1996年03月の記事一覧

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消えゆくものを on demand

あ、昨日は結局、車に乗って銀座まで行ったのでした。

週末銀座の名物といえば、教文館の雑誌バックナンバー売り(平日もやってるのかしらん。行ったことないから知らん)。モノによっては驚異的に売れるらしいっすね。普通ならただの紙ゴミであるのに。

夜、なにげにテレビをつけると、東芝日曜劇場とかやってて、あ〜、萩原健一のあの年の取り方はズルいっすね。昔あの手のポジションにあった「若者」が、ああいう見事な「中年」になられると、なんか「卑怯」とかいう単語を思い浮かべてしまう今日この頃。あーゆー「若者」は「若者」のまま年老いて野垂れ死んで欲しいとかいうことを勝手に言っててすまん、ちゅうか。

と、そーゆー話ではなくて、東芝の"on demand"とかいうCM.「おんでまんど。ぴっ」ちゅうか。

F1を観終えて更にテレビのチャンネルをまわしてたりすると、日本テレビは、"NNNドキュメント"のアンコールですな。テレビの番組をもう一度観たいと思っても、もう一度放映されるときでないともう一度観ることができないこのもどかしさ。そーいえば、明日から「大地の子」の再放送(但しノーカット版)だっけか。

やはり欲しいのは「雑誌 on demand」や「テレビ on demand」である。もちろん「絶版本 on demand」も欲しいし、「そこらのレンタルビデオ屋には置かれていない映画 on demand」もあってもいいよな。

という訳で、ささやかな私の望みは、「消えゆくものを on demand.ピッ」、ちゅうか。

Nシステム

そこの前を行くプレリュード、危ないから、Nシステムの前でブレーキ踏むのわ止めれ。NシステムはNシステムであってオービスではないからして、130Km/hで通過しても捕まったりはせんぞ。

たぶん…

この、「たぶん」っちゅうのがクセもんだね。実際何されてっか分からんものな。

たしか警察の公式見解は、あれは交通量を調査しているだけであって、個々のナンバーを把握している訳でもなければ、過去のデータを保存している訳でもない、とか言ってるんだっけか?

そのわりには、つくばから横浜まで死体を捨てにいった車とか、山梨から都内各地下鉄駅までサリン積んで走ったらしき車とか、ばっちりトレースしたぜ〜、証拠は上がってんだぜ〜、おらおら、とか言ってるからどーしよーもねーよな。

Nシステムがどこに設置されてて何をしているかなんぞをこの国が公表する訳がないからして、ここは、やはし、「ユーザ」の一致団結により、その設置場所をリストアップして、んで、世のプログラマは、始点と終点を入力するとNシステムを通らないで通過できるルートを計算してくれるプログラムを作る必要があるんでわないだろうか。

非合法活動予定者、でわなかった、国家にプライバシーを把握されたくない人には必需品である。

って、絶対、もう、あるとこにはあるんだろうな。

プレゼンテーションはどのように消えてゆくのか (願望)

津野海太郎さんの『本はどのように消えてゆくのか』(昌文社)、などを読んだりする。このような、(私なんぞとは)違う視点から見た本というのは、読んでて興味深いですね。この本については、また、そのうち。

んで、

なかひろさんも何やら悩まれているようですが、まぁ、もう私は、HTMLがプレゼンテーションに走ろうが何だろうが、どーでもいいっす。知ったこっちゃないっす。:-)

HTMLは所詮HTMLだからして、プレゼンテーションな人達は、その内、AcrobatとかShockwave (Director movie)だとかの方向へ行くのでせう。もしくは全く別のものか。

表現したいならどんどん表現すればいいっすが、でも、電算日本語組版技術も共通知識として確立していないこの現状で、表現とか言って突っ走ってても今にコケるぜ、おめ〜ら(趣味な個人は除く)、へへん。などと憎まれ口を叩く今日この頃、突然ですが、「私のキライなHTMLプレゼンテーション」のコーナーです。

という訳で第一段は、

です。

"Pippin@"は簡単お手軽インターネット接続&Netscape Navigator (TM)だけど画面は640*480でNTSC/PAL/RGB出力なんだよ〜、つーか。

「ヤクが切れた〜」(といってもMDMAでわないっす)ということで病院に花粉症の薬を貰いに行きました。

ここ数年間は、ずっと、

  • アゼプチン服用/インタール点鼻/インタール点眼

だったのだけれども、今年は、「ちょっと薬を変えてみましょう」とか医者に言われて、

  • 服用薬なし/ベコナーゼ点鼻/インタール点眼

になってしまった。薬の効き方が今までと違うので、イマイチ調子が掴めない今日この頃。う〜ん。


薬といえば、私は頭痛持ちでもあります。これまたここ数年、"eve"が手放せなかったのでありました。

で、Palo Altoに行ったとき、持ち込んだ"eve"を使い果たした私は、スーパーに頭痛薬を買いに行ったのであります。「え〜と、"eve"の主成分は『イブプロフェン』だったはずだからぁ」と散々探しても見つからない。「アメリカでは認可されてない薬なのかなぁ」とか思って諦めようとした瞬間、"Advil" (成分:"ibuprofen")つー薬が見つかったのであった。

