にっき

書きたいネタはそれなりにあるんだけど、若干疲れぎみ気力不充分なので、ちょっとは日記らしくしよう。

土曜日。昼は道志の森でBBQ.そのまま夜はMt. Fuji Jazz Fes.

Mt. Fuji Jazz Fes.は行くたびに思うけど、ほんとに箱庭的だなぁ。まぁ、箱庭でも庭はあった方がいいので、文句は言わない。

日曜日。昼まで曝睡。夕方は中華街。華正楼でご飯。ほうれん草の炒めて煮たのがうまかった。あ〜ゆ〜シンプルな奴が一番家では作りにくい。

帰りは東名使って帰ってきたけど、東名の上りは例によって綾瀬バス停を頭にべったり。あれ、ほんとに登坂という理由だけなんだろうか? そっから先はスイスイなだけに、やっぱり謎。謎は謎として、みなさんお疲れさまです。明日から皆さんもお仕事ですね。

明日は普通に会社行って、明後日は武蔵野。明後日には道空いてるといいな。

pink

今泉さん。なぜ突然"pink".なぜ今時…

しかし話が"pink"となると黙ってはおれません。俺にも何か言わせろ、ちゅうか。:-)


私はあまりマンガを読む人ではないけど、マンガというものの中で一番大切なものを出せと言われたら、間違いなくこの"pink"を差し出すだろう。別にマンガなんて枠を作らなくても、絶対に忘れてはならないものの中に必ず入る。それほどまでに"pink"は自分にとって大切なものだ。

このあまりに素晴らし過ぎる作品について説明することなんてとてもできないから、3年前に(3年かぁ…)とあるメーリングリストで"pink"の話が出たとき書いたメールの断片をそのまま引用してみる。

ふとしたことでどこかが壊れてしまった普通の人間が、その壊れてしまったことを決して悲観せずに、壊れたまま普通に明るく生きていくのが良いっす。自分自身が明るく生きていけさえすれば、人生何でもありっす。

#現実はそうはいかないけどね。

と、これも陳腐だね。

岡崎京子といえば、今はもう"リバーズ・エッジ"なのだろうか。作者本人もそう言ってるんだから、そうなんだろう。確かに"リバーズ・エッジ"はとてつもなく凄い作品であることは充分分かってる。でも私にとっては"pink"だけは別格の重みを持って存在している。自分にとってこれを越えるマンガにはもう出会えないかもしんない… とか。

"pink"と"リバーズ・エッジ"の違いって何なんだろう? ひょっとしたら1989年と1994年の違いだけなのかもしれない。だとしたら、単に自分が、少なくとも1994年よりは1989年の方が疾走しているつもりだった、だけなんだろうか?

"pink"と"リバーズ・エッジ"に共通している、何というかあのジリジリした感覚。あの感覚に憧れを感じてしまう自分は、もうただの年寄りだな。あのジリジリした感覚から何とか逃れようともがいていたことを「疾走」と呼んでしまうのは、やっぱり年寄りの証拠。そんなカッコイイもんじゃなかったはずだ。疾走感の喪失感、つーか。

しかし、いいなぁ、岡崎京子。何に入ってるか忘れたけど、ピンクの透明のゲロみたいな宇宙人が出てくる短編、あれもいいよな。あれ読むとちょっとだけ元気が出る。元気がなくなってどうしようもないときに"pink"を読むと、「こんなんに出会えるんだったらもうちょっと生きててもいいかな」とか思う。

— 「去年pinkが私に与えたものは海よりも深い」((C) 吉本ばなな)


夏休み

夜、ニュースを観た。なんか円安をさも良いことが起きたかのようにしか報じないマスコミっつーのも、こいつら本当に一般人の感覚と合ってるんだろうか? とか思う。

そのニュースを観てると、一般人は盆休み真っ只中だっつーのに、外為市場関係の皆さんは鬼のように働いてますな。お疲れさまです。やっぱ働く人は盆でも働いてるんですね。

しかしみんな、本当に一斉に休むよなぁ。なんか平気で休んでるよなぁ。「明日できることは今日やらない」史観に基づくと、「3日休めるんだったら1週間休めるだろうに」「1週間休めるんだったら1ヶ月休めるだろうに」とか思うけど、そうでわないんだべか。試しに1ヶ月休んでみればイイのに。

