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2009年08月31日以降,communisense.comにて,WordPressを使って書かれているもの

懐疑心の総量は増えている

3.11以降からそうだったが特に最近は,今まで賢いなとか理知的だなとか思っていた人もいざとなるとこうなってしまうのか!という驚きを何度も何度も味わうことになった.

これは,互いに,“どちらの側”も“相手側”に対してそう感じているので,日本社会全体としての不安感とか懐疑心の総量は単純に増している.ついでに言うと虚無的とか“複雑な私”とかを装って中立であろうする人の態度もバレバレであり,それらを更に増加させるに過ぎない.

個人的には,老い先もそう長くはない訳で,その状況は自分の中で解消されるに至らず,残りの人生すべてはこの不安や確信のなさとともに生きていくのか,と思うと,中々これは味わい深いことであるな,と.うん.

RID

6月のニュース.

全米黒人地位向上協会(NAACP)ワシントン州スポケーン市の女性支部長レイチェル・ドレザル氏(37)が、白人にもかかわらず長年黒人女性と偽っていたと、彼女の家族がメディアに暴露し、騒然となっている。

全米黒人地位向上協会の女性支部長、実は白人だった 2006年頃から黒人を騙る – The Huffington Post

なんか非難轟々の雰囲気だったけど,実は同一性障害だった,とかしたらどうすんだよ,WtBとか.と思って検索したら,Racial Identity Disorder, RID, って言葉,USでは在るにはあるけどネタ扱いなの? 英語もアメリカも難しい…

それから3ヶ月.ふと思って見てみたらやっぱりracial identityについての議論になってた.さもありなん.

Rachel Dolezal – Racial identity – Wikipedia, the free encyclopedia

謎なのは"racial identity disorder"とかで検索すると茶化すような文が普通に出てくること.いまどきgender identity disorderを「wannabe」呼ばわりしたら大変なことになりそうだけど,raceでは平気でやってる.なの?

やっぱ米国よく分からんっす.

渋谷公会堂ファイナル

赤西仁のコンサートの話から,ふと,渋谷公会堂を最後に使うのは誰なんだろう? と思って調べてみたら,沢田研二だった

そういえば一昔くらい前,70年代前半くらいに活躍したミュージシャン達のコンサートが中高年ファン達で熱い!みたいな話がよくテレビで取り上げられていて,その中に沢田研二さんもいた.あとはチューリップとか?

思えばそういった話を,ちょっと冷ややかな感じで見ていたのは確かだ.

しかしながら,次は自らが同じ状況に襲われることになる.

自分にとっての嚆矢は2008年からの山下達郎だったんだろうか? そして今年のREBECCAは本当に強烈だった.80年代中後半がやってくる.

90年代も,そして洋楽方面も安泰とはしていられない.再来月はRIDEにジザメリ.

自分の経験からすれば,たとえ冷ややかな目で見られても致し方ない.

まあ,ディッキ高校生大学生達に揉まれつつ某平均年齢20歳バンドを観たりして,心の安静を保つことにしよう.

専門家への信任・権限移譲,それに対する民主的関与,そしてユーザ参加型社会の未来

深津さんの文章と,それに付けられたNoriaki Yoshikawaさんのコメント(お二方とも一方的にフォローしており面識はない).これが見事な自分の中での補助線になって,モヤモヤが晴れそうな気がした.ネットは「それでもやっぱり」素晴らしい.

この文脈でプロセスの透明化や説明責任やコミュニケーションデザインを言う人達に対して私が感じるモヤモヤは一体何だろう?とずっと思ってたが,それは,『それら(=透明化・説明責任・コミュニケーションデザイン)をちゃんとやれば専門家への権限委譲は続き民主的関与から自由でいられると思ってるようだけど,それは幻想じゃね?』ということだったのかも.

....

専門家への全面的な権限委譲は許されず(好意的なものから暴力的なものまで広範な)民主的関与が求められる,という路を進むのであれば,あらゆる分野,身近な例でいえば,税金原資の科学技術政策における個別課題の評価等もまたそうすべきだ,という状況まであと数歩,てな感じなのかもしれない.

そうなると例えば,個別課題の採択や事後の評価にも民主的関与が当然とされる.名無しさん達がググって「これはこのMITの論文のパクり」とか2chにポストしたことが,“まとめ”られ,それにより評される.今回の極端な例になぞらえれば,本来は発表時期が後の論文を「パクってる」とか言われる.別の極端な全く正しくない例をとるなら,たとえば自分の論文の1パラグラフを他人の論文に埋め込んだものが誰かに作られ,「ほら,通して読んでも違和感がない.パクりだ」と言われる.(現時点では英語が一つの壁にはなるだろう.エンブレムは不幸か幸か画像であり言葉の壁はなかった.)

今回,あるいは昨年の理研CDBの件で研究者倫理から義憤にかられ(それ自体は全く正当である),一部の極端な「関与」の手法を肯定したり,その尻馬に乗った揶揄をしたことがある者は,すべからくそれらを受け入れなければならない.ダブルスタンダードは許されない.掘り返され糾弾されるだろう.

一方,それは杞憂で,その専門家集団への信頼が厚く当人達に明らかな瑕疵がなければ,そう簡単には事態は動かず,権限委譲は続き民主的関与の要求も起こらない可能性もある.が,小さな瑕疵はどこにもあるだろう.問題点は情報戦により意図的に作り出すことも可能だ(例:「キールアーチ」).

例の「G型大学×L型大学」というのが,そのような委譲への疑問の投げかけであり外部からの民主的関与のひとつだと仮定した場合,それに対する専門家集団の対応は上手く進められているとみてよいのだろうか?(あまりそうは思えないが)

「ネットならモノ申せる」「ユーザー/市民参加型」「直接民主制的を可能にする」的な「空気」が拡がる以上,あらゆる分野において専門家への権限委譲に疑問が呈され,民主的関与の要求が増えるだろう.それは避けらない事態で,また正しくもある.だが,暴力的な関与をも認め,面白がり,尻馬に乗るのは果たして正しいのか.

というのがモヤモヤの正体だったのかなぁ‥‥とか.明日になったらまた変わりそうな気もするがw

という訳で,それにつけても思うのは,ユーザ参加型社会の未来に「研究」という糸口から取り付いた,江渡さんニコニコ学会βの先見の明の鋭さである.うん.

本当に置いてけぼりにされてたら置いてけぼりにされたとは思わない

昔は,実際には超「おいてけぼり」状態だったが,「おいてけぼり感」を民衆は持ち得なかっただけなんちゃうかと.説明の量・質,情報の量・質であれば今の方がはるかに多い・良いであろう.

信任にしても,別に64年時点でオリンピックに対する個別的な信任があった訳ではなく,もっと別の「大きな物語」への信任についてくる「おまけ」みたいなものだったのではないだろうか(大きな物語=成長,とか?).

パクリだ云々の話にしても,なぜみんなこの話がこんなに好きなのかまったく分からないのだけどw,これにしたって"noisy minority"が,アテンション・エコノミー,アフィリエイト・エコノミー,炎上エコノミーにドライブされて無駄に増幅されてるだけで,(SNSでは面白がっていいねとかシェアしている人々も実はというのも含めて)多くの人は別に何ともどーでもいいとしか思っていないんちゃうかという気が.

また,競技場にせよ何にせよ,ネットの巷の「こっちの方がいいじゃん」が本当に良い試しがない.過程を事後的にどの程度公開するかは議論があろうが,選考過程はプロフェッショナルに委託するしかないだろう.

エンブレムのリユース等が「ガチガチ」なのは,音楽著作出版や書籍出版で起きていることと多分一緒で,過去においてはガチガチ系の方が経済性に優れていたし,今でもそうだと信じられているから(そしてそれは多分事実)なのだろう.オープンでシェアにすることで,多少の経済性を犠牲にしても,「信任」が増えるのであれば考えられなくはないが,恐らくはそのオープン&シェアにおける主なメディアになるであろうネットの現状がこれじゃ,そっちに足を掛けるには普通はならない.ネットがdisりにも盛り上がりにも使われ得るのは裏腹ではあるけど,卵鶏どっちが先問題ではないし.

ひょっとしたら,日本じゃなくて,ギリシャとかロシアとかブラジルとかは,「勝手リユース」でどんどんと盛り上がってたじゃないかという気がしないでもない.日本でそれを妨げているのは実は組織委ではなく,コンプラ体質,私刑体質(一周してるな),そして何故か時としてお手柄主義の日本の警察さん達,とかだろう.

おでんの件も,正面から訊かれたらそう答えるに決まってるが,仮に強行掲示したとして恐らく何がどうなる訳でもない.その一方で,コンビニ本部の動きは洒落にならない事態になることは確実だ.

————

↑これだけ読むと完全に意味不明ですね(笑).これは,ここら辺の話

  • 姉川 たく – facebook

    多くの人の五輪エンブレム不信任の根底にあるのは、こういう思いなんじゃないだろうか。おいてけぼり感。エンブレム選考基準の中にどのくらい「みんなのテンションをあげて、一つにしよう!」みたいな、ここ何年も日本に漂う閉塞感やムードに答えるための議論がなされたかは、ブラックボックス化されているので、外からはうかがい知れない。でも、デザインやパクリ云々の前に、まずそこから掛け違えたんじゃないか?……

  • 遠山 緑生 – facebook

    ほんとコレだけど、コレはそもそも可能なんだろうか?
    ちょうど「角川インターネット講座 (4) ネットが生んだ文化誰もが表現者の時代」の川上量生「日本のネット文化と精神風土」の嫌儲厨の説明とか読んでたんだけどさ昨日。
    なんだかまだよく分かられてなくて、……

を読んでの感想というか,溜まってたことを一気に書きたくなってのチラ裏&一気書き,でした.

あのころは皆がのみ込まれていた

うん,そうですね.

そして加えて,なぜ紅衛兵は子どもたちだったのか,ということに想いを馳せるべきだと思いました.

あのころは皆がのみ込まれていて、たとえ逃げたくても不可能だった。私の中にあった優しさとか美しさといったものは徹底的に、取り返しがつかないほど『設定されて』しまっていた
文化大革命の「悪」、元紅衛兵らが告白 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

若さと無知、扇動され、邪悪に走り、物事の善悪の区別がつかなかった
(同上)

「正義」の観念。そして、「敵が誰か、味方が誰か。これが革命において最も重要な問題だ」という紅衛兵司令部に書かれてあった文言。
書評:ある紅衛兵の告白

付け加えて言うならば,「今」においては「若さ」は実年齢面からいえば意味をなしていないと思う.どちらかといえば,「無垢」そして「無知」だろうか.

Yesterday, Today, Maybe Tomorrow

横アリでのREBECCAの復活ライブ,日頃は口の悪いツイッタや2ch界隈も絶賛ばかり(実はこの世代は人が良いのか?w)

一方でメディア的には,取り上げているのは芸能ニュース界のみで,音楽メディア方面は黙殺.なんか時代の断面としてとても面白い気がする.

と思ってたらBARKSにレポが.
【ライブレポート】REBECCA、再結成を迎えた20年ぶりの熱気 | REBECCA | BARKS音楽ニュース

‥‥‥‥

ライブはですね……

ガールズ・ブラボーの間奏弾いてるときの土橋さんの笑顔(機材一覧知りたい.Jupiter-8あった説があるが本当だろうか),Maybe TomorrowのDr.+Per.アウトロ,ていうか小田原さんのロートタム.

そしてなによりNOKKOさんのボーカル! 褒め称えるしかないわ,あれは.

それから忘れちゃいけない,76th Starの”Perfume” !!!(私はアレンジもボーカルもダンスもビジュアルも全面的に肯定派です!)

P.S.
ちなみに土橋さんの機材はこんな構成だったようです.

  JD-XA  KingKORG
Jupiter-8 FA-08 FA-06

Jupiter-8のラックの中身はキーボード・マガジン10月号に書いてあった気がした(いま手元にない).

複雑な不幸

「この国を、複雑な幸福を守れる国にしたい(メレ山メレ子)|ポリタス 戦後70年」を読んで.

私は,今の日本は世界の中でひときわ「複雑な不幸」を抱える国なんじゃないかと思った.相対的にみれば飢餓・貧困・暴力・差別・弾圧・圧政・腐敗等々は少ない [1] であろう一方,幸福度調査では中位に留まり,その下落傾向は最悪に近く,また若者層が自己肯定感や希望を持たない国 [2, 3] ,日本.

現状が「複雑な不幸」だと仮定した場合,そこから真っ直ぐに「複雑な幸福」を目指すべきなのか,それともいったん「単純な幸福」を回復すべきなのか.

どっちなんだろう.分からん.

[参考文献]

[1]
Home – World Happiness Report
[2]
平成25年度我が国と諸外国の若者の意識に関する調査報告書(PDF版) – 内閣府
[3]
特集 今を生きる若者の意識〜国際比較からみえてくるもの〜|平成26年版子ども・若者白書(概要版) – 内閣府

表現力から伝播力へ

その昔「ゴー宣」華やかなりし頃,漫画の表現の力はとても強く,文筆で小林よしのり氏と論戦するのは刀と鉄砲の戦いみたいだな,と思ってた.

時は流れてインターネット/SNSの時代,カジュアルでインスタントでポータブルな大量破壊兵器が市民の手に手に「戦場」の様相は全く異なるものに,的な光景に感慨を禁じ得ない.

今週のベスト10

ふと目に留まった記事.

70年代って洋楽のファンがいて、歌謡曲を聴く一般の人がいて、そのふたつが混じっているところがすごく少なかった。歌謡曲を聴く人は洋楽は聴かないし、洋楽を聴く人は歌謡曲をバカにしてるし。だけど僕はね、全部の音楽を均等に聴いてたクチなんですよ。

ROLLYが語る、70年代日本ロックへの深すぎる愛情「カバーアルバムを作るため家にスタジオを作った」|Real Sound

そうなの? 歌謡曲も洋楽も聴いてた(そして聴き続けた)ヲレは少数派だったのか‥‥

たぶん私が両方聴くのは,そもそも最初のチャート音楽への接点がTBSラジオの「TBS今週のベスト10」だったからだな.この番組は久米宏と小島一慶がパーソナリティで,それぞれが「歌謡曲」と「ポップス」の担当.2人がサイコロふって(チンチロリン)勝った方の曲が(沢山?)かかる,という今考えても謎な番組.チャート1位の曲が掛からないこともあったようなw 歌謡曲側では「神田川」や「学生街の喫茶店」が1位を突っ走っていたけど,子供ながらに例えば「学生街の喫茶店」の微妙な洋楽(「ポップス」)臭等は感じていたような気もする.

「TBS今週のベスト10」が小学生時代だとしたら,中学生時代は,FM東京の「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」と「DIATONE ポップスベストテン」だ.土曜日の午後,歌謡ベスト10はどんなに急いで学校から帰ってきても最初からは聴けない.歌謡ベスト10はベスト10といいつつも,資生堂やカネボウのCMソングはどんなに世間でヒットしてもチャートインしない,大人の事情に満ちたランキング番組w そしてDIATONEポップスベストテンのジングルは今でも頭に鳴り響く.

まあ,幸せな小中時代だったと言えよう‥‥