1996年03月の記事一覧

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可能性の先送りの可能性

唯一の娯楽(ringoちゃんが死んでるんでリンク先が分からんよー)だった「NTT分割問題」ですが、結局また、先送りですねー。

しかし、この、「先送り」っつーのは何なんでしょーか? 「明日できることは今日やらない」教の信者であるところの私めとしましては、この「先送り」とゆーのは常日頃からの行動原理化してる訳ですが、私めの場合の「先送り」とは異なる、別の意味を持つ「先送り」とゆーのもある訳であり、この「先送り」は、それらどちらかにあてはまるものなのか、あるいは、第三種のものなのか、不明であります。

と、突然ですが、おとぎ話のコーナーです。

とある所で、とある問題が起こりました。そもそもはこの問題の原因となる決定がなされたのはn年前だった訳です。で、それにより、とある問題が顕著化したのが今年でした。そして、今年とられた解決は取り敢えず今年発生する問題のみに対処したものであるため、来年は更に別の問題が発生することが、ほぼ明らかとなっています。今年および来年起こるべき問題は、既にn年前から分かっていたにもかかわらず、どうやら、n年間、何も考えられていなかったよーな気もします。

たとえば、私めが、「明日でいいやー」といって予稿書くのをブッチしたばやい、結局、明日書くのも私であるからして、個人仕事量保存則が成り立つのでありますが、「n年後だからいいやー」といって解決をブッチしたお方は、そのn年後には別の部署で別の問題を生成されているのだからして、このばやい、全体としての仕事量は保存されるものの個人仕事量は保存されているのか何なのか、よー分かりまへん。

ちなみに、上のおとぎ話は、今回、「先送り」の対象となったNTTとは何の関係もありませんが :-)、これはワイルドカードであり、大蔵省にも厚生省にもどこぞの民間企業にもマッチするものであることも事実であります。


とかゆー話が1995年度の締括であっては非常に情けない3月31日、shigepやら寺本っちやら誰やら彼やら、とりあえず、卒業おめでとう!

そいえば私がn年前に新入社員だったとき、社員研修の講演者として(当時はまだ社長でわなかった)児島さんが来て、「これで君達は人生の可能性の半分を失った」と言い放って去っていきました。

shigepや寺本っちも、明日から、<http://www.xxxx.co.jp/><http://www.yyyyy.co.jp/>化することにより可能性の半分を失い、かつ同時に、<http://www.bu.com/><http://www.fuzzlolita.com/>化によって増強される訳っすね。

つーことで、ぢぢぃは明日から、可能性の可能性をワクワクと高見の見物させて頂くっす。(がんばれ、とわ言わないよん。^_^)V

あなたは肌が恋しいですか?

とゆーことであっちゃこっちゃバタバタしている今日この頃ですが、こないだ、面白い体験をした、というか、面白い話をしました。

曰く、「お年を召された」、否、「経験豊かな」研究者/技術者の方にとっては、WWWって、恐怖の対象というか、何だか訳が分からないけど凄そうなもの、なんだそうです。徘徊する妖怪、ちゅうか。

よく分からんけど凄いのだろう、と思うだけならまだしも、ちょっと調べてみると、これがまた、WWWってこんなに単純でこんなにツギハギでこんなにいい加減だということが分かり、なんでこんなものがこんなに「凄いもの」とされているのか、ひょっとしたら私の知らない「何か」があるのかもしれない、という疑心暗鬼に取りつかれてしまったらもう最後、恐怖はますます大きくなる、ちゅうか。

そりゃそうだよなぁ。

でも、多分、「こんなに単純でこんなにツギハギでこんなにいい加減」なだけのものだと思います。

でわ、なぜに「こんなに凄いこと」になってしまってるのだろーか?

この問題は、仕組みの善し悪しの問題ではなく、なぜに皆がこれほど、いわば露出狂的に自分が持っていた/持っている情報を放出しているのか(しかもタダで)、つー話になるのでわないっすかね〜。もはや技術の問題では全然ない、ちゅうか、なまじ技術に首突っ込んでると余計分からなくなる、ちゅうか。で、これに対する答えで説得力のあるものは、まだ見掛けたことがない。

