カテゴリー: wp の記事一覧

2009年08月31日以降,communisense.comにて,WordPressを使って書かれているもの

逆回転

思うに,あまちゃんにある大切なテーマの一つは,現実は決して逆回転なんかしない,現実世界に魔法は存在しない,ということではないか.そして,それでも人は(元気に)生きていかなければならない,ということ.

地震や津波が起きなかった世界に戻すことは出来ないし,いま抱えている様々な問題や困難を解決する“魔法の術”がある訳もない.

逆回転はしないし奇跡は起きない.だから,過去と現在の,あるいはテーゼとアンチテーゼのどちらか片方を否定するのではなく,双方を肯定した上で,その“合”となる未来や生き方を見つけ,作っていかなければならない.

という観点からみると,未だ解決されていないのは,鈴鹿の音痴問題(急に歌が上手くなる術は無い)と,ユイの田舎vs.東京問題(ずっと北三陸に居る!は「東京」の再否定に過ぎない)の2点.この2つとも,あと4話の内に解決が示されてしまうのだとしたら,その手練には唸るしかない……

……あれ? でもこのドラマ,ヒロインは誰だっけ? アキの「問題」はもう全て解決済みなの? もう何も残ってないんだっけ? 海女カフェ再建は大事だけど小さなテーマだよね?……

鈴鹿とユイの2つの物語は副題に過ぎない.そして,この土壇場になって主題となる,半年間のドラマを貫くアキの大きな物語が改めて宣言され(蓋を開けたらそれは既に様々な形で見せられていたものだった,となる筈だが),それが昇華した形での未来や生き方をが提示されるとしたら.あと4話で本当にそこまでやられたら……,と思うと本当にワクワクする.

結局どんな話になるのかは分らない.でも大丈夫.あまちゃんの「1週6話」への詰め込みっぷりと展開の速さは,皆,よく知っている.だってそこのあなたもそこのあなたも,東京編の初日に「無理!」とか「きついな」とか「リタイアするかも」とか言ってたよねw 同じ週の水木あたりに(良い意味で)大逆転されるとも知らずに.

(録画観たら余りに心が落ち着かないので何か書いたw)

——

Facebookへのポストからコピペしました.

ダビスク

堀江貴文氏仮釈放記念に,こんなページを貼りつつ昔話.

ダービースクエア(以下DS)といえば日本のページの草分け的存在である。その名前が無くなるのは寂しいことであると同時に、時代の流れというものを感じる。WWWといえば初期のころは個人ページが中心で、熱心に取り組む企業は少なかったが、今では雑誌、新聞、テレビ等の既存メディアのページが多く立ち上がっていて、他メディア出身のページは充実している場合が多い。

DSは1994年に現オンザエッジ社長のほりえたかふみ氏が始めたページであり、もちろんその当時は他に類を見ないぐらい充実したページであり、後にほりえ氏がオンザエッジを立ち上げ、オンザエッジが運営するページとなった。いわゆる個人ページが発展して会社まで作ってしまったパターンである。……

インターネット競馬界 一時代の終わりと始まり

その昔,日本語が使えるウェブのディレクトと検索エンジンのハイブリッドのようなものを作っていた時期がある(結局陽の目を見ずに終わったが).正確な時期は忘れたが,そんなことをしていた頃,突然,日本の競馬/競走馬の情報がウェブ上に乗るようになった.

競走馬名というのは実は非常に恐ろしいもので,通常思いつくような日本語の単語や外来語の転写を片仮名にすると,ほぼ必ずその「カタカナ文字列」を馬名に含む馬がいる(あるいは過去に存在した).

つまり片仮名キーワードで検索すると,そのキーワードを含む馬名がヒットしてしまう.当時のウェブの使われ方というか私個人としては,それは意に反した結果であり,日本語処理もPage Rankも何も,何の工夫も無いアルゴリズムで検索結果に出てくる馬名はノイズでしかなかった.(暴言陳謝>愛好者・関係者の皆様方)

そのときの印象では,単に有名馬や競馬ファンのページがあるというより,競走馬名を網羅的に載せているサイトがあったように思えてならなかった.それが「The Derby Square」だったのかどうかは,当時も今もはっきりと認識していないのだが,後から考えるとそうだった気がしてならない.