試しにといえば、やっぱ一度試しに、盆か正月の真っ盛りに都道府県境なり道州((C)大前研一)境なりを封鎖して、そこで人間を固定して欲しいよな。ついでに霞が関と永田町も封鎖して、あとは各自各地で勝手にせい、と。

というのは東京者なら誰でも思い描いたことのある夢。ああっ、でも今は神奈川者ぢゃないか、俺。ま、いいか。いいから一度試してみよう、一度。:-)

ゴジラ

朝、テレビを観た。そうか、日航機事故から10年なのか。SUKIYAKI song偉大なり。う〜む。

夜、テレビを観た。「ゴジラを通じて戦後50年を振り返る」みたいな番組をやっていた。ゴジラなかりせばモッツィラは存在しなかったのだろうか。う〜む。

そのまた夜、テレビを観た。F-1. ゴクミの美しさも世界共通なのだなぁ。う〜む。

あと、買ったまま竹中さんのとこ以外は読まずに放っておいたMEDIA FRONTを読んでみる。NTTテレマーケティングJavaなページはヤケに気合いが入ってるとか思ってたけど、そうか、クボタツ絡みだったのか。でも、「好きだからやっちゃった」のは誰? 文にはちゃんと主語を付けようね。大人なんだから。

で、「やっちゃった」のはこの人達なのかなぁ? ここにも空洞化があぁ、って、あれ? この人達もcrl.comだよ > 昌寿司さん。わははははは。

若さゆえ

世紀の快挙か大愚行かは歴史が判断するであろうasahi.comな朝日新聞だけど、今日の朝刊の家庭面にはインプレスの井芹さんのコメントとして、

ホームページは世界中に声の届く拡声機で、…(略)… 双方向のやりとりができ、世論さえつくれる。…(略)。

というのがあった。

さて、「Webは双方向か否か」ちゅう大問題である。

思うに、やっぱりWebは双方向では全然ないよなぁ。強いて言えば「一方向が沢山」というか。例えばHyperDiary界お得意の、「今泉大輔さん、見てますか。ファンです。(ほんとです ^^;)」みたいな、いつ読まれるとも知れない一方的な発信の集合体、みたいな。

もし双方向というならば、

他人が公開した情報へはどんな単位ででもリンクが張れて、情報の持ち主には誰かがリンクを張った瞬間に(何らかの方法で)それが伝わり、元情報の持ち主は自分に向けて張られたリンクを辿ってそれがどんなものかを見ることができる。

くらいのことはできないと。

って、これじゃXanaduそのものじゃない。けっきょくTed Nelsonはエライのだ、という結論になってしまうのはシャクだから、もうちょっと何か別のことを考えてみよう。:-)


んじゃ、「インターネットは新たなコミュニケーションを生むのか」、だ。

これもそう簡単には言い切れない気がする。例えばある人のページを読んでていかにも知った人のような気になっていても、また例えば、ある人とメールを何度も交わしていてすっかり昔からの知り合いのような気になっていても、結局その人や人達に実際に会うことのインパクトの前には全くの無力である。いくらメールで密に連絡を交わしていたとしても、直接会うことには全く敵わない。

すると問題は、「インターネットがなければとても知り合いにはなれないような人々と(メールやニュースやWebやmboneを使って)会話を交わす」ことにコミュニケーションの価値を置くか、「限られた人々とではあるが実際に会う」ことにコミュニケーションの価値を置くか、のトレードオフということだろうか?

てなことを考えてると、だからやっぱりアナテロはエライのだ、という結論になってしまうのはシャク… ま、イイか。:-)

彼らはHyperHitchHikeを通じて上の2つが排反するものではないことを実証しようとしている。

なんてぇのこれがまた年寄り評論家の勝手な物言いで、彼らはそんなこたぁ、ちっとも全然考えちゃいないだろう(考えてたらゴメン :-)。本人達にとっては、これは「ごく普通の行動」で「面白いからやってる」だけなんだろう。

でも、そっちの方がよっぽどシャクだ。:-)

あれから1年

あれから、もう、1年経ってしまったのか…

思い起こせば1年前、2月から8月まで滞在したスタンフォードFouadんとこに別れを告げ、8月6日にサンフランシスコを飛び立ち、日本時間の7日に成田に着いて、で、翌8日に私の居ぬ間に厚木に引っ越してしまった会社に初出社したのであった。

