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1995年05月07日からの日記

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ネット配信における遠隔参加者の一体感醸成手法の一起源

(facebookノートからの転載です)

趣旨:ライブ・イベントのネット配信や遠隔講義等におけるリモート参加者の疎外感・一体感の欠如を解決する手法のひとつが「『伝わり』のフィードバック・ループ」であり、そのオリジナルは1997年の坂本龍一氏のコンサートのネット配信で使われたRemote Claps / RemoteApplause (竹中、江渡ら)にある。

TLTR

ネット配信や遠隔会議は数年おきに、技術・社会の要請から盛り上がりをみせそして沈静化する、というサイクルを繰り返す。2020年春、公衆衛生上の問題解決の手段として再び遠隔地間をつなぐことの需要が生まれている。かつて(2000年代)前職で遠隔通信の研究というか、いわゆる“デモ芸人”的なことをしていた時期、「遠隔○○の参加者の疎外感を解消する方法はないか」的な相談を何度かされることがあった。そのときの答はいつも、「その問題は既に1997年に解決済です」だった。2020年のサービスの最新状況を正確には把握していないが、ここ数日の「無観客ライブ・ストリーミング」への反応をみるに、正しく知られているか疑問に思うこともあった。そこで昔の書きかけの文章を発掘し、整理してみる。ちなみに以下の文章は本当に2000年代に書きかけたものであり、当然現職とは何の関係もなく、こんなことになるとは予想だに……です(笑)。

21世紀になっても(だからこそ?)、ライブやイベントのネット配信・遠隔講義・遠隔会議等におけるリモート参加者の疎外感・一体感の無さが問題として挙げられ、それを解決する方法はないか?という話がされる。私見では、それに対する解は存在し、そのオリジナルは1997年の坂本龍一氏のコンサートにある。

その解とは、以下の構造が成立していることだ。

  1. 主会場からの中継を遠隔地で観る参加者(達)がいる
  2. 彼らが中継から何かを感じ、リアクションをしていることが、主会場(や他の遠隔参加者)に伝わる
  3. そこで伝わったものを主会場の演者、主会場の参加者(と他の遠隔参加者)が見ている
  4. その見ているという事実そのものが、また遠隔参加者に伝わる、

つまり、主会場の演者→遠隔参加者→遠隔参加者の反応→主会場→主会場の演者と参加者→主会場の演者と参加者の反応→遠隔参加者、というフィードバック・ループを成立させることが遠隔参加者の一体感を生み出す。

言い換えるとそれは、

「『伝わっている』ことが伝わっている」ということが伝わる

であり、言葉を補うと、

「『遠隔地の参加者に主会場の様子が伝わっている』ことが、遠隔地参加者の反応という形で主会場や他遠隔地に伝わっている」ということが遠隔地に伝わる

となる。

1997年から98年の坂本龍一氏のインターネット・ライブ中継で導入された Remote Claps / RemoteApplause が、まさにそれを(必要最小限に)実現するシステムだった。これらのシステムについては、ウェブ上にわずかに痕跡が残っている。

このシステムは、遠隔参加者がStreamWorks/RealAudioで映像中継を観る一方でJavaアプレットを起動し、中継を観ながらキーボードの特定のキー(‘f’や‘d’)を押すと、その文字が主会場後方の大スクリーンに表示されるというものだ。キーを1回押す=1回手を叩く(拍手)というメタファである。

遠隔参加者は自分がした「拍手」がスクリーンに表示される(=伝わっている)こと、自分以外にも「拍手」をする遠隔参加者がいることを中継で観ることができる。主会場の観客と演者はスクリーンに文字が表示される=遠隔参加者の拍手ということを認識しており、観客(と場合によっては演者)は遠隔参加者の存在とアクションを知る。

拍手が沢山集まるとスクリーンがその文字で埋まる。それを見た主会場のどよめきが遠隔地に中継されることで、遠隔参加者には、主会場側で自分たちの存在とアクションが認知されており、それに対するリアクションがあるということが伝わる。自分も参加していること、自分の存在と反応(もっと言ってしまえば感情であり人格でもある)が主会場で認め・受け入れられていることを知ること。それが疎外感を排除し、一体感をもたらす。Remote Clapsシステムの要点はそこにあった。

フィードバック・ループの形成による一体感の醸成という手法は、恐らくそれ以前のメディアにおいても認識されていたのではないかと思われる。例えばテレビやラジオと電話(FAX)を組み合わせた視聴者参加型番組。さらに(1回転するのに数ヶ月掛かるが)雑誌の投稿欄の盛り上がりの構造にも類似性が見られる。