あの頃,検索結果に並ぶ馬名を見ては「げー」とか「くそー」とか私に言わせていたのは,ひょっとしたら堀江氏だったのかもしれない.

P.S.
こんなん見つけた.「競馬ブログ オケラセラ

さらに,“INTER IT : IT’s Work Style TAKAFUMI HORIE”とか.

紙上プログラミング

20年以上昔の話.

その頃は,大学や会社でするプログラミングは家ではできなかった.コンプライアンス規定でソースコードを家に持ち帰れない? いやそんなことじゃない,というか「コンプライアンス」なんて日本語は,その頃は存在しなかった.

もちろん「パソコン」は当時もあったし,そこではBASICもTurbo PascalもオモチャのようなCコンパイラも,もちろんアセンブラも使えていた.でもなぜか大学の研究室や会社でのプログラミングはUNIX上でCやLISPやその他諸々を使ってやるもので,個人のパソコンでのプログラミングとの間には,大きな隔たりがあった.

UNIXマシンは大学や会社にしかなかった.ネットワーク? モデムは確かにあった.だが(以下略).

とにかく,プログラミングができるのは大学や会社のVT-100コンパチ端末かワークステーションを使っているときだけ.じゃあどうするかというと,その日の最後,帰る直前に必要な部分のソースコードをプリントアウトして持って帰る.プリンタはラインプリンタだったりレーザープリンタだったり.

そして家に帰るとそのプリントアウトを見ながらデバッグする.修正したコードはその紙に書き込む.もちろん手書き.紙上デバッグ.家で新しいコードを書き始めるときは,まっさらの紙にプログラムを手書きで書いていく.紙上プログラミング.

次の日,デバッグ済の紙や新しいコードを書いた紙を持って行き,それを見ながら,キーボードで紙のコードを入力していく.やったデバッグ完了!

まっさらの紙に書かれた新しいコードは,新規ファイルに入力し,そしてコンパイル(make)する.たまに一発でコンパイルが通ったりする(もちろん一発で通らないときの方が多い.紙上プログラミングの間違いだったり,打ち込むときの入力ミスだったり).さらにたまに,コンパイルしたコードが一発で思い通り動いたりする.そういう時は,ひょっとして自分は才能あるんじゃないかと思ったりする(←勘違い).

若い人どころか今や中年の人にとっても何を言ってるのか分らねーと思うが,要するに,紙とペンでプログラミングをしていた,という話.

————

友人達のNPOが「ビスケット塾」という表現や創造や論理やプログラミングを教える活動を始めた.そこで使われているのがViscuitというビジュアル・プログラミング言語.

塾でレッスンをうける子供たちが,ビジュアル・プログラミング言語の「プログラム」の「設計図」を紙に描いている,その様子を見ていたら,自分が20年以上前にしていた本物の紙とペンでのプログラミングを思い出した.

レッスンの特徴!設計図です。この設計図をもとに作品をつくります。

レッスンの特徴!設計図です。この設計図をもとに作品をつくります。

omakeで継続監視ビルドも,継続的インテグレーションも素敵だ.でも,寝る前にプリンタ用紙をもう一度見ながら,このプログラムで動くかなー,と思う気持ち.それも充分に素敵なものだったと思う訳だ.

(この文章は,お分かりかとは思いますが,よしおかさんの「我が青春の東急東横線渋谷駅改札。」にも一部触発されております,が,あの勢いには到底及びません……)

MISIAと宇多田ヒカルとDragon Ashが渋谷系を殺した(たぶん違うけど)

“渋谷系”を殺したのはCoccoであり、椎名林檎であり、MISIAであり、宇多田ヒカルだった。」という話.モーリさんは否定的だけど,現象面としては,個人的には割と納得感ある.

