2002/09/11 (水)
という訳で、"September 11" である。
1年前に "September 11" について何も書かなかった理由は、昨年末の日記に書いた通りだ。そこ書かれた気持は、今も、全くと言って良い程変わっていない。
ともあれ、あれから1年、いまだにあのときの映像を見るたびに頭の中に甦る、いや、ずっと胸のどこかに引っ掛かり続けている言葉が、表題の、
Low technology, High concept
という言葉だ。
誰が最初に言い、私はどこで最初にこの言葉を耳にした(目にした)のか全く覚えていないのだが、おそらくは、CNNかABCあたりで誰かが言っていたのだろう。今回のテロの特性を良く表した言葉だということになっている。
私は常々、
good concepts, simple technologies
を追求することこそが研究の美学だと考えていた。そして、
low-technology, "high-concept"
は唾棄すべき道だと。(ここでの high-concept とは、いわゆる引用符付きの、ハリウッド用語(?)の、逆説的な意味での、high-concept だ。)
もし今回のテロが「ローテク・ハイコンセプト」であるというならば、それが実際にもたらしたこの効果の絶大さは何なのだ? 敢えて言ってしまおう、この『美しさ』はいったい何だというのだ? 所詮我々はハイコンセプトに誤魔化されてしまう程度の代物なのか?
それが受け入れられない私は、今回の行為が実はローテク・ハイコンセプトではないことを示してみようと考えた。
曰く、ジェット旅客機やWTCビルこそハイテクの塊だ。曰く、単なる一兵卒とは異なり自爆攻撃を遂行できる兵は実は極めて大きなリソース(の消費)だ。曰く、実はアメリカが予想外にナイーブで打たれ弱かっただけだ。曰く、我々は事件の結果にではなくアメリカのナイーブさに驚いたのだ。曰く、単にビジュアルに負けただけだ。曰く、ビルが倒壊までしたのは単なるまぐれだ。
どれももっともらしいようで、もっともらしくなく、決定打に欠ける。結論は出ず、そしてハイコンセプトに昂揚する自分。
それを認めるのは悲しい。
一旦認めてしまうとただひたすら安易な道に落ちていってしまいそうな自分。それが悲しくもあり、恐怖でもある。
結果として、自分の中で戦うべきものが、何かひとつ、metaなレベルで増えたのではないかと思う、この1年である。
うーん、駄目だ。全然まとまらん。でも日付モノなので、無理矢理まとめる。
最後に蛇足ではあるが、NEWS23、視るに耐えん。とっとと終われ。
2002/09/09 (月)
現在、2002年9月10日0時50分。6日の日記のタイトルにしたフレーズがgoogleに捕捉されたことを発見。げー、すげー。7ヶ月も放置してあったページの更新が、なんでこんな即座に見つかるんだ…
そりゃ、まぁ、多少の過去の栄光も無い訳ではなく、PageRankも人並みにはある(ツールバーで’g'と’e'の間くらい、って書いて意味あんのか?)ページなのは確かだけど。
でも引っ掛かるのはインデックス・ページの方だけで、当日分のページはまだ(?)見つかってないようだ。まあ、日記の各ページのPageRankは’P'未満だからそんなもの? というか、そういうことも考慮した探索アルゴリズムなのか。(単なるbreadth-firstの産物かもしれないが。)
ちなみにこれ、gooにはまだ見つかっていないんだ。さらにちなみに、こないだのgooglewhackはgoowhackでもありました。
これは今後も目が離せないな(なんのこっちゃ)。
さて、『個人ホームページのカリスマ — 月間5億ヒットの秘密 (金田善裕著)』なぞをパラパラとめくってみる… と、そこには驚愕の新事実が!!!
って、そこで初めて知っただけなんだけど、ばうわう深瀬(呼び捨てかよ :-)って、俺より年上だったのか。てっきりそこらのくそガキ (-_-; かと… その年であんなことやらこんなことやらしてたのか。
あんなことやこんなことがどんなことかというのは最早記憶の霧の彼方で何をreferしたら良いかすら分からないけど、とりあえず、これとか? (自分のページのあんなことの記述は全く意味不明。良くないページの典型か)
上の本の中では「当時のこと」にも触れられてたりするが、確かにdog yearで遠い目にはなるけれども、いやぁ、そんなこともありました、若気の過ちで、わははは、というほど遠い昔ではないというか、非連続ではないとも思うが…
しかし、たしかに、今がこうなってみると、過去が全て残ってるのはツライ部分もある。のりくん(って先生に失礼だぞ!>自分)も制限かけちゃったし。私もRimnetの会員である意味は他にはほとんど無くなっているので…
ま、この(distributed) archivingがいつか何かを生むというのは信仰に近いので致し方あるまい。
とはいえそれがgoogleに支配されているという構造にはイマイチ納得がいかん今日この頃でもある。うむ。
(この項続く、のか?)
