とゆーことであっちゃこっちゃバタバタしている今日この頃ですが、こないだ、面白い体験をした、というか、面白い話をしました。

曰く、「お年を召された」、否、「経験豊かな」研究者/技術者の方にとっては、WWWって、恐怖の対象というか、何だか訳が分からないけど凄そうなもの、なんだそうです。徘徊する妖怪、ちゅうか。

よく分からんけど凄いのだろう、と思うだけならまだしも、ちょっと調べてみると、これがまた、WWWってこんなに単純でこんなにツギハギでこんなにいい加減だということが分かり、なんでこんなものがこんなに「凄いもの」とされているのか、ひょっとしたら私の知らない「何か」があるのかもしれない、という疑心暗鬼に取りつかれてしまったらもう最後、恐怖はますます大きくなる、ちゅうか。

そりゃそうだよなぁ。

でも、多分、「こんなに単純でこんなにツギハギでこんなにいい加減」なだけのものだと思います。

でわ、なぜに「こんなに凄いこと」になってしまってるのだろーか?

この問題は、仕組みの善し悪しの問題ではなく、なぜに皆がこれほど、いわば露出狂的に自分が持っていた/持っている情報を放出しているのか(しかもタダで)、つー話になるのでわないっすかね〜。もはや技術の問題では全然ない、ちゅうか、なまじ技術に首突っ込んでると余計分からなくなる、ちゅうか。で、これに対する答えで説得力のあるものは、まだ見掛けたことがない。

そいえば、新聞社などの旧メディアまでが情報を放出してしまう理由については、こないだ「また、そのうち」と書いた『本はどのように消えてゆくのか』(津野海太郎著,昌文社)では、それは、「ある種の偽善なのだが、その偽善の底がなかなかに深いので、まるで本心のように見えてしまう。偽善ないしはヤセ我慢」(こーゆー極めて断片的な引用はよくないなぁ>自分)、と言われている。でもこれは個人についてはあてはまらないような気がするし、うーむ。

または、『インターネットが変える世界』(古瀬幸広・廣瀬克哉著,岩波新書432)的に言うと「共愉」っすかねぇ。う〜ん、これはそれなりに頷けるものがあるけど、感覚的にバチッと填らない。個人的に。

ついでにそいえば、WWW上の情報提供で真っ先に有料化に突っ走ったのは「エロネタ」っすね。すべてはX-ratedに牽引される、ちゅうか。ま、食欲と性欲は個体保存と種の保存の基本中の基本だからして、そりわ当然なのかもしれんけど。

そいじゃあ、世の中の露出狂的情報提出を支えているのも、「欲」なのかなぁ。名誉欲とか? (それは違うな、多分)

個人的には、『触欲』ってーのが結構説得力あり、かもしんない。まったく物理的な「触」ではなく精神的なものでもあるのだけれども、どこかしらに「肌」というものの存在を意識する「触」、ちゅうか。おう、そうか、インターネットは肌の延長装置だったのか!

あ、またなんかてきとーなこと言ってるな、俺。:-)