しかしネット中継という文脈におけるオリジナルは、Remote Clapsにおける、アイデアの考案・実装・コンサートでの実証だったのではないだろう。しかも当時のテクノロジー状況下で、1文字のみを伝えるという、その本質ぎりぎりを削り出したかのような見事な実装で。(そのアイデアと実装は、竹中直純、江渡浩一郎らによるものだと認識している。)

後に大成功を収めるニコニコ動画のコメントも同じ機能を果たしている。ユーザのコメントは他のユーザにも伝わり、その伝達メカニズムはユーザ間で認識として共有され、さらに他のユーザがコメントに反応することで(“擬似同期”しているあるいは生放送を見ている)ユーザ達に一体感が醸成される。

Remote Clapsで遠隔視聴者が拍手をしスクリーンが‘f’で埋め尽くされる様は、10年後にニコニコ動画で見られるようになる“88888888”を完全に先取りしていた。そして現在それは、ライブ配信サービスの「アイテム送信(いわゆる“投げ銭”)」という形でプラットフォームに組み込まれている。

余談だが、2016年4月2日にロンドンTHE SSE ARENA WEMBLEYで行われたBABYMETALのコンサートとその日本でのライブ・ビューイングでも同様の効果を用いた演出が行われたのではないか(実際に観たわけではなく、映像の断片を見ただけなので間違っている可能性もあるが)。このとき、ロンドンでのライブの様子が日本ライブ・ビューイング会場である各Zepp会場に生中継されていた。ある曲のあるシーンで、日本のライブ・ビューイング会場の観客側の映像が、ロンドンの主会場前方のサイド・スクリーンに大きく映され、その様子がライブ・ビューイング会場に中継されて戻ってきた。つまりライブ・ビューイング参加者にとっては、自分たちの存在がメイン会場に伝わり、メイン会場の観客達がそれを理解し盛り上がる様を、中継を経て認識することができた。このように、伝わりのループを構成することは一体感を醸成する演出手法のひとつとして、現場的には確立されているのだと思われる。

もう一点。ここ数日の「配信ライブ」を観ていてとてもおもしろく思うのは、主/演者がひとりでスマホやPCの画面に向き合い配信するタイプのものでは、主/演者がその場で「コメント」を読みながら対応し「フィードバック・ループ」を密に形成する一方で、配信の規模が大きくなるにつれ、たとえば演奏の合間にスマホを手に取りコメントを読む等、ループの力が弱くなることだ。通常のライブの、デカいホール vs. 狭いライブハウスではないが、使用する「メディア」によって一体感の形成度合いが異なってしまう。面白い現象だと思うと同時に、メカニズムを理解さえしていれば「不利なメディア」でもやりようがあるのに、とも思った。

これは完全なる私見です。勉強不足のため実はメディア/エンターテイメント/メディアアート等の研究史では別にオリジナルが存在するのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。以上、江渡さん、竹中さん、他チーム坂本マジすごい、というお話でした。

〈OTOTOY 2019 スタッフズ・チョイス〉から転載

(「OTOTOY各スタッフがそれぞれ選んだ2019年の10作品」からの転載です)

■2019年の10作品◾️

(リリース日順)

◾️2019年を振り返って◾️

個人的体験としての2019年は、単に年間ベスト云々に留まらない通常なら年にひとつあるかないかの “事件級” のライブが3つもあった年だった。NOT WONKのWWWでの『Down the Valley』リリースツアー公演、君島大空の合奏 (バンド) 形態による一連の “夜会” 公演 (下北沢THREE、WWW等)、そして、SUMMER SONIC 2019でのThe 1975の3つがそれだ。前2つはリリースにともなうライブであり、その作品自体も同じく “事件級” だった。突きつめて言えば私にとっての2019年とはこの2作品だったのだろう。
他の作品もシンプルに “良い” と “好き” で選んだものばかり。が、強いて言えばどれも「壁」を超える様をみせてくれるもの、そしてそこに “驚き” があるもの。壁とは、自身の前作であったり、各自のキャリアにおける困難や過大な前評判といった何かだったり、あるいは「邦楽」(≒日本国内のみでの受容) であったり。たとえばFor Tracy Hydeはあの前作『he(r)art』を斯くも超えてくるとは想像し難いものだったし、同じくFor Tracy HydeやCHAI、(リストにはないが) リーガルリリーらの日本国外での活動とその受容にはとてもワクワクさせられるものがあった。
きっと今年も選ぶのに困るくらい、“良い” と “好き” と “驚き” に満ちた一年となるだろう。楽しみでしかない。

