この件についてはまだ自分の考えをきちんと言葉にすることが出来ないでいるし、もし仮に言葉に出来たとしてもそれを公表する気は今のところないので、結局このタイトル以上書くことはないのだけれども、ま、とりあえずは日記なのだからここに認めておくことにしよう。Stack Frameの一部分として。
という訳で、これは6月5日の話だったな、
"real" world ≠ "Real World"
(お〜い、<MATH></MATH>や〜い)。
以上。
とぎれとぎれの日記帳…
1996/06/11 (火)
この件についてはまだ自分の考えをきちんと言葉にすることが出来ないでいるし、もし仮に言葉に出来たとしてもそれを公表する気は今のところないので、結局このタイトル以上書くことはないのだけれども、ま、とりあえずは日記なのだからここに認めておくことにしよう。Stack Frameの一部分として。
という訳で、これは6月5日の話だったな、
"real" world ≠ "Real World"
(お〜い、<MATH></MATH>や〜い)。
以上。
1996/06/10 (月)
ま、なんだ。あれはそーしてこれであるが故にそれはあれだろうなぁ、きっと。ちなみにIndraがデビューしない、というか、デビューさせる気にならないのは、結局、あれはこれだからそれをこーしてもあれだろう、という理由によるものが大きいです > some of you.
という訳で、脈絡不明に今日は、これです。
いや、結構よくできてますね。GIFマンガも、ぐぅ、っす。:-)
どれどれ、whoisにtracerouteっと。ふむ。
万が一これまで消されるようなことがあったら、こりゃもう凄いことだな。
しかし、「サティアンのホームページ」はともかく、もし本当にオウム真理教に破防法による解散命令が出た後に、こういった形態で「団体としての活動」をされたら、一体どうするんでしょうねー。
サーバを国外に置いて、(例えば)日本国内からダイヤルQ2プロバイダ経由で情報載せたら、もう、ほとんどトレース不可能だよな。ISDN公衆電話からだったら更に完璧(あれ、今って公衆電話からダイヤルQ2できたっけか?)。
サーバ業者の側から辿ろうと思っても、そう簡単にはいかないだろーしなー。サーバを借りられるのはアメリカだけじゃないしね。
だいたい破防法違反犯(言葉が正しいかどうかかなり不明)って、一種の政治犯じゃねえのか? 政治犯の捜査にホイホイ手を貸してくれる国家ばかりじゃないと思うけど。
更に、もしそうなった暁には、公安当局は、そんな頁に足繁く通う人々も監視対象に入れるのでしょうか(どうやって?)。ほら、そこの貴方、安直に「これ」なんてリンクをクリックしてしまうから。これで貴方もチェックリストに入ってしまったかもしれませんよ。なんてね。でも、なんてね、が、なんてね、である保証もない、ちゅうか。
そんな意味もこんな意味も含めまして(どんなだ)、この頁の存在は、もうほんと、意義深いです。毎日見て、この現代社会というものについて思いを巡らせましょう。だけじゃなくって、実際、個々の頁の出来やデザインもぐぅっす。
う〜む、TrueSpeechダウンロードせんと。:-)
P.S.
最近、昔の日記へのリンクを使いたがるのは、やはりネタが出尽くした証拠であろうか。
1996/06/09 (日)
立花隆氏の「同時代を撃つ!」(ビットマップは止めちくり。Cut & Pasteできねーじゃね〜か、あほ〜)の、
を読む。
んで、昌寿司の旦那(最近更新なくって寂しいっす〜>旦那)の
を、もう一度読み直してみる。
そこで疑問。
テレビを観ていたら、
「…だとすれば間違っているのは出資法の方だ」
と元気に叫ぶオヤヂが出ていましたが(しかしあのオヤヂ、キャラはまり過ぎだなぁ。どんなテレビドラマに出てる俳優よりもそれっぽいぞ :-)、そんなこんなをつらつらと考えるに、きっとあのオヤヂが言っていることも一部正しいのでしょう、きっと。
などと、世の中にはまだまだ知らないことが沢山あります。今日またひとつ学んだのは、猥褻物と決算資料は等価である、ということでした。日々是勉強ですな、まる。
1996/06/08 (土)
今日はショートです。
最近、インターネット絡み(じゃなくてもいいけど)で、法律が云々とかいう話をしている文脈において、
「でも、それってモラルの問題じゃない?」
とゆー台詞がオールマイティ化していますが、これ、私には恐ろしくてしょうがない台詞です。
法で規制されるより特定のモラルを押しつけられる方が私には一万八千倍くらい怖いのですが、皆さんはそうではないのでしょうか?
