1996/08/25 (日)
杉山さんの日記(8/22)にも書いてあるけど、てな訳で、あちこち、「ホームページによる情報提供停止」だの「電子メールの送信停止」だの、エラいことになってますな。
ホームページの例でいうと、例えば、こことかこことかこことか(この選択に恣意がある訳ではありません)。
# あ、旬のモノなんで後からこの日記を読んでる人はクリックしても無駄っす。
その割には、日曜劇場も不思議発見もワーズワースもやってんじゃねーの?、とかゆーことは、他人が口出ししても大きなお世話なので割愛させて頂きますです。
んで、この状況を見て思ったこと3つ。
その1.
今や本当に、WWWや電子メールとゆーものはメジャーなものというか認知されたものになったんだなぁ、という感慨。どちらも、こーいった状況で何の戸惑いもなく明らかに明確に停止の対象となるんだなぁ。確かに企業の活動であることは当然なのだけれども、それが当然であるということが本当に今までは当然だったのだろうか? と思えども、でも今は、とーぜん、当然なんだな、とか。
その2.
やはり、個人としてネットワーク接続が必要な人は、個人としてネットワークに参加すべきなんだね。今回のこの出来事を機に、個人は個人として接続する人が増えるのかもしれない。実際、私も、最初にRIMNETにアカウント作って、なおかつそこでページ上げた時は、結構人から言われました。「また何で?」、「別に平気なのに」、とか。面倒くさいから笑って誤魔化してたけど、私は私なりの思想や見切りがあったのさ〜 :-b。でもそれが「何で?」ではない時代も、もうすぐそこかもしれない。古き良きいんたーねっとはまたひとつ遠くなりにけり、ですな。へへ(含意)。そー言ってる自分も、いーかげん、私的なML関連は移さんといかんのだけれどもぉ…
その3.
そして、やはりWWWはこのようなときに『止めることが可能な』メディアである(これとはニュアンス違うけど)、ということが実証されたこと。しかし、かといって他人のcacheの中身やローカルファイルにセーブされたデータを消すことができる訳でもない。URL自体の流通は止まりようもない。WWWとは、放送なのか配付なのか伝達なのか蓄積なのか。ほんとーによく分からん代物である。
と色々と考えさせられる今日この頃でございます。
誰も彼も、当然私も、他人事ではないのだよな、これが…
1996/08/24 (土)
『バベルの塔』などといっても、言語の話とかをする訳ではありません。
諸般の事情により現在私、ケーブルに悩まされている今日この頃でありますが、一体この状況は何なのでしょうか。
Dsub25ピン, Dsub9ピン, Dsub15ピン, ミニDIN8ピン, HD15ピン, 13W3, BNC, DIN5ピン, ミニDIN6ピン, ミニDIN4ピン, 40ピンコンパクト, 34ピンコンパクト, 50ピンコンパクト, アンフェノール50ピン, ハーフアンフェノール50ピン, ハーフピン50ピン, RJ-45, RJ-11, MMJ, Dsub50ピン, HDI30ピン, …
わしわもうイヤっす。
一体我々は何をしたというのでせう? 神は何をお怒りなのせうか? あそこにそそり立つフルタワーのケースがバベルの塔だとでもいいたいのでしょうか。
神よ、我々をお許しください。ちゅうか。
1996/08/20 (火)
しかし、今日のNEWS 23でやってた「フロンティア神代」の話の内容って、ちょっと前の『プレジデント』に載ってた記事(取材/文:鎌田慧)と内容が瓜二つだなぁ。さてこれは、
- 取材に応える神代社長が同じことしか言わないので同じ内容になった
- 実は"NEWS 23"のあのパートのブレーン(?)が鎌田慧氏である
- "NEWS 23"は『プレジデント』の記事をパクってきただけ
- 実は更に元ネタがあって"NEWS 23"も『プレジデント』も同じものをパクってきた
のどれでしょーか? と言っても私が答を知っている訳ではありません。
しかし、瓜二つ、といえば、最近、瓜なんて見掛けなくなりましたねぇ。瓜どころか、いわゆる昔の「プリンスメロン」も無くなっちゃったよなぁ。なんか最近のメロン系は怪しくてよく分からん。昔は、網が付いてるのは本当に高いメロンだけだったぞ〜、ちゅうか。