◾️2020年に向けて◾️

さて、ここまでは音楽の話をしたので次はOTOTOYの話を。OTOTOYの「今年の目標」はたくさんあります。配信ストアとしては、取り扱いレーベルを増やす、ロスレス配信のタイトルを増やす、OTOTOYならではのタイトルや特典を増やす。メディアとしては、よりエッジが立ち深みのある記事を増やす、シーンのカバレッジを広げる、音楽と音楽以外とのボーダーに着目する。そしてOTOTOYそのものは、よりユーザーひとりひとりの音楽生活に適応するサービスへと。“良く” なるよう、皆さんに “驚き” を与えられるサービスになれるよう、前進していきます。
そして個人的には、ファン目線を忘れぬ中の人であり続けたいと思う。
今年もよろしくお願いします。

(以下は惜しくも10タイトルに漏れたものたち)

(リリース日順)

20年代の希望、ここにあります

(OTOTOY EDITOR’S CHOICE Vol.45「20年代の希望、ここにあります」からの転載です)

あけましておめでとうございます。
今年もOTOTOYをよろしくお願いいたします。

さて年は明けてしまいましたが、本日のOTOTOY EDITOR’S CHOICEも、2019年のリリースから。

たった10曲だなんて、選ぶのは本当に難しいし苦痛ですらある。 それでも、OTOTOYで配信されていない作品は除き(今年は取り扱いレーベルの拡大をがんばります!)、 当初配信されていたのに諸事情で配信されなくなってしまった作品を除き(ダウンロード済みのものはもちろん聴けるのですが)、 試聴だけだと良さが伝わりにくいものを泣く泣く外し、バランスを考え……  そしてなにより、2019年に実際にライヴを観てこれは間違いない!と言える素晴らしいライヴをしているアーティスト達から、10曲を選びました。

会場の大小はあれど、みな本当に良いライヴをしているアーティストばかりです。 一番大きな会場は8月のyonigeの日本武道館。 春頃から武道館に向けて研ぎ澄まされていった“平熱”が、特別な出来事としてではなく、ストイックに、純粋に、存分に美しく表現された、とても素晴らしいライヴでした。 yonigeの武道館公演でもうひとつ印象的だったのは、アリーナ後ろの壁際でライヴを観ていた、多くの同世代のバンドマン達の姿です。 そこには勇気と希望がありました。きっとあそこからあのステージの上に立つ人があらわれるでしょう。

地理的な活動の拡がりという点では、まさに今、リーガルリリーがChinese Footballとともに中国4都市ツアー(武漢・深圳・北京・上海)を巡っている最中です。 本日1月3日は北京での公演。 また、For Tracy Hydeは昨年9月に台北・シンガポール・マニラ・ジャカルタの4都市でのアジアツアーを熱狂のうちに終え、 さらに今月はバンコクでの公演を行う予定です。 日本国内でのアジア音楽シーンへの注目度の高まり、盛んになるアーティスト間の交流など、 インディー・ロック・シーンにおける東アジアというリージョンの意味が、より大きなものとなる予感がします。

2019年を個人的に総括すると、単に“年間ベスト云々”に留まらない、通常なら年にひとつあるかないかという“事件級”のリリース+ライヴが3つもあった年でした。 そのひとつがNOT WONKの『Down the Valley』と、WWW Xでのリリースツアー公演。 もうひとつが君島大空の『午後の反射光』と、君島大空合奏形態での“夜会”公演(下北沢THREE、WWW)でした。 いずれも、リリース作品には格段の格好良さ・新しさ・強度が、 ライヴには驚きに満ちた音の力と最高のバンドアンサンブルがあり、 彼らの音楽の素晴らしさとその延長線上にある未来をこれでもかと見せつけられました。

ここで取り上げた10組のアーティスト。 長い活動歴を持つ人も多いのですが、それでも驚くほど、みな若い。 彼/彼女らがいるなら、今年は……どころか2020年代の日本の音楽シーンは間違いなく面白いものになる。 そう確信できる10組の10曲です。

今年もそして20年代も素敵な音楽生活が送れそうです。 OTOTOYもそんな音楽がある日常の一助となれるよう、前進していきます。

あらためまして、2020年もよろしくお願いします!

(プレイリストのSpotify版はこちらです)

ご報告 (2)

というわけで、このたび、オトトイ株式会社(ototoy.jp)の取締役に選任されました。

OTOTOYは、音楽のダウンロード販売、音楽情報メディアの運営、その他諸々をしている会社です。つまり私は音楽業界の人になったということなんだろうか(まじすか)。好きなことを好きでいることや、人の縁って大事だな、としみじみ思います。(竹中さん、ありがとうございます!)

皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ご祝儀代わりに、ぜひ、OTOTOYで、記事読んだり、会員登録したり、なんか買ってみたりしてください!(笑)

音源発表したい人や、売り出したいアーティストが知り合いにいる方(いるのか?)、音楽関連で(に限らずとも)ご一緒になにかできる方、ご連絡くださいませ。

・・・・

普段は自分のことをネットやSNSに書いたりしない†1のですが、こういう機会なので、たまには。

OTOTOYと兄弟会社的な関係のディジティ・ミニミに入ったのが1年8ヶ月前。この1年半くらいは、だいたいOTOTOYのお手伝いをしていました。

何をしていたか。

ベンチャーだったりスモールだったりのビジネス業界には、それを上手く説明するジャーゴンがありまして、「ごみ拾い」と呼ばれてたりします。そこらへんを歩きまわって、担当と担当の間に落ちてそのままになってるものを見つけて、拾い上げて、片付けていく。残念ながらそう簡単に宝石が落ちてたりはしませんが、子どもだったら宝物にしそうな程度にキラッとしたものを見つけたり、逆にこれ落っこちたら超危険じゃねって穴を見つけて埋めたり、とか。

それを見ていた竹中さんが、こいつ、もうすこし働かせたれ、と思ったかどうかは知りませんが(笑)、今回このようなこととなりましたので、引き続き、ぷらぷらと歩きまわって、何か拾ったり、こっそり土地を広げたり穴掘ったり(え?)したいです。

このような出来事は自分を客観的に見返す機会にもなります。ためしに自分のどんなところが今回の件のプラスに働いたかを考えてみましょう。(悪い点は挙げないよ 😛)

  • 技術に対する勘が働く。個別の技術は矢のように飛んでいくので知識や習熟度で優れたものがあるわけではないが、大掴みに理解でき、かつ必要なところを掘っていける能力はとても役に立つ
  • 手が動く。自分で解決できる(コーディング楽しい)。今後も、これまで(下図参照)同様、取締役兼プログラマーでいく予定です
  • 抽象度の階段を登り降りして物事を見られる/考えられる。個別問題解決をやっているとその快感に嵌まりがちだが、自らそこを離れて観察する/考えることができるのは何かと貴重。登るだけじゃなくて降りるのも。降りるのが結構むずかしかったりするのだ
  • ユーザー目線に徹することができる。作り手のエゴとか、思想性とかを捨てられる。そんなものはおいておけ派(もちろん文脈による)
  • HCI/(当時はまだUXという言葉は一般的ではなかったけど)UXのリサーチ界隈にいた経験。乖離はもちろんあるのだけど、とても役立ちます
  • 俺って結構音楽好きだったんだな。もちろんその道のプロの方々とは知識もアンテナも比ぶべくもないのですが、シンプルに、音楽好きだし楽しんでるし、でいうと結構イケんじゃね、とか。(一方で巷の「箱」にはもっと頭がおかしい(褒め言葉)人たちがいるのもよく知ってます)
  • みんなと仲良くできる。重要(笑)。人付き合いは悪いですけど 😅

あと何かあったかな。(思い出したら追記します)

そんなこんなを活かしつつ、語らない悪い点は慎みつつ/直しつつ、そしてなにより皆さまに感謝しつつ、これからも楽しくやっていこうと思います。

よろしくお願いします!

GitHub

†1 あいつSNSによく書いてる風だけど大事なことは何も言ってないよな!とか思われてるでしょうが実はそのとおりです 😑

冬ベイキャン帰りに近所の松屋行ったんです。松屋。

一昨日、冬ベイキャン帰りに近所の松屋行ったんです。松屋。
そしたらなんか若い女の子二人が座ってて……

あ,吉野家じゃなくて松屋だった.このパターンやめ(笑)

で,夜深くというか朝近くに松屋いったらリストバンドつけた20台前半くらいの女の子が二人,牛丼食べ終わって,スマホ見ながらこの後どうするかを相談してるわけです.聞いてると,このお風呂は1,000円で良さそうだとか,ここは綺麗そうだとか,ここは幾らだとか,そういう話をさんざんしている.2日間通しで来てるので翌日までどうするかを決めてるのだろう.結局彼女らは,どこかの24時間いくらの料金のところ(ネカフェかな)にしようと言って店を出ていった.たしかに今から24時間あれば,これからひと休みするのと明日夜のライブ後をまとめてまかなえる(月曜の朝イチで帰るのだろうか)

冬ベイキャンは2日通し券で5,000円.お買い得感はかなり高い(ATF偉大).でもその会話の内容とくらべるとそれは高価なものかもしれない.

そうまでして,5,000円+交通費宿泊?費食費等を出して,音楽を聴きにきている若い人をみると,いったいどうしたら彼女たちをより幸せにしてあげられるんだろう,とか考えてしまう.

アーティストサイドにだって幸福にそして豊かになってほしいのはもちろんなんだけど,でも,彼女らにCD 1枚 2,500円で買ってとか、物販1,500円のタオル買ってとか、つぶらな瞳で言えるかっていうと,ねえ.