あの頃は、「あ〜、日本に帰るのがヤだよぉ、ヤだよぉ、ヤだよぉ〜」な、まさしく今の昌寿司さん状態だった訳ですが、いざ帰って来たらこれがまた一層イヤでした。:-)

なにしろ去年っつーことで、成田に着くなりもう、あの肌にネットリとまとわりつくような熱気と湿気が身体を襲う。

で、何が一層イヤかというと、なんちゅーか、車走らせた時の腹立だしさとか、物を買うときの高さとサービスの悪さにびっくりとか、人そのものの鬱陶しさとか、何とかかんとか、何か知らないけど肌にネットリとまとわりつくものがあるんだな。

これって一体何なんだろう? 今テレビで再放送(?)してる新閣僚の記者会見に出てくるおやぢの面がイケナイんだろうか。今朝の朝日新聞朝刊政治面「現在史ウオッチング」の石川真澄の吐き気をもよおすような物言いがイケナイんだろうか。それともそのシステムそのもの?

と、今日はあれこれと1年前の思いを語り綴ってしまお〜かと思ったけど、いざEmacsを立ち上げてみると、結構何も書けないもんですね。

それでも、あつひろさんも坂本くんもまだPalo Altoにいるし、あん時たまたま一緒に日本に帰ってきたJeffも今やPalo Altoにいるし…

別れのTied Houseのビールは旨かったのよん。(;o;)

水戸・大洗ツアー

土日は毎年好例の水戸・大洗ツアー。吐玉荘の舟盛りは相変わらずぐぅだぜ。

浜の感想はというと、「やっぱ流行ってるのか白の水着が多いなぁ」とか、「『キュロット以来最悪の発明物』(copyright by わ) パレオばっかしだなぁ」とか。白はイイけど、パレオはやめれ、って、あ、大きな御世話ですか? すいません。:-)

今年の水戸・大洗は道路もどこも混み混みだし、浜の人出は最強に多いし、なんだったんだろう? いったい。若干疲れた。

道路といえば、やっぱし首都高を設計した奴は死んでも許さん。ボトルネックはやはりボトルネックになるという自明の理は箱崎で明らかになっているにもかかわらず、堀切・小管の間でまた同じ失敗をしている。奴らが日本にどれだけのoverheadをもたらしてるかを計算して、その分強制労働させたれ、つーか。

んで、今日は一日ぼぉ〜っとしてました。日記読んだりして。あ、今泉さん、読んでます。ファンだなんて、そんな、こそばゆい。:-) 「Xanadu関係私見」楽しみにしてます。そいから、なかひろさんのも読んでます。"Umicode"話は、明日にでもフォローしますねん。

ほいじゃ。

コミュニケーション

あ、ようやく日付が正常に戻った。:-)

昨日はまぁ、こんな感じ (by kis)。人間も環境によって見掛けが変化すればいいのにね、とか思う。

で、本厚木に出たついでに有隣堂で"MEDIA FRONT"と"internet user"を買う。"MEDIA FRONT"は竹中さんの怒りの元を確認するためだけに買った。単なる野次馬。

あ〜、なるほどね〜。ビデオ持って旅に出て英語勉強すればいいんですか。で、良いページ作ると、「なかなかやるじゃないか。立派立派と声をかけて」もらえる訳ですか。で、あんた何様?

学生を上から見ちゃいかんよな。アナテロなんかすごいもの。Webはコミュニケーションの道具たり得るのか? インターネットは新たなコミュニケーションを生むのか? つーのはホントまじめに考えなきゃいけないんだけど、ひょっとしたら、また一歩アナテロには先に行かれてしまったのかもしんない、とか思う今日この頃。これなんかナミダモンだぜ。

一方、"internet user"の方は、西さんのインタビュー。「水はタダじゃ出さないよ。水もおカネを取る」の一言で信用してしまいました。早く"CAPE X" cafe作ってください。:-)

しかし" B A D C A V E " は衝撃的だなぁ、などと思いつつも日本の個人サーバ探検に厭きた、あなた。こんなんもありまっせ。これ見ると、日本語知らない奴があなたの日本語ページを見た時の気分が味わえるかもしんない。あ、見るんだったら、ちゃんと日本語出ないようにして見るか、Mosaic-L10Nを使って見てね。:-)

