1995/07/16 (日)
つー訳で幕張に到着。なんだかんだあって、まあ、とりあえず無事に愛機T3600くんをネットワークにつないで、んで、VGAもちゃんとプロジェクタに出ることを確認。これでいちおー準備完了っすね。あとは明日ちゃんと朝起きればよいだけ、つーか。
しかしInterop内部で公式proxyサーバ上げないってーのは、やっぱ顰蹙じゃないのかなぁ。いくらT1が2本あるからって。で、来週からはIETFもあるんじゃなかったけか。大丈夫なのかネットワーク! ちゅうか。ま、わしの知ったこっちゃないけど。
ワークショップの参加者名簿を事務局から貰い、さっそくチェック。あ〜、大物とロエ蔵がいるじゃねーか。幕張遠征だとか言ってたのは聞いてたけど、黙って人の話聞きにくんなよな〜。こ〜ゆ〜ときに知り合いがいんのが一番ヤなんだよなぁ、ったくぅ。(^o^)
とメッセージが「閉じて」しまったんで、「閉じ」ついでに… 私、月火は確実に幕張にいるけど、水曜日以降はちょっとわかんないなぁ。できればTed Nelsonの話聞きに木曜日行きたいかなぁとか思ってるっすけど。ま、行けたらブース急襲します。あ、それから私、ビーピーエスの例の14.4通る音響カプラ持ってるけど、まだ必要ですか? 要るなら幕張で貸しましょうか? > 竹中さん。(って、そんなことメールしろよな、日記になんかに書かないで > 自分 :-)
ランキングのことは知ってます。でも、あんな本気の日記群と一緒にいててイイんだろーかという気もする今日この頃。あ、組織票入れたのは私じゃないよ、いちお〜、つーか。
この日記、続く、かもしんない。
で、続いた、と。
事務局がとってくれたホテルへチェックイン。このホテル The Manhattan は、これでもか!っちゅうくらいバブル絶頂。バスルームの石鹸は「金箔入り」ちゅうか。何の意味があるんだ。お肌にいいのか? 謎だ。(-_-;
こーゆーバブリィなとこはバブリィなだけでどーしよーもなかったりするんだけど、ここは一応、頑張ってる気配もみられる。部屋の電話のボタンを押すとguests’ conciergeが出てきて、「はい、高田さま」とか応える。マニュアルチックだけど、まぁそれはそれなりに気合が感じられるのでよし、と。
てな訳でん。
1995/07/13 (木)
昨日はあのあと結局爆睡してしまい「繋がず」じまい。う〜む。いまいち。
てな訳で再び日本へ向けてUAの機上の人へ。よぉ〜し"GTE Airfone"もあるぜ… と思ったら、があぁぁぁぁぁぁん、モジュラーケーブルがトランクの中だぁ! おおばか。
客室乗務員に言ったらモジュラーケーブル貸してくれるかなぁとか思うも、「お客さん何言ってんの? ここわ海の上だよ」とか言われると恥ずかしいので :-) 言えずじまい。
どなたか好き者の方、ぜひぜひ試してみてください。確かsatellite linkの時は1分間10ドル取られるけど、話のネタとしてはイイんでないかと。
てな訳で旅日記も終わります。来週はInteropだぁ。しかしこんなに日焼けしたインストラクターの話をみんな真面目に聞くんだろうか。ウインドサーフィンの講習会じゃないんだから。わはははは。
1995/07/12 (水)
今日は、植物園行ったり、マーライオン観たり、免税店行ったり、セントーサ島行ったり、屋台街行ったりと、完全に観光客モード。
こん中では、セントーサ島にある一連の "Pioneers of Singapore", "The Surrender Chambers", "Festivals of Singapore" の博物館というか蝋人形館がオススメかもしんない。えらく気合はいってます。ここ。
てな訳で、あしたはもう日本へ向けて出発だぁ。さて、そいではこれから「繋いで」みるかな、っと。
でわね。
1995/07/11 (火)
今日でティオマン島ともお別れで、また船に乗ってシンガポールへ、と思ったら、船が欠航。 "engine’s broken" とか親父が言ってる。:-)
どーなることかと思ったら、結局、小舟で対岸のMersing (マレーシア国内)まで行って、そっからバスでシンガポールまで行くそうな。陸路(実際には埋め立てた上の橋だけど)で国境を越えるというイベントに挑戦することになる。これぞ旅の醍醐味などと訳の分からんことを思いつつも、バス中では爆睡してしまったため、何だかよーわからず。
夜、シンガポールに着いて、ホテルに荷物を置いて、ナイト・サファリに直行。
