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1995年05月07日からの日記

本当の可能性

ずぅ〜っと御無沙汰だった日記っすが、某所で、「もう厭きた」「つまんね〜」とかブーたれたら何かすっきりしてしまったんで、とりあえずまたかいてみる、つーか。マスターベーションに付き合わせてしまって申し訳ないっす、某所のみなさま(_o_)。

で、日記がどうこうというのではなくても、全般的になんかもう、つまんね〜よな〜、とか思ってたら、ちょうどNetNewsでこんなん出てたんで、「う〜ん」とか考えしまった。


From: tab6433@mbox.kyoto-inet.or.jp (田淵 篤)
Newsgroups: fj.soc.misc,fj.net.infosystems.www.pages
Subject: APEC related WWW pages
Message-ID: <tab6433-0610951003580001@mbox.kyoto-inet.or.jp>
…
来月大阪で開かれるAPEC国際会議に向けて、諸々のWWWページが立ち上げられてい
ます。
…
しかし、これらどちらかというと「官」側の立ち上げたページには、肝心の参加国
(18ヶ国)に関する十分な情報や、各国のAPEC研究機関のリソースがほとんどリンク
されていません(こんなんでWWW上のデータと言えるか!)。
…

「こんなんでWWWと言えるか」っていう言葉には妙に実感こもっちゃう今日この頃。

といっても、「どちらかというと官」のページはダセエぜ! コイツらなにも分かっちゃいねえぜ! とか息巻く気はなくて、実は自分も何も分かってなかったんだという情けなさを強く感じた、というのが正直なところ。「つまんね」かったのは、自分が分かってなかったから、勘違いしてたから、なんだな。やっと観念できたよーな気がする。Netscape Navigator 2.0のbetaも出たしな。

むか〜しむか〜し書いた

WWWや Gopherの本当の可能性は, 検索ではなく情報発信にある.

なんつー言葉が虚に響く。本当の可能性は、情報発信なんてとこには全然なかったんだ。<B></B>のタグが妙に恥ずかしいぜ、つーか。:-)

居場所

実際には「《個人的に》言いたいこと」なんて特にある訳ではないのかもしれない。でも、「個人的にものが言える場がある」という安心感とか徳俵感みたいなものがなければ生きていけないことも事実だと思う。それを確認するために、わざわざ日記なんぞを書き続けてるのかもしれない。

というのがSTUDIO VOICEの金子さんへの記事への返書だったりする、たかだです。

と、そんな日記が、「日記者」という括り方が生まれるほどのものになるとは想像もせなんだ今日この頃。私は密なコミュニケーションはそもそもキライなんですが… :-)

とか思っていたら、"The Second Summer of Web"の感想的な文脈で、こんな文章を見つけた。

前に進もうとする意思と技術力の勝利というか。やっぱチームだよな、チーム。
(from "tnk’s rank misc" [09/18/95])

と、あと、これ。

ところでですね、私は中学ぐらいからの人生方針を転換しようと思います。素直に友達や知人が多いことは素晴らしいことだと認めます。話をしてくれる友達がいるというのはたぶん良いことだ。80年代はもう過ぎたのだ。「俺、友達いないしー」とか言うのを(なるべく)やめよう。体に染み着いてるので、たぶん無理だとは思うが。
(from 「遠山の日記」[09/16/95])

そうかー、やっぱチームかぁ。やっぱ友達っすか。

私も、自分一人でできることには限界がある、という当たり前のことを、ちゃんと認めようかと思います。同じく体に染み着いてるので、それを認めた後、気持ちの上での居場所を見つけるまではフラフラするかもしれないけど。

という訳で、風邪ぎみなのでちょっと弱気かもしれない、今日の日記であった。:-)

The Second Summer of Web

とりあえず、現時点ではここを見よ! っちゅうか。

すみません

7月27日付の日記で、

そういえば、岡さんに見せてもらったんだけど、N+I Daily Newsの20日号に、私、しっかり載ってますねぇ。しかしあの記事はどうやって書いたんだろう。まさか話を最初から最後まで全部聴いていてくださった訳ではないだろうから、ワークショップノートを読んで「見てきたような話」を書くんでしょうか。さすがプロの技。でも、ジョン・マーコフは記事を書いた人であってWWWの提案者の1人ではありませんし、あの言葉はTimの言葉ですので、あしからず。:-)

なんてことを書いてしまいましたが、その後、磯貝さん (あ、これも日記だ :-)からメールを貰い、記事を書いた編集部員の方は最初から最後まで私のセッションを聞いていてくださったとの事実が判明しました。う〜、私の単なる憶測であんなことを書いてしまい、誠に申し訳ないっす(_o_)(_o_)(_o_)。