更にしかし、瓜、といえば、西経由で日本に伝来した「西瓜」と東(亜米利加)経由で日本に伝来した「東瓜」とが交配して日本風のスイカができた、っちゅう話は、何か出来すぎだなぁ。スイカ around the world,ちゅうか。
around the world,といえば、そーゆー意味で、西経由でものが来ないというか、西経由で来るものが重要視されなくなったのが、最近の敗因かもしれない、などとメタなことを言ってもほとんど無意味っすね。
う〜む、しかし、最近益々文章をまとめて書こうという気がなくなってきてるなぁ…
ということでまとまらずついでに書いてしまうと、今週から夏休みな筑紫さんといえば、多事争論の「クリック文化」ですね。
「本を読む」とは、どのような行為を指して言うのだろうか? 「活字を追う」ことだろうか。「ページをめくる」ことだろうか。「テキスト(文字列)を読む」ことだろうか。それとも、「内容を得る」ことだろうか。
「コンピューター」であろうが「テレビ」であろうが「本」であろうが、どれも所詮は、瓜二つでもあり、全く異なるものでもある。
などと、やっぱしメタなことを言っててはしょうがないな。
メタを捨てよ、コーディングしよう。
ちゅうか(大謎)。
1996/08/19 (月)
今日、Walnut CreekからFreeBSD 2.1.5Rが届きました。うしししし。
しか〜し、既に外側の包みは一旦開封されてあり、その後は"POST JAPAN"と〒印の顔したあの人(何ていうんだ? 絶対に名前付いてるはずだよな。郵便番号君ちゅうか)が印刷されたテープでとめてありました。んで、包みには、「横浜税関横浜外郵出張所」という印と、『開披』という印が、すぽこんと押されていました。
そぉか〜、「郵便」でも開封されるのかぁ。CD-ROMに関しては全部開けてチェックしてる、っつー噂は本当なのだろうか? 確かに今回は、税関用の緑のシールに真面目に"Computer Software on CDROM"って書いてあったからなぁ…
でも、包みを解いてみるとCD-ROMのケース自体のシュリンクパックはそのままだったから、CDの中身までは調べられていないんだな。ひょっとして「FreeBSDはOK」とかいう知識が税関に蓄積されているのだろーか。そいえば、その昔、「"X Window System"のCD-ROMはその名前が故に税関で中身を調べられる」、とかゆーまことしやかな噂もあったなぁ。
でもなぁ、いくら横浜税関横浜外郵出張所の人が頑張っても、ここで、これクリックすれば、って… やめなさい、そーゆーことわ>自分。:-)
ま、何わともあれ、わざわざの御開披、お疲れさまでございます>横浜税関横浜外郵出張所の皆様方、ちゅうか。:-b
しかし、それより何よりそんなことより、重要なのは、FreeBSDが存在すること自体に感謝すること、もっと正確に言うと、FreeBSDに限らず、現在これらのものが存在するに至る過程の全ての文化・環境・人に祝福あれ、ってことだろうか。
そろそろcontribしないと… (自戒)
1996/08/16 (金)
気力が欠けているので小ネタで攻めます(part 2)。
最近、「ホームページ」というのは何を指す言葉なのか、っつーflameがそこここ見受けられます(昨日今日も、とあるMLであった)。どーゆーflameかっちゅうと、わざわざ説明すんのもアホくさいので、古瀬さんの「私家版インターネット用語解説」の『ハ・マ・ヤ』んとこから引用するです。
- ホームページ
- home page
- WWWで提供される情報画面のこと。最初の1画面だけをホームページというのだという説と、HTMLで表現されたすべての画面がホームページなのである、という説とがある。ハイパーリンクによってページのさまざまな箇所同士が結ばれるというWWWの特長から、私は後者の説を支持する。
んじゃ、私の定義は何か、っつーと…
- ホームページ
- 自ら(勝手に)『ホームページ』と名乗っている画面のこと。
かな。その理由は、
「ここがそうだったから」
です。
ちゅうか。:-b
1996/08/15 (木)
気力が欠けているので小ネタで攻めます。
PC WAVE 9月号、35頁より引用。
(…略…) IntelがMSに引き続いて「インターネット戦略」を発表し、提携を明らかにしたことで、インターネットの覇権争いに早くも勝負がついてしまうのだろうか?