Umicode

せっかく一日サボって日記の日付を合わせようと思ったのに、竹中さんに直球で返されてしまったので、しかたなく書きます(嘘)。

たまたま同じようなことを別のとこでも書いたんで、それを使い回ししてしまうんだけど、「Unicode対2022」論争については、もう、最近どうでもよくなってきた。Unicodeでも2022-basedでも何でもいいから、とにかく、とっととやろうぜ、みたいな。概念的な美しさよりも、Unicodeも2022もすべてを飲み込んでしまうようなイイ加減なものを、まず作っちまうのがイイんじゃないかと。

だいたいCJK-unificationは良くないとかいっても、問題の多さに関しては五十歩百歩の(私の戸籍名も表せない :-) JIS X 0208を普段平気で使っていながら、その同じ筆、もとい、同じ文字コードでUnicodeの文句を書いても説得力はないぞ、ちゅうか。

で、やりたい人には1文字4バイトなんてケチなこと言わずに、どぉ〜んと1文字8バイトでも16バイトでも使って、「Unicodeにも2022-basedにもupper-compatibleだっ! おまけにどんな文字でも入ってるぜぃ。」てなもんを作ってもらう、と。名前は"100646"か"Umicode"だな、やっぱ。:-)

と、(今までの文章とは何の関係もないんだけど)今日のとある出来事において、「やっぱ日本はもうダメなんじゃないかなぁ。」「人のやる気をなくさせる雰囲気に包まれきってる(大企業とか役所がからむと特に)。」なんてことを思わされつつ家に帰ってきたら、新聞とニュースは昨日のABCに続いて今日はCBSで、さらに「はぁ」とかいう気分になってしまった一日の日記であった。

(にしてもこのYahooの[Xtra!]はすごいな。とうとう現実世界との敷居をなくしちゃったじゃない。)

という訳で、ちゃんとは打ち返せませんが、もっと球投げ込んでください、つーか。:-)

そいでわ。

一日進みの日記帳 :-)

いかん。昨日の日記、日付を完全に勘違いしてた。思いっきし「8月」とか「一昨日」とか書いちゃったんで、もう取りかえしがつかん。つー訳で、この日記帳は一日進んでます(なにそれ :-)。どっかで一日サボれば元に戻るでしょう。 (-_-;

今日は特に書くこともないんだけど…

よーやくIndyとIndigo2にNetscape 1.1IS入れた。ちゃんと日本語出るじゃな〜い。えらいなぁ。これでCCI (だっけか? 日本語ビットマップに展開するやつ)ともお別れだぁ。結構味があって好きだったんだけど。:-)

そういえばYahooが新しくなりましたな。この手のバージョンアップって大抵失敗なんだけど、Yahooの場合はどうだろう? Yahooは何時までYahooたり得るのだろーか?

NetscapeとYahooといえば、一時期、Netscapeの"Net Directory" ボタンを押したときに出ていた、

A Winner is Yahoo!

ってページは印象的だったなぁ。それまで10個とか20個とかのディレクトリ・サービスが列挙されていたページが、ある日突然その1行だけのページに変わった時の感動、つーか。あ〜、あのページ、セーブしておけばよかったなぁ。やっぱWebページは生鮮品ですね。美味しい時に冷凍保存しとかんといかん。

そいでもうひとつのネタは、今朝(あ、日付は一日進んでるんで1日付ですよ :-)の朝日新聞に載ってた、富士フイルムEastman Kodakのインターネットを使った情報戦、つー話。その記事の中に、富士フイルムが記者会見の資料としてフロッピーディスクを配ったということが書いてあった。訳知り顔の人間がこれに「このインターネットの時代にフロッピィ?(嘲笑)」とかいうツッコミを入れる、というのは極めてありがちなパタンだけど、でも本当はそんなことは全然なくて、これは素直にエライことだと思う。

だいたいフロッピーを配ったことが記事になるくらいなのだから、これは(少なくとも日本では)画期的なことだったんだろう。そうだよな。実際、1月の地震の時に痛感したのは、「デジタル化されたデータ」の力というものを行政機関・マスコミ・その他諸々は全然分かっていなかった、つーことに尽きたのだから。だから「フロッピーを配る」という行為は、ものすごく評価していいことだと思う。

「いんたーねっと(まるちめでぃあ、でも可)は、まずフロッピーから始めよ」、ちゅうか。