今日は映画観てきました。「南京の基督」。

オープニングのスタッフ・ロール(?)見て、「あー、ISO-2022-* (注:これは"ISO/IEC 2022:1994"とわ無関係である :-b)原理主義者の人々は、これを一体どうやって表示・表現せよと言うのだろうか」などと考えてしまうのは完全に病気っすね。もう駄目だと言えよう。しくしく。(ま、結局はどうでもいーんだ。そんなこと。問題ですらない。要はその先。その先、何をするかだ。ということを再認識できたので、よしとしよう。)

しかし、富田靖子さんの裸体にはドキドキしてしまいました。美しいなぁ。美しい。

とだけ書いて映画の内容に触れないと、それだけ観てきたように思われてしまわないでもないだろーけど、でも…、まぁいいや。:-)

帰ってきてテレビつけたら、岩盤爆破は更に失敗していて、司馬遼太郎さんは亡くなられていました。前者は空しく、後者は寂しい。

日本の判断力/決断力/技術力って、やっぱそんなものなのですね。ひたすら底が割れ続ける今日この頃、っつーか。あ、そんなこと言ってる場合じゃないですね。不謹慎な発言ですみません。

そうかぁ、もう新作は読めないのか。そういう意味では悲しいですね(不謹慎の2乗)。でも、どうせそのうち全集物の刊行が始まる(昔っからあることはあるか)のでしょうから、それを徹底的に読んでいくことはできるのですね。それは多分楽しみなことになるのでしょう。って、これじゃ、♪At the record company meeting. On their hands a dead star …♪ と言ってることが一緒ですね。不謹慎の3乗。

他人事と他人事ではないこととの境に何を見い出せばいいんだろう。