なにができるんだろうなあ,とか考えてしまうわけですよ.

日本語約物半角

読みやすさのデザイン備忘録 – 深津 貴之 (fladdict)」でも紹介されてたこちらをここに入れてみた.

Yaku Han JP – 約物半角専用のWebフォント
https://qrac.github.io/yakuhanjp/index.html
約物半角専用のWebフォント

だが,しかし! をれ,「、。」じゃなくて「,.」使ってるので,句読点詰まらないという(笑).これを機に,宗旨替えするかなあ.どうしよう…(←ほんとに思ってる?w>自分).

↑だったものが,こう↓なるわけだ(、。版と,.版).

だが、しかし! をれ、「、。」じゃなくて「,.」使ってるので、句読点詰まらないという(笑)。これを機に、宗旨替えするかなあ。どうしよう…(←ほんとに思ってる?w>自分)。

だが,しかし! をれ,「、。」じゃなくて「,.」使ってるので,句読点詰まらないという(笑).これを機に,宗旨替えするかなあ.どうしよう…(←ほんとに思ってる?w>自分).

あれ? 最後ので意外といいんじゃね? みたいな.

・・・

以下,謎の最近のメール文抜粋テスト(文脈は「ご報告」の通りです).

〈研究〉というのはとても大切なものだと思っています.大切であればこそ,より〈社会〉を味方につけていく必要があると思います.「社会が技術や研究を直接見るより,社会が好意や興味の眼差しを向けたもの(モノなりサービスなり)の裏にちゃんと技術や研究がある」というのが良いよなー,などと個人的には思っており,そのような活動においては皆さまと何らかの関わりが生じることがあるのかもしれません.もし今後そのような機会がございましたら是非ご一緒させていただければと存じます.

〈研究〉というのはとても大切なものだと思っています。大切であればこそ、より〈社会〉を味方につけていく必要があると思います。「社会が技術や研究を直接見るより、社会が好意や興味の眼差しを向けたもの(モノなりサービスなり)の裏にちゃんと技術や研究がある」というのが良いよなー、などと個人的には思っており、そのような活動においては皆さまと何らかの関わりが生じることがあるのかもしれません。もし今後そのような機会がございましたら是非ご一緒させていただければと存じます。

〈研究〉というのはとても大切なものだと思っています.大切であればこそ,より〈社会〉を味方につけていく必要があると思います.「社会が技術や研究を直接見るより,社会が好意や興味の眼差しを向けたもの(モノなりサービスなり)の裏にちゃんと技術や研究がある」というのが良いよなー,などと個人的には思っており,そのような活動においては皆さまと何らかの関わりが生じることがあるのかもしれません.もし今後そのような機会がございましたら是非ご一緒させていただければと存じます.

・・・

"Curiosity killed the cat"
ためしに,どんどん《死んで》みればいいんだ.本当の命が取られる訳じゃなし.

"Curiosity killed the cat"
ためしに、どんどん《死んで》みればいいんだ。本当の命が取られる訳じゃなし。

"Curiosity killed the cat"
ためしに,どんどん《死んで》みればいいんだ.本当の命が取られる訳じゃなし.

うん.

P.S.
この画像のオリジナルの出典が分かりませんでした!(ローカルコピー↓)

Curiosity Killed The Cat

P.P.S.
句読点を「、。」に宗旨変えしたので、約物半角、外しました。外すとこのエントリそのものの意味がなくなるんだな……

ご報告

ご報告です.

9月末をもってNTTを退職しました.いわゆる新卒入社以来29年6ヶ月の在籍でした(我がことながら信じ難い).

NTTではそれなりにいろいろなことをしましたが,思ってきたことはそれほど変わらなかったなと今は感じています.出来ないことが出来ないままなのは気持ちが悪い.不便なことが不便なままなのは耐え難い.それが技術や仕組みで解決可能なのであれば,まず第一に自分のためにそれを解決したい.そして我々はインターネット等々を通じて多くのものを享受してきたのだから,それに報いるためにも出来る限りのものを還元したい.面白くしたい.それは今でも変わりません.

インターネットを,インターネットから受け取るものを善とする思想は劣勢に立たされています.「サンドボックス」でやりたいことを自由に試行できた時代は過ぎ去りました.でも,ネットに繋ぐをことは「悪」であり出来得る限り制限すべきだという側には与したくありません.何らかの手立てはあるはずです.

・・・・

10月からは株式会社ディジティ・ミニミさんにお世話になります.

アウトプットを社会に向けて出すということはどういうことか,ユーザと向き合うということはどういうことかを身をもって体験したいと,ここ数年思ってきました.技術とサービスとプラットフォームの関係の構造理解に具体性を持たせたいと思っていました.

