009/12/24 (木) @ 17:58
前のポストにmixiの方でコメントがついて,そこに
コドモ(小3)の教育上そのうち一般紙も取らないとアレかと思って…
とかあったので続きます.
これはまさに思う壺,お客さんいらっしゃい状態.販売員の口から,「そうなんですよ.実は,学習指導要領が新しくなりまして,新聞が…」と続きます.:-)
あれは絶対,新聞本社レベルからの営業資料(拡販ツール)として伝えられてますね.このセールストークが頭に入っている販売員は,その家庭に(何歳くらいの)子供がいるかどうか探りに入るのかも.プレゼントで何を選ぶかとかで探られていませんか? >あなたw
で,販売店員が言っていったことが本当かどうか調べてみたわけですが,結果,一応,言ってることは間違いではないようだ.具体的な内容を新聞側からの勝利報告(笑)的に書くと,こんな感じです.
- 小学5、6年の国語では「編集の仕方や記事の書き方に注意して新聞を読むこと」が明記された。
- 中学3年の国語では「論説や報道に盛り込まれた情報を比較して読むこと」が明記された。
- 高校では、公民の「情報を主体的に活用する学習」において、「新聞、読み物その他資料を収集、選択し、読み取り解釈」するなどの学習活動を取り入れること、情報の「情報メディアの種類と特性」について、「新聞・テレビなどの特徴や働きについて扱うこと」など、「新聞」が明記された。
国の正式な文書に特定の単語を入れることが,どれだけ大変でどれだけ意味があるかは何となく想像つくので,彼らが誇らしげに勝利を謳いたい気持ちはよく分かります.
ただ,指導要領本文を眺めてみた感じでは,新聞だけが特に指定明記されているわけではなく,放送(テレビ)や雑誌や統計・年鑑・白書やさらにはインターネットと併記されるかたちで挙げられているので,本当に新聞が使われるかは,学校や先生次第なんですかね.とはいえ,やっぱ新聞とか,積極的に選ばれちゃいそうだけどね.
新しい学習指導要領の完全実施は,小学校は2011年度,中学校は2012年度,高校は2013年度から.
ちなみに,今回案件のロビイングに尽力したと思しき方々はこちら.
まことにおつかれさまでございます.
インターネット側(なんてあるのか?)も,こういう努力が必要なんだろうなあ.その努力をしないのであれば,ゲリラ・革命・転覆路線しかない.どーしますかね,みなさん.(って,誰に問いかけてんだよw)
以下,参考リンク.
2009/12/22 (火) @ 00:23
とうとう新聞の宅配を止めた.
ここ数年は実際には読んでいなかったのだけど,帰って新聞受(郵便受)を覗いても投げ込みのチラシしか入っていないのは,何か,もの悲しい.まあすぐに慣れるんだろうけど.
止めようとした際の配達員のおっちゃんの態度もあっさりしたもので,特に引き止めもなし.達観,というか.
と思ったら数日後,販売店のマネージャーだか同僚だか分からないけど,再セールスの電話あり.でも,セールストークの第二声が「嘘を言うこと(確度80%)」だったので,激しく萎えて相手にせず.
さらにしばらくしたら,販売店の経営者かそれにかなり近い人(たぶん上の電話と同一人物)が家まで営業に来た.直接話すと悪人ではないだろうことは判るのだが,それでもセールステクニックがいちいち姑息.最初にインターフォンを鳴らして名乗るときに店名(紙名)を言わず,新聞をとること自体を本当に止めたのかあるいは他紙をとっているのかを聞きだそうとする,に始まって諸々.止むに止まれぬ仕業なのか,それとも体に染みついてとれないのか.まあ暇なのでしばらく話をしてみると,とにかく壊滅的な状況のよう.購読を止める人たちの理由は,多かれ少なかれ,みな,「不景気で金がない」+「紙面が面白くない」+「そもそも購読してても読んでいない(いなかった)」のコンボ攻撃であり,これはもう駄目だろうな… というこちらの印象を強くしただけの営業タイムであった.
…
そういえば,いまのおっちゃんの前の配達員は明らかに新聞奨学生とおぼしき女の子だった.集金の際の格好も,販売店ジャンパーの下は決して小綺麗とは言えず… その子がいなくなる前の3月,一度だけスーツ姿で歩いているのを見かけた.今はどうしているのだろうか.
