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1995年05月07日から2003年03月30日まで,RIMNETをホストとして,Alternative Toshi TAKADA | Intermittent Diary ― とぎれとぎれの日記帳… として書かれていたもの

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シモの世話

週末(特に土曜日)は花粉症がひどかった。しむかとおもった。でも会社に行くと非常に楽になるんだな。なぜかというと、私がいる建物は元々半導体プロセスの実験をするために作られたビルで、建物自体の気密性とか空調の仕様が結構バッチグーらしく、多分、花粉が建物の中まで入ってこないからだろうと思われる。実際この建物内にはクリーンルームとかがあるみたいうだし(しかし、何の因果で計算機屋がこげなとこに… しくしく ;o;)。で、そのクリーンルームの中の中にはヒ素とかトリクレンとかが充満してるのだな、きっと。


という訳で(お約束の展開 :-)、昨日ビデオに録っておいたNHKスペシャルを今日観た。

ま、観たからどうだっていうこともなく、結局いつもの通り、「怖いっすね〜。あの処理工場の人達は偉いですね〜。企業/研究機関/病院その他諸々許せませんね〜。でもそうやって生まれた科学文明の成果を享受しているからこそ、薬で花粉症を押さえられるし、こんなことして他人に日記を読んでもらうようなこともできるようになったんですね〜。私は一体どうしたらよいんでしょうね〜。分かりませんね〜」で思考停止してしまうので、しょうもない。

しかし、「自分で自分のシモの世話もできないような奴に生きる権利はない」とか言うとき、対象が大企業とかだと左翼社会正義派ドンピシャ的発言になるのに、対象を老人にしてしまうと言語道断弱者切捨ハンターイ的発言になってしまうのは、なぜなのだろう。

そりゃ、大企業と老人は違うよね。でも、大企業側に立つ/弱者側に立つ、と、他人のシモの世話もすべきだと思う/思わない、は、本来独立した思想座標であると思うのだけど、なぜに世間一般ではそれらが一つの座標に投射されてしまうのだろう。独立な座標じゃないのかなぁ。違うのかなぁ。

自分で自分を考え直してみると、自分の立つ座標上の位置は、後者は「自分のケツは自分で拭け」であることは明らかだけど、前者についてははあまり考えがない。どっちの側に立とうとも思わない、別に弱者の側を気取ろうとも思わない、かな。(大企業に庇護されてて何を言うか、ってか。ごもっとも -_-;)

大学/研究機関/企業/国の庇護(と勿論その内部での自助努力)によって成立していた近世的インターネットは、明らかに「自分のケツは自分で拭く」ものだった。しかし、一般消費者(=「弱者」と定義されるのが好きなようだ、日本人は)相手に商行為を行なうサービスプロバイダが登場した現在、「金取っときながら自分でケツ拭けとは一体何事だ!」という一般消費者の言葉は、団結ガンバロー的文脈に立てば正当なセリフになるのかもしれない。

<脱線>しかし、こないだの番組(もはやデフォールトのリファレンス先はここ :-)で、高橋徹さん@東京インターネットが、「企業は金持ってんだから企業にどんどん使わせてコストを下げる。で、個人がその低コストを享受すればよい」とか言い切ってましたね。みんなそう思ってるのは事実だけど、社長があんなこと言っちゃっていいんですかぁ? いいのか。でも、偉いなぁ、徹さん。(注:この項、皮肉とかじゃなくて褒めてるんですよぉ :-)</脱線>

で、個人的結論は何かというと、シュプレヒコォール的文脈は嫌いだし、それ以上に近世的インターネットに対するノスタルジー(例えば日本における「JUNET幻想」)ひたりひたり状態は大っ嫌いだけど、座標を2つに分けちゃえば、それらとは関係なく、現代においても「自分のケツは自分で拭けよな」と言える訳で、よかったよかった、という。なんじゃそりゃ。


P.S. gonzapさんのこのネタは色々言いたいことあるんだけど、今は言わずに、今月12日発売のbit 4月号が出た後に一発ブチかますことにするっす。

P.P.S. 過去の日記から推察するに、私ゃ、大垣さんと間宮さんと同窓です。で、たぶん、お二人の方が1コ上です。とりあえず、本館は2食のチキンガーリックを喰いながら10年前に卒論書き、とか言っとけば通じるでしょう。:-) > 大垣さん

桃栗3年ウェブ8年

3月3日、桃の節句ですな。

思い起こせば3年前の3月3日にinfotalkはスタートしたのでありました。3年かぁ。激動の3年間であったよなぁ。まさかこんなことになるとわ(最近お定まりの文句 :-b)。

で、WWWはといえば、こいつぁ1989年3月に始まった訳で、いよいよ8年目に突入ですね。WWWは一体何年で実を結んだ or 結ぶのだろう?