「あの言葉がTimの言葉」云々の件も、よく考えてみれば、なにせその場で口から喋っていることなので、「日記の今日、否、今日の日記」的な言い間違えをする可能性は充分あります。おめ〜は言い間違えなかったのかと問い詰められれば、自信はまったくありません。これまた上の書き方がイヤラシらしかったことを深く陳謝。ごめんなさいです(_o_)。

しかしこういったやりとりができるのも、両者(この場合「N+I Daily News」と「私」)の持っているWWWというメディアの適当な「軽さ」の由縁でしょうか。これが、「朝日新聞」対「私」だったからこんなことは可能なのだろうか?

などという評論で締めてしまうというズルは止めにして、もう一度、

すみませんでした。(_o_)

久しぶり

日記も本当にご無沙汰だったなぁ。という訳で一週間以上ぶりの日記です。

ご無沙汰だった間に何があったんだっけか? 覚えてねーや。とりあえず今日は、またオウムとフランス核実験ですか。しかし、なぜこんなに中国とフランスで扱いの大きさが違うんだ>朝日新聞他。あ、聞くだけ野暮ってか。:-b

私がネグポン∞モードだった間に、"THE SECOND SUMMER OF WEB"が急激に具体化してしまったっすね。

第一回トラバ食品のミーティングの時につくづく思ったんだけど、やっぱ、ヤル人は実際に会って話しても何をやってもパワーがあってヤルな、って感じ。(意味不明 :-)

このイベントそのものには、ほとんど私は何も貢献してないんけど、いちおー"Second Summer of Web"っていうフレーズだけは持ってってもらえた(って誰でも思いつくフレーズだけど)ようなので、この機会にこのページにも後で手を入れとこっと。

てな訳で、ほんとーにこんなイベントを実現させてしまう、すんばらしい人達に感謝と尊敬の念を抱きつつ、俺だって(方向性は全然違うけど)11月の奴は絶対に成功させたいぜと強く心に誓う! or Die!!

つーか。:-)

絶対的な責任の追及

榊原くん無事にLouisianaに着いたんだろうかねぇ。デンマークのどこぞで、

「すいません、Louisianaにはどうやって行けば…」
「ここはDenmarkだよ、兄ちゃん。Louisianaならアメリカに行きな」

などという会話が交わされていないことを切に祈るっす。:-)

で、榊原くんの日記の「終戦50年 [Aug 15 1995]」を読んで以来ずっと引っ掛かってたことを、ちょっと書いてみる。


絶対的な責任の追及の甘さ.

これは戦争についてよく問われる日本の甘えの構造.
地震についても何が天災で何が人災であったかの追及は殆んどされていない.

日本の政府の対応とそれについての国民の反応を見ている限り,責任の追及を
今更乍らにやろうと云う気持ちはここにはないらしい.


「絶対的な責任の追及」って、本当に日本人はしないですね。なんでこんなに出来ないんだろ? 昔から駄目だったのかなぁ。それともよくありがちな、高々最近50年か100年の現象なんだろうか?

戦争…

今回オウム真理教がやったと巷で言われていることが50年前までに日本がやっていたことの貧小なコピーだとすれば、それに対して司法・行政・立法・マスコミ&日本人ほぼ全員が今やっていることは、まさしく50年前の精神構造の忠実なるレプリカント。「一億総火の玉となりて、いざ、鬼畜オウムを殲滅せん!」ちゅうか。

もし仮に今回のオウム真理教関連の騒ぎが本当に「権力のデッチあげ」だとしても、なぜそんなことになってしまったかの絶対的な責任の追及は、何もなされないだろうし、誰もする気もないだろう。

そんな「もし仮に」が到底考えもつかないなら、例えば、更にその精神構造の卑小なコピーである「松本サリン事件河野さん犯人扱い騒ぎ」の絶対的な責任の追及でもやってみたらどうだろう。(河野さんにとってみれば、「どうだろう」なんていうのは失礼な物言いだけど。)

でも、今のとこ、やられてないし、今後も、やられないだろうなぁ。

10年前まで三公社五現業のひとつだった某民間企業にも「失敗」は(どこの組織にもあるように)あるけど、誰の責任かが徹底的に追及された話なんて聞かないものなぁ。

あぁ、ここにも凡小なるコピーが…

淘汰

ピクスピ寺本さん『WWW日記について考えてみた』を読んだ。

寺本さんの言わんとすること自体は良く分かるけど、唯一、「淘汰」という言葉に対してどうしても引っ掛かりを覚えてしょうがないので、寺本さんの真意を(たぶん)敢えて曲解して、「淘汰」という言葉に喰って掛かってみたいと思うっす。