2002/09/07 (土)
ひねくれた態度をとっていても意味はない。素直に認めます。これは良い言葉だ。
でもなにが起こるか分からない世界なら、全ての確信は希望であり、また希望こそが最大の確信でもあると思うのです。
— 宇多田ヒカル / Message from Hikki / [大事なお知らせ]より引用
うん、良い言葉だ。ヤラレタな。やっぱ、もう、21世紀なんだ。
たまってた新聞を眺めたり…
田中康夫長野県知事、良かったですね。
これから大変というか、どうにもならないのは、旧来のモデルのなかで旧来の知識・能力に依り生きてきた人々なのでしょう。これは別に県議町村長土建屋という意味だけではなく、たとえば朝日新聞9月2日付第2社会面にコメントを寄せている早坂茂三のような人々、という意味も含めてです。まぁ、「(談)」記事とかインタビュー原稿とかを信用してはいけない、というのも私が過去数年で学んできたことなので、書いてあることの酷さをあげつらうつもりは無いのだけれど。
でも、たぶん、実際、大変というか、すでにどうしようもない状態なんだと思う。
私は現在、(ある意味では)ここ数年『特異な状態』にある某市区町村在住なので、そこで見聞きする旧来型土着系保守勢力の疲弊度というか、その結果としてのレベルの低さには、もう呆れ返る限りなのだ。やっぱあいつらは隠居するか死ぬしかないのか(ひでえこと言ってるな :-)。
それにしても、鍋とアイロン。他人事だから故、余計気になる、みたいな(笑)。
で、田中氏に戻ると、復活なった知事ページのここら辺とか見直すと、ちゃんとやることはやってるんだね。
私が見聞きした(数少ない)話からすると、ビジョンのためのビジョンやら組織の改編やらは99%何の役にも立たないけど、金の付け換えはナンダカンダいって施策として有効なのだよね。まあ、だからこそ、今からならまだ14年度予算も引っくり返せる(来年の改選後では間に合わない)と思ったが故に、彼らも不信任決議に及んだのだろうけど。
是非とも頑張ってください(誰に?何を? :-)。私は「憂国呆談」が読めればそれでいいや(をいをい)。そういえば単行本はどうなったんだ? あ、やっぱでも、「真っ当な料理店」シリーズも読みたいなぁ。そういえば、裏道紹介コラムとか好きだったよなぁ。何だっけ、あれ。既に完全に忘却の彼方…
- 注
- 上の『私が見聞きした(数少ない)話』ってどこの組織のことだとか、そーゆー部分には余り気をとめないように。いや、最近、変なガイドラインとか多くて… (←全く真面に取り合おうとしてないヤツ :-)
という訳で、今更すねた態度をとっていても意味はないんだ。確信と希望を手に21世紀を生きよう。うん。
2002/09/06 (金)
という訳で本題。
昨日、部屋に戻ってくるとき、ついでに佐藤くんに聞いたんだけど、やっぱ、(参照)共起してる場所の距離を有効に表現でき、かつ、現実的に計算可能な尺度っていうのは、難しいのかなぁ。
これは単に、キーワードをandで喰わせた時すんげえ離れた所でマッチしたページが当たるのがウザイ(を、Googlewhackだ)問題に対応するためだけではなく、いわゆるひとつの、木實さんがpp-mlで言ってた『Tommy february6の"everyday at the bus stop"の00分30秒-00分50秒あたりってNew Orderの某曲に似てますよね。…、曲名が思い出せないので…』ってサーチしても簡単には分からないですよね問題は、誰かかどこかで『"bizarre love triangle"にクリソツー、でもそれってfrente!のカバーでしょ?』って書いていれば発見出来るんじゃん?手法に繋がるのではないか、という思いがずっとあるのだけど(お前はこのネタ1年も温めていたんか :-)、何とかなんないもんかね。
Googleもそこら辺、イマ3だよな。イマ3とはいえ、Googleツールバーなしでは最早生きていけない体になりつつあるし、最近は、Googleを以て常識と為す、感がますます増加してるし。
ということで、Googleで驚いた私の常識/非常識:
- MONGOL800、いいよな。好きなんだよな、かなり(これはホント)。別にNed’sに似てるから好きなんじゃないよ。え? 似てない? 似てるよ、ほら。あれ? ほら。あれ? ほら。あれ? ほら。あれ? ほら。あれ? ほら。う〜ん…
- こら、そこの箱。"不焼"って何だ、"不焼"って。そんなヤツぁ、この世には…、う、1人ずついるな…
うう、リンク張り、疲れた。ちょっと遊び過ぎ…
つーことで更に話は飛躍するが、Google、というか、検索エンジンだ。検索エンジンは基本的にはtext searchをするものだ。しかしtext searchは破綻するものではなかったのか? scaleしないものである筈ではなかったのか? Hypertextが世界を征する筈だったのに、なぜtext searchが人類を支配しているのだ? (.*DBは何も制覇してないけどね、へへ :-b)
とはいえ、そもそもPageRankの有効性(実のところは解らないけど)が一例を示しているように、Hyperlinkこそが現在のtext searchの有用性の鍵であるようにも見える。軒先貸して母屋を取られる? そんな単純な話ではないよな。もうちょっと考えよ、っと。
ということで話を戻すと、単語の共起なのか参照の共起なのかという問題も深そうで、結局よーわからん、となって現在に至る、みたいな。
さて、「表題」も2002年9月6日の時点では存在しないけど、果たして…
2002/09/05 (木)
うん、久しぶりだ。しかし、おかしいなぁ。本当はこの日記以前に「ワールドカップ(たぶんそのX)」シリーズが(幾つか)入るはずだったのに… いかんな、こんなことでは。
だいたい、もう、そのシリーズで何を書くつもりだったのか忘れつつあるかも。まぁ、でも、一番強く感じたことは忘れようとしても今でも忘れられないのでダイジョウブだ。とはいえ、このまま忘却の彼方へと飛んでしまうといけないので、一応テーマだけは書き留めておこう。
- テーマ
- 今回、2002 FIFA World Cup™ Korea/Japanの試合のチケットがどうしても欲しかったにもかかわらず入手できなかった人は、現代社会を生き抜く上で必要なものを何一つ(あるいは、一つしか)持たない人間である。
あれ? おかしいな? こんな暴虐無人な結論だったのか? 確かに一行で書いてみるとそうなるな。おお、そうだったのか(笑)。
よし、じゃあ、
- サブテーマ
- ネットワーク・リテラシーの重要性
だ。うん、なんか、ちょっと、もっともらしいぞ。これで何とかなりそうだ(何が)。
と、これで書いた気になって満足しそうだなぁ。そうならないようにね! っと。
というわけで、今日の分は、ウォーミングアップということで…
ウォーミングアップついでにこれも書いておこう。
eAccessの長谷川京子のCM、なんかエッチすぎ。あのTシャツ(?)脱いだときの乱れ髪が…
でも、あの、「へ〜、そぅ?!」(と上のページには書いてある)は駄目だな。台無し。何も言わずにカメラを視たまま3秒間無音で静止すれば良いのに。したら、絶対、画面から目を離さないわな。
って、それが久しぶりに言うことかよ(笑)。以上。
11日になって、「久しぶり」というタイトルは95年9月6日に付けられてたことに気づく。1日違いというのが恐ろしいな。という訳で、投げやりに改題 :-)。
2002/02/18 (月)
ぐううううううう。前言撤回かも。
今日、SPACE SHOWER TVでon airされた"MUSIC CAPSULEの「元ちとせ特集」、凄すぎ。ひょっとしてライブ版の「birthday」、Björk越えてるかも(やっぱそんなことはないけど < どっちぢゃ!)。
ライブの方が当社比5倍増くらいの人だったのか。あーあ、もうin store liveの整理券とか、どこのも残ってないんだろうなぁ。こんなことなら面倒くさがらずに新宿まで行くんだった。
私的には、かなり最終兵器に近いかも…
2002/02/15 (金)
リンク付きテーブルのupdate.
