今日の成果は、何といっても5枚差しである。
しかしこうなると、誰が読んでるか分からんという状況は辛いなぁ。バレたらやっぱマズイだろうしなぁ。
つー訳で多くは語れないっすが、Extreme/Galileo/Cosmoでシヤワセな、わ・た・し・、っつーことで。(^o^)v
とぎれとぎれの日記帳…
1995/10/16 (月)
今日の成果は、何といっても5枚差しである。
しかしこうなると、誰が読んでるか分からんという状況は辛いなぁ。バレたらやっぱマズイだろうしなぁ。
つー訳で多くは語れないっすが、Extreme/Galileo/Cosmoでシヤワセな、わ・た・し・、っつーことで。(^o^)v
1995/10/15 (日)
今日は鈴木さんの二次会で夕方から青山。会場は"The House of 1999". 普通の立食形式のぱーちーにしては、結構、料理が美味しかったなぁ。"House of 1999"って、単なるバブリーなだけのソレ系の店だと勝手に思ってたけど、実は美味しい店だったんだろーか。こんど、ちゃんと飯喰いに行ってみよう。
あ、鈴木さん、おめでとーございまーす。
んで、公共交通機関不適応症の私は、今日も今日とて集中工事中の東名を往き来する。
んでさ〜、集中工事するならするでいいんだけど(良くないけど :-)、なんで工事も何もしてないとこも、ああも延々と車線規制してるんだ。別にこれからすぐ工事しそうな訳でもなし、養生が必要そうなとこでもなし。
どうみても無意味っぽいけど、いちおうその意味を説明しているだろう看板曰く、「安全のための連続規制実施中」。
「安全」って何がどう「安全」なんだろか。車を走らせてる奴等の安全のためなのか、工事関係者の安全のためなのか。
邪推するに、「ま、ここを規制する必要はないんだけど、頻繁に車線を増やしたり減らしたりすっと事故が起こったりして危険だから、ずぅ〜っと規制してんだかんね。一応おまえらの安全を考えてやってんだかんね。文句言うなよ」的なお上の言い分が透けて見える。一般道で一番右の車線が右折レーンになる前に一旦ゼブラゾーンで絞るのと同じ発想だな、きっと。
でも別に俺等は子供じゃないんだし、いちいちそんな心配して貰わなくてもいいんだよ〜ん。もし危険な道路の設定のせいで事故ったって、どのみち責任とる気なんかないくせに。:-b
子供扱いされる人間は子供のままなのさ〜。
神戸の会議は、会場的な最大収容人数は360人です。でも29日じゃなくて28日です。:-) > 竹中さん
正直なとこ、見込みは、よー分からんのだよなー。全然集まんないよーな気もするし、「WWWバブル」で爆発しちゃいそうな気もするし。でも、関係者のひとりとしては沢山集まって欲しいです、ほんとに。みなさん、来てくださいね〜。
1995/10/14 (土)
おお、よしおかさんのシリコンバレー日記なんてのがある。よしおかさん、ごぶさたしてます。
思い起こせば、よしおかさんと昌寿司の旦那と3人で、サンフランシスコの空港のしょぼいカフェで話しこんでたのは、いつの日だったのだろ〜か。などと、またノスタル目になってしまう今日この頃。
んで、その、よしおかさんの10月11日の日記「オフラインミーティング」を、読んで思う。
日本が息苦しいかどうかはともかく、シリコンバレーも実はずるいっすよ、あれ。
なにせ、SUNもHPもSGIもNetscapeもWAISもEITもYahooもAdobeもAppleも何もかもみんな御近所さんで、だいたい車を20分も走らせれば(101も280もタダだしね〜 :-b)、どこにだって行けちゃうんだから。
で、なんだかんだ言って結局、繋がってたりすんだよな。
スタンフォードはスタンフォードで、場合によっては、シリコンバレーにおける「中立地帯」の役割を果たしてたりするし。
よく、日本は、談合だとか身内だとかグループ企業だとかコネだとか人情だとか島国根性だとか何だとかかんだとかで繋がっいて、それが閉鎖的だ障壁だunfairだとか言われるけど、おめ〜らだって実は身内でやってんじゃねえか、とか言いたくもなる。ズルイぞ、おめ〜ら、とか。ま、繋がり方の質が違うのは確かなんだけど。
日本から技術も分からんお偉いさんがアテンド付きでのこのこと出掛けて行って名刺置いてくのと、そういう繋がりと、どっちが強いかというと、これは明白である。
日本でも、そ〜ゆ〜繋がりを作んないとね。
P.S.