『WWW日記について考えてみた』より、

ハイパー日記界にももうすぐ淘汰始まる雰囲気をやたら感じるので要注意つー内容だ。

こだわりを持って好きだ!と言えるものがある人なら、そんな簡単に「淘汰」などという言葉を使いたくはないんじゃないかと私は思う。何でもいい。本でも雑誌でもレコードでもテレビ番組でもポテトチップスでも。自分が好きだったものが「淘汰」されてしまって手に入らなくなった時の悲しみ、それを知ってる人なら。この私が愛するものが「不要」だって、一体誰が決めたんだ! 出版社? 取次店? 書店? 俺は欲しいんだよ、勝手に無くすなよ〜、つーか。

その点、Webっつーのは、ものごとが「淘汰」される必然性のない、面白い流通形態だと思う。別にクソなページがあったって、誰も困らんけんね、ちゅうか。単に誰にも読まれず存在すればいいだけ。提供者以外の誰にコストが掛かる訳でもなし(実はこの点自信ない)。それが可能な媒体だと思う。

「誰にも読まれず存在云々」っていうのも本当はちょっと違って、数千万人(?)の参加者のうち、たった2〜3人が読んでくれればイイ、というものが存在できる媒体、と言った方が正しいだろう。

前に某広告代理店関係の人と話をしていて印象的だったのは、いわゆる広告業の人々は、15秒なら15秒のCMを15秒間分余すことなく全ての人に全てを伝えることに命をかけている、らしい。

一方Webはといえば、私の考えでは、全ての人に全てのページを余すことなく読んで貰おうなんてことはそもそも考えちゃいけない。例えば100のページが用意してあって96番目のページはほとんど誰にも読まれないとしても、ある日ある時たったひとりの人がそのページを必要としたとき、「あぁ、あったぁ〜。よかったぁ〜」と言って貰うために100個のページをあらかじめ用意しておくことができる、そんなメディアだと思う。

と私が言ったら、相手の某広告代理店関係の人は「面白い考え方ですね〜」と言いつつも、なんか釈然としない様子だった。

この考え方は間違ってるんだろうか? 間違ってるんだったらそれまでだけど、もしちょっとでもそういうことを考えて良いんだったら、Web界に「淘汰」なんてことは絶対に起こって欲しくないし、そもそも起こす必要のない場だと思う。

と、無理に一単語に喰って掛かるのはここまでにして… :-)

実際、寺本さんの言いたいことはそういうことではなく、「読む側が自分で選択することが重要になるよね」「厳選されたもののディレクトリが出てくるよね」「内容とは関係なく選択されちゃうこともあるからプレゼンテーションには気を付けようね」っていうことだろう。それは本当にそうなるだろうし、必要なことだろう。でも、そういった選択から漏れてしまったものも、ちゃあんと存在しつづけて欲しい。選択から漏れてしまったものの存在自体を否定するような風潮だけは絶対に出てこないで欲しい。というのが私の切実なる願いです。それを必要とするたった2〜3人のために。


あと、クリックしたらクソページが出てきたときに、「ばかやろぉ〜」と単純一方的にそのページの作者に対してのみ怒ってしまっていいのか、というのは、昔の日記にものちらっと書いた、「クリックする意思」というのに関係してくるんだけど、これはまた考え出すと何がなんだか分からなくなる大問題なので、またいつか書きます。


あ、そうだ、

『WWW日記について考えてみた』より、

日記の数が多くなったことで、ただ日記をつけてる時代から、見せ方とか整理の仕方が比較されちゃう時代になると思うんだよね。そういった外見の部分に気をつかうかどうかってことが、その人のWWWに対する姿勢、「読んで面白いかどうか」を知るキーポイントのひとつになる気がするぜ。

なんだけど。はい、私の日記の各ページには日記のインデックスに戻るリンクとか何にも用意されてません。ダサイですね、はい。すんません。

ちなみに私のページにそんなんが多いのは、むか〜し昔のそのまた昔、世の中にはproxy serverもdelegateもなく、<Back>ボタンと<Forward>ボタンで移動した時にしかキャッシュが効かないブラウザ(xmosaic-0.9とか :-)を使っていた、そんな時代のトラウマ以外のなにものでもないので、勘弁してちょ、つーか。

だってリンクを使って「元に戻」らせると、その度にサーバにアクセスしに行って、遅くてしょうがなかったんだもの。:-)

にっき

書きたいネタはそれなりにあるんだけど、若干疲れぎみ気力不充分なので、ちょっとは日記らしくしよう。

土曜日。昼は道志の森でBBQ.そのまま夜はMt. Fuji Jazz Fes.