そいえば、新聞社などの旧メディアまでが情報を放出してしまう理由については、こないだ「また、そのうち」と書いた『本はどのように消えてゆくのか』(津野海太郎著,昌文社)では、それは、「ある種の偽善なのだが、その偽善の底がなかなかに深いので、まるで本心のように見えてしまう。偽善ないしはヤセ我慢」(こーゆー極めて断片的な引用はよくないなぁ>自分)、と言われている。でもこれは個人についてはあてはまらないような気がするし、うーむ。

または、『インターネットが変える世界』(古瀬幸広・廣瀬克哉著,岩波新書432)的に言うと「共愉」っすかねぇ。う〜ん、これはそれなりに頷けるものがあるけど、感覚的にバチッと填らない。個人的に。

ついでにそいえば、WWW上の情報提供で真っ先に有料化に突っ走ったのは「エロネタ」っすね。すべてはX-ratedに牽引される、ちゅうか。ま、食欲と性欲は個体保存と種の保存の基本中の基本だからして、そりわ当然なのかもしれんけど。

そいじゃあ、世の中の露出狂的情報提出を支えているのも、「欲」なのかなぁ。名誉欲とか? (それは違うな、多分)

個人的には、『触欲』ってーのが結構説得力あり、かもしんない。まったく物理的な「触」ではなく精神的なものでもあるのだけれども、どこかしらに「肌」というものの存在を意識する「触」、ちゅうか。おう、そうか、インターネットは肌の延長装置だったのか!

あ、またなんかてきとーなこと言ってるな、俺。:-)

煽られるナショナリズム

80年代を振り返ることがイヤがられるのは、やっぱし、今が90年代だからじゃないでせうか。あと5〜6年もすれば80年代も「再評価」されるのでわ。って、あ、あと5〜6年したら21世紀だからして、世の中はそれどころじゃなくて20世紀の再評価で忙しいのか。あ〜、可哀想な80年代、ちゅうか。

とか思いつつ、「これは80年代の本なのかっ」とゆーことで"Mondo Computer" (アスキー)なる本を拾ってきた。これは80年代とゆーより75年〜85年の本っぽいなぁ。80年代後半は、まだ恥ずかしい盛りなのかもしんない。

えーなになに、サブカル,ニューアカ,スネークマンショー,デザイナーズブランド,MANZAI,アルファYENレーベル,ピテカン,TRA,テクノカット,宝島、お〜。

デザイナーズブランドといえば、今の人は洋服に金かかんなくっていいっすね〜、というのは、ぢぢぃの無知なるが故の世迷い言なんだろーかー。♪あんのぉころわ〜、うぅっ♪ ちゅうか。

この本には坂村健さん登場のTRON話もありですなぁ。相変わらず「Unicodeは文化破壊」とか言ってますが、あ〜、もうど〜でもいいっす〜、好きにしてください。しかし、たかが工業規格に破壊されるよーな文化なんざぁ、そもそも文化じゃねーよな、とか言うと怒られるんだろーか。でも、んなもんで破壊されるものならとっとと破壊された方が世のため人のためだよな〜。「早く破壊してくれ、Unicode」と言ってる間にUnicodeが破壊されちゃったら洒落にならんっすぅ。

Unicode破壊の一因といえばハングルのrelocationっすが(「32bit拡張」ちゅうのもあるな :-)、いったいどーなるんでしょうねぇ。

いったいどーなるんでしょうねぇ、といえばサッカーは「日本 vs. 韓国」と「イラク vs. サウジアラビア」ですか。ナショナリズムばりばりっすね〜。神が与えたもうた組み合わせっすかね〜。「にっぽん、ちゃちゃちゃ」、つーか。

しかし図書館とかでISOの規格書の棚を眺めていると、やっぱ、10646のブ厚さのみが際だってるよな。その「風景」から、やはりあの厚さは、何か間違ってるとゆーか、違うことをしようとしているような気がする。あ、10646の内容が腐ってるとかそーゆーことが言いたいんではなく、定めようとする対象が間違ってるよーな感じ。なんちゅーか、文法書とか六法書の中に一冊だけ{辞,事,字}典が混ざってるよーな違和感、とかいう分かったよーなことを言うと話が矮小化されそうなんで、やはりここは、「あの際だった厚さという」風景、とだけ言っておこう。

どっちかっていうと、そもそもその「違和感」は一体何なのか、というのを考えるべきであるかもしれないのに、その「違和感」をほったらかしにしたまま文化だの何だの言って、更には戦術としてナショナリズムを煽っちゃうような連中は、アーキテクトとしては信用できねーぜー、ちゅうか。