注1: リンク先は「おくすり110番」の「ハイパー薬事典」のもの
注2: 「葛根湯…」の「センキュウ」の「キュウ」は正確には『弓』の上に草冠が付く。
注3: 初期の頃の記憶はかなり怪しい。トリルダン(HMR=塩野義)/テルフェナジンを内服してた時期もあった気がするけど、よく覚えていない。
2002/02/14 (木)
ISOだのEMSだのJABだの相変わらず三文字略語が多い世界ではあるが(リンクは張らないも〜ん :-)、要するにこの建物も"Do"のフェイズに入るための設備が整いつつある、ということで、ゴミ分別の実現方法が変った。
色々と意見がある人もいるようだが、個人的には分別は積極的にすべきであるし、分別するなら可能な限り情流、変換違い、上流でやるべきだと思っているので、是非とも実行したいものだ。
しかしながら、一般に、いくらその計画、要求事項、目的、目標が正当なものであっても、その設計仕様やインプリメンテーションに誤りがあったり、非効率な部分があったりすると、結局全体の目的は達成されないものである。
ということで、早急に、効率の良いcache機構の設計と実現を行う必要がある。取り敢えずはlevel 1 cacheの実現からだなぁ。
ところで、仮にここで優れたcache機構が設計・実現されたとして、それが果たして"C"と"A"で反映されんのかゴルァ、と思わせてしまうのが、自分はHQだと勘違いしているBOモドキ(と我々と)の最大の不幸である。
何のことやら… :-)
2002/02/07 (木)
うーん、ついに買ってしまった。というか、ついにメジャー・リリースされてしまいましたね。元 ちとせ/「ワダツミの木」。こんな危険なものがそこらのレコード屋で買えるなんて(懐かしいフレーズ)…
しかし、たった3曲で我慢せい、というのは余りに辛すぎる。ヘビーローテーションにも限度がある。こうなったら、青盤/赤盤 (勝手に命名してるし :-) と3枚まとめてCD-Rに焼くか… しかしそうなると曲順が問題だな。『冬のサナトリウム』を最後に持ってくると、「ひこうき雲」っぽいかも。 < ぢぢい、違うぞ! :-)
でも、もうちょっと地味に行くのかと思ってたら、結構、プロモーション激しいですね。「その声は、100年にひとり。」とか、余計なこと言わなきゃいいのに。そんな言葉がこれっぽっちの意味すら持たない、そんな謡唄いなんだからさ。色々覗いてみると、プロモーションのお陰か否か、結構売れてるみたいですね。あんまり売れて欲しくないなぁ、とかいうのは余りに月並みなので、言うのはやめます。:-)
それしても、今度は奄美大島ですか。で、煽りが、「辺境からやってきた少女」、か。
ここで言ってる『辺境』っていうのは、日本と琉球のborderlandって意味なんだろうね。そうなのかなぁ。行ったことないから分からないけど、いつか行ってみたいな。奄美大島。
それにしても、何なのだろう? この気持は。
例えばいま東京で生活している私にとって、何かしら、marginalなものへの憧れがあることは確かだ。実は単に、島唄、コブシ、奄美大島、といった道具を使ってその憧憬が煽られているだけ? その可能性がないとは言い切れない。
でもやはり何か、いま彼女がメジャーデビューすべき理由があるような気がする。
実は、こないだのNHKスペシャルの中で川久保さんが言っていた今シーズンのテーマ、つまり、『精神的にpureな、cleanな方向』、『地に足を着けて生きている人達の精神性』、『精神的な意味でのethnic』といった言葉と彼女の唄が、昨日からモヤモヤと繋がってしょうがないのだよね。単なる偶然の一致かもしれないし、これが今(Spring 2002)求められているものなのかもしれないし。そんなことは、ぜんぜん分からないんだけどさ。
で、結局、3枚分、順番通りに焼いた。
01. Birthday
いきなりイイなぁ。でも、さすがにこれはsugarcubes (Björk)の方が上だなぁ。コブシもBjörkの方が都はるみ入っててイイぞ。っていうか、そもそも自分的にはBjörkと同じ俎上に載るだけで凄いと思う。思わず久しぶりにsugarcubesも聴いてしまったよ。(で、発掘した"Birthday Remix CD"はカビが生えてた。大ショック。;o;)
02. 名前のない鳥
は、巷では大評判のようだけど、実は私はそれほど良いとは思わないのだけれども… (ということで、実は、山崎まさよしプロデュースとかいう事態が発生することなく、上田現・間宮工路線でこのまま行って欲しいと切に願う、今日この頃。)
03. Sweet Jane
は、なんつーか、ひょっとして「ay fond kiss.」に入ってる? とか言われても全く違和感ないんじゃないかと思ったり…
…全曲コメントする訳ではないぞ。
05. 冬のサナトリウム
ぐぅ… やられた…
07.(←勝手にふるなよ :-) コトノハ
佳作だねぇ。
09. 竜宮の使い
やっぱこれが一番イイねぇ。泣くよ、これは。上田現、って知らない人かと思ったらLÄ-PPISCHだったとは。知らなかった、ごめん。
10. 精霊
これも佳作だ。やっぱ赤盤、いいなぁ。
12. ワダツミの木