などという感傷的気分も含めて20世紀の遺物なんだな,きっと.
Amazon: 朝日新聞がなくなる日 —新聞・テレビ崩壊! (宮崎正弘)
2009/12/11 (金) @ 01:48
先日,Google 日本語入力のリリースに触発されて,Human Computationというエントリを書いた.といっても,このエントリは自分用のメモのようなもので中身は何もない.その後,第1回ウェブ学会シンポジウムのetoさんの発表で集合知の話が出てきたりということもあり,せっかくの機会なので,ネタをひとつ投下します.
—
Human(-based) computationでも集合知でも何でも良いのだが(今回の話ではそこら辺の違いは余り重要ではない),ある作業を他の人々の行為へアウトソースする場合,そのインセンティブ設計は大きく二つに分類できる.適当に命名するならば,「価値観共有型」と「副作用利用型」だ.
例えば,WikipediaやPodcastleは前者に属し,reCAPTCHAやGoogleサジェスト+Google日本語入力は後者に属する.
Wikipediaの場合,システム提供者の目標は,より良い百科事典をつくることであり,その編集に参加する人々のインセンティブは,より良い百科事典(の項目記述)をつくることや自分の知識による達成感・被承認感を得ることである.Podcastleの場合,システム提供者の目標は,より良い音声認識を実現することであり,そこに参加する(音声認識結果の誤りを訂正する)人々のインセンティブは,より良い書き起こし文が読めることや貢献感・達成感を得ることである.
これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブは同じ方向を向いている.すなわち,提供者と参加者との間で価値観が共有されている.これは一見シンプルかつ望ましい設計であるように見えるが,一方で,意図的に価値観を相違することでシステムを妨害することが可能だという欠点を持つ.つまり,悪意を持った人が,わざと間違いを書いたり誤った訂正をして,WikipediaやPodcastleを破壊することができる.
他方,reCAPTCHAの場合,システム提供者の目標は文字認識の精度の向上であり,reCAPTCHA利用者のインセンティブは,ウェブサイトにおけるセキュリティの確保(正確にはSPAM BOT除け)である.Google日本語入力の場合,システム提供者の目標は,より良いIME実装のための辞書や言語モデルを獲得することであり,Google検索(サジェスト)の利用者のインセンティブは,より良い検索結果を得ることである.
これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブとの間には何の関連もない.参加者が自らのインセンティブに基づいて何かをしたことの副作用として,システム提供者が求める利益が得られる構造になっている.そして,提供者と参加者との価値観の共有を必要としないことで,悪意のある参加者の参入を阻止することが可能となる.Google Books (reCAPTCHAはGoogleに買収されGoogle Booksの文字認識に利用されているらしい)を妨害しようとしてreCAPTCHAに誤った入力を与えたり,Google日本語入力を使えなくするためにGoogleで意味のない検索をしたりする,といった行為が有効かどうかは不明であり,そんなことをする気には余りならないだろう(悪意はもっと直接的に発揮された方がカタルシスを得やすい).
以上,Human Computationや集合知生成システムのインセンティブ設計には,「価値観共有型」と「副作用利用型」の二種類がある,というお話.
最後に,ここまでの議論をもう一度軸を変えて見てみると,以下の二つのことが言えるだろう.
Human Computationを実現したい,集合知を得るシステムを実装したいという場合は,参加者がシステム提供者と価値観を同じくすることを前提とするのではなく,参加者のインセンティブとシステム提供者の目的とが独立であり副作用としてそれが繋がるような設計が良いのではないか(←検証されている訳ではない.第一,Wikipediaは成功していることになっている!).但しそのような設計は,価値観共有型と較べて,非常に優れた工夫が必要となる.
一方,利用者(処理をアウトソースされる側)の人間から見ると,そのシステムの提供者(アウトソースする側)の目的を理解し共感しているタイプと,そのシステムの目的さえ知らずにしかし結果として協働しているタイプの,二種類のHuman Computation/集合知生成システムが存在する.どちらが利用者にとって望ましいかは,この場では不明である.
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というのが本エントリの主張.嘘か本当かは,知りませんw
さて,ここら辺から辿って,年末にでも勉強しますかね…
2009/12/09 (水) @ 23:59
衝動的にぐぐってみたら驚いたことに何も出てこないので,ここで権利確保(笑).