Mt. Fuji Jazz Fes.は行くたびに思うけど、ほんとに箱庭的だなぁ。まぁ、箱庭でも庭はあった方がいいので、文句は言わない。

日曜日。昼まで曝睡。夕方は中華街。華正楼でご飯。ほうれん草の炒めて煮たのがうまかった。あ〜ゆ〜シンプルな奴が一番家では作りにくい。

帰りは東名使って帰ってきたけど、東名の上りは例によって綾瀬バス停を頭にべったり。あれ、ほんとに登坂という理由だけなんだろうか? そっから先はスイスイなだけに、やっぱり謎。謎は謎として、みなさんお疲れさまです。明日から皆さんもお仕事ですね。

明日は普通に会社行って、明後日は武蔵野。明後日には道空いてるといいな。

pink

今泉さん。なぜ突然"pink".なぜ今時…

しかし話が"pink"となると黙ってはおれません。俺にも何か言わせろ、ちゅうか。:-)


私はあまりマンガを読む人ではないけど、マンガというものの中で一番大切なものを出せと言われたら、間違いなくこの"pink"を差し出すだろう。別にマンガなんて枠を作らなくても、絶対に忘れてはならないものの中に必ず入る。それほどまでに"pink"は自分にとって大切なものだ。

このあまりに素晴らし過ぎる作品について説明することなんてとてもできないから、3年前に(3年かぁ…)とあるメーリングリストで"pink"の話が出たとき書いたメールの断片をそのまま引用してみる。

ふとしたことでどこかが壊れてしまった普通の人間が、その壊れてしまったことを決して悲観せずに、壊れたまま普通に明るく生きていくのが良いっす。自分自身が明るく生きていけさえすれば、人生何でもありっす。

#現実はそうはいかないけどね。

と、これも陳腐だね。

岡崎京子といえば、今はもう"リバーズ・エッジ"なのだろうか。作者本人もそう言ってるんだから、そうなんだろう。確かに"リバーズ・エッジ"はとてつもなく凄い作品であることは充分分かってる。でも私にとっては"pink"だけは別格の重みを持って存在している。自分にとってこれを越えるマンガにはもう出会えないかもしんない… とか。

"pink"と"リバーズ・エッジ"の違いって何なんだろう? ひょっとしたら1989年と1994年の違いだけなのかもしれない。だとしたら、単に自分が、少なくとも1994年よりは1989年の方が疾走しているつもりだった、だけなんだろうか?

"pink"と"リバーズ・エッジ"に共通している、何というかあのジリジリした感覚。あの感覚に憧れを感じてしまう自分は、もうただの年寄りだな。あのジリジリした感覚から何とか逃れようともがいていたことを「疾走」と呼んでしまうのは、やっぱり年寄りの証拠。そんなカッコイイもんじゃなかったはずだ。疾走感の喪失感、つーか。

しかし、いいなぁ、岡崎京子。何に入ってるか忘れたけど、ピンクの透明のゲロみたいな宇宙人が出てくる短編、あれもいいよな。あれ読むとちょっとだけ元気が出る。元気がなくなってどうしようもないときに"pink"を読むと、「こんなんに出会えるんだったらもうちょっと生きててもいいかな」とか思う。

— 「去年pinkが私に与えたものは海よりも深い」((C) 吉本ばなな)


夏休み

夜、ニュースを観た。なんか円安をさも良いことが起きたかのようにしか報じないマスコミっつーのも、こいつら本当に一般人の感覚と合ってるんだろうか? とか思う。

そのニュースを観てると、一般人は盆休み真っ只中だっつーのに、外為市場関係の皆さんは鬼のように働いてますな。お疲れさまです。やっぱ働く人は盆でも働いてるんですね。

しかしみんな、本当に一斉に休むよなぁ。なんか平気で休んでるよなぁ。「明日できることは今日やらない」史観に基づくと、「3日休めるんだったら1週間休めるだろうに」「1週間休めるんだったら1ヶ月休めるだろうに」とか思うけど、そうでわないんだべか。試しに1ヶ月休んでみればイイのに。

試しにといえば、やっぱ一度試しに、盆か正月の真っ盛りに都道府県境なり道州((C)大前研一)境なりを封鎖して、そこで人間を固定して欲しいよな。ついでに霞が関と永田町も封鎖して、あとは各自各地で勝手にせい、と。

というのは東京者なら誰でも思い描いたことのある夢。ああっ、でも今は神奈川者ぢゃないか、俺。ま、いいか。いいから一度試してみよう、一度。:-)