まあ、「モラル」という単語が何を意味するかよく分かりませんし、ましてや、"moral"や"morale"という概念を理解するほど私は西欧文化に造詣が深くありませんので言ってることが無茶苦茶なのかもしれないですが…
とりあえず私は、当否が明らかでない問題を「モラル」の問題に落とし込むくらいなら「法」で決めてちょ、と思う、今日この頃であります。
1996/06/03 (月)
つー訳で、昨日の二次会で久野さんに言われたので確認してみたら、確かにbitの6月号に載ってますね。日本ネットスケープ・コミュニケーションズ(株)の塩原稔氏が書いてる原稿。
Netscape Navigator 2.0ではHTML 3.0に完全準拠するほか、…(以下略)
とか本当に書いてあるぞ〜。
私が某所と某所で二回ほど吐いた暴言 :-b を再現すると、
世の中には、HTML 3.0準拠、とか、『みるみるわかるHTML 3.0』とかゆー本(ほんとにこんなタイトルの本があったらどーしよー :-)が山ほど溢れてますが、HTML 3.0とゆーものは、この世には存在しません。よって、これらの本は全部ゴミです(「ぼん」といって本を{叩く|放り投げる})。
てな感じ、ちゅうか。
ま、自分の頁に「この頁は3.0に準拠してるのでほげれれ」とか「2.0以上で見てはげれれ」とか書いてる人とか、結局のとこ解説本の著者の諸先生方も、とか、そーいった人々が3.0とか言うのは別に全然構わないけどぉ…
ネットスケープ社の人間が、そんな大嘘書いてて恥ずかしくないのかあ、お〜い。
だいたい「完全準拠」とか言って、仮にdraft-ietf-html-specv3-00.txtのことをHTML 3.0と呼んでるんだとしても、Netscape Navigator 2.0って<MATH></MATH>とかサポートしてたっけか? 試しにやってみよう、ほれ、
こんなん、ちゃんと出んのかな〜。2.0使ってないから知〜らない、っと。
しかし、ひっでえなぁ、ったく。
以下、
とか書こうと思ったのだけれども、力尽きたので今回は略。またその内、と言ってもその内なんて多分ないだろうから、以上。
1996/06/02 (日)
今日は、松井さんと、わたたの結婚式&二次会でした。いやいや、めでたい。(タイトルの「とりあえず」はここには掛からないので深読みしないやうに :-)。
と言っても、この文脈を共有している人は、この日記readerの中には2〜3人くらいしかいないはずだろうから、かんけーないね、ちゅうか。
とにかく二人との関係が、あれやこれやで絡み合ってるもので、多数色々な方面の知り合いがいて、訳分からず。何か、夢みたい。
しかし、「夢」っつーのは、なんでああも時間軸を無視して人間が登場するんだろうかね。中学時代の同級生(その後会った記憶もなし)と、今の会社の同僚が同時に登場するとか。これって、私のみる夢だけの特徴だろうか。
披露宴と二次会の合間に本屋に寄ってみたらWIRED 4.06 USがあったので、久々に買って、家帰ってパラパラめくる。"Keko Mask" (けっこう仮面)とかの記事があって、なんじゃこりゃ〜、わはははは、とか思ってたらその記事の隣にMalcolmが載ってて、びっくり。
「いつの間に会社変わったんだ?」、つーか、「いつの間にまた新しい会社作ったんだ?」つー方が正しいのか?