「集う2.0」
realityではなく.fidelityではなく.
一緒にいる,一緒になにかをしている.フィクション感とともに.
同室感.
距離を超えて,時間を超えて.
規模を超えて.long tailを超えて.weak tieを超えて.
ニコニコ動画.擬似同期.フィクション感.
twitter.非対称.一方的.選択的同期.フィクション感.
過去再生.疑似同期.フィクション感.
個人の空間(「スタジオ」).スケールする重ね合わせ.
スケールするアンビエンスと,深化するコンシャスネス,みたいな.
インタラクションが成立しない相手との協調・協働.
インタラクションが成立しない原因は,距離,時間,規模,非同期,一方的,異文化,…
対称性重要.
(対称性が非対称なものを許容する)
コミュニケーションのかたちが技術により変容する中,そこで,集い,協働するということはどういうことなのか.
インセンティブ設計重要.
(使ってもらう.“人”も使う,Human-based computation)
要素技術の探求(だけ)ではなく,それらの技術を適切に統合し人々に新たな経験を与えるアーキテクチュアルな思考.
「集う2.0」の,デザイン・実装・評価・理論
(随時更新中)
—
よし,これでいこう! … て,あの人達には通じないよな,どう考えても.ま,いいや.
2009/12/08 (火) @ 23:59
昨日は第1回ウェブ学会シンポジウム.
案内されていたプログラム構成の字面だけみると若干の不安感も漂い,どうしたものかと思ったものの,「行かずに後悔するより行って後悔(する方が良い)」の絢さん理論を久々に発動させて,行くことに.結果的には,これは行って正解.重要ではあるが下らないであろうこと必定の別件をサボって行った価値があった.いいもん見させてもらいました.関係者の皆様,本当にありがとうございました.
シンポジウム自体は,USTREAM録画とtwitterログのまとめが残っているので,残り香を味わいたい方は,こちらをどうぞ.
さて,以下,雑感.
プログラム構成は,当然100点満点とはいかないまでも,8割方は素晴らしい発表.明らかに問題だったのは若干1件くらいではないだろうか.あとは好き嫌いの範疇かと.まあ,(新しいものがないかわりに)現時点までの集大成的な話が多いので,ある意味,密度は担保されていたのかもしれないが.
発表者は,なるべく若く,現役でバリバリやっている人,という観点から選ばれていたように思えるが,その中で,Old Schoolを長尾真先生ひとりに代表させ,かつ,実はその長尾先生自身は,国立国会図書館長という新しい立場において現役として現場に立っているという二重構造を確保しているという… よくできている.
こういう場での東さんの存在は本当に価値がある.物事の見方や考え方や解釈の仕方を変えてあげることでその時代を生きる人の問題を解決するという哲学者の役割(←俺様定義 :)を,確実に果たしている.東さんの言葉により,対象となる議論が空想的だ衆愚だプライバシーだ(これはこれのとき)だといったところに落とされたまま這い上がれなくなるという事態から救われている.東さんの発言で個人的に響いたところは,以下の勝手抜粋と,東さん自身のtwitter再掲で.(哲学コンプレックスだからさw 後述)
「一般意志2.0」という言葉で僕が何を言おうとしているか. …
Twitter / hiroki azuma: 英語で対応して言えば、ここでルソーははっきりと、十分 … (reblog)
Twitter / hiroki azuma: ぼくの一般意志2.0論のエッセンスはすべてこの一文に … (reblog)
Twitter / hiroki azuma: 懇親会で @eto さんあたりと話したときに言ったけ … (reblog)
一方の聴衆はといえば,Google日本語入力を先日公開しました,という工藤さんへの拍手に尽きる.いい会場じゃないか.いやマジで.
会場ではtwitterの発言も見ながら講演を聴いていたのだが,あの流量は無理だ.少なくとも,更新が1分に1回のツール(クライアント)では,どうにもならない.もう一段のブレイクスルーが必要か.あと,twitterを自分のメモ書きに使ってみようとも思って試みはしたが,これも破綻した(笑).
twitter発言の中で一番私の心を捉えたのは,豊田さんが検索エンジンスパム(SEO)用に作られたリンクファームの構造を可視化したものに対して言われた,この発言.