MISIAや宇多田ヒカルによってメジャーなチャート音楽を聴いていてもそこそこ質の良い音楽が聴けるようになった,という安心感みたいなものはあったのではなかろうか.渋谷系を聴いていたのは高い音楽性や趣味性を求める人だけではなく,チャート音楽の質にはちょっとだけ満足できない,という人々も居たはず.そういう層にとってみれば,チャート音楽の質が上がったのであれば,渋谷系のヤヤコシイ情報や音源の入手に煩わされるよりは,チャートを聴く方が楽で良い.そういう人達が移動することによって,ひとつのジャンルやマーケットが成立するクリティカルマスを下回ってしまった.

というような感じ.なので「後景に追いやられた」という言い方は,キッカケの表現としては間違ってるが,結果の表現としては妥当かとも思う.(個人の妄想です)

記憶が間違ってるかもしれないけど,1999年の3月か4月にJ-Waveで,MISIAと宇多田ヒカルとDragon Ashだけ対象のリクエスト特番っていうのをやってて,それを聴きながら「日本変わったな」と強烈に思ったのを覚えている.

モーリさんのfacebookの渋谷系考察シリーズ()を読んでたら何か書きたくなったので……

infotalkメーリングリストから20年

思えば今から20年前の1993年3月3日にinfotalkメーリングリストを作ったのだった.別ML(pp)からの脈絡のないw 5人からのスタート.でもその日のうちに渡辺洋一さん(youchan)が入ってる.

その後,私はここを(も)通して世の中が変わり,ある意味,私らさえも追い越して行くのを見ることになる.既に閉鎖済なので二十歳という訳ではないが,その恵みが今も確実にSNSの友達やTLの豊かさとして継承されている.感謝.

Real-Writer: TAKADA Toshihiro (高田敏弘)
Real-Date: Wed, 03 Mar 1993 15:27:36 +0900
Subject: [infotalk,00001] “infotalk@square.ntt.jp” starts!
Message-Id: <9303030627.AA25081@seraph.ntt.jp>

たかだです。

つー訳で、えびさんからML管理スクリプトを御贈答頂き(感謝 _o_)、 Gopher,
WWW, WAIS などなどに興味を持つ人へのMLを作りました。取り敢えず名前は、

infotalk@square.ntt.jp (InfosystemsTalk mailing list)

ということで(もっと良い名前募集中)、ま、MLの内容は、ヨタ話でも技術的な
議論でも何でも、飛んで行く方向に任せたいと思います。

……

非奴隷たる自由人としての抽象化力

facebookの友達たちが面白い議論をしてるので(これとか,これとか),少し斜めから参戦.結論は無いよ(たぶん).

注:以下の文の対象となる集団を,我々は,日本人は,人は,等々‥‥ 何と称すればよいか,いま一つ確信が持てないので,そこは曖昧に「我々は」にしておこう.(最後まで書いたら,やっぱり「日本人は」かな,という結論になってしまった‥‥と戻って書いている)

我々は,物事をひとつひとつコツコツとこなすことを厭わないばかりか,それを尊いとさえ思う傾向がある.そしてもうひとつ,我々は時として理解より納得を優先する.

例えば何か事前検討・準備が必要な仕事があり,その場合や条件や選択肢が1から100まであったとしよう.上司が部下に仔細問題なきよう指示し,その報告を上司が聞く.もし部下が充分な抽象化をして論理的に検討した結果を報告したら,おそらく上司は「理屈はいいから1から100まで全部検討しろ」と言うだろう.上司はその抽象化と論理を理解できないのかもしれない.理解は出来ても腑に落ちないのかもしれない.(最低だがよくあるパタンは)「お前の言うことは分かった.だがそれでは上が納得しないだろう」という“NO”だ.

抽象化して考えることの利点は勿論ある.例えば1から100ではなく1から1億まで場合があるとき.そして,1から100に対して準備したがいざ本番で意に反して101や10000がやってきたとき.どちらも,しらみ潰しよりは抽象化で考えていた方が失敗しない可能性は高い(もちろん確実ではない).