みんな元気だなぁ、などと思いつつ、遠い目化する。
1996/05/31 (金)
昨日はSONY CSLのオープンハウスに行った、ってリンク張ろうと思ったら、書いてないなぁ。シンポジウムの方は書いてあるんだけど… そうか、あれはクローズドなオープンハウスだったのか、という日本語は矛盾してるのだろーか。
つーこって、内容について書くのは止め。なにせクローズドだし(謎)。
結構面白かったけど、人が多かったのはちょっとげんなり。講演の後、一旦どこかで時間潰してから遅れていけばよかったんだな。
とゆー訳で、まぁ、人が面白いことをやってるのを見るのは自分のパワーになりますね。よしよし、俺も、あ〜んなことこ〜んなことしよっと、などと思うも、翌日会社に行くと途端にやる気が失われる。より正確には、あの建物の中に入ると気持ちがメゲる。
う〜ん、よくないなあ。実はSick Building症候群でせうか。
しかし今日びの最新仕様のビルって、どーしてどいつもこいつも空調の容量(?)が足りないんでしょうか。足りないと思い込むのは自分の精神状態のせいかなぁ。とにかく息苦しい。
今、必要なのは隙間風である。対象はワイルドカード(意味不明)。
1996/05/27 (月)
う〜む、もう5月も終わってしまうのですね。なんか、なんもしてないなぁ。
私はといえば、先週の木曜日の夜に、非常にビビッドかつリアルな夢をみてしまったため、それ以降、思考が重く深く進行しています。したがって、今日の日記は極めて他者からは意味不明になっております。夢の内容は内緒。
岡崎京子さんはどうやら快方に向かっているようで良かったです。といってもこれからが本当に大変なんだろうけど。こういう時に何と言えば良いのか言葉が見つからないので… ここでは何も言えません。
で、以下完全に脈絡不明です。
うちの近くといえば近くの所に宮ヶ瀬ダムとゆーのが完成しまして、現在、着々と水が溜まりつつあります。宮ヶ瀬とゆーのは、神奈川近郊の人なら元は中津渓谷だった所と言えば通じ易いのかもしれません。ま、しかし、何せWWWは世界情報網てな訳で、そんなドメスティックなことを言っても結局通じない人の方が多そうなので、無理するのは止めましょう。
ともあれ、今、ダムに水が溜まりつつあります。
そこでふと思ったのですが、永遠にどこかにしまっておきたいもの、この世から消し去りたくはないのだけれども二度と再び取り出したくはないもの、がある人は、それを、これから水没してしまう所に埋めに行くのがグッドかもしれません。
さてそれでは、一体何を埋めるのが良いでしょうか?