あんときも話してた、「みんなで集まろう」ってやつは、ちょっと大きな話になってしまいましたが、こういう形で実現することになりました。ぜひ、よしおかさんにも来てもらえると嬉しいですが、出張入れらんないですか? :-) > よしおかさん。話はでかくなっちゃったけど、個人的には、BOFとかが繋がり作りの発端になればイイな、と思う今日この頃です。
P.P.S.
う〜む。やっぱ武藤が強いのか、高田が弱いのか、高田の今までの相手が実は弱かったのか… う〜ん…
1995/10/13 (金)
ここ2週間くらいは、WISS ‘95へのカメラレディと国際会議への投稿論文書きで死んでいたけど、ようやく一息。つっても、自分は結構何もしてないんだけど。郵便局への駆け込みも鷲坂さんに行かせてしまったし(すみません _o_)。やっぱチームか。って、違うか。
今夜は今夜で、ちょっと新宿まで往復。おかげで"SimTV3"も"インターネット・エキスプレス"も見れんかった。帰ってきたら"TVインターネット"は、まだやってたけど。しかし1日にこの筋の番組3本かぁ。時代は変わった。「なにかがひとつ動いた」ってか。:-b
それはそうとして、集中工事な東名は最低状態。ほんとにあんな工事する必要あんのか〜。路面なんかボコベコでいいから、タダにせんかい。タダに。
でも日本人は、結局何だかんだいってもクオリティを求められずにはいられない性格なのかなぁ。PHSや鼈甲飴は、ある意味では「クオリティよりコストを優先」(失礼!)という選択肢をユーザに提供するものだと思うけれど、そういった選択肢そのものが認められずに結局クオリティが要求されちゃうようだと、将来はやっぱり暗いかもしれない。
日本人は、といえば、藤井さんの「日記リンクス(地域別)」では、この日記、"業界:[NTT]"に分類されてしまっているなぁ。会社や学校を離れた個人の人格、というほど大袈裟なもんじゃないけど、そういった立場が認知されにくい状況というのも、ちょっと暗いかもしれない。
あ、また、神戸・淡路で地震ですね。大丈夫でしょうか? 11月には神戸に行きます。他人事的発言で顰蹙かもしれませんが、元気になっていく/元気になった神戸を、ぜひこの目で見たいと思います。
1995/10/08 (日)
ずぅ〜っと御無沙汰だった日記っすが、某所で、「もう厭きた」「つまんね〜」とかブーたれたら何かすっきりしてしまったんで、とりあえずまたかいてみる、つーか。マスターベーションに付き合わせてしまって申し訳ないっす、某所のみなさま(_o_)。
で、日記がどうこうというのではなくても、全般的になんかもう、つまんね〜よな〜、とか思ってたら、ちょうどNetNewsでこんなん出てたんで、「う〜ん」とか考えしまった。
From: tab6433@mbox.kyoto-inet.or.jp (田淵 篤) Newsgroups: fj.soc.misc,fj.net.infosystems.www.pages Subject: APEC related WWW pages Message-ID: <tab6433-0610951003580001@mbox.kyoto-inet.or.jp> … 来月大阪で開かれるAPEC国際会議に向けて、諸々のWWWページが立ち上げられてい ます。 … しかし、これらどちらかというと「官」側の立ち上げたページには、肝心の参加国 (18ヶ国)に関する十分な情報や、各国のAPEC研究機関のリソースがほとんどリンク されていません(こんなんでWWW上のデータと言えるか!)。 …
「こんなんでWWWと言えるか」っていう言葉には妙に実感こもっちゃう今日この頃。
といっても、「どちらかというと官」のページはダセエぜ! コイツらなにも分かっちゃいねえぜ! とか息巻く気はなくて、実は自分も何も分かってなかったんだという情けなさを強く感じた、というのが正直なところ。「つまんね」かったのは、自分が分かってなかったから、勘違いしてたから、なんだな。やっと観念できたよーな気がする。Netscape Navigator 2.0のbetaも出たしな。
WWWや Gopherの本当の可能性は, 検索ではなく情報発信にある.
