80年代を振り返ることがイヤがられるのは、やっぱし、今が90年代だからじゃないでせうか。あと5〜6年もすれば80年代も「再評価」されるのでわ。って、あ、あと5〜6年したら21世紀だからして、世の中はそれどころじゃなくて20世紀の再評価で忙しいのか。あ〜、可哀想な80年代、ちゅうか。

とか思いつつ、「これは80年代の本なのかっ」とゆーことで"Mondo Computer" (アスキー)なる本を拾ってきた。これは80年代とゆーより75年〜85年の本っぽいなぁ。80年代後半は、まだ恥ずかしい盛りなのかもしんない。

えーなになに、サブカル,ニューアカ,スネークマンショー,デザイナーズブランド,MANZAI,アルファYENレーベル,ピテカン,TRA,テクノカット,宝島、お〜。

デザイナーズブランドといえば、今の人は洋服に金かかんなくっていいっすね〜、というのは、ぢぢぃの無知なるが故の世迷い言なんだろーかー。♪あんのぉころわ〜、うぅっ♪ ちゅうか。

この本には坂村健さん登場のTRON話もありですなぁ。相変わらず「Unicodeは文化破壊」とか言ってますが、あ〜、もうど〜でもいいっす〜、好きにしてください。しかし、たかが工業規格に破壊されるよーな文化なんざぁ、そもそも文化じゃねーよな、とか言うと怒られるんだろーか。でも、んなもんで破壊されるものならとっとと破壊された方が世のため人のためだよな〜。「早く破壊してくれ、Unicode」と言ってる間にUnicodeが破壊されちゃったら洒落にならんっすぅ。

Unicode破壊の一因といえばハングルのrelocationっすが(「32bit拡張」ちゅうのもあるな :-)、いったいどーなるんでしょうねぇ。

いったいどーなるんでしょうねぇ、といえばサッカーは「日本 vs. 韓国」と「イラク vs. サウジアラビア」ですか。ナショナリズムばりばりっすね〜。神が与えたもうた組み合わせっすかね〜。「にっぽん、ちゃちゃちゃ」、つーか。

しかし図書館とかでISOの規格書の棚を眺めていると、やっぱ、10646のブ厚さのみが際だってるよな。その「風景」から、やはりあの厚さは、何か間違ってるとゆーか、違うことをしようとしているような気がする。あ、10646の内容が腐ってるとかそーゆーことが言いたいんではなく、定めようとする対象が間違ってるよーな感じ。なんちゅーか、文法書とか六法書の中に一冊だけ{辞,事,字}典が混ざってるよーな違和感、とかいう分かったよーなことを言うと話が矮小化されそうなんで、やはりここは、「あの際だった厚さという」風景、とだけ言っておこう。

どっちかっていうと、そもそもその「違和感」は一体何なのか、というのを考えるべきであるかもしれないのに、その「違和感」をほったらかしにしたまま文化だの何だの言って、更には戦術としてナショナリズムを煽っちゃうような連中は、アーキテクトとしては信用できねーぜー、ちゅうか。

ま、その「違和感」はJISにおける0208や0212でも一緒だからして、その「違和感」をほったらかしにしたまま計算機でこーしてこーした文章書いてる人間(=俺)も、まったく信用できねーぜー、わはははは、ちゅうか。

にしても、この本の中での坂村さんの言葉、「アメリカのメーカーに言わせれば、OSもつくらないくせに、なにが漢字コードだ、漢字コードだけ言ったって聞かないよってことになる」。いや〜、こりわ極めて正しいな〜。あったりまえだよな〜、別にOSだけに限った話じゃなく。「おめ〜文句言ってるだけだろ、悔しかったら作ってみれ」、ちゅうか。

つー訳で、ナショナリズムを煽ってる場合じゃないのか、卑屈に押さえ込んでる場合じゃないのか、結論はないっす、まる。