ま、その「違和感」はJISにおける0208や0212でも一緒だからして、その「違和感」をほったらかしにしたまま計算機でこーしてこーした文章書いてる人間(=俺)も、まったく信用できねーぜー、わはははは、ちゅうか。

にしても、この本の中での坂村さんの言葉、「アメリカのメーカーに言わせれば、OSもつくらないくせに、なにが漢字コードだ、漢字コードだけ言ったって聞かないよってことになる」。いや〜、こりわ極めて正しいな〜。あったりまえだよな〜、別にOSだけに限った話じゃなく。「おめ〜文句言ってるだけだろ、悔しかったら作ってみれ」、ちゅうか。

つー訳で、ナショナリズムを煽ってる場合じゃないのか、卑屈に押さえ込んでる場合じゃないのか、結論はないっす、まる。

proxyと著作権法第二十条第2項第三号および第四号

つー訳で、今週は"IPSJ Multimedia Japan 96"なんぞに行ってた訳ですが、そこで聞いたものの中で、ある共通項を持っていたのが、

  1. 日立さんのWWW Quick View System (これは発表ではなくエキジビジョンにて)
  2. 梅村さんとこのAutoref
  3. 沖電気さんのW3-PENSEE

でした。これらはどれも(最後のW3-PENSEEは明示的に言ってはいなかったみたいだけど)、いわゆる「proxyに附加機能を入れる」って奴。

今やデータは山程あって、「仕組み」もそこそこのものがあって、これで本当にいろんなことが出来るようになって遊びがいがあるよな〜、というのは共通認識なのだろうけど、そこで突然現れるのが著作権の問題。

proxyにとある機能を入れてオリジナルのデータを改変して、すなわちたとえば、画像を縮小して(前出1)、各単語に辞書へのリンクを埋め込んで(前出2)、英語から日本語に翻訳して(前出3)、それをユーザに提示するとき、これが、著作権法第二十条の「同一性保持権」を犯していないのか、というかより正確には(?)、それが同第2項第三号および第四号の例外規定に該当するのか、である。その条文を引用すると次のようになる。

 (同一性保持権)
第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、そ
の意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
2 前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
(略)
 三 特定の電子計算機においては利用し得ないプログラムの著作物を当該電子計
算機において利用し得るようにするため、又はプログラムの著作物を電子計算機に
おいてより効果的に利用し得るようにするために必要な改変
 四 前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に
照らしやむを得ないと認められる改変

# あ〜、partial includeしたい(意味明白)。

と、今までなら、この手をことを言った後は、「どーせ決めるのは裁判官だかんね、俺らの知ったこっちゃないかんね」とか言い放って終わりなのだが、最近、『カーマーカー特許とソフトウェア』(今野浩著,中公新書1278)という本を読んでいたら、

裁判官の仕事は、法律に照らしてコトの正否を判断することではなく、その「当否」を判断すること、つまり、その時の社会の構成員の大多数が納得できる妥当な結論をいかにして法律に矛盾せずに導くか、である。

(上144頁囲み記事より、onlineでないものは突然大雑把な要約になってしまう、しくしく) とか書いてあった。へー、そーなんだ、知らんかった。

という訳でone of 構成員になって考えてみよう…

あ、だみだ、「知らんかんね」が身についてて自分で考えられん。う〜む。(-_-;

この件に関しては思考停止しいるにもかかわらず、とりあえず、「私的利用のための変更、切除その他の改変」は認めてもらいたい今日この頃。そりから、「変更、切除その他の改変」のための『装置を提供すること』と、実際の『行為』は、絶対に切り分けて欲しい。

って、ほんとはこれは、「複製」でも同じことを言いたいんだぜー。著作権上の問題をハードウェア(を提供するかしないかの判断)に押しつけるのは止めちくりー、つーか。DATとかDV端子とか。んなもん、とりあえず棚上げすればいいのに。通信カラオケを見よ、っちゅうか。あれ規制してたら、多分、CDが簡単に100万枚売れる状況もなかったんだぜー、というのは猿の後知恵だろーか。

話が全然別方向へ行ってしまった、かな。

でも、「同一性保持権」の問題が未解決であることと、『装置』と『行為』の切り分けができないということは、W3-PENSEE(やその他の翻訳機能付ブラウザ)は販売できないってことにならないか? 考えをめぐらせすぎなのかっ、ちゅうか。

と、ところで、たうぜんながらこの問題は、日本国内な著作権法だけでは何も解決しないのである。何せ相手は、いんたーねっとだかんね〜、へへん、ちゅうか。あ〜。(-_-;

甘いっ! という甘いのは甘い?