そ〜か、『イブプロフェン』つーのは"ibuprofen"であって"evep…"でわなかったのか〜。"eve…"で探してても見つからないはずである。しかし、なぜに日本で「イブ」は"eve"なのだ。いい加減なこと言うんじゃねーぞー、あほー、ちゅうか。(-_-;

で、結局その"Advil"を買ってきたのであった、めでたしめでたし。とわいかず、飲んでみたらこれがまた効かない。考えてみるに、日本の「イブ」は、『イブプロフェン』だけじゃなくて、カフェインだの何だの、その他のものがグダグダと一杯入ってるんからでわないか、ということを思いつく。

しかし、何で日本のOTC薬は、ああも色んなものがウダウダと入ってるんですかね? ちなみにアメリカで売ってる薬は、ほとんどが単一成分のような気がする。それとも「無水カフェイン(?)」とかは薬効成分扱いになってないので、書いてないだけなのかなぁ。

んで、そいから結局「アメリカ頭痛薬を求める旅」はどうなったかというと、ある日の新聞の広告に、どどぉ〜んと、

New OTC switch Pain Releiver/Fever Reducer "ALIVE"

とか載ったことによって決着をみたのでありました。OTC Switchとか言われちゃうとそれだけで効くような気がしてしまう単純な私は、早速スーパーに(しつこい :-b)行って買ってみました。で、これが、バッチグ〜っすよ〜。成分は"Naproxen Sodium" 220mgだそうな。こりわ効くっす。

で、帰り際に大量(でもないっすが)密輸してきて現在に至る、ちゅうか。

あ、薬事法違反っすかね〜。ま、いいや、んなこたぁ。厚生省とFDAのどっちを信用するか、っつーことだらうか。


P.S.
この日記を書くにあたって"Ibuprofen"の綴りを忘れてたので、Alta Vistaあたりでてきとーにサーチしてみたら… 出るわ出るわ… 偉大だなぁ。信じがたいよな。絶対に何かが変わってしまった今日この頃。しかし、日記書くのに文献調査する奴、ちゅうか > 自分。:-)

P.P.S.
地震で自宅停電。会社は無事だったみたい。自宅はサブノートなので問題なし。バッテリー駆動は偉大っす。ビデオデッキやらファンヒーターやら何やらかんやらの時計がすべてリセットされて再設定する気もおきん。なぜにこれほどまでに時計が付いているのだ。人間よ、もうやめれ、こんなことわ、ちゅうか。

RNP Vol.19

あ〜、いかん。この時期は寝不足に陥ってはいけないのだった。忘れてた。花粉爆発。午前中は使いものにならん。しかし、午後になったからといって使いものになるとわ限らんとか言ってるうちに夕方。

という訳で、今日は隊長の壮行会を兼ねたRNP Vol.19なので、お出掛け。

なんか懐かしい面子が一杯いて、今は一体何年だぁ、ちゅうか。あいかわらずパワー全開っす。しかし何だなぁ、もう5年もこんなことやってんのか。:-)

RNPも実質的には1年ぶりで、こんなこっちゃいかんっすね。もっと宴会を強化せんといかんっす。

宴会内容は例によって爆発なのでレポートなし。宴会は宴会っすぅ。

画伯の「使わなくってもいいページは書けるんだよね」とか、編集王の「第一期の終わり」とかのセリフは今後の日記のネタになるぞん、φ(..)メモメモ (すっげぇ,やだ (C)毛利太郎)、とか。

帰りは再び、えびちゃとひらりんを乗せて246爆走。前回釘を刺しといたにもかかわらず、今日はPCMCIA driverのアップデートに挑戦するぞ、とわ何事か、ちゅうか。 AC電源全開で、人の車の中でkernel reconfigするのわやめれ、ちゅうか。:-) 次回課題は車内LAN,ということで、以上。

シモの世話

週末(特に土曜日)は花粉症がひどかった。しむかとおもった。でも会社に行くと非常に楽になるんだな。なぜかというと、私がいる建物は元々半導体プロセスの実験をするために作られたビルで、建物自体の気密性とか空調の仕様が結構バッチグーらしく、多分、花粉が建物の中まで入ってこないからだろうと思われる。実際この建物内にはクリーンルームとかがあるみたいうだし(しかし、何の因果で計算機屋がこげなとこに… しくしく ;o;)。で、そのクリーンルームの中の中にはヒ素とかトリクレンとかが充満してるのだな、きっと。