このナイト・サファリって、夜だけやってる動物園で、森の中にいかにも自然に動物がいるように作られたところをトラムや徒歩でまわるとこです。しかしここ、入った人数と出た人数をちゃんと管理してる訳では全然なくて、入園者が(わざとでも不可抗力ででも)ふっと脇道に入っちゃったりしたら、そのまま、鹿やら貘やらと一晩すごせそうな気がする。:-) 罰金の国シンガポールとはいえども、こーゆーとこはしっかりat your own riskで、はるかに日本より大人の国だなぁ、と思う。日本だったら絶対に金網とかでがっちり囲って余所には行けないようにするわ、よけいな金使って入退者管理バキバキにやるわで大変なことになりそうな気がするけど。
そういえば、このナイト・サファリの発券システムはMacで、「大人ふたりー」とか言うと、おばちゃんがマウスを掴んでおもむろにクリックする。こーゆーのにマウスは不適切なんじゃないかと思うけど、余計なお世話なんで口に出しては言わない :-)
で、電話もつながるシンガポールに帰ってきた訳だけど、今日はさすがに疲れたんで、寝よう。って、なんか寝てばっかだな、この日記。:-)
1995/07/10 (月)
今日も若干天気が悪い。しくしく。
ビーチの反対端の岩場の方に良い場所が見つかったのはいいけれど、どうも泳いでると身体がチクチクする。よぉーく目をこらしてみると、クラゲが大量に発生しているぅ。そんなん聞いてねーぞー。やはり行いが悪いらしい。うーむ。
どうせ日記書いてもその場で送れる訳じゃなんで、気合も入らん。てな訳で、寝ます。:-)
1995/07/09 (日)
今日は朝からスノーケリングぅ、と思ったら、ほぼ一日中雨でしくしく。日頃の行いが悪いんだろーか。
ホテルの部屋の電話の方なんだけど、これがまた、実は壊れていたんじゃなくて、これで正常だったという。どんなんかというと、受話器を上げるとダイヤルトーンとかは何も聞こえず、音楽とDJかなんかが流れていて、それも、まるで短波放送でも聞いてるような雑音入り。で、フロントとかにつながっても、その音楽+雑音は鳴り続けたままで、まさしくBGM状態。これじゃモデムるのは無理だなと思って、もうやめた。ま、現世を忘れた生活に没頭することにしよう、っと。
てな訳で、寝るよん。
1995/07/08 (土)
朝5時起きだぁ、と思ったら何の因果かモーニングコールが鳴らず、目がさめたらもう6時過ぎてたりしち。あわてて歯も磨かずにチェックアウト。フロントでいちおー文句言ってみるも、向こうは何かの記録をプリントアウトしてきて、「ほれみろ、ちゃあんとモーニングコールして、そっちが応えたことになってるぞ」とか言われる。文句言っててもしょうがないので、あ、そう、てな感じでそのまま出かける。うーむ。
シンガポールから、飛行機なら40分で付くとこを、酔狂にも船(いちおう高速双胴船だったけど)で4時間以上かけてティオマン島まで行く。しかし船の中は日本人はおろかアジア人まったくいず。それどころか英語も全然聞こえず、ただただヨーロッパ方面の人間ばっかし。一番うるせーのがイタリア人の団体客。でも、イタリア人も団体ツアーするのね。しかもみんな同じ揃いのバッグかなんか持っちゃってさ。ものすげー似合わないぞ。:-)
で、ティオマン島っつーのはマレーシアの東海岸沖にある島で、ほんとーに何にもないとこである。いわゆるひとつの「時間の概念を捨てて…」っちゅうやつですか。ここの存在は知り合いのフランス人から"オススメ"ってことで聞いたんだけど、確かにあいつら向きだな。しかしこーゆーとこは最低2週間くらいは居ないといかんのではないだろうか。4日で戻る自分らがアホらしい。
晩飯はTom Yamのsteamboat (いわゆる日本語で言うところの「タイスキ」ですな)があるというので、それを食いにいく。行ってみると、ここは一転アジア人しかおらん。どこから湧いて出たんだ状態。うーむ、奥が深い(意味不明 :-)。
で、戻る、と。昨日は結局無事にwiredったんだけど、今日は晩飯から帰ってきたら、そもそも電話が死んでいる。フロントにすら繋がらない。「電話が壊れてるんですけど」って電話できないのは辛いなぁ :-) フロントまで歩いていくのもタルいんで、今日はそのままほっとくことにしよう。ま、明日があるさ。
てなとこで、んじゃね。
1995/07/07 (金)
