ライジングサンの達郎,良かったんだろうなあ.悪い理由がない.2010ツアーのバンドは去年と一緒なんですよね? でそのメンバでRSRだものな.嫁紹介で驚かせておいて,8月フェスの夕刻に「さよなら夏の日」.完璧すぎる.
……
ツイート追ってたりしたら何か堪らない気持ちになったので,RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO 2日目の「さよなら夏の日」を集めてみた.
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うん.間違いない.
この場にいらした全ての方に幸福あれ.
とぎれとぎれの日記帳…
2009年08月31日以降,communisense.comにて,WordPressを使って書かれているもの
2010/08/15 (日) @ 04:11
ライジングサンの達郎,良かったんだろうなあ.悪い理由がない.2010ツアーのバンドは去年と一緒なんですよね? でそのメンバでRSRだものな.嫁紹介で驚かせておいて,8月フェスの夕刻に「さよなら夏の日」.完璧すぎる.
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ツイート追ってたりしたら何か堪らない気持ちになったので,RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO 2日目の「さよなら夏の日」を集めてみた.
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うん.間違いない.
この場にいらした全ての方に幸福あれ.
2010/02/12 (金) @ 19:08
Google Buzzを使ってみた感想なぞ.但し使ったのはPC版のみ.私のiPod touchからはBuzzれない.タブは表示されてるんだけど.OSが2.2なのが原因かしらん.なので位置情報に基づくサービスの部分については,以下,まったく触れていないし,使ったこともないという前提のもとで.
最初の感想としては,作った奴,真面目だなあ,というの.Twitter使っていて真面目な人間が我慢ならない部分が潰してある.私も真面目な人間だけに(笑),その気持ちはよーく分かる.
くらいが,現状の理解です.もちろん,間違いはあると思う.
という訳で以下,雑感.
というところでしょうか.
激しく今後に期待しつつ,少し使ってみようかと思います.以上,雑感おわり,まる
2010/01/28 (木) @ 09:58
出ました.Apple iPad.
公式ページの言葉が全てを物語っている.
The best way to experience the web, email, photos, and video. Hands down.
3Gモデルでも「電話」は出来ないしSMSも使えない,”Voice”アプリへの言及もない,カメラも付いてない.とりあえず今回は,そういう意味でのコミュニケーションデバイスにはしないという意志.思わず,”Apple TV Portable” という言葉が頭に浮かんだ.(masayangに褒められちった w)
発表の仕方やビデオを見ると分かるが,これは,カウチを豊かにするデバイスだ.もちろん1人で使うことが第一に想定されているが,肩を並べ寄り添って一つのiPadを見るという形でのコミュニケーションを喚起するデバイスでもある.2〜3人で,わいわい,あるいは,きゃっきゃうふふしながら見るには最適かも.iPadの左右の枠を2人で持つ姿が目に浮かばないか? タッチインタフェースにより「入力デバイスを持つ」必要がないので,複数人で一緒に操作できる.これはとても大きなアドバンテージだ.
個人的には,南国リゾートのデイベッドやガゼボが一番似合うような気がする.気がするというか,そうしたいです私,みたいな.だってこれ一つで旅行に本と音楽とビデオ,全部持っていけるんだぜ.素敵すぎる.
iPadを,自宅カウチの快適さ,すなわち,「好きな音楽,好きなビデオ,好きな本や雑誌,好きなデジタル/ネットコンテンツがある時間」を持ち運ぶ,という提案だと解釈するならば,やっぱ Apple TV Portable じゃん,それって.w
P.S.
そしてあのサクサクを可能にしたのがApple初(?)のSystem-on-a-chipだという凄さ.(Apple A4)
P.P.S.
そして謎のmicro-SIM(とunlocked)関連の話題の今後の盛り上がりに期待大,みたいな.(どーなるんだろう…)
2010/01/01 (金) @ 02:47
あけましておめでとうございます.ことしもよろしくおねがいします.
だと句点を入れても32文字.twitterでOKだな.