(すんまへん、ここだけ抜き出すのは邪悪かもしんない。)
『インターネットの覇権争い』、『IntelとMicrosoft』、とか言われてしまうと異常な違和感を感じてしまう私ってば、やっぱ、年寄り? ちゅうか。
ま、記事全体を通して読めば言っていることは全然おかしくはなくて、単に、「インターネット」という言葉の指すものが違うだけなんだろーけど。
あ、でも、やっぱし、何せMSなWindows 95は
コントロールパネル→ネットワーク→追加→プロトコル→追加→Microsoft→TCP/IP
だからなぁ…、えぇ…、ひょっとしてぇ… :-b
1996/08/11 (日)
いやいや、ずいぶんと途切れましたね、よしよし、ちゅうか。
何事もなく平和な日々です。
木曜日は焼肉食いに行きました。店はがら空き。でもユッケもメニューにあったよん。
金曜日はDHUのディスクが1.35Gに増えました。ぐひひひひ。あとは2.1.5R
土曜日は中華食いに行きました。牛肉メニューは全て提供停止中。中華で牛肉生食はせんだろーに。
日曜日は「秀吉」がありました。しかし、考えてみりゃ、なんであんな人の殺しあい物語を一家団欒ほのぼのと観てるんでしょーかね。殺人者に個々思い入れを持ったりなんかしち。
と、平和な日々です。
来週も平和でいられますよーに。
ちゅうか。
1996/08/01 (木)
一昨日あたり買ってきてそのまま積んであったNAVIをめくってみる。そしたら、「オカザキ、頑張れ」、という見出しが目に飛び込んだ。えのきどいちろう氏の文章だった。
読んでたら、マジで涙が出そうになった。
同じことしか書けないけど、私と「オカザキ」はまったくの他人で、えのきど氏のように一緒に仕事をしたこがある訳でもなければ、面識がある訳ですらない。ましてや、「オカザキ」の全てを全肯定している訳でもない。昔、たまぁにテレビなどでコメンテイター的(?)に出演している様を観て、「なんだ、このクソナマイキな奴は」といった反感すら覚えていたかもしれない。
でも、でも、本当に、念じてどうにかなるものならば、念じたい。
「頑張る」という言葉は大嫌いだけど、他に言葉がないのなら、「頑張れ」でも構わない。
きっと、念じるための自分の言葉を見つけないといけないのだろう。
でもそれはまだ見つからない。
だからそれを見つけるまでは、えのきど氏のこの言葉を借りておこうと思う。
「オカザキ、頑張れ」
1996/07/31 (水)
7月も、もう終わりですねぇ。この夏が勝負を分ける、って予備校の宣伝文句ぢゃねえんだから、無駄だよな。
って、何について誰に向かって言ってるのか謎ですが、謎なのでほっといといてください :-)、ちゅうか。
さて、とーとつですが、やっぱし、新聞は無くなる、というか、衰退するのは確かだと思います。
実際、たりぃですよね、新聞って。オリンピックでその他の競技を観た後に野球を観るくらい、たりぃ。1日2回しか更新されないし。それに明らかに紙資源のムダ。
そんな文脈にいますと、以下の頁が非常に味わい深い、今日この頃です。
何かというと、インプレスさんのPC Watchの正式創刊に寄せての所。古川@MSKK氏、村井さん、奥川@メルコ氏、片桐@I/Oデータ氏などの方々のお言葉があります。まぁ、前2者は"(談)"てな訳で、どんだけ信用できるかは分かりませんが、ともあれ、編集長 井芹さんの言葉も含めて、この頁は結構含蓄あります。
<話逸れる>
しかしPC Watchはいつまでタダ見られるんだろーかー。Internet Watchも講読者になってちゃんと読みたいんだけど、講読申込みの「インプレスダイレクトへの登録」の所に『漢字コードはシフトJISを使用してください』などというゴムタイなことが書かれているので、未だに登録できません。何とかしてください、ちゅうか。:-b