今回,ディジティ・ミニミの竹中直純さんに快く受け入れていただくことになりました.この貴重な機会を,これから生まれるであろう技術の,自分自身の,ディジティ・ミニミの価値を高めるため,そしてインターネットを通じて何かを受け取る人々の一瞬一瞬を素敵なものにするため,最大限に活かしたいと思っています.

皆さまにはこれまで本当に様々な形でお世話になりました.どんな感謝の言葉を尽くしても足りません.ありがとうございました.そしてこれからは益々皆さまとの関係が重要になると思っています.今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

P.S.
ご報告とはぜんぜん関係ないけど書き溜め記事とかFacebookへの下書き?(のつもりだったのにそれで満足してしまうパターン)ポストとかをこっちに移さないとな.いつかやる.

Mastodonあるいは非中央集権分散連邦型の未来

マストドンのことでも書くどん(…ごめん)

Mastodon.一言でいうと懐かしい.でもそれはTwitter黎明期とかIRCとかの懐かしさではなく,個人的に2010年頃StatusNet等をインストールして色々と試してたころの懐かしさ.あまり一般的ではない.

StatusNetあるいはidenti.caそして現在はGNU socialとなっているそれは,オープンソースのSNS/マイクロブロギング・システムだ.当初それらが作られた理由は,おおむね

  1. オープンソース版のTwitterがほしい
  2. それをオンプレで動かしたりしたい

というものだった(推測).

そうすると,その結果として複数のSNS/マイクロブロギング・システムがあちこちで立ち上がる(Mastodonではこれをインスタンスと呼んでいる).そこから必然的にそれらシステム間の「相互乗り入れ」を実現したくなる.それが”federation”と呼ばれる機能であり,そのためのプロトコルがOStatusというもの.MastodonはこのOStatusの新しい実装であるため,(Mastodonのインスタンス間だけでなく)GNU socialとも連携可能らしい

.....

私が2010年ころに何をしていたかというと,社内の情報交換・共有用にそれを立ち上げようとしていた.理由は3つ.

  1. もっとマシなツールで情報交換・共有をしたい(メールはもうウンザリ.当時はTwitterはイケてるものであり少しでもそれに近づけたかった)
  2. その場合当然オンプレミス(自社内)にインストールできなければならない(クラウド? えーと…w)
  3. 異なる部署等毎にそれらは用意せざるを得なく,となるとそれらの間の連携機能が欲しい

だ.見渡すとStatusNetはピッタリだった.

結果,いくつかの組織でStatusNetサーバが上がり,連携(federation)も機能した.が,いわゆる「盛り上がり」は今3つくらい.結局翌2011年の春,「節電施策」のもとサーバをシャットダウンして(仮想マシンだけど),それきりである.

(ちなみに当初目的はまったく姿を変えた形でその後Yammerが担い,後にSlackに受け継がれ現在に至る.これはかなり上手くいってるだろう.先日の某カンファレンスもSlackがなければ実現しなかったかもしれない.…え? オンプレ/クラウドの話はどうしたかって? 何のことだか僕ぜんぜん分からないなぁw)

.....

さて,Mastodon.実際に触ってみると,Federation機能のあたりは雰囲気は正しくStatusNetそのまんまだ(当り前).というわけで非常に懐かしい.2010年に戻った気分.

2010年台も終盤のいま,Mastodon/GNU social的なものが必要とされる理由は,ひとえにFacebookやTwitterに対するalternativeとしての存在だろう.プロプライエタリに対するオープンソース.独占的巨大プラットフォーマーに対する分散されたサービス+連携機能.

そしてMastodonがそこを意識しているかは不明だが,もうひとつ重要なターゲットが考えられる.それはコミュニティやチーム内のコミュニケーションツールとしてのSNS/マイクロブロギング的サービスだ.過去数多の勇者達がそれに挑みそして敗退した(GoogleもSaleforceもMicrosoftもFacebookも)…と思ったらSlackが登場しあれよという間に現在チャンピオン.とはいえSlackで複数チームに入っていればよく分かると思うが,Slackにはチーム間連携という機能どころかその概念すら何もない(ほんと何とかして).

Federationとは要するに「よそのサーバのユーザーをフォローできる」=「自分のタイムラインに表示されたり,DMを送ったりできる」という機能だ.それがチーム/コミュニティ間連携の問題を解決するかというと,微妙,というのが2010年時点の理解だった(その後は追っていないので分からない).しかし取っ掛かりとしては良いだろう,

マストドン.というわけでそれはStatusNet的なものだが,その経験で言えばそこそこは使える.痒いところに手が届かない的な部分は山盛りにあるが.何らかの理由でSlack等を使わずにチームやコミュニティが自分たちのためのSNSを立ち上げるのであれば,ひとつの選択肢だろう.