なんつー言葉が虚に響く。本当の可能性は、情報発信なんてとこには全然なかったんだ。<B></B>のタグが妙に恥ずかしいぜ、つーか。:-)
1995/09/19 (火)
実際には「《個人的に》言いたいこと」なんて特にある訳ではないのかもしれない。でも、「個人的にものが言える場がある」という安心感とか徳俵感みたいなものがなければ生きていけないことも事実だと思う。それを確認するために、わざわざ日記なんぞを書き続けてるのかもしれない。
というのがSTUDIO VOICEの金子さんへの記事への返書だったりする、たかだです。
と、そんな日記が、「日記者」という括り方が生まれるほどのものになるとは想像もせなんだ今日この頃。私は密なコミュニケーションはそもそもキライなんですが… :-)
とか思っていたら、"The Second Summer of Web"の感想的な文脈で、こんな文章を見つけた。
前に進もうとする意思と技術力の勝利というか。やっぱチームだよな、チーム。
(from "tnk’s rank misc" [09/18/95])
と、あと、これ。
ところでですね、私は中学ぐらいからの人生方針を転換しようと思います。素直に友達や知人が多いことは素晴らしいことだと認めます。話をしてくれる友達がいるというのはたぶん良いことだ。80年代はもう過ぎたのだ。「俺、友達いないしー」とか言うのを(なるべく)やめよう。体に染み着いてるので、たぶん無理だとは思うが。
(from 「遠山の日記」[09/16/95])
そうかー、やっぱチームかぁ。やっぱ友達っすか。
私も、自分一人でできることには限界がある、という当たり前のことを、ちゃんと認めようかと思います。同じく体に染み着いてるので、それを認めた後、気持ちの上での居場所を見つけるまではフラフラするかもしれないけど。
という訳で、風邪ぎみなのでちょっと弱気かもしれない、今日の日記であった。:-)
1995/09/13 (水)
そういえば、岡さんに見せてもらったんだけど、N+I Daily Newsの20日号に、私、しっかり載ってますねぇ。しかしあの記事はどうやって書いたんだろう。まさか話を最初から最後まで全部聴いていてくださった訳ではないだろうから、ワークショップノートを読んで「見てきたような話」を書くんでしょうか。さすがプロの技。でも、ジョン・マーコフは記事を書いた人であってWWWの提案者の1人ではありませんし、あの言葉はTimの言葉ですので、あしからず。:-)
なんてことを書いてしまいましたが、その後、磯貝さん (あ、これも日記だ :-)からメールを貰い、記事を書いた編集部員の方は最初から最後まで私のセッションを聞いていてくださったとの事実が判明しました。う〜、私の単なる憶測であんなことを書いてしまい、誠に申し訳ないっす(_o_)(_o_)(_o_)。
「あの言葉がTimの言葉」云々の件も、よく考えてみれば、なにせその場で口から喋っていることなので、「日記の今日、否、今日の日記」的な言い間違えをする可能性は充分あります。おめ〜は言い間違えなかったのかと問い詰められれば、自信はまったくありません。これまた上の書き方がイヤラシらしかったことを深く陳謝。ごめんなさいです(_o_)。
しかしこういったやりとりができるのも、両者(この場合「N+I Daily News」と「私」)の持っているWWWというメディアの適当な「軽さ」の由縁でしょうか。これが、「朝日新聞」対「私」だったからこんなことは可能なのだろうか?