えー,昨年2009年の個人ニュースは… ブログ始めましたw
じゃなくて真面目に言うと,一応少し自らを悔い改めまして,ネット的なものWeb的なものに対して「どうせ本質は進化してないし」とか言って斜に構えるのをやめて,素直に向き合うことにしました.結果,blogとTwitterとTumblrを真面目に使うようにしました.いまだに,諸々の中途半端さというか,未完成さというか,道半ばさが,かなり歯痒く感じますが.
あとは,いろんなデータというかリソースが「あちら側」に行ってしまいました.何が行っちゃったかは,いろんな意味で言えませんw
にしても,「1つめの2000年代」が終わってしまいましたねえ.ちなみに,2つめの2000年代は2099年まで,3つめの2000年代は2999年までです.
2010年は,そして2010年代は,どうなりますやら.
P.S.
この投稿はアーカイブページの動作確認を兼ねております.… ちゃんと動いているようだ.
2009/12/31 (木) @ 04:50
ああ,もうすぐ21世紀も9%ほど終了しますよ.9/100ですよ.どうしますか,みなさん.ほんとに.
などと無駄なものを書いている場合ではありません.
21世紀といえば,未来,だったはずんなんですけどね.
私たちの年代が子供だったときに見せられた未来は,1にエアカー,2に壁掛けテレビ,までは固いところだと思いますが,3になると結構まちまち.チューブトレインだったり,ロボットだったり,腕時計型テレビ電話みたいなやつだったり,「出来上がって盛りつけされた料理が出てくる箱」だったり,宇宙ステーションだったり.
壁掛けテレビは,ほぼdone,でしょう.一方エアカーは来る気配がまったくありませんね.今やエアカーといえばタタ・モーターズですから.圧縮空気ですから.世も末だ(あ,末は通り過ぎたのかw).
そんなことを考えつつ,何かネタはないかと大掃除がてら見回していたら,絵本発見.「だるまちゃんとかみなりちゃん<こどものとも絵本> (加古里子作・絵)」.初版が1968年8月1日.
これに出てくる雷の国が,当時の未来イメージを更に一回脚色した感じで楽しいです.ことのほか電波が飛びまくっているのは,無線が未来だからか,それとも「雷ちゃん」だからか.でも,今見たら,電磁波身体に悪そう… としか思えないなw
表紙と中の数頁,張ってみます.興味がある方は本屋さんなり図書館でどうぞ.本を大切にする図書館ならきっとあるのではないかと.
— だるまちゃんとかみなりちゃん (加古里子作・絵) pp.20-21
— だるまちゃんとかみなりちゃん (加古里子作・絵) pp.24-25
上に書いた未来イメージと絵本に出てくるものを照らし合わせてみると,エアカー → 雲,壁掛けテレビ → 薄さが中途半端だなw,チューブトレイン → モノレール(プロペラ推力?),ロボット → 出てこない,電話 → 無線にはなってるようだ,料理が出てくる箱 → ベルトコンベアーの先には何があるんだ??,宇宙 → 出てこない,てな感じかな.
楽しいなあ.
未来を考えるのは,暗いことなんかじゃなくて,やっぱり楽しいことだよ.
ね!
P.S.
とりあえず今切実に欲しいのは,服をたたんでクローゼットに入れてくれる洗濯乾燥機と,食器を棚に並べてしまってくれる食器洗い乾燥機だな.あと,紙の本はそろそろマジでなんとかして欲しい.
2009/12/27 (日) @ 03:50
今年の春くらいは “TATSURO FROM NIAGARA” ばっかり聞いてた.ツアーの影響もあったんだが,もう,とにかく良くて良くて.
とはいえ34年前の曲ばかり聞いているのも人としてどうかと思い悩んでいたいたところ, “eight-hundreds” が出て,ようやく救われた.これで2009年の音楽にハマれる(笑).
という訳で,今年一番聞いたアルバムは,MONGOL800 — “eight-hundreds”.
