朝生

(2000/11/25)

久しぶりに、ちゃんと始まる時間にそそくさとチャンネルを合わせたりなぞして、朝生を観たりする。田原総一朗がどんな言い訳をするのか見てみたい、とかいうヒネクレタ興味だけではなく、さすがに今日は普通に、観ようかな、と思ったのであった。そんな感じを私に起こさせたということだけをみても、結構なインパクトのある出来事だったのだな、と思う。

で、それなりの期待で最後まで見てたのだけど、私が最近感じているような解釈の話は、結局話題に上らなかった。別に、こいつら気づいてない、とか言いたい訳ではなく、当然とっくに皆そう思ってる部分があるのだろけど、公の場での議論の話題にするにはちょっと危険なのかもしれない、と思ったということ。

何かというと、結局ここ最近の、そして今後の政治というか選挙は『世代間闘争』である、ということ。

小淵総理まで、と、森総理以降、で何が決定的に違うかというと、それは決して人柄資質密室5人組云々(そんなことは昔から同じ)ではなく、小淵氏(と竹下氏)が死んだ、という事実そのもの。結局こいつらは散々ばらまくだけばらまいて、自分らはオイシイ思いして、で、借金残して死んじまうんだ、ということが改めて明らかになった、こと。

60だの70だのというジジイは、どうせすぐ死ぬんだよね。後に借金残ろうが生活がどんなになろうが日本がどうなろうが、知ったこっちゃねーよ、ってことだよね。自分が生きてる間だけソフトランディングごっこが続いてれば、それでオッケーなんだよね、あんたら?

って思った、ってことだよな。きっと。

多選の土建屋が落とされるってことは、そーゆーことなのでしょう。『都市対地方』というのも、(一つには)単に世代別人口分布がそれらの地域で異なるだけ、ってことなのでしょう。加藤紘一氏は61だけど、「あいつらのやり方は間違ってる。このままじゃ日本は駄目になる」って言ったことで、彼はそのことをちゃんと考えてくれる人だと(若い連中が)思った、だから期待した、ということなのでしょう。某巨大掲示版群辺りで「選挙権ないけど」とか言ってる連中までもが今回の「加藤事件」で盛り上がってるのも、それ故なのかもしれない。(ついでに言うと、今回妙に逆上してるのは全共闘運動・大学闘争世代だろ、きっと。どう見てもこいつらが一番ロクでもない。)

ということで、やっぱ、年寄りから決定権取り上げないといかんよな、会社も国もどこもかしこも。

何か怒られそーなこと書いてるが、別に、死ねと言ってる訳じゃなし、年金/利子生活者から選挙権没収しろとか言ってる訳じゃなし(でも3%くらいマジで希望)、ま、そもそも誰も読んでないから大丈夫だろー、つーか。:-b

こないだの衆院選のときに中村正三郎さんが書いてた(2000/06/19のところ)ように、一番若いのに投票する、ってのは完全にアリだよな。

より現実的に言うと、『自分に(あるいは、自分より若くて)一番年齢の近い人に投票しよう』キャンペーン、だな。で、それでどうしようもないときは『よりマイノリティに入れよう』キャンペーン、か。でも、マイノリティに投票って、今の日本だと女性に入れるしか選択肢はないのか? 逆差別。 あ、ツルネン・マルテイ氏がいるか。

などと思った朝生鑑賞であった。でも朝生って昔は5時とかまでやってなかったけか?

# あ、ツルネンさんが最後に出てくるのはオチじゃないからね、決して。


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