1996/06/09 (日)
立花隆氏の「同時代を撃つ!」(ビットマップは止めちくり。Cut & Pasteできねーじゃね〜か、あほ〜)の、
を読む。
んで、昌寿司の旦那(最近更新なくって寂しいっす〜>旦那)の
を、もう一度読み直してみる。
そこで疑問。
- もし仮にこれらの行為が証券取引法(?)に違反する行為だとしても、それは、検察が起訴して裁判所がそれを違法だとした時点で違法であって、どうせそんな判例はまだ出てないだろうから(ほんと?)、こりゃ違法でも何でもないよな、きっと。
- しかし東京証券取引所はどーいった根拠により「中止を求める」権限を持ち合わせているのだろうか?
- 日本と亜米利加の双方で上場している会社は一体どーしたらいいのでしょうか? 東証に従えば米国では違法になり、SECに従えば日本では違法となる。ひょっとして、米国のサーバで決算情報を公開し、それは日本からはアクセスできないよーにすればよいのでしょうか? (PENTHOUSEか、っつーか :-)
テレビを観ていたら、
「…だとすれば間違っているのは出資法の方だ」
と元気に叫ぶオヤヂが出ていましたが(しかしあのオヤヂ、キャラはまり過ぎだなぁ。どんなテレビドラマに出てる俳優よりもそれっぽいぞ :-)、そんなこんなをつらつらと考えるに、きっとあのオヤヂが言っていることも一部正しいのでしょう、きっと。
などと、世の中にはまだまだ知らないことが沢山あります。今日またひとつ学んだのは、猥褻物と決算資料は等価である、ということでした。日々是勉強ですな、まる。
1996/06/08 (土)
今日はショートです。
最近、インターネット絡み(じゃなくてもいいけど)で、法律が云々とかいう話をしている文脈において、
「でも、それってモラルの問題じゃない?」
とゆー台詞がオールマイティ化していますが、これ、私には恐ろしくてしょうがない台詞です。
法で規制されるより特定のモラルを押しつけられる方が私には一万八千倍くらい怖いのですが、皆さんはそうではないのでしょうか?
まあ、「モラル」という単語が何を意味するかよく分かりませんし、ましてや、"moral"や"morale"という概念を理解するほど私は西欧文化に造詣が深くありませんので言ってることが無茶苦茶なのかもしれないですが…
とりあえず私は、当否が明らかでない問題を「モラル」の問題に落とし込むくらいなら「法」で決めてちょ、と思う、今日この頃であります。
1996/06/03 (月)
つー訳で、昨日の二次会で久野さんに言われたので確認してみたら、確かにbitの6月号に載ってますね。日本ネットスケープ・コミュニケーションズ(株)の塩原稔氏が書いてる原稿。
Netscape Navigator 2.0ではHTML 3.0に完全準拠するほか、…(以下略)
とか本当に書いてあるぞ〜。
私が某所と某所で二回ほど吐いた暴言 :-b を再現すると、
世の中には、HTML 3.0準拠、とか、『みるみるわかるHTML 3.0』とかゆー本(ほんとにこんなタイトルの本があったらどーしよー :-)が山ほど溢れてますが、HTML 3.0とゆーものは、この世には存在しません。よって、これらの本は全部ゴミです(「ぼん」といって本を{叩く|放り投げる})。
てな感じ、ちゅうか。
ま、自分の頁に「この頁は3.0に準拠してるのでほげれれ」とか「2.0以上で見てはげれれ」とか書いてる人とか、結局のとこ解説本の著者の諸先生方も、とか、そーいった人々が3.0とか言うのは別に全然構わないけどぉ…
ネットスケープ社の人間が、そんな大嘘書いてて恥ずかしくないのかあ、お〜い。
だいたい「完全準拠」とか言って、仮にdraft-ietf-html-specv3-00.txtのことをHTML 3.0と呼んでるんだとしても、Netscape Navigator 2.0って<MATH></MATH>とかサポートしてたっけか? 試しにやってみよう、ほれ、
こんなん、ちゃんと出んのかな〜。2.0使ってないから知〜らない、っと。
しかし、ひっでえなぁ、ったく。
以下、
- そもそもHTMLを混乱させたのはNetscapeじゃねーのかー、とか、
- 要はMicrosoftが存在するが故にNetscapeもSun (Java)も悪者にはなってないだけじゃん、とか、
- とはいえ、今は亡きHTMLの3.0と3.2のどっちがいいかという話は云々、とか、
- しかしこの決まり方は近世インターネット的じゃないよな〜、あ、でも、もう近世は終わったのか、
とか書こうと思ったのだけれども、力尽きたので今回は略。またその内、と言ってもその内なんて多分ないだろうから、以上。
1996/06/02 (日)
今日は、松井さんと、わたたの結婚式&二次会でした。いやいや、めでたい。(タイトルの「とりあえず」はここには掛からないので深読みしないやうに :-)。
と言っても、この文脈を共有している人は、この日記readerの中には2〜3人くらいしかいないはずだろうから、かんけーないね、ちゅうか。
とにかく二人との関係が、あれやこれやで絡み合ってるもので、多数色々な方面の知り合いがいて、訳分からず。何か、夢みたい。
しかし、「夢」っつーのは、なんでああも時間軸を無視して人間が登場するんだろうかね。中学時代の同級生(その後会った記憶もなし)と、今の会社の同僚が同時に登場するとか。これって、私のみる夢だけの特徴だろうか。
披露宴と二次会の合間に本屋に寄ってみたらWIRED 4.06 USがあったので、久々に買って、家帰ってパラパラめくる。"Keko Mask" (けっこう仮面)とかの記事があって、なんじゃこりゃ〜、わはははは、とか思ってたらその記事の隣にMalcolmが載ってて、びっくり。
「いつの間に会社変わったんだ?」、つーか、「いつの間にまた新しい会社作ったんだ?」つー方が正しいのか?
みんな元気だなぁ、などと思いつつ、遠い目化する。
1996/05/31 (金)
昨日はSONY CSLのオープンハウスに行った、ってリンク張ろうと思ったら、書いてないなぁ。シンポジウムの方は書いてあるんだけど… そうか、あれはクローズドなオープンハウスだったのか、という日本語は矛盾してるのだろーか。
つーこって、内容について書くのは止め。なにせクローズドだし(謎)。
結構面白かったけど、人が多かったのはちょっとげんなり。講演の後、一旦どこかで時間潰してから遅れていけばよかったんだな。
とゆー訳で、まぁ、人が面白いことをやってるのを見るのは自分のパワーになりますね。よしよし、俺も、あ〜んなことこ〜んなことしよっと、などと思うも、翌日会社に行くと途端にやる気が失われる。より正確には、あの建物の中に入ると気持ちがメゲる。
う〜ん、よくないなあ。実はSick Building症候群でせうか。
しかし今日びの最新仕様のビルって、どーしてどいつもこいつも空調の容量(?)が足りないんでしょうか。足りないと思い込むのは自分の精神状態のせいかなぁ。とにかく息苦しい。
今、必要なのは隙間風である。対象はワイルドカード(意味不明)。
1996/05/27 (月)
う〜む、もう5月も終わってしまうのですね。なんか、なんもしてないなぁ。
私はといえば、先週の木曜日の夜に、非常にビビッドかつリアルな夢をみてしまったため、それ以降、思考が重く深く進行しています。したがって、今日の日記は極めて他者からは意味不明になっております。夢の内容は内緒。
岡崎京子さんはどうやら快方に向かっているようで良かったです。といってもこれからが本当に大変なんだろうけど。こういう時に何と言えば良いのか言葉が見つからないので… ここでは何も言えません。
で、以下完全に脈絡不明です。
うちの近くといえば近くの所に宮ヶ瀬ダムとゆーのが完成しまして、現在、着々と水が溜まりつつあります。宮ヶ瀬とゆーのは、神奈川近郊の人なら元は中津渓谷だった所と言えば通じ易いのかもしれません。ま、しかし、何せWWWは世界情報網てな訳で、そんなドメスティックなことを言っても結局通じない人の方が多そうなので、無理するのは止めましょう。
ともあれ、今、ダムに水が溜まりつつあります。
そこでふと思ったのですが、永遠にどこかにしまっておきたいもの、この世から消し去りたくはないのだけれども二度と再び取り出したくはないもの、がある人は、それを、これから水没してしまう所に埋めに行くのがグッドかもしれません。
さてそれでは、一体何を埋めるのが良いでしょうか?
廃車、PCB、核廃棄物、サリン、非加熱血液製剤、などの「ゴミ」を捨てるとゆーオプションもありますが、まぁ、ダムの水は水源になることもありますし、何より、そーゆー始末に困るものを捨ててしまうというのは、あまり素敵な発想ではないよーな気がします。
昔の恋人と撮った写真、昔の恋人からもらった手紙やプレゼント、などとゆーのは一見御洒落そうですが、その手のものを処理することにそれほどの永遠性が必要であるか否かについては若干の疑問がないではないです。
けっこう素敵でかつ実用性がある用途としては、死体、などが思い浮かびます。
昔、刑事コロンボのパイルD-3が何とかというタイトルの話で、死体をコンクリの基礎に埋め込む話がありましたが、それよりはダム湖底の方が確実性があるように思えます。
もちろん、これほどの実用性を兼ね備えた物件である以上、関係者にも抜かりはないのかもしれません。もし抜かりなくきっちりと警戒していれば、色々と面白いものを埋めに来る人々を捕獲できるのではないでしょうか。それともそんな暇は関係者にはないのでしょうか。試しに一度、真夜中にでも行って、関係諸氏が本当に活動しているかどうかを確認してみよう、とか。
しかし、水源ダムだと有害物質云々とゆー問題があるのであれですが、何か、このような「永遠に埋もれてしまう場所」を丸一日解放して、「今日一日24時間は何を埋めても隠しても一切その刑事上民事上倫理的責任は問わない」というイベントをやると、人間というものや人生というものをもう一度見つめ直すことができるのではないか、などいう妄想がひろがる今日この頃でもあります。ただし、機械力の導入を許すと人は途端に己れの分も弁えない行為に走るので、「但しその作業には機械は用いてはならない。全て人力のみで行なうこと」という注意書きが必要でしょうが。
と、かなり論旨が意味不明化していますが、結局何が言いたいのか、と申しますと、「絶対に回収することは不可能だが、それはここにある、ということを何時でも確認できる場所」。これはなかなか得難いポジションなのではないでしょうか、と、単にそれだけです。
リバーズエッジは確実に我々の傍らにあるけれど、そのリバーズエッジすらもあっという間に消費されていく。そんな中、あるリバーズエッジを私だけのものとして固定化したい、という願望を強く感じる今日この頃。
てなことを言っても、実際に御自分の生家がそーゆーポジションに置かれてしまった数多くの人々が既に存在するが故に、私は、水を飲み、シャワーを浴び、電気を使っている訳ですから、何をたわけたことを言ってるんだ、と言われるのがオチでしょうけど。
妄想の向こう側にあるリアルは、妄想とは無関係にリアルとして存在し続けているのですね。
私の妄想はどこにどうやって埋めれば良いのでしょう。
1996/05/21 (火)
別に個人的に面識がある訳でもありませんし、人と人として繋がりがある訳でもありません。
ですから、こんなことを言っても、それは単なる私のエゴなのでしょう。
でも、でも、それでも、
私が愛するものを産み出してくれた人への感謝と尊敬と愛情をこめて、岡崎京子さんが回復されることを心から祈りたいです。
翔けていってしまわないでください。
おねがいです。おねがいします。
1996/05/20 (月)
すいません。先日とんだ大嘘をこいてしまったため、この大誤報への反省の意をこめて、先週一週間は日記を自粛しておりました。
って、そんなことわ、ありません。
しかし自粛ですか (TBSのトップページはのーてんきなままなので筑紫さんへリンク。ってこれもどう考えても変だ)。はぁ。
放送屋にとって放送を自粛することがどんだけ「身を切る」ことなのか、私にゃぁとんと分かりませぬが、すくなくとも私にとってはそれが反省の姿勢とか謝意には見えません。言ってみればやはり、マスターベーションでしょうか。まぁ、元をただせば私は、何故にTBSがいけないのか未だに理解していませんので、そんなに謝られても困るとゆー方が正しいのですが。
それにひきかえ… とゆー接続句が正しいのかどーか分かりませんが、壮絶なるものをまざまざと見せつけてくれたのが、これです。
Starwave Corp.というのが何者なのかは良く知りませんが、とにかくそこがやっている"Outside Online"という電子雑誌(?)が、企画モノとしてエベレスト登頂の過程のWeb中継連載のようなことをやっていました。そしてまさにそこで起きてしまったのが、先々週末の悲劇とゆーか事故です。
結局、その中継対象であった登頂隊のリーダを含む2人が亡くなりました。
そして彼ら(Outside Online)は、その過程をすべて、冷徹なまでに報じ続けました。
私はここに、プロとしての覚悟、メディアとしての覚悟のようなものを感じざるを得ませんでした。
勿論、テレビというものはとっくの昔にエベレスト/チョモランマからの生中継なんぞをやり遂げていますし、既存のジャーナリストがそこに居合わせたら当然同様のことをしたでしょう。ですから、今回の件をもってして「WWWもメディアである」などとゆー結論を導き出して喜んでいようとは思いません。
恐らく私は、WWWというもの、あるいは、亜米利加というもの、あるいは、人の死というものに目を眩まされ、判官贔屓に陥ってしまっているのに過ぎないのでしょう。
しかし、やはりこれには、何と言っていいのか分からないけれども、「覚悟」を感じます。
覚悟なく行動している人々を軽蔑しつつ…
覚悟なく行動している自分を情けなく思いつつ…
1996/05/12 (日)
5月5日の日記に
… VICSは、正確なとこは忘れたけど、たしか運輸省(と東京都?)主管のサービスだったよな。…
などと書いてしまいましたが、これは、完全に間違いでした。運輸省ではなく建設省でした。あったり前ですね。なんで運輸省なんて書いたんだろう?>俺。
と、言いたいところですが、話は更に複雑であるようです。より正確を期すべく文献調査を行ないました。参考文献は『アクションバンド5月号』です。:-) で、これによると、VICSには、
- FM多重方式
- 光ビーコン方式
- 電波ビーコン方式
の3つがありまして、その内、電波ビーコン方式は日本道路公団などの道路管理者が運用を、光ビーコン方式は警察庁などの公安委員会が設置するそうです。FM多重は誰が運用するのかは分かりませんが、とりあえず「NHKの電波を借用」するのだそうです。
う〜む、そうかぁ。VICSにも警察庁は出てきているのか〜。単にATIS対VICSとか、そーゆー話ではないのね。それも、光ビーコン方式のみ車からのアップリンク(ものは言いようだなぁ :-)ありの『双方向』だったりしち。う〜む、深い。
とゆー訳で、上記に関して大嘘を書いてしまったりしち、ここにお詫びして訂正いたしますです。
ついでに一昨日の日記にも、その後考えたことをフォローしておくと、考えてみればこの問題の増幅のされ方とか、あと「アノニマス性」(こちらこそ、ありがとうございます>マルテさん :-)とか、これって、別にインターネットとかデジタル革命(変な言葉 :-)が主導してるものではないんでしょうね、きっと。私なんぞは、その世界にどっぷし浸かってしまっているので、それが世界の中心だ、的に思ってしまいがちなのだけれども、実はこれらも非常に大きな変化のone of themだとゆーのが正しいのかもしれない。
「国家」とゆー概念自体がそろそろ古臭く、かつ、鬱陶しいものなりつつあるのは確かなんだろーけど、じゃ、その先は? とか言われても誰にも答なんぞは分からんものね。結局自分で、この状況下で、どーやって生きていくか/うまく立ち回るか/生き延びるか/戦うか、を考えないといかんのだーろな。などとメタなことを言ってても何の解決にもならん、ちゅうか。ふーむ。
なお、上記VICSに関する私の誤りについては、國米さんより、ご指摘とJHのサーバに関する情報のメールを頂きました。どうもありがとうございました(_o_)。
1996/05/11 (土)
なんか、ひっさしぶりに『早熟』なんてーのを聴いたりして… いやー、やっぱ、いいなー。
『禁じられた生きがい』に対する感想は、いつか書こう書こうと思いつつも、なんか書かずにいた内にアルバムそのものを全く聴かなくなってしまったので、そのまま放っておいたのだけれども、結局、私の言いたいことのほとんどすべては、この萩原健太さんのレビューで言い尽くされているような気がする。それもプロの文章で。
まぁ、このレビューはアルバムそのものに対してではなくコンサートに対するものであるし、私は、岡村ちゃんのライブなんぞには怖くて :-) 行ったことがないので、ひょっとしたらズレてるのかもしれないけど、でも、やっぱ思いは一緒かもしんない。そうだよね、聴くなら、『早熟』だし『家庭教師』だよな。
いや、しかし、プロの文章ってーのは読んでて快感ですな。
でも、件の武道館公演即日sold outの話を聞いた時にも思ったのだけれども、いったいいつから、「岡村靖幸」とゆー単語は公衆の面前で口に出してよい言葉になったんでしょーか :-)。その昔は、「俺/私は岡村靖幸のファンだ」なんてーことは、決して人前では言ってはいけない、秘めやかなる楽しみとしてしか存在してはいけないものだったのではないでしょーか。
ちなみに私は、ある時私が『早熟』を取り出してプレイヤーにかけたら、横にいた女の子が何げなくそのジャケットを手に取って開き、その瞬間「きゃっ」と言ってジャケを放り投げられた、とゆー経験があります。たとい『早熟』の時代でも、これが世の普通の反応であるべきではないでしょうか。:-)
などと話はますます発散していく一方ですが、ともあれ、岡村ちゃん、こんなもんじゃねーよな、などとゆー受け手の身勝手な要望を是非とも蹴散らして欲しい今日この頃。個人的には、『禁じられた生きがい』は、『家庭教師』っつー超強力大傑作の後の軽ーい息抜きシングルコンピアルバム的なものとして受けとめる、てなことになるんでしょうか。なんて、ほんと、生みの苦労も考えない身勝手な言い分だなぁ。
モノ作る人間は、みんな、こんな身勝手な要求を相手に商売してんだなぁ。エライなぁ。でもそれにしちゃ、コムロに対する要求は甘いんじゃねーか>一般大衆 :-)。でも、コムロはどーでもいいけど、アムロは凄いぞ、あれはほんと凄いぞ、マジに凄いと思うぞ。などと言い出すと更にまとまらなくなるので、このネタは、やめ。
あ、ちなみに、この"Kenta’s … nothing but Pop!"を見つけたきっかけは、リンク逆探知で杉山さんの日記を見つけて、そこから更に見つけたとゆー次第です。とゆー訳で、リンク探知で健太さんもここへ来たりするのかなー、あ、こんにちは、とか。意味不明です。
あ、杉山さん、リンク張ってくれてありがとうございます。私も「発見」して以来ずっと読んでますよ〜。でも人を歴史上の人物にはしないでくださ〜い。:-)
てな訳で今日は、本文は軽く、タイトルは思わせぶりに、でした。:-)