これを起点として楽しめばよいのだ.もっとモダンさを上げるとか(クライアント/AppのUI,投稿の削除や編集,スレッドどうするか問題等々),システム的にひとひねりふたひねりしてみるとか,いわゆる分散システム的の楽しさ苦しさ(複製やら一貫性やら削除問題やら)と戲れるとか.

.....

ここからひねるとしたら,ぜひインスタンスの数を爆発的に増やすマイクロ・インスタンス化する方向に行ってほしいなあ(一つのインスタンスに何千何万ユーザとかじゃなく,小ユーザ指向で).となるとインスタンス間のデータの交換をどうするかを考え直さないといけないので,そこをP2P的に再設計して.んでサーバーレス・アーキテクチャっぽく実装可能にしたりするとか(楽しそう).Net Giants達がでかい顔で伸してるこの世界の片隅で.それくらいやってみても.

(でももし歴史のifを言って良いなら,ひょっとしたらそんなもん,金子勇さんかあるいは彼に触発された誰かがとっくの昔に作っちゃってた気がしないでもない.だがこの世界線でそれは夢のまた夢)

もうひとつ.コミュニティやチーム間を跨いだアクティビティを支援することにおいて,フェデレーション/連携とはそもそもいったいどういうことで,何が必要で,何ができればよくて,どうやってやれば気持ちいよいか,を考えて考えて真面目にギリギリと作っていくとか.それはまだ誰も答を知らない.かつて登場したWebが全てを可能にしてしまったような「発明」がそこにあるかもしれない.

.....

Decentralize,Peer-to-Peer.そしてBlockchainやSharing economyもここに入れたければどうぞご自由に.システムを作る側の人であれば(それは大変に分の悪い戦いだが)やってみてもよいではないか.殺されはしないだろう(いやするかも…) ユーザーサイドは…利便性ないかな今のところは…(←身も蓋もない)

というわけで以上長い文章の結論,いや実は一番最初に言いたいことは…

いまどきTweetDeckはないだろ!

(みんなそう思ってるよね? :-)

おしまい.

https://mstdn.jp/@takadat

.....

以下当時のツイートの残骸たち(自分用メモ).起点はやっぱりhitoakiなのである(笑)

.....

.....

.....

『そうして私たちはプールに金魚を、』—大人たちの青春,子どもたちの青春

そうして私たちはプールに金魚を、』(通称:プー金)観てきた.ユーロスペース.急遽追加の2回目も満席(こうなってしまったら当然ああなるに決まってる).2012年に埼玉県狭山市で実際にあった女子中学生プール金魚事件をベースにした短編映画.サンダンス映画祭短編部門グランプリ受賞.

観てるあいだずっと軋むような居心地の悪さを感じてた.

画面に描かれているのは大人の視点から振り返った焦燥やどうしようもなさであり,それを14-5才の女の子たちに演じさせている.彼女たちにとってあれはリアルだったか? そんなことはないと思う.それが居心地の悪さの正体(たぶん).

でも現役の子供たちは「大人って所詮そんなもんでしょ」って思ってるに違いない.だからメタな構造でみたら辻褄は合ってる.きっとこれでいいんだろう.

大人が作った,かつて中学生だった大人のためのショートムービー.この予告編をみてビビっときたら観て間違いない(万が一合わなくたって30分で終わる).

ユーロスペースは金曜日の2回で上映終わるしすぐにチケット売り切れるだろうけど,もはや社会はこの映画を放っておかないだろうから,上映機会はこれからもきっとあるだろう.

元のニュースをきいたときからこれは「映画」だなって思った出来事.

サンダンスのニュースで知って予告編観て,ちょっと自分内期待値が上がりすぎてしまったのでこれはマズいと思った(なにそれw)映画.観れてよかったです.

関係ないけど,あるシーンで鳴るギター.10年くらい前の?カンパニー松尾を連想した.うん.

P.S.
と書いた後に買ってきたパンフレット読んだらまさに監督がそう言ってた.

つまり大人に向けてつくった、大人のための青春映画なのだ
— Movie of the youth, by the adult, for the adult!

くそー,まんまとw

.....

という流れでここから話は全く変わる.

映画はねー,短編だって何だかんだいって「おおごと」なわけだから,大人が大人のために子供をかたって作るしかない.子供たち自身の表現やアウトプットをみてみたいと思っても,中学生がこの規模で映像作品を作れるかというとなかなかそれは難しい.(最近話にでる「小学生YouTuber」の件はひとつの希望である←別件[関連])

その点,音楽,バンドはいいよな.まあ実際には中学生は難しいけど,高校生+レベルだったら大人の解釈を余り介していない表現をみることがそれなりにできる.SoundCloudでトラック聴いてYouTubeで動画みて(関連を適当に叩いてるだけで多くのチャンスがある),おっと思ったら小さなライブハウスに行ってみればいい.そんだけ.