廃車、PCB、核廃棄物、サリン、非加熱血液製剤、などの「ゴミ」を捨てるとゆーオプションもありますが、まぁ、ダムの水は水源になることもありますし、何より、そーゆー始末に困るものを捨ててしまうというのは、あまり素敵な発想ではないよーな気がします。
昔の恋人と撮った写真、昔の恋人からもらった手紙やプレゼント、などとゆーのは一見御洒落そうですが、その手のものを処理することにそれほどの永遠性が必要であるか否かについては若干の疑問がないではないです。
けっこう素敵でかつ実用性がある用途としては、死体、などが思い浮かびます。
昔、刑事コロンボのパイルD-3が何とかというタイトルの話で、死体をコンクリの基礎に埋め込む話がありましたが、それよりはダム湖底の方が確実性があるように思えます。
もちろん、これほどの実用性を兼ね備えた物件である以上、関係者にも抜かりはないのかもしれません。もし抜かりなくきっちりと警戒していれば、色々と面白いものを埋めに来る人々を捕獲できるのではないでしょうか。それともそんな暇は関係者にはないのでしょうか。試しに一度、真夜中にでも行って、関係諸氏が本当に活動しているかどうかを確認してみよう、とか。
しかし、水源ダムだと有害物質云々とゆー問題があるのであれですが、何か、このような「永遠に埋もれてしまう場所」を丸一日解放して、「今日一日24時間は何を埋めても隠しても一切その刑事上民事上倫理的責任は問わない」というイベントをやると、人間というものや人生というものをもう一度見つめ直すことができるのではないか、などいう妄想がひろがる今日この頃でもあります。ただし、機械力の導入を許すと人は途端に己れの分も弁えない行為に走るので、「但しその作業には機械は用いてはならない。全て人力のみで行なうこと」という注意書きが必要でしょうが。
と、かなり論旨が意味不明化していますが、結局何が言いたいのか、と申しますと、「絶対に回収することは不可能だが、それはここにある、ということを何時でも確認できる場所」。これはなかなか得難いポジションなのではないでしょうか、と、単にそれだけです。
リバーズエッジは確実に我々の傍らにあるけれど、そのリバーズエッジすらもあっという間に消費されていく。そんな中、あるリバーズエッジを私だけのものとして固定化したい、という願望を強く感じる今日この頃。
てなことを言っても、実際に御自分の生家がそーゆーポジションに置かれてしまった数多くの人々が既に存在するが故に、私は、水を飲み、シャワーを浴び、電気を使っている訳ですから、何をたわけたことを言ってるんだ、と言われるのがオチでしょうけど。
妄想の向こう側にあるリアルは、妄想とは無関係にリアルとして存在し続けているのですね。
私の妄想はどこにどうやって埋めれば良いのでしょう。
1996/05/21 (火)
1996/05/20 (月)
すいません。先日とんだ大嘘をこいてしまったため、この大誤報への反省の意をこめて、先週一週間は日記を自粛しておりました。
って、そんなことわ、ありません。
しかし自粛ですか (TBSのトップページはのーてんきなままなので筑紫さんへリンク。ってこれもどう考えても変だ)。はぁ。
放送屋にとって放送を自粛することがどんだけ「身を切る」ことなのか、私にゃぁとんと分かりませぬが、すくなくとも私にとってはそれが反省の姿勢とか謝意には見えません。言ってみればやはり、マスターベーションでしょうか。まぁ、元をただせば私は、何故にTBSがいけないのか未だに理解していませんので、そんなに謝られても困るとゆー方が正しいのですが。
それにひきかえ… とゆー接続句が正しいのかどーか分かりませんが、壮絶なるものをまざまざと見せつけてくれたのが、これです。
Starwave Corp.というのが何者なのかは良く知りませんが、とにかくそこがやっている"Outside Online"という電子雑誌(?)が、企画モノとしてエベレスト登頂の過程のWeb中継連載のようなことをやっていました。そしてまさにそこで起きてしまったのが、先々週末の悲劇とゆーか事故です。
結局、その中継対象であった登頂隊のリーダを含む2人が亡くなりました。
そして彼ら(Outside Online)は、その過程をすべて、冷徹なまでに報じ続けました。
私はここに、プロとしての覚悟、メディアとしての覚悟のようなものを感じざるを得ませんでした。
勿論、テレビというものはとっくの昔にエベレスト/チョモランマからの生中継なんぞをやり遂げていますし、既存のジャーナリストがそこに居合わせたら当然同様のことをしたでしょう。ですから、今回の件をもってして「WWWもメディアである」などとゆー結論を導き出して喜んでいようとは思いません。
恐らく私は、WWWというもの、あるいは、亜米利加というもの、あるいは、人の死というものに目を眩まされ、判官贔屓に陥ってしまっているのに過ぎないのでしょう。
しかし、やはりこれには、何と言っていいのか分からないけれども、「覚悟」を感じます。
覚悟なく行動している人々を軽蔑しつつ…
覚悟なく行動している自分を情けなく思いつつ…