モンパチ,なんかすごいアルバム作っちゃったな,というか,すごいところに来ちゃったな.こんな音作りでも,くるりがやるのとは意味が違うぞ,みたいな.
…
てなことを年末にでも書こうかなぁ,とか,ほのぼのネタのストックのひとつだと思っていたら,武道館のライブレポがこんなことに.
後半、最新アルバムから畳み掛けられた「神様」「blue blues」「not equal」「I’ll be」の流れには宗教的な凄みがあった。
— モンパチ武道館 – ROCKIN’ON JAPAN 編集部日記 | ブログ | RO69(アールオーロック) – ロッキング・オンの音楽情報サイト
中でも、特に圧巻だったのは、後半、17曲目“神様”あたりから20曲目“I’ll be”までの、最新アルバムの4曲を並べたブロック。「ハネて踊れて歌えるモンパチじゃない部分の結晶」みたいな、簡単に言ってしまうと「じっくり聴かせる」ことに徹した時間。
尋常じゃない集中力で、音が奏でられ、歌が歌われる。1曲、2曲と聴いているうちに、気がついたら、別の世界に連れていかれていた。そんな感じだった。基本的に祝祭ムードだった武道館が、その時間だけは別の空気に包まれていた。おごそか。そう、あんまり、バンドのライブでそういうことを感じることは少ないけど、「おごそか」という言葉が一番近いかもしれない。
— MONGOL800 @ 日本武道館 | 邦楽ライブレポート | RO69(アールオーロック) – ロッキング・オンの音楽情報サイト
くあー.これはやはりあらゆる手を尽くして行くべきだったのか.
今年一番の痛恨ネタになってしまったではないか.
なんということだ…
2009/12/25 (金) @ 08:36
アップルはiPhoneを,その名前の通り,携帯電話として売った.
実際のiPhoneを見れば分かるように,それはどんなものとして売ってもよかったものだ.例えば,ハンドヘルドPC,PDA,Internet communicator,リッチなiPod,iPod for Video,携帯ゲーム機,Knowledge Navigator,…
しかしアップルはそれを電話として売ることにした(*).2007年のあの時点において,世界やアップル社自身の流れの中で,それが最も良いと判断したからだろう.そしてその判断は正解だったと認めざるを得ない.
電話でありながら「何にでも使える」のは,それがまさに優れた汎用のコンピュータ(優れたハードウェアと優れたソフトウェアの組み合わせ)であるからだが,そんなことは表立ってユーザに言う必要はない.
さて2010年.アップルは「タブレットPC」を出すらしい.彼らはそれを何だとして売るのだろうか.
タブレットPC? である訳がないだろう.
ブックリーダー(Reading device),というのが最も妥当な線だが,それでJobsが満足するのだろうか.
iPhoneでBlackBerryからハードウェアキーボードを取り去ったことと,アップル・ブックリーダー(iBook? :-)でKindleからキーボードを取り去ることが,あまりに相似し過ぎているのが逆に気掛かりだ.Reading contentsをiTunes Storeに組み込む準備は,もう整ったのだろうか.
2010年.いま我々が最も「明示的に不満だとは認識していない不満」を抱えていて,「明示的に自らは認識していない渇望」を抱いている領域はなんだろう.
素直な気持ちでそれを聞くのが楽しみだと言える.ちょっぴりの口惜しさとともに.
(*) Jobsのkeynote addressを正確に辿れば,”Widescreen iPod with touch controls” と “Revolutionary mobile phone” と “Breakthrough Internet communications device” の3-in-1だが.
2009/12/24 (木) @ 17:58
前のポストにmixiの方でコメントがついて,そこに
コドモ(小3)の教育上そのうち一般紙も取らないとアレかと思って…
とかあったので続きます.