みどりちゃん、はもう古いのかっ、んじゃ、のりくん(失礼 :-)、もハマっている「大地の子」も終わってしまいましたね。しかしよく泣くドラマであるなぁ。

ということで、のりくんが、『誰か「大地の子」の1回から3回目のビデオ貸して下さい。見てないんです』とか書いてますが、これを読んだ全国35万人(嘘)の「大地の子」ファンからは、恐らく、「甘いっ!」ってな声が上がっていることでしょう(ほんとか)。

「ファン」にしてみれば、前回の放映を見逃したとか、是非もう一度見たいとか、そんなこんなで、今回は待ちに待った放映だったはずであるのだからして、今時そんなこと言ってるよーな奴ぁ甘い、と。

とかいっても、そりゃ、観たいもんは観たいときに観たいよなー。

昔っから思ってるんだけど、なんで、ラジオとかテレビの番組は、書籍のように、「その放送のコピーを2組、国立国会図書館に提出すること」とかになってないんでしょうか。国会図書館が使い物になるかという話はまたおいとくとして、ま、国会図書館でなくても、「財団法人 放送文化センター」(ぜってー既にありそうな名前 :-b)とかいうの作って、放送の複写をそこに収めさせるように放送法を改正して、当然その特殊法人のポストは…、とか、いかにも得意技っぽいんだけどなぁ(誰のじゃ :-b)。

しかし更に思うに、「放送」ってゆーのは、そもそも最初はすべて生放送だったとか、その昔はテープが高くて何度も使い回ししていたのだからして、これは記録可能なメディアだとは誰も思っていなかったのだろうなぁ。「紙」というか「本」は、「後に残すための」メディアであると同時に「配付のための」メディアでもあるのだからして、これはやはり驚異の発明っちゅうか、非常に特殊なもんなのであらう。

さて、「でぢたる(ねっとわーく)」っつーのは、どのようなメディアであるのだろうか、ほんとに「グーテンベルグ以降の革命的…」なんであろーか? なんてね。

P.S.
あ、久保さんに伝えてくれてありがとう>遠山さん。
あ、まだメールに返事書いてません、ごめんなさい>久保さん。

net travellers 96

横浜の帰りがけに有隣堂に寄って"Java入門"と"net travellers 96" (ともに翔泳社刊)を、ようやくゲットしてきました。

"Java入門"は3刷のため画伯の特別付録がないっす〜。これではサインが貰えないっす〜。しくしく。しかし、ほんとによ〜売れてますな。やはりここだけ山が低い。

あ、ついでに見たら(買っては… ないっす _o_)、「でっかく儲けよう」も3刷でしたねん。めでたいっす>サスケさん。

で、"net travellers 96".竹中さんはまともに褒めていたので私は斜に構えてみようか、ちゅうか(以下、慎重に書かないと誤解されるだろうけど、所詮日記なので慎重には書けないなぁ。大丈夫かなぁ)。

で、感想は、いまひとつ、つまんないっす。(あ、あ、ここで読むのやめないで)

というか、実はこれは反則な言い方であって、なんで「いまひとつ、つまんない」って思うかというと、この本で紹介されてるモノやその文よりも、実際にこの本を書いてる人達自身が実際にやっていることの方が、そして、実際に彼ら/彼女らに会って飲んで話しをすることの方が100万倍楽しいことを、私は知ってるからなんだと思う。きっと。

だから、一般的な本の感想としてこれを「いまひとつ」と言うのは、完全に反則だと思う。といって、自分個人では、いまや、「ネットラ」と「虎馬」とを切り放して考えることが難しくなってるんで、これまたどうしようもない。

う〜ん、変なこと言っちゃってるかなぁ。

(と、しばし心の中で思いを巡らした後の脈絡のない)結論は、「96だけ買うべからず。95と96両方買うべし」、だ。

英語は分からん (その2)

つー訳で発表も無事終わりました。

竹内さんの指摘通り、「喋ってることの85%はOHPに書いてあることをそのまま読んでいる」攻撃により、まぁ、何とかなりました。はぁ。

しかし、私は基本的に正しい英語を使おうという心掛けに欠けますな、ほんとに。単語も文法も発音も、「何となくそれっぽくしときゃ〜、何となくそれっぽいぜ〜、へへ〜ぃ」、という態度なのでいけません。しくしく。