つー訳でシンガポールに到着。この日記はオフラインで書いてるんだけど、果たしてこれがアップロードできるんだろうか? 乞うご期待。:-)
行きのUnitedの飛行機中で噂の"GTE Airfone"を発見。確かにRJ-11のジャックが付いててデータ通信もできると書いてある。アメリカ上空はともかく、本当に海の上でもSatellite経由で2400通るんだろうか? モジュラーケーブルなんて持ってなかったんで(まさか本当にあるとは思わなかった)実験はできず。帰りは試してみよぉっと。
同じく飛行機の中で、カバーストーリーが例のcyberpornの"Time"を発見したんで、これを読む。そん中に"On the Internet, anybody can be Bob Guccione."とかいうフレーズが出てくる。そうかぁ、そこまでいくかぁ。そりゃそうだよなぁ。「誰でもCNNやMTVになれるのか」とか喜んで書いてた自分の想像力のなさに、ちょっとがっくしくる。そういえば、新聞の見出し広告しか読んでないんだけど、今週の週刊文春とか宝石には「インターネットにはこんな過激な映像ぐわ!」とかいう記事が載ってるみたいっすね。そろそろ叩き頃、っつーか。
明日は朝の5時起きでティオマン島へ向けて出発だぁ! てな訳でもう寝よう。
んじゃね。
1995/06/26 (月)
沖縄からも定期的にメール読んだり日記アップロードしてたりしたけど、何せ analog mova の 4800bps 接続なので、まっとうな作業はできない。てな訳で、帰ってくると、例によって "What’s New" への掲載申込が山のように積滞している。とにかく今月は異常な量だ。それとも今後ずーっとこのペースで増え続けるんだろうか?
で、"What’s New" といえば最近これがモメているのであった。
結論が出ていない内輪のことをうだうだ書いてもしょうがないし、どんなサーバにどんな感情を抱こうと所詮は個々人の価値観のぶつかりあいだからどーにもならんのだけど、ひとつだけ言いたいのは、「クリックする意思を常に確認せよ」つーことかな。
簡便なインタフェースが与えられたことによって、(呼び方は "surfing" でも "zapping" でも何でもイイけど) まあ、とにかく色々な情報が簡単に取り寄せられるようになったことは事実な訳だ。
だからといって、決して Web のページが勝手に自分の計算機に送り込まれたり、自分の目に飛び込んでくる訳じゃあない。自分も「青いとこ」を見たら何も考えずにそれを押してしまっているのは事実だけど :-) 、やはりリンクをクリックするということは「その情報を見る」という自主的な意思の発動であることを毎回認識していないといかんな、と思う今日この頃。
そして、これほど簡単に「意思」を「行為」に変換できるツールに感謝しつつも、その自分の意思や行為に付帯するリスクとか自己の責任とかも忘れてわいかん、つーか。
てな訳で、「見れ!」とか言われても簡単に見ちゃあいけないんだぜ。:-b
1995/06/25 (日)
朝から、
- NHKの大河ドラマ「琉球の風」のオープンセット跡地
- 首里城
- 玉陵("たまうどぅん"と発音するらしい)
と回った後、那覇そばで昼飯食べて、あとは牧志市場周辺でぶらぶら過ごす。「平和の礎」は時間がなくて行けませんでした。
一昨日食べた「ぢーいも」の揚げ物を再現すべく、スーパーでぢーいもを一個買って帰ることにする。紅いもは害虫の関係上そのままでは持って帰れないけど、ぢーいもは平気らしい。
そういえば、「紅いも」っつーのはいわゆる「さつまいも」のことで、でもこっちでは「紅いも」とか「唐いも」とか言うらしくて、で、もしほんとに「薩摩いも」つーのがあったとしたらそりゃ「やまといも」って呼ばれるのか? あ〜文化って相対的だなぁ、などとくだらないことを考える。
てな訳で空港着。牧野さん、ほんと〜に色々とお世話になりました。ありがとうございました。
金属探知機も無事くぐりぬけ、売店でコーヒーを買おうとしたら、究極のおやぢ雑誌のひとつ「プレジデント」に目がとまる。表紙に「マルチメディア vs. NTT」とか書いてあったんで意味もなく買ってしまう。飛行機の中で読もうと思ったらいきなり連れの軍団に奪われてしまい、読めないまま眠りに落ちる。
何事もなく羽田に着き、何事もなく家に帰る。雨ざんざん。あしたからまた日常に復帰、などという感触を味わう間もなく、そのまま寝る。
てな訳で総括もなく沖縄日記は終わるのであった。でわね。