これはまさに思う壺,お客さんいらっしゃい状態.販売員の口から,「そうなんですよ.実は,学習指導要領が新しくなりまして,新聞が…」と続きます.:-)
あれは絶対,新聞本社レベルからの営業資料(拡販ツール)として伝えられてますね.このセールストークが頭に入っている販売員は,その家庭に(何歳くらいの)子供がいるかどうか探りに入るのかも.プレゼントで何を選ぶかとかで探られていませんか? >あなたw
で,販売店員が言っていったことが本当かどうか調べてみたわけですが,結果,一応,言ってることは間違いではないようだ.具体的な内容を新聞側からの勝利報告(笑)的に書くと,こんな感じです.
- 小学5、6年の国語では「編集の仕方や記事の書き方に注意して新聞を読むこと」が明記された。
- 中学3年の国語では「論説や報道に盛り込まれた情報を比較して読むこと」が明記された。
- 高校では、公民の「情報を主体的に活用する学習」において、「新聞、読み物その他資料を収集、選択し、読み取り解釈」するなどの学習活動を取り入れること、情報の「情報メディアの種類と特性」について、「新聞・テレビなどの特徴や働きについて扱うこと」など、「新聞」が明記された。
国の正式な文書に特定の単語を入れることが,どれだけ大変でどれだけ意味があるかは何となく想像つくので,彼らが誇らしげに勝利を謳いたい気持ちはよく分かります.
ただ,指導要領本文を眺めてみた感じでは,新聞だけが特に指定明記されているわけではなく,放送(テレビ)や雑誌や統計・年鑑・白書やさらにはインターネットと併記されるかたちで挙げられているので,本当に新聞が使われるかは,学校や先生次第なんですかね.とはいえ,やっぱ新聞とか,積極的に選ばれちゃいそうだけどね.
新しい学習指導要領の完全実施は,小学校は2011年度,中学校は2012年度,高校は2013年度から.
ちなみに,今回案件のロビイングに尽力したと思しき方々はこちら.
まことにおつかれさまでございます.
インターネット側(なんてあるのか?)も,こういう努力が必要なんだろうなあ.その努力をしないのであれば,ゲリラ・革命・転覆路線しかない.どーしますかね,みなさん.(って,誰に問いかけてんだよw)
以下,参考リンク.
2009/12/22 (火) @ 00:23
とうとう新聞の宅配を止めた.
ここ数年は実際には読んでいなかったのだけど,帰って新聞受(郵便受)を覗いても投げ込みのチラシしか入っていないのは,何か,もの悲しい.まあすぐに慣れるんだろうけど.
止めようとした際の配達員のおっちゃんの態度もあっさりしたもので,特に引き止めもなし.達観,というか.
と思ったら数日後,販売店のマネージャーだか同僚だか分からないけど,再セールスの電話あり.でも,セールストークの第二声が「嘘を言うこと(確度80%)」だったので,激しく萎えて相手にせず.
さらにしばらくしたら,販売店の経営者かそれにかなり近い人(たぶん上の電話と同一人物)が家まで営業に来た.直接話すと悪人ではないだろうことは判るのだが,それでもセールステクニックがいちいち姑息.最初にインターフォンを鳴らして名乗るときに店名(紙名)を言わず,新聞をとること自体を本当に止めたのかあるいは他紙をとっているのかを聞きだそうとする,に始まって諸々.止むに止まれぬ仕業なのか,それとも体に染みついてとれないのか.まあ暇なのでしばらく話をしてみると,とにかく壊滅的な状況のよう.購読を止める人たちの理由は,多かれ少なかれ,みな,「不景気で金がない」+「紙面が面白くない」+「そもそも購読してても読んでいない(いなかった)」のコンボ攻撃であり,これはもう駄目だろうな… というこちらの印象を強くしただけの営業タイムであった.
…
そういえば,いまのおっちゃんの前の配達員は明らかに新聞奨学生とおぼしき女の子だった.集金の際の格好も,販売店ジャンパーの下は決して小綺麗とは言えず… その子がいなくなる前の3月,一度だけスーツ姿で歩いているのを見かけた.今はどうしているのだろうか.
などという感傷的気分も含めて20世紀の遺物なんだな,きっと.
