という訳で、WWWを手にしたことにより今や私はBBCにもなれるのであった(違うって :-)。あ、力武さん、ありがとうございます :-)。

しかしこれも一種のhackなのであろうか?

などとゆー強引な接続句とともに、「デジタルボーイ」(5月号)の特集『ハッカーの書誌学』を見て俺もやろっ、と思ったことを一発やってみるっす。寺本くん、私の日記なんぞを挙げてくれて、ありがとー。

とゆーわけで、勝手に寺本くんとデジボへの返書代わり、だ。 :-)


ハッカーの書誌学/SPLIT 4/「hack’em」

『免疫の意味論』

著=多田富雄,青土社,¥2,200 【BOOK】

自分自身が、なぜ、どのような仕組みで存在しているのか? 生命とは何か? ということを人間がハックしてきた経緯を生物学あるいは免疫学の観点から解説するこの本。この本の一貫したテーマとなっているのは、「自己」と「非自己」を区別するものは何か? という問題である。免疫学的には、「自己」と「非自己」とは互いに曖昧につながり、そして、「自己」とは行為の集合であり、その行為を規定しているものは内的および外的環境のみである、そうだ。いちおう一般向けに書かれてはいるのだろうが、それでもかなり難解なこの本、しかし、エイズ/エボラ/アレルギーなど、最近人間をじわじわを追い込んでいくものの正体について知りたければ読んでおいて損はないのかもしれない。ちなみに私は、イェルネが「現在」どのように受け取られているかを、この本を読んで初めて知った。が、私のような素人は、ネットワーク説の凄みに惹かれて止まないものがあるのも事実。

『精神と物質』

著=立花隆・利根川進,文藝春秋社,¥1,700 【BOOK】

この本はふたつのハックから構成されている。ひとつが(前書とも関連するが)利根川進が免疫と遺伝子の関連を実際的に解いていく経緯、そしてもうひとつが、立花隆のインタビュー行為である。前者。恐らくはこのインタビューでは略されているのだろうが、少なくともこの本に書かれている内容を読む限りは、彼が行なったことは「サイエンス」と呼ぶより、まさしく「ハック」と呼びたい行為である(もちろん尊敬をこめて)。そして後者。立花隆は、ノーベル賞を得た行為あるいは利根川進という人間の行為を、素人の立場から徹底的に切り刻み、その中身を調べ尽くそうとしている。これは他者が持つ「知」に対する明確かつ非常に強烈なハッキングである。どちらのハックも捨てがたい魅力のある書。

『ALTA VISTA』

http://altavista.digital.com/ 【WEB】

そして最後に『ALTA VISTA』(反則か、これは :-)。なにもハッキングは、著名ハッカー、ノーベル賞学者やジャーナリストだけの専売特許ではない。ハッキングなんて誰でもできる。今日も誰かが世界のどこかで、自分の興味も対象となるものを切り刻み続けているだろう。その対象が何であろうと、その行為はまさしく「ハック」である。そして今や、それら無数のハッキングの成果が共有され、ひとつの知の輪として繋がりつつある。ALTA VISTAは、この、人間が作りつつある壮大な「知」そのものをハックしようとする試みだろう。もちろんこの試みはまだ始まったばかりであり、決して完成はしていない。でも私は、これがヨチヨチ歩きであることを喜ぶ。なぜなら、前2書の領域は全く手が出ないが、ここなら自分が「何か」出来るだろうと自分自身を信じさせることが出来るから。


ハッキングというのは「非自己」に対する過剰な興味と好奇心のなせる技だ。そしてハッキングを極めることにより、その「非自己」を「自己」化したような幻想を抱く。しかし、やはりそれは幻想である。

あるいは「自己」をネットワークという「非自己」の大海に放り出してみる。そして放り出された大海で、網に絡まり、取り込まれ、「自己」と「非自己」の境界を見失い、途方にくれる。

大海で溺れた者は、また一人に、あるいは、一対一の関係に戻ろうとする。でも、もう戻れない。「自己」は「非自己」に規定され、「非自己」は「自己」の総体に規定される。それを見てしまった者は、自分自身の「自己」も、相手の「自己」も、実はそこには存在しないことを知るのだから。


無理ありすぎ。:-)