しかし実際に選ばれるのは,ひとつひとつ丁寧に検討する仕事だ.前者は得てして「可能な限りのケースを検討しろ」となる.その結果,全てのケースを尽くせずそこで物事が止まるか,あるいは,1から274まで検討したところで時間切れとなり見切り発車となる(もしそれで失敗した場合は「仕方なかった,でもよくがんばった」だ).後者の光景も目にする.「インターネットという衝撃」や「津波と全交流電源喪失」という10000がやってきたあげくに手も足も出なくなる状況.

どちらもそうした挙句の失敗はあまり責められない傾向がある.逆に,「抽象化」と「論理」に間違いがあって失敗したときはどうなるだろうか? 本人はともかく「それにOKをだした上司」は相当に責められるような気がする(個人の感覚なので根拠はない).

おそらく社会の人々は,(偶数+奇数のような)例題的な単純な問題はさておき,実世界や実社会の問題を式や抽象化で表現することは不可能だと思っているのだろう(それはほぼ正しいと私も思う).だからそんな考え方には価値がないと.もちろんしらみ潰し方式もすべてを尽くすことは不可能なのだが,こちらは努力が目に見えてしまうところが,たちが悪い.

さてこれに反論するにはどうしたらよいのだろう? 以下これも根拠レスだが,恐らく欧米(特にヨーロッパ)では,リベラル・アーツの発祥から想像できるように,しらみ潰しの作業をするのは「奴隷」,論理や抽象化や体系で考えることができるのは「自由人(非奴隷)」という古代ギリシアから続く区別が厳然とあり,どちらが良いも悪いもへったくれもないのではないか.日本のような,そうした前提のないところで(本当にないかどうかはこれもよく知らない)論理や抽象化や体系の意義や力を,それを信用しない人に対して説得する方法は果たしてあるのだろうか?

長杉!w

「アンダー・ザ・テーブル」

Googleの“20-percent-time”の話をしていると,必ず,「いや,昔から『アンダー・ザ・テーブル研究』というのがあってね…」と言い出す人がいる(概ね年寄り).

だが,技術だけではなく,組織運営やマネージメント手法だって10年20年経てば当然進化する.一方で企業コンプライアンス強化における種々の制約は,一昔二昔前とは比べものにならないくらい大きくなっている.今現在の“20-percent-time”制度あるいはそれを上回るものの議論をしているときに「机の下」を持ち出して口を挟む人は,これからの技術を語っているときに10年20年前の固有名詞を出してアレコレ言ってくる人とまったく同じだ.歴史と蓄積を学んだ上で,現在とそこから生まれる未来を考えるべきだろう.

かの「机の下」時代は,自ら何かやりたいと思った人は,上司を説得する,こっそりやる,上司と喧嘩する(でもやる),就業時間後にやるから良いだろうということで合意する(夜中にやるとかね.今はもう出来ないだろうな.嗚呼コンプライアンス無情)…等々,皆,さまざまな工夫とともにその実装を試みていた.しかし今はもう21世紀,そこら辺の“アーキテクチャ・デザイン”も現代化しましょうよ,という意見が社内(特に若者)から出てくるのは至極もっともな話であり,それを「俺は昔はこうやった」で引き取るのは最悪の対応である.

(以前某所に書いた文を修正再利用)

90年代

GREEの田中さんのメッセージが話題になっている.新聞読めないんだけど,これと同じだというので読んでみた.

いきなり冒頭の,90年代が「…… どうせ何も変わらないから、頑張るだけ馬鹿らしい。悲観的なシニカルであることが賢いことで、建設的で前向きであることが愚かであるような、…… そんな雰囲気に包まれていたように思えたからです」という部分に“違和感”を覚えた.いや,90年代はそんな時代じゃなかったぞ,少なくとも俺の90年代は,と.

だがその先のシリコンバレーの話を読み進めていくうちに,自分の気持ちが理解できた.そうか,自分は90年代を通じてずっと,ネットとインターネットとウェブの真っ只中にいたから,そんな風には全く思わなかったんだ,そんなシニカルに考えている暇なんかない面白かったんだ,と.