結果.割と幸せですわこれ.

一部の人たちはこれを求めてアイドルに走るのか?と想像するのだけど,あれはやっぱり後ろの大人たちによる後ろの大人たちのものではないか,としか思えないので(←偏見)そっちにはいかないぞ,っとw

アイドル…… ちなみに,だけど,若いバンドは女子バンドしか観れない.オッサンとしては,男子どもの自意識や悩みや自信や鬱屈やらの感情の発露なんぞには鬱陶しくて付き合ってられん(笑).でも女子たちのそれであれば微笑ましくみることができる.おそらくいま私はPC的に正しくないことを背景とした考えを自ら書いているのだが,まあこれは実際そうなので如何ともし難い(笑).一方でもう30見えたり超えたりして現実はよくよく理解しているけど夢っていうか諦めないでやりたいよね的男バンドは割と好きです.ちゃんと聴きます.いいよね,いろいろと.

……なにが言いたいのかまったく謎な蛇足(笑).以上.

リーガルリリー,ヤバいです

まずはこの衝撃を皆様へ(といっても一部領域を趣味とする人じゃないとわからないが)

・・・・・・・・・」(←ドッツトーキョーと読むらしい)の「ねぇ」.シューゲイザー・アイドルだとかその手のことは公式には何も謳っていないようだ.

シューゲイザーとかノイズギターのファンがこれを聴くと,ヘビーメタル・ファンが最初にBABYMETALを聴いたときのと同じ気持ちが味わえるのだろうか.衝撃とか蹂躙され感とか? でもやっぱりその強度やクオリティは全然違うと思う.本人たちにせよ後ろの大人たちにせよ(YouTubeの関連動画でライブ動画がでてくるので推して知ってください,みたいな)

では仮にクオリティや強度をとことん突き詰めていけば,このジャンルもまた誰かがアリになるのか? 理屈ではあり得るのだろうが,それはやっぱり無理なんじゃないかと思う.
(ちなみに音源が無いのだけど最新曲はFor Tracy Hydeの管梓氏作らしく,そこでは一段階上がったものが聴けると思うのだが.残念ながら聴く機会がない.とても聴きたいのだけど.音源ー!)

無理か無理じゃないかは知らないが,いずれにせよ「階段」はここにはない.それで思いだすのは,O.D.A.さんのWASTE OF POPS 80s-90s(このブログ/日記も古いよな)のこの文章.リーガルリリー,そして参照としてのガチャリック・スピン.

以下引用.

アイドルと同世代の女の子がゴツゴツした剥き出しの音塊を無闇に放出していたり、ガチガチの馬鹿テクバンドがアイドル的な演出までガンガンにやっていたり、そしてそういうバンドすらまだまだ伸ばしていかなきゃいけない状況にあるわけで、そんな中に「アイドルだけどバンドやってます!頑張ってます!」程度の代物が入っていってちょっと普通のアイドルと違う客層を取り込もうとしたところで、そこには考えているような客層はいないし、そもそも居場所すらない。

BABYMETALは勿論この後半部分に相当するものではない.ぱっと見それにみえ実はプロフェッショナリズムの極地.それがゆえの今現在.

.....

というわけで結論として,リーガルリリー,ヤバいです(なんだよその展開w)

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リーガルリリー.昨年度末日,武道館かSHELTERかという究極の選択wの末,ワンマン観てきた.男子学生・女子学生や高校生(制服もちらほら)という正統なファン.アイドル的に追っかけているだろう男子.この手のものの「早耳」が生き甲斐のオッサン達.有象無象.業界関係者.それら諸々のぎゅうぎゅう詰めパンパン.爆発前夜にありがちな光景.

ライブは,そしてYouTubeの過去の映像と較べた2017年3月末時点での伸びっぷりは,想像以上.参りました.

1年ちょっと前まで,とある分野の次の覇権を握るのはSHISHAMOだと思ってた.しかしSHISHAMOは少し別のところへ行ってしまったようだ.考えてみれば,もとから宮崎朝子氏はいわゆるバンド的なものやライブハウス的価値観からは距離を置くタイプだったのかも(それは十分に感じ取れていたはずだった).

リーガルリリー.衝動起点かプロフェッショナリズム起点かでいえば前者.これからどれだけの力強さをみせてくれるんだろう.あそこを埋めるのは果たして彼女ら達なのだろうか.期待しかない.

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