ほー工場萌えの一種? #webgakkai — Twitter / 駄目人間(botもあるよ→@damebo
機能合理性を追求した結果が別の形で美しさを生むという意味では全く一緒.これは卓見だわ.その他多くの人は「菌みたい」とか言ってたが,まあ,それもある意味同じことではある.
個人的に,可視化というのは,どうも好きになれないというか素直に敬意を表せない(笑)研究分野なんだが,豊田さんのは例外的に,ぐっとくる.豊田さんが操作(インタフェース)の人でもあるということと,対象がWebであるということが当然あるのだろうが,他にも何か違うものがあるのだろうか.
そうそう,インタラクションとかユビキタスの研究分野(の研究者)って,アートコンプレックスとかデザインコンプレックスな人が結構いて,その人たちの存在がいろいろな形で研究に陰を落としていたりするんだけど,昨日,twitterのTL等を見ていて思ったのは,ああいう場になると,技術コンプレックスとか実装コンプレックスとか政治コンプレックスとか哲学コンプレックスとかビジネスコンプレックスとか,ほんと色んな人がいて,それらの人々が思わずその心境が滲み出るよう発言をしていたりして,非常に興味深い.
こういう時のtwitterのTLであるとか,あるいは自分がそれなりに分かっている分野のニュースを対象とした2chの(特に)ニュー速系のログとか見ていると,「訳の分かっていない」「素人が」「ピントのずれた議論」をしてるのが「目に余る」わけだが(笑),しかし実は,それらの人々こそが,「世間一般」であり,ビジネス云々を言うのであれば「お客様」であるし,あるいは「仕分ける側の人」である.であるならば,この乖離感を何かポジティブな方向に使う手立てはないのだろうか? とも思う.これは大きな課題.
一部で,結局何から起算して「ウェブができて約15年」なの? 問題も言われていたが,1st WWWとW3Cが出来てから15年なので,それでも良いのではないかと.:-)
以上,雑感おわり.
まとめると,仰ぎ見る空中戦の華麗さと,地上戦から生還した戦士が語る言葉の重み,その両方に触れた一日でした.改めて,関係者の皆様,おつかれさまでした.ありがとうございました.
2009/12/04 (金) @ 14:09
ことここに至っては,これはもう引き返せない道ですね.
しかしこれはCSの勝利なのか敗北なのか(笑).
以下,自分メモ用参照リンク.
2009/11/27 (金) @ 12:48
スパコンの話はねえ.さんざん悩んだ複合型が無くなったことが無かったことになるとか,尾身さんのあれだからとか,財務省的・民主党的に突っ込みたくなる下地が十分に熟成されてますからねえ.あれは仕方ない.
でも,10PFLOPSや世界一が自己目的化している,とか言われても,これまではそれがミッション(の重要な一部)だったんだから,いまさらそれをひっくり返されるのは可哀想だよな.可哀想というか,正確な言い方をすれば,ミッション設定をひっくり返したことで生じる不具合の責任を現場に問うのは間違っている.で,今回は,世界一好き好きでそれを煽っていた(主導していた?)人たちの一部が退場したから「仕分け」になった訳で.いずれにせよ,それも含めて,あれは仕方ない.
で,どうすればいいかといえば,これからアーキテクチャ・デザイン・コンペをすればいいんですよね.
三顧の礼をもって(でも当然だが勝てる保証はない),TSUBAMEなチームやT2Kなチームや(元)GRAPE関連の人たちに参加してもらって.その他,富士通,NEC,日立とか.あるいは,IBM, HP, SGI, Cray, SUNとか.そしてもちろん,理研の設計チームもね.(建築だと設計と施工は普通分離されるけど,ITはそうじゃないのな.)
指名コンペでも公開コンペでもどちらでも.いろいろ支障もあるだろうから,審査の内容は決定時には非公開,ただし5年後とかに過程も含めてすべて公開,とかにして.
という思考実験をすると,いろんなことが思い浮かびます.
まず理研が施主かつ設計者なんだけど,そこは中ではどう処理されてるんですかね? とか.
また審査の基準を決めないといけない訳ですが,これを作る目的が,スパコン利用者に高い計算パワーを提供することが主目的ならばflopsが高くてバンド幅が大きくてプログラミングが容易な(+コストが低い)提案を採用すべきでしょうね,とか.
そもそも審査員を誰にするかを決めないといけない訳ですが,真っ当に考えれば,審査するのはHPCのユーザ(計算する人)とお金を出す人ですよね,とか.