この3年間 or 8年間で何が変わったのか? ま、何も変わっとらんと言えば何も変わっとらんけど、でも、きっと色々な人の意識のどこかで何かが変わっているのは確かだな。うまく言えないけど、今まで遠くにあって見てることしかできないと思っていたものが、実は手を延ばせば自分の掌に収めることができるものだったということが分かってしまったということ。なあんだ、そうだったのか、みたいな。

この「なあんだ」感が人々に行き渡ってしまえば明らかに世界は変わってしまうのだろうけど、ではそれを、「偉い人が僕たちの腕を伸ばしてくれたんだよ。ありがたいねぇ」って受けとめるのか、それとも、「今まで僕たちそれに手が届くなんて思ってもみなかったんだよ。だから手を延ばそうともしなかったんだ」って思うのかによって、その世界の変わり方は全然違うのだろうな。

ま、他人の意識には口出しできないのだから、んなことは考えててもしょうがない。

さて、これから3年、どうやって遊ぼうか。楽しみだな、っと。

012737

全世界410万人(推定)の2月29日生まれの方々、お誕生日おめでとうございます。

しかし何ですな。「1日が30時間あればいいのに」とかはいくら思えどかなわぬ夢的な扱いをされるものですが、実は1年を1日増やすのは簡単なんですね。別に誰が困っている訳でもなし、文句言ってる奴がいる訳でもなし。時間や暦というのは政治であり権力であるからして、それを支配されることに関しては、もう人間は完全に慣れ親しんでしまったんでせうか。

まぁ、その手の処理を行なうプログラムを書くのは面倒くさいですね。でも、例えば暦の支配体系が変わった瞬間にその処理を変更することのできないプログラムは、それは下手くそなプログラムであって、んなプログラムを書く奴はhang the programmerというか。あ、実はそれはプログラミングではなく、正確には、システム設計、ちゅう奴ですね。


という訳で、今日は、木村泉先生の最終講義があったので、我が母校まで久々に行ってきました。

久々といっても、去年のソフトウェア科学会の震災シンポの時に行ったのだから最後に行ってから1年も経ってないのだろうけど、にしても異常に懐かしく感じるなぁ。ちょうど10年前に卒論書いてたんですね。しみじみ。行ってみりゃ本館の2食の脇とか壁が剥がれかかって周囲立入禁止とかになってるし、大丈夫か、我が母校。でも、本館とか歩いてると本当に懐かしいよな。今でも単位取れなかった夢とか見るし。:-) 「ああぁぁぁ」、ちゅうか。


木村先生の最終講義のタイトルは「知的守備範囲の広げ方」でした。木村節は健在。あのOHPのタッチも異様に懐かしい。

私が学部で受けた授業の中で一番役に立った(今でも役に立っている)と思える授業は、木村先生と久野さんがやった演習で、「(UNIXの) ed互換のエディタを作る」という奴でした。これは、数名のチームで、システムを設計し、仕様書を書き、レビューし、CLUでコーディングし、テストする、というもの(あ、CLUって言語知ってますか? :-)。

私はこれで、チームでプログラムを作成するということはどーゆーことか、システム設計というのはどーゆーものか、抽象化というのはなぜに必要なのか、など、ものすごく沢山のことを学びました。いや、学んだというのはおこがましくて、ちょっとだけ触れることができました、くらいが正確なとこかな。

それからもうひとつ木村先生に習ったのはPDP-11のマシン語。012737って、もう、これは一生忘れないだろうなぁ。書きまくったものなぁ。そういえば今の授業は8086のマシン語(アセンブラ?)でやってるらしい。不幸だなぁ(どっちが :-)。

という訳で、私は非常によい教育を受けていたのだなぁ、と思う今日この頃(当然、当時はそんなことが分かるはずもなく、今になって思えば、だけど)。木村先生には本当に感謝したいと思います。


P.S. ついに力武さんまで日記を始めてしまった。あ、きっと私の場合は、真の創造性が欠如してるから日記なんぞを書いているのでしょう。と言ってしまうと自分