</話逸れる>
<もひとつ話逸れる>
先の、片桐@I/Oデータ氏の文末に、『「ホームページへの重要事実の掲載は記者発表の12時間後に」という東証「ローカル」ルールが…』云々かんぬんとか書いてありますな。やっぱし 本当だったんですな。あほな話ですなぁ…
</もひとつ話逸れる>
<まだまだ逸れる>
どーでもいいですが、URLのdaiwa.co.jpの後に"/"を付けてください。おねがいします>鑑定団のなかで流れる大和證券のTV-CM&石坂浩二(は関係ない)。:-b
</まだまだ逸れる>
勿論、世の中薔薇色の世界ばっかし、ということはあり得ない訳ですから、種々の問題はいくらでも出てくるでしょうけど、とりあえず試してみることは良いことですよね。
試してみてどーなるか。どーなるかこーなるか分かりませんが、突然論理を飛躍させてしまえば、個人的に思うに、新聞の命脈が尽きるのはそう先のことではないように思います。
命脈のポイントは、「紙」の閲覧性でしょう。
うまくは説明できませんが、「紙」の閲覧性は、技術(ソフト・ハード共)の進歩により、何とかクリアできるでしょう(この場合、「クリアできる」というのは「紙を上回るものができる」という意味ではなく、「『その他の利点とを秤にかけるとまぁ何とか堪えられるか』という程度のものになる」ということを言ってます)。
一方、雑誌が無くなることは、ましてや本が無くなることは絶対にないでしょう。本については、「本」の閲覧性をクリアするのは更に更に大変なことであろうし、ましてや、「でじたるめでぃあ」の記録性(?)が「本」の記録性(?)を上回ることは現時点では想像できないし。
で、話を戻して紙の閲覧性ですが、これさえクリアできれば新聞にトドメをさすことは可能でしょう。
そしてトドメをさした後に私が望むことは、記者クラブ発表記事は直接広報/発表資料を見ることができ、その上で、私個人が好み、信頼し、信用する『取材者』や『編集者』を選択し、彼ら/彼女らに正当な対価を払うことが可能になることです。
飛躍しっぱなしで訳わからんっすね。ずびばぜん、ちゅうか。
1996/07/30 (火)
と、これは先週の金曜日の続きです。
金曜日に何だかんだあったり話したりしたのですが、その結論として、「やっぱしNTTが一番タチが悪い」、っつーことが再確認されました。
動かないようで動くし、動くようで動かないし、分かってないようで分かってるし、分かってるようで分かってないし、力がないようで力があるし、力があるようで力がないし、とにかくデカいし、ほんと、始末におえねー。(特に内部から)良く言われることだけど、非常に上の方の人と若い方の連中はまぁ良いとして、中間がどーにもならねー、ちゅうか。
ま、確かに、彼らにしてみれば、「俺ぁn年前に電話屋(or 役所)に入ったんであって今更『マルチメディア屋になれ』だの『(別の意味の)ネットワーク屋になれ』だの言われても困る」、っつー気持ちもあるのかもしれん。そいえば、うちの母親の知人の知人に最近NTTを早期退職した(されられた?)人がいて、その人は、「公社に入った時にゃあ、こんなことになるとは思いもしなかった」と言ってたとか言ってないとか。
つーことでこの際、「分離」でも「分割」でもなく、『10年前まで通り電話屋(or 役人)でいたい人チーム』対『10年前のことなんて知らねー別のことをしたい人チーム』に分けた方がいいんぢゃないか。
とかいって結論がないっすね、この話。あれ、結論は何なんだっけ? ちゅうか…