という訳で(お約束の展開 :-)、昨日ビデオに録っておいたNHKスペシャルを今日観た。

ま、観たからどうだっていうこともなく、結局いつもの通り、「怖いっすね〜。あの処理工場の人達は偉いですね〜。企業/研究機関/病院その他諸々許せませんね〜。でもそうやって生まれた科学文明の成果を享受しているからこそ、薬で花粉症を押さえられるし、こんなことして他人に日記を読んでもらうようなこともできるようになったんですね〜。私は一体どうしたらよいんでしょうね〜。分かりませんね〜」で思考停止してしまうので、しょうもない。

しかし、「自分で自分のシモの世話もできないような奴に生きる権利はない」とか言うとき、対象が大企業とかだと左翼社会正義派ドンピシャ的発言になるのに、対象を老人にしてしまうと言語道断弱者切捨ハンターイ的発言になってしまうのは、なぜなのだろう。

そりゃ、大企業と老人は違うよね。でも、大企業側に立つ/弱者側に立つ、と、他人のシモの世話もすべきだと思う/思わない、は、本来独立した思想座標であると思うのだけど、なぜに世間一般ではそれらが一つの座標に投射されてしまうのだろう。独立な座標じゃないのかなぁ。違うのかなぁ。

自分で自分を考え直してみると、自分の立つ座標上の位置は、後者は「自分のケツは自分で拭け」であることは明らかだけど、前者についてははあまり考えがない。どっちの側に立とうとも思わない、別に弱者の側を気取ろうとも思わない、かな。(大企業に庇護されてて何を言うか、ってか。ごもっとも -_-;)

大学/研究機関/企業/国の庇護(と勿論その内部での自助努力)によって成立していた近世的インターネットは、明らかに「自分のケツは自分で拭く」ものだった。しかし、一般消費者(=「弱者」と定義されるのが好きなようだ、日本人は)相手に商行為を行なうサービスプロバイダが登場した現在、「金取っときながら自分でケツ拭けとは一体何事だ!」という一般消費者の言葉は、団結ガンバロー的文脈に立てば正当なセリフになるのかもしれない。

<脱線>しかし、こないだの番組(もはやデフォールトのリファレンス先はここ :-)で、高橋徹さん@東京インターネットが、「企業は金持ってんだから企業にどんどん使わせてコストを下げる。で、個人がその低コストを享受すればよい」とか言い切ってましたね。みんなそう思ってるのは事実だけど、社長があんなこと言っちゃっていいんですかぁ? いいのか。でも、偉いなぁ、徹さん。(注:この項、皮肉とかじゃなくて褒めてるんですよぉ :-)</脱線>

で、個人的結論は何かというと、シュプレヒコォール的文脈は嫌いだし、それ以上に近世的インターネットに対するノスタルジー(例えば日本における「JUNET幻想」)ひたりひたり状態は大っ嫌いだけど、座標を2つに分けちゃえば、それらとは関係なく、現代においても「自分のケツは自分で拭けよな」と言える訳で、よかったよかった、という。なんじゃそりゃ。


P.S. gonzapさんのこのネタは色々言いたいことあるんだけど、今は言わずに、今月12日発売のbit 4月号が出た後に一発ブチかますことにするっす。

P.P.S. 過去の日記から推察するに、私ゃ、大垣さんと間宮さんと同窓です。で、たぶん、お二人の方が1コ上です。とりあえず、本館は2食のチキンガーリックを喰いながら10年前に卒論書き、とか言っとけば通じるでしょう。:-) > 大垣さん

桃栗3年ウェブ8年

3月3日、桃の節句ですな。

思い起こせば3年前の3月3日にinfotalkはスタートしたのでありました。3年かぁ。激動の3年間であったよなぁ。まさかこんなことになるとわ(最近お定まりの文句 :-b)。

で、WWWはといえば、こいつぁ1989年3月に始まった訳で、いよいよ8年目に突入ですね。WWWは一体何年で実を結んだ or 結ぶのだろう?

この3年間 or 8年間で何が変わったのか? ま、何も変わっとらんと言えば何も変わっとらんけど、でも、きっと色々な人の意識のどこかで何かが変わっているのは確かだな。うまく言えないけど、今まで遠くにあって見てることしかできないと思っていたものが、実は手を延ばせば自分の掌に収めることができるものだったということが分かってしまったということ。なあんだ、そうだったのか、みたいな。

この「なあんだ」感が人々に行き渡ってしまえば明らかに世界は変わってしまうのだろうけど、ではそれを、「偉い人が僕たちの腕を伸ばしてくれたんだよ。ありがたいねぇ」って受けとめるのか、それとも、「今まで僕たちそれに手が届くなんて思ってもみなかったんだよ。だから手を延ばそうともしなかったんだ」って思うのかによって、その世界の変わり方は全然違うのだろうな。

ま、他人の意識には口出しできないのだから、んなことは考えててもしょうがない。

さて、これから3年、どうやって遊ぼうか。楽しみだな、っと。

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