あるいは,日本のスパコンアーキテクチャ研究推進が主目的なら「デザインチームは国内チームに限る」でしょうし,産業振興が主目的なら「製造(施工)は国内メーカーに限る」んでしょうね,とか.
ということで,ことの本質はそんなに複雑ではないですよね.一見ヤヤコシク見えるのは,しがらみとか経緯とか虻蜂取らずとかグランドデザインの欠如とか,そういうことである,と.何か目的なのか,目的が複数あっても虻蜂取らずにならないためにはどうすればいいのか問題については,まさしくそこが知恵の出しどころであり,ちゃんと考えないといけないのですよね.
以下,雑感.
- 世間は相変わらず素人談義全開ではあるが(俺もだ!),その中では,西和彦さんがここで言ってることが妥当真っ当かと.やっぱ優秀.
- SPARC64 VIIIfx (Venus) どうなんだろうなあ.エコHPCが日本の目指す道,とか,そーゆーのはないんだろうか.
- x64にしてもGPUにしても,HPCユーザはデスクトップ用の流用で安くて高性能なものが欲しい,メーカーはHPC用のより高性能で高価な製品ラインを売りたい,という風に意識が分離しつつあるようだけど,どうなんだろ? 歴史をみるならば,前者が勝つに決まってるのだけど,デスクトップ用途は,今後あまり性能上がらなそう(上げるインセンティブが低そう)だからなあ.
- 神戸の建物は「3階建て」とか(それは批判のつもりか?)言うならまだしも,あれは縦にケーブル通すつもりの3階建てとか言い出す人までいて,訳わからん.そうなの?>3階建て.リアル三次元のインターコネクトとか,それはそれで面白いけど.3階建て言うなら,ESだって3階建てですがな.ソースはデイリーポータルZ(笑).(まあ一応こっちも)
- TOP500に載せてないマシンの分布はどんな感じなんだろうね.実はトヨタを筆頭に,自動車,造船,製鉄とかのプライベートマシンを入れると,計算パワー合計では日本が2位だったりして.ありそうななさそうな話…
2009/11/20 (金) @ 17:18
昨日(19日)は京都.近鉄にも乗らず,奈良交通バスにも乗らず.京都駅前だと,ほんとうに楽だわ.
出掛けた用件は,SINETサービス説明会にて活用事例報告.これで勘弁して貰えるかな.それとも,もう少し身体で払わないといけないかな…
会場内休憩時間では,そこここで「仕分け」という単語が.やっぱりあれは,みんなのハートをがっちりキャッチ,ですね(笑).いやまあ,なんというか.
と,その話ではなく,休憩時間における一大トピックは,はやしさんとの初対面.
「高田さん,以前にMHとかやって…」「はい」「はやしと申します」「どひー」みたいな.
メールのやりとり(MH-6.8-JP.1 document)から,17年経って,初対面とは.まだまだ世の中には未見の人がいるなあ.:-)
はやしさんは,一応まだ,MHを使っているそうです.
私は,多分,MHを使わなくなってから10年近く経っているのではないかと…
ちなみに私自身のMH後の変遷は,Wanderlust +→ GMail → Thunderbird かな.
2009/11/19 (木) @ 17:39
セブン銀行のATMから出金したけど,お金を取り忘れた(確信度85%)
↓
翌日セブンイレブンに行くも,駐車場がないのでコインパーキングに入れる
↓
駐車するとき,車を何やら突起物にぶつけた
↓
よくよく見ても,車は無傷だった(丈夫だ!)
↓
出庫しようと思ったらパーキングの精算機がメンテ中.メンテのお兄ちゃんが「内緒で」といいつつタダで解除してくれる
↓
ATMのお金は取り忘れと認識され,ATMに再取り込みされていた
以上,すげえ小さな禍福でした.(積分値はゼロなのだろうか?)
しかし,最近の惚け具合は,いよいよまずい.
多分,微少梗塞か何かで,脳がどんどん死んでいってる気がする.
こないだ,卵をキッチンの流しに割り捨てたときは,さすがに自分自身に愕然とした.