などという評論で締めてしまうというズルは止めにして、もう一度、
すみませんでした。(_o_)
1995/09/06 (水)
日記も本当にご無沙汰だったなぁ。という訳で一週間以上ぶりの日記です。
ご無沙汰だった間に何があったんだっけか? 覚えてねーや。とりあえず今日は、またオウムとフランス核実験ですか。しかし、なぜこんなに中国とフランスで扱いの大きさが違うんだ>朝日新聞他。あ、聞くだけ野暮ってか。:-b
私がネグポン∞モードだった間に、"THE SECOND SUMMER OF WEB"が急激に具体化してしまったっすね。
第一回トラバ食品のミーティングの時につくづく思ったんだけど、やっぱ、ヤル人は実際に会って話しても何をやってもパワーがあってヤルな、って感じ。(意味不明 :-)
このイベントそのものには、ほとんど私は何も貢献してないんけど、いちおー"Second Summer of Web"っていうフレーズだけは持ってってもらえた(って誰でも思いつくフレーズだけど)ようなので、この機会にこのページにも後で手を入れとこっと。
てな訳で、ほんとーにこんなイベントを実現させてしまう、すんばらしい人達に感謝と尊敬の念を抱きつつ、俺だって(方向性は全然違うけど)11月の奴は絶対に成功させたいぜと強く心に誓う! or Die!!
つーか。:-)
1995/08/28 (月)
榊原くんは無事にLouisianaに着いたんだろうかねぇ。デンマークのどこぞで、
「すいません、Louisianaにはどうやって行けば…」
「ここはDenmarkだよ、兄ちゃん。Louisianaならアメリカに行きな」
などという会話が交わされていないことを切に祈るっす。:-)
で、榊原くんの日記の「終戦50年 [Aug 15 1995]」を読んで以来ずっと引っ掛かってたことを、ちょっと書いてみる。
絶対的な責任の追及の甘さ.
これは戦争についてよく問われる日本の甘えの構造.
地震についても何が天災で何が人災であったかの追及は殆んどされていない.
…日本の政府の対応とそれについての国民の反応を見ている限り,責任の追及を
今更乍らにやろうと云う気持ちはここにはないらしい.
「絶対的な責任の追及」って、本当に日本人はしないですね。なんでこんなに出来ないんだろ? 昔から駄目だったのかなぁ。それともよくありがちな、高々最近50年か100年の現象なんだろうか?
戦争…
今回オウム真理教がやったと巷で言われていることが50年前までに日本がやっていたことの貧小なコピーだとすれば、それに対して司法・行政・立法・マスコミ&日本人ほぼ全員が今やっていることは、まさしく50年前の精神構造の忠実なるレプリカント。「一億総火の玉となりて、いざ、鬼畜オウムを殲滅せん!」ちゅうか。
もし仮に今回のオウム真理教関連の騒ぎが本当に「権力のデッチあげ」だとしても、なぜそんなことになってしまったかの絶対的な責任の追及は、何もなされないだろうし、誰もする気もないだろう。
そんな「もし仮に」が到底考えもつかないなら、例えば、更にその精神構造の卑小なコピーである「松本サリン事件河野さん犯人扱い騒ぎ」の絶対的な責任の追及でもやってみたらどうだろう。(河野さんにとってみれば、「どうだろう」なんていうのは失礼な物言いだけど。)
でも、今のとこ、やられてないし、今後も、やられないだろうなぁ。
10年前まで三公社五現業のひとつだった某民間企業にも「失敗」は(どこの組織にもあるように)あるけど、誰の責任かが徹底的に追及された話なんて聞かないものなぁ。
あぁ、ここにも凡小なるコピーが…