“渋谷系”を殺したのはCoccoであり、椎名林檎であり、MISIAであり、宇多田ヒカルだった。」という話.モーリさんは否定的だけど,現象面としては,個人的には割と納得感ある.

MISIAや宇多田ヒカルによってメジャーなチャート音楽を聴いていてもそこそこ質の良い音楽が聴けるようになった,という安心感みたいなものはあったのではなかろうか.渋谷系を聴いていたのは高い音楽性や趣味性を求める人だけではなく,チャート音楽の質にはちょっとだけ満足できない,という人々も居たはず.そういう層にとってみれば,チャート音楽の質が上がったのであれば,渋谷系のヤヤコシイ情報や音源の入手に煩わされるよりは,チャートを聴く方が楽で良い.そういう人達が移動することによって,ひとつのジャンルやマーケットが成立するクリティカルマスを下回ってしまった.

というような感じ.なので「後景に追いやられた」という言い方は,キッカケの表現としては間違ってるが,結果の表現としては妥当かとも思う.(個人の妄想です)

記憶が間違ってるかもしれないけど,1999年の3月か4月にJ-Waveで,MISIAと宇多田ヒカルとDragon Ashだけ対象のリクエスト特番っていうのをやってて,それを聴きながら「日本変わったな」と強烈に思ったのを覚えている.

モーリさんのfacebookの渋谷系考察シリーズ()を読んでたら何か書きたくなったので……