Amazon: 朝日新聞がなくなる日 —新聞・テレビ崩壊! (宮崎正弘)
2009/12/11 (金) @ 01:48
先日,Google 日本語入力のリリースに触発されて,Human Computationというエントリを書いた.といっても,このエントリは自分用のメモのようなもので中身は何もない.その後,第1回ウェブ学会シンポジウムのetoさんの発表で集合知の話が出てきたりということもあり,せっかくの機会なので,ネタをひとつ投下します.
—
Human(-based) computationでも集合知でも何でも良いのだが(今回の話ではそこら辺の違いは余り重要ではない),ある作業を他の人々の行為へアウトソースする場合,そのインセンティブ設計は大きく二つに分類できる.適当に命名するならば,「価値観共有型」と「副作用利用型」だ.
例えば,WikipediaやPodcastleは前者に属し,reCAPTCHAやGoogleサジェスト+Google日本語入力は後者に属する.
Wikipediaの場合,システム提供者の目標は,より良い百科事典をつくることであり,その編集に参加する人々のインセンティブは,より良い百科事典(の項目記述)をつくることや自分の知識による達成感・被承認感を得ることである.Podcastleの場合,システム提供者の目標は,より良い音声認識を実現することであり,そこに参加する(音声認識結果の誤りを訂正する)人々のインセンティブは,より良い書き起こし文が読めることや貢献感・達成感を得ることである.
これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブは同じ方向を向いている.すなわち,提供者と参加者との間で価値観が共有されている.これは一見シンプルかつ望ましい設計であるように見えるが,一方で,意図的に価値観を相違することでシステムを妨害することが可能だという欠点を持つ.つまり,悪意を持った人が,わざと間違いを書いたり誤った訂正をして,WikipediaやPodcastleを破壊することができる.
他方,reCAPTCHAの場合,システム提供者の目標は文字認識の精度の向上であり,reCAPTCHA利用者のインセンティブは,ウェブサイトにおけるセキュリティの確保(正確にはSPAM BOT除け)である.Google日本語入力の場合,システム提供者の目標は,より良いIME実装のための辞書や言語モデルを獲得することであり,Google検索(サジェスト)の利用者のインセンティブは,より良い検索結果を得ることである.
これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブとの間には何の関連もない.参加者が自らのインセンティブに基づいて何かをしたことの副作用として,システム提供者が求める利益が得られる構造になっている.そして,提供者と参加者との価値観の共有を必要としないことで,悪意のある参加者の参入を阻止することが可能となる.Google Books (reCAPTCHAはGoogleに買収されGoogle Booksの文字認識に利用されているらしい)を妨害しようとしてreCAPTCHAに誤った入力を与えたり,Google日本語入力を使えなくするためにGoogleで意味のない検索をしたりする,といった行為が有効かどうかは不明であり,そんなことをする気には余りならないだろう(悪意はもっと直接的に発揮された方がカタルシスを得やすい).
以上,Human Computationや集合知生成システムのインセンティブ設計には,「価値観共有型」と「副作用利用型」の二種類がある,というお話.
最後に,ここまでの議論をもう一度軸を変えて見てみると,以下の二つのことが言えるだろう.
Human Computationを実現したい,集合知を得るシステムを実装したいという場合は,参加者がシステム提供者と価値観を同じくすることを前提とするのではなく,参加者のインセンティブとシステム提供者の目的とが独立であり副作用としてそれが繋がるような設計が良いのではないか(←検証されている訳ではない.第一,Wikipediaは成功していることになっている!).但しそのような設計は,価値観共有型と較べて,非常に優れた工夫が必要となる.
一方,利用者(処理をアウトソースされる側)の人間から見ると,そのシステムの提供者(アウトソースする側)の目的を理解し共感しているタイプと,そのシステムの目的さえ知らずにしかし結果として協働しているタイプの,二種類のHuman Computation/集合知生成システムが存在する.どちらが利用者にとって望ましいかは,この場では不明である.
—
というのが本エントリの主張.嘘か本当かは,知りませんw
さて,ここら辺から辿って,年末にでも勉強しますかね…