そして今日は携帯を忘れた.しくしく…
しかしATMへのお金の置き忘れですが,一定時間お金を取らないとATMに取り込まれるのは知識としては知ってたけど,口座処理的には,出金→返金,ではなく,出金自体がなかったことになるんですね.お金が出てくるところのシャッターが閉まった時点でトランザクションが完了するのか,はたまた,出金のトランザクションはその前で一旦完了しているけど,それを「取り消す」という処理があるのか… 出金の一部取り忘れ,の場合はどうなるんでしょうね?
上に書いてあるように,今回の件は,セブンイレブン/セブン銀行のATMだったんですが,セブンの店員(たぶんバイト)とセブン銀行(テレホンセンター)の対応は極めて真っ当でした.そういうところは,ちゃんとしてるんですね,セブン&アイ.
nanacoもクレジットカードチャージのアイワイカード縛りがなくなれば,いくらでも使うのに.そういう囲い込みはやめてください! ほんとに.
とか言っても,そのうちEdy使いにも楽天カードと楽天銀行(イーバンク)口座必須になっちゃうのかね.囲い込むのではなく,例えばこういう(参考:楽天が"Edy"を買収する意味|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」)プラスを増やす方向で勝負して欲しいよなぁ.
さてこれから,現時点で一番不快な囲い込まれ例であるところのJR東海エクスプレス・カードにて新幹線.こーゆーのはいざとなったら真っ先に切ってやる.うまくいったと思うなよ.福禍は糾える縄の如し.
2009/11/08 (日) @ 02:54
子供の「個性」とか「創造性」って,いつから言われるようになったんだろう?
少なくとも私自身が子供の頃は,言ってなかったし,言われもしなかったと思う.
まあ,衣食住足りない状況下では,子供の個性も創造性もへったくれもなかったであろうことは想像できるが.
というわけで,10分間ぐぐる先生教室開始.… 終了.
- 1976年 教育課程審議会 …「創造性の育成」
- 1977年〜78年 学習指導要領 告示 …「ともすれば知識の伝達にかたより、児童生徒の調和のとれた発達がおろそかになる傾向にあるので、この現状を改め、自ら考え正しく判断する力を養う教育への質的転換を図る」「個性や能力に応じた教育を行う」
- 1983年 中央教育審議会 教育内容等小委員会審議経過報告 …「個性と創造性の伸長」
- 1985年〜87年 臨時教育審議会 …「個性重視の原則」「創造性・考える力・表現力の育成」
- 1987年 教育課程審議会 …「新たな発想を生み出すもととなる論理的な思考力や想像力,直観力などを重視しなければならない」
- 1989年 学習指導要領 告示 …「個性重視の原則」
てな感じですか.
で,なんか嘘くさいんだなあ,この文脈の個性とか創造性って.何かから逃げてるんだよ,これは.きっと.
「修・破・離」とか持ち出すまでもなく,最初は習うことだし型にはまることだし単純な反復を繰り返すことだと思うんだが.
大人の世界において,システムとか制度とかの駄目駄目さから目を逸らして,「イノベーション」が全てを解決する,とか言ってるのと同根のような気がする.
でも,(子供の個性と創造性を言うことで)何から逃げようとしてるのかが,よく分からない.子供が退屈な勉強から逃げ出したいというのはよく分かるが(笑),これは,それを言うことで大人が何かから逃げているのだから.
以上.結論はない.
ぐぐる先生による参照リンク.
http://ja.wikipedia.org/wiki/学習指導要領
http://ja.wikipedia.org/wiki/臨時教育審議会
http://www.center.ibk.ed.jp/contents/kenkyuu/houkoku/data/034/003.htm
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001824712/
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yosenabe/rinkyousin.htm
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class12/12shiryou-1.pdf
(臨教審のところで「教育の自由化」問題が「教育の個性化」にすり替わったという,政治的にはよく分かるが意味的にはまったく分からないことが起きたと書いてあり,非常に怪しくもあるが.:-)
触発された記事.
(こういうところで,うまくtumblrと連携させられないかなあ…)
2009-11-03 – カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
今年は教えにくくて成績の伸びない、しかしバカではない生徒が複数いる。こいつらは下手に自分の頭で考え、作業を作業として行なうということができない。下手に考える以前に作業を作業として行なうことにより身につけないとならないことが基礎学習においては存在するんだが、こいつらはそれができない。こいつらは受験に失敗する。
2008-10-07 – てれびのスキマ
談志の言葉
型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになる。(略)結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