あ、

<訂正>昨日、「プレゼンテーションにビデオが使えない」とか書きましたが、なぜか、私が出たセッションの部屋にはVHSのデッキとプロジェクタがありました。よかった、よかった。ということでお詫びして訂正いたしますですん(_o_)。</訂正>

デッキといえば、「8mmビデオ」って国外では何て呼ばれてるんでしょーか? 「えいとみりみたぁぶぃでお」? 「ぶぃでおえいと」? どう考えても分からんかった(考えて分かるもんじゃない)ので、明示的に言うのはやめてしまいました。

この手のもんって、分からんっすね。「10646」も何と呼べばよいのか、いまだによーわかりません。「2022」は「とぅーおぅとぅえにぃとぅ」とか「とぅえにぃとぅえにぃとぅ」とかで良いみたいっすが、「10646」は…、「わんおぅしっくすふぉてぃしっくす」? 「てんしっくすふぉてぃしっくす」? 「あはんどれっどあんしっくすふぉてぃしっくす」? ま、何でも通じるんでしょーけど。

う〜む、つまらん。はぁ。

英語の発表はヤだよ〜ん

明日(もう明らかに今日)の準備が全然でき〜ん、ので、逃避。

英語の発表はヤだ。日本語で自分の考えを伝えるのが生まれつきの自分のやり方であるからして(当たり前)、英語で自分の考えを喋るのは苦手である(さらに当たり前)。

しかも、日本でやる国際会議っつーのがまた、微妙にヤである。

なんか、「日本人(=英語苦手)が英語で話すんだろ。そりゃ、もう、しっっっかりと練習したんだろうな、おら」みたいなプレッシャーを感じるような、今日この頃(被害妄想)。あ〜、ヤだヤだ。

え、日記書いてる暇あんなら、オーラル考えろってか。へい、すんまへん。

しかし、タイトルに「まるちめでぃあ」と銘打った国際会議であるにもかかわらずプレゼンテーションにビデオが使えないってーのは情けなくないか、などとは運営をやっておられる方々の苦労を考えるととても言えないのだが(言ってるぞ、おまえ)、ま、しょうがないので、ハンディカムとプロジェクター持ち込み攻撃に出るぞ、俺は。もし設置できなかったらどーしよー。しくしく。

などと言ってる暇あんなら、オーラル考えろってか。へい、すんまへん^2。

小手より面

Alta Vistaでリンク逆引きができることを突然発見した(今まで知らんかった)ので、色々と遊んでたら、久保さんこことかここで出現してるのをめっけた。

まず前者。「WWWノススメ」は、自分(一人称)がスタンフォードにいたときに、なんかプラついてたらたまたま見つけたんだよなぁ。これ読んだときは、私はかんどーしたっすよ。SFCおそるべし、っちゅうか。「WWWを使わずして情報社会を語ることなかれ!」つー煽りは、もはや、おやぢ系に消費されちゃった感があるけど :-)、ま、それはおいとくとして、これは、今でも(2年前の文章か…)十分意味のある文だと思うっす。好きっす。(^_^v

んで、後者。

さて。

残念だけれど、所詮webは双方向のメディアじゃあない。webは、一方通行がたくさんたくさんあるメディアなのだ。
(<http://www.st.rim.or.jp/~takadat/id/19950811.html>が引用元かな?)

これを聞いた時には、それは確かにそうなんだけど、でもそういうのって何か悔しいなぁ、と思ったのでした。
(<http://www.flab.sfc.keio.ac.jp/~s93148hk/Flab/TTweb/TTabout.html>より引用)

「悔しい」のは圧倒的に確かであって、んじゃ、何かいけないかっつーと、上の引用の引用の中の「Webは双方向じゃない」ってゆーときの"Web"という単語が指し示す概念が曖昧なのがいけないんだな。

いわゆる「HTML+HTTP+URL」ってゆう古典的Webのばやいは、やはり、これを双方向と呼ぶのは辛いのだけれども、最近言われるところの"WWW" (ユーザ側から見ればPlug-ins LuncherじゃなかったLauncher :-b であり、システム側から見ればそれこそ単なる網)ならば、やりようはいっくらでもあるよな〜。

といいつつ、日記は「核心には触れない」ものであるからして、ここで突然結論なしに終わるのであった。わはははは。


P.S.