という訳で,根本的な受け止め方としては,私と田中さんとで,あまり変わりはしないのかもしれない.ひとつだけ違うといえるのは,そんな輝きや価値観や生き方があったのは,決してシリコンバレーだけではないということ.社会やコミュニティの理解という意味では確かに劣っていたかもしれないけど,それは世界中にあったはずだ.たとえば,ジュネーブにも,イリノイにも,そして日本にも.

田中さんが結局日本から飛び出さずに,日本に居ながらにして,いま持っているものを持ち得たというのが,あそこで日本が大きく変わったことの証拠だと思う.シリコンバレーに行く必要がなくなっちゃったんだよね,実際に.

ちょっとそのリブログ,誰かの検索結果に表示されますよ

ついにきた.ネットサービス上のデジタルアイデンティティ統合の自動化が.

多くの人は複数のウェブサービスを使っている.私もそうだ.twitterにfacebookにtumblrにLinkedInにmixiにPicasaにYoutubeに,忘れちゃいけない自分のこのブログに…… そうそう,最近はGoogle+もだ.

通常,異なるウェブサービスでは異なるデジタルアイデンティティが使われる.例えばGoogle+に103124556158689945337というユーザがいて,twitterにtakadatというユーザがいたとき,それらが同一人物かどうか分かるだろうか? 本人ならば分かる.親しい友人なら分かるかもしれない.全くの他人からは? プロフィール等でおおよその察しはつくが,確信は持てない.では,人ではないプログラムやサービスからは同一人物かどうか分かるのだろうか?

Googleはそれが分かるようになった.Google以外も含めた複数のウェブサービスにおけるデジタルアイデンティティの結び付きを知り,それを検索等のウェブサービスに利用するようになった.

発端はGoogle+での,Kanzakiさんの投稿だった.

共有リンクがGoogleの検索結果に反映される?たまたま「蝉」を検索したら、「周期ゼミは、セミのうち…」という記事のスニペットの後に“+Toshihiro Takadaさんが共有しました”というおまけが付いてきた。サークルに入っているユーザが共有したもののみ表示される模様だが、この記事は彼のストリームには無いような(以前見たような気もするが)。どんな基準なのか、今のところ不明

恐らくヒットした記事はこれのことだろう.私のtumblrのポストだ.

《Googleウェブ検索ユーザのKanzakiさん》と《tumblrのtakadat》との間には,何の繋がりもない.しかし,《Googleウェブ検索のKanzakiさん》=《Google+のKanzakiさん》—[サークルに入れる]→《Google+のTakada》≡《tumblrのtakadat》という繋がりをGoogleが知ることで,Kanzakiさんのウェブ検索の結果にその情報を表示したのだ.

上の最後にある“≡”の部分,つまり《tumblrのtakadat》が《Google+のTakada》と同一人物だとGoogleが知っている理由は,Googleアカウントの“Connected accounts”や,Google(+)アカウント・プロフィールの“Link/リンク”にそのことを入力してあるからだ.今回の私の場合,tumblrのURLは後者のリンクのところにしか入力していないので,その情報が使われたことになる.

また,すこしGoogleウェブ検索を観察してみたところ,twitterのプロフィールの“Web”の項目に書かれたリンクも,同様に扱われているようだ.

いずれにせよ今のGoogleは,ユーザが自ら「これは私だ」と記述した情報を利用しているだけで,アルゴリズミックにユーザの素性を暴き立てることに成功した訳ではない.しかし,tumblrでリブログしたりブログにリンクを載せたりすると,それがどこかの誰かの検索結果に名前付きで表示される可能性があることは気に留めるべきだろう.しかもこれは,Google+ならば,サークルに入れられた人がShareした事実が,サークルに入れた人の検索結果に現われ,twitterならば,フォローされた人のWebに載っているリンクが,フォローした人の検索結果に表示される.Google+もtwitterも人間関係は非対称であり,サークルに入れる/フォローするのに,入れられる/フォローされる人(つまりそれは検索結果に名前が出る人)の承認は不要なのだ! (Google+での上限の5000人?をサークルに入れた人の検索結果は,さぞかし賑やかなことになっているのだろう)

それからこれは蛇足だが,この関係は,当たり前だが国や言語を超える.サークルに入れられてしまえば,誰の検索結果にも名前が表示され得る.ということは,なるべくならば「名前」は,多くの人にとって可読可能な文字・表記で書かれることを,サービス提供者は望むのではないだろうか.

Google+等のSNSやステータス投稿系へのユーザ入力とウェブのクロールから,フェデレーテッドなデジタルアイデンティティを構築することが出来るのであれば,SNSを横断した統合ソーシャルグラフを生成することも可能になるだろう.Googleにとっては,データがオープンアクセスでありさえすれば,個々のデータが自社のサービスではなく他社のサービス内に置かれていても,余り気にならないのかもしれない.そこが恐らくfacebookとは大きく違うところだ.

しかしこのことにふと気づいてGoogle+等にポストした(G+, fb, tw)した2日後には,本当に,Google+という“SNS”の枠を超えたサービス(今回は検索)として提供されるその光景を目の当たりにするとは.試用とか言っちゃって.Google恐るべし.

Federated identityへの道もリンクから.

……

以下参考まで.

接続アカウントやリンクの情報は,Google+等のプロフィールページに行き,そこから,Edit Profile/プロフィールを編集 → Links/リンクへ,そしてそこにある,Add custom link/カスタム リンクを追加,あるいは,Manage connected accounts/接続されたアカウントを管理,により設定/変更が可能だ.またそれらのデータの意味や使われ方については,

等に記述されている.3つめは日本語訳が用意されていないようだが,ここら辺の問題を気にするのであれば必読とも言える.

平坦な戦場にも記憶はある.厄介な

こんなグラフを見かけたので前から思っていることなど.

Global Music Industry Turnover (1973-2009)

これを見ると「単にCDがバブルだっただけじゃねーのか」という気がしないでもないが,右肩上がりを信じていた人々は,ピークのところ(1999年?)で何かが起きた,と信じたいのだろう.

Napsterが生まれたのが1999年,iTunes/iPodが出たのが2001年.まあ,関係なくは無い.

個人的状況を考えると,CDをあまり買わなくなった一番大きな理由は,iTunes/iPodにより,既に所有している音源を聴くので「手一杯になった」からだ.これはもう如何ともし難い.歳をとって新しいものへの欲求が減ったというのもまた事実で,自らのライブラリへの傾倒の容易さが更にそれに輪を掛ける.

iTunes/iPodには所有ライブラリが丸ごと入るため,そこでは全ての曲/アーティストが参加する壮大なリーグ戦となる.聴取機会を巡り,個人的「いい曲」の地位を巡り,現在の新譜や新人が数十年間の蓄積となる曲やアーティストと闘わなければならない.

戦う相手がビートルズやストーンズといったオーソドックスである,というのは,実はまだマシな話だ.それは真っ当な実力勝負とも言える(まあキツイ話だが).タチが悪いのは,iPodの持ち主の個人的な思い入れや思い出との闘いだ.そこでは,メジャー/マイナーはおろか,楽曲の良し悪しすら関係なかったりする.勝ち目の薄い,厳しい戦い.

全く同じことが,これから「文芸」においても発生するのだろう.(電子書籍云々がうまく立ち上がればの話だが) そして,その先,他のジャンルでもまた.

これからの作家や表現者は,古典と戦い,受け手の記憶と闘わなければならない.一見フラットな戦場も,微視的には記憶とか郷愁とか憧憬とかそんな厄介なもので満ちている.

ただひとつ言えることは,音楽の場合,その厳しい闘いを勝ち残るアーティストや曲が,今でも生まれ続けていることだ.それはとても素敵なことであり,それらをもたらしてくれるアーティスト達に心から,ありがとうと,貴方達のおかげでまたちょっと生きていくのもいいなと思うんだ,と言いたい.

希望はまだある.

(ツイート再生エントリ)