しかしよくこんな曲をメジャーデビュー曲に選んだものだ。5年前だったら有り得ないことだと思う。『邦楽』の許容範囲が広がった、と言うと陳腐な表現だけど、まぁそういうことなのかも。09と同じく、(クラシック)レゲエのボキャブラリーを使ってるんだけどレゲエではないのが不思議かつ見事としか言いようがない、上田現、作。
全14曲、58分56秒。
しあわせ…
追伸.「björk」も「LÄ-PPISCH」も簡単に書けるし、CDはすぐに焼けるし、良い時代になったものだ…
2002/01/28 (月)
コム デ ギャルソン,COMME des GARÇONS. (Helveticaでいいんだっけか? 忘れた…)
うーん、何も考えなくても、あっさり表示されるんだね。いや、それはとっくに分かってるんだけど、最近、一身上の都合でMosaic-L10Nをホジクリ返してたりしたもんだからさぁ、つい…
つー訳で、再放送も真剣に観てしまった、NHKスペシャルの『世界は彼女の何を評価したのか 〜ファッションデザイナー 川久保玲の挑戦〜』。
以前から、年に2回(あるいは4回)ずつ必ず新しいコンセプトを提示し、あれだけ大量の新しいものを作り(そうじゃない人もいるのだろうけれど)、他者からの評価に晒され続けるファッションデザイナーという人種は、凄まじい連中だと思ってたけど、あれを観ると改めて感心してしまう。
我々にたとえてみると、研究室等のチームを率いて、年に2回、必ずpremium conferenceで論文を発表し続ける、というイメージか。居るには居るよね。石井さんくらいやってると、そんな感じだろうか。でもそれを20年間続けるというのは…
まぁ正確に言えば、例えば川久保さんが言うところの「同じことは二度とやらない」ということが我々的にどれくらいの差分に相当するのかが、今ひとつ想像できないんだけどね。
ま、程度の差はあれ、前進し続けなければならない、ということだ(大きく自戒)。
番組中のコレクション作品の制作過程は観てて非常に興味深い。私は洋服のことなんか全く素人だけど、一番驚いたのは、パタンナーが生地(素材)知らずに形を作ること。そんなこと可能なのか? あ、川久保さんだけは知ってて指示出してるのか。川久保さん1人がコレクションの全貌を把握していることが、完成時に周囲に与える神秘性の一因なのかもしれない。まぁ、そうじゃなくても凄い人なのだろうけど。
あともう一つ、ほんとにあんなギリギリまでやって、ほんとに完徹のまま成田直行なのか? 私と一緒じゃん。< 一緒にするな! :-)
ほんとにみんな服と一緒に同じ飛行機で行くのかなぁ。もし落ちたらどうするんだ。大相撲の海外巡業じゃないけど、せめて川久保さんと淳弥氏は別の飛行機に乗って行って欲しいものだ。って、大きなお世話だな。
それにしても、あんなん観たせいで、(本放送の後) 1年半ぶりくらいに店に行ってセットアップとか買ってしまった。HOMMEだけど(関係ないじゃん :-)。あとはヤフオク漁ったり。現在かなり惹かれるものが1点有り。どーしよーかなー。
ということで、ついでなので、某所(あ、消えてら)で読んで気に入った川久保さんと淳弥氏の言葉(の英訳)を再掲して締めよう(もう一つの再掲はやっぱり隠しておこう)。私は、こう言える淳弥氏が、正直、とても、うらやましい…
"What I do is not influenced by what has happened in fashion or culture. I work from obscure abstract images to create a fresh concept of beauty."
"I try to make clothes that are new, that didn’t exist before and hope that people get energy and feel positive when they wear them. I believe that creativity is an essential part of life." — Rei Kawakubo
"Rei has taught me everything about how to create."
"I cannot tell the future except that I will dedicate my energy to every collection. Moving forward without thinking of consequences is important." — Junya Watanabe
ということで、コメント&隠しリンク保存の、2chで見つけたAA.可愛いなあ。AA職人偉し :-)
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.|__| _ゝ/_| < 川久保ですが、何か?
> ーく \
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| ∠lニニノ
|`ー—'|
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