斜に構えるのはまだ早い、ということだけは、確かに感じているのです。
(同上)

最近は、「『インターネット・フィーバーを煽る記事』を嘆く記事」に呆れることが多い今日この頃、ちゅうか。「嘆く記事」のほとんどは「煽る記事」と同程度(もしくはそれ以下)に馬鹿で不正確で何も分かってないんじゃないか、って呆れる自分は同程度(もしくはそれ以下)に馬鹿で不正確で何も分かってないんじゃないか、ってか。:-b

ま、斜に構えてたら面は打てんっす。

確定申告、それは早春の季語(ほんまかいな)

つー訳で、私も先日、確定申告に行ってきました。事前に計算してみると… がぁ〜ん… 還付どころか追加で払わんといかん。どうも今年(去年分)から閾値を超えたようである。しくしく。バックレたろーかと思ったが、善良なる市民であるところのこの私め :-b は、真面目に申告することにする。

今年はBoomborg-Keisanでも使ってみようかと思ったが <しかし>「寺偽我」というか、「本連載は今回限り」というか、「偽FAQ」というか… 萩谷さん、イッちゃってるなぁ。最高だなぁ。(意味、bit 4月号 :-)</しかし>、結局、電卓片手に自己計算。受験生的能力に若干の欠如がある私めは、「1,000円未満の端数切捨て」という一項を見落とし、そこから下全部修整しまくりの上、提出を終える。ヤなことはその場で済ませようということで、脇の窓口で追加納税分をちゃっちゃと支払い、家路へとつく。

例によってリーマンの申告は秒単位で終わる。ちなみに相談室で隣に座ってた親父は「これがにゅうぎょうおろし(乳業卸?)からの入金で…」などと言いつつ膨大な帳簿を机の上にブチまけていた。更にちなみに、月ン万円だかの仕送りを貰っていた大学時代の友人が奨学金の申請をしようとしたときに見せてもらった書類によれば彼の実家(自営業)の所得は100万ちょいだった。偏見かもしれんが、やはり、掛けるコストとそれによる実入りの対応付が間違っちょるよーに思われる今日この頃。

それにしても来年以降もこれでは生きる気力が失われるので、今年から真面目に領収書を集めて経費率100%でも目指さねばならんのだろうか。しかし、先週買ったもののレシートすらどこにいったか分からなくなる私が、1年分も領収書をためられる、いや更にそれを5年(or 7年)も保存できるのであらうか… ぜってー無理だ。書籍代、プロバイダへの払い、電話代、ソフト・ハード購入費を足しゃあ☆★○●◎◇円なんぞはあっという間にいくことは確かだが、それが数万円に見合う労力なのであろーか(でも数万はデカイ)。それとも、「雑所得」ではなく「その他の事業所得」にすればマイナス所得も可能なはずだからして、夢のリーマン経費生活にでも挑戦してみやうか(世の中そんなに甘くないぞ、きっと>自分)。

しかし何ですな、税金の申告をすると、我が御国が国民に希望することは、「結婚し妻は家に入れ子を生み養え」っつーことであるというのがよく分かる今日この頃(税制的にはどちらかが家に入ればいいのだけれども、他の制度などを鑑みるに、男が家に入るということはそもそもそれ以前に想定されてないのでわ?)。制度をもってしてあるべき姿に誘導するというのは最もイヤラしい施政姿勢だと思うけど、そんなこと言っても無駄っすね、と言っててはいかんのだろーが、やっぱ、無駄っすね、(以下無限ループ)。

税金といえば、きょうびは(確か)埼玉のどこだかに巨大な集計センターがあって、そこで全国民分の名寄せをやっているそうな。その名寄せのアルゴリズムってどんなんなのだろうか。やってることは概念マッチングであるからして、時代の最先端であるよーな気もするが、それも一般国民には関係ないことっすね。

更に税金といえば、住専も畏れをなして跪く旧国鉄債務っすが、これ前々から思ってるのだけれど、JR設立以降に選挙権を得た人(今20代位の人まで?)は絶対払う必要はないんでわないでしょうか。逆に言えばそれよか上の人間からは、たとい年金生活者だろーが何だろーがビシビシ取ったれや、と思うのだけど、そーわいかんのが世の中っすね。

若者よ結集せよ! 立ち上がれ! ちゅうか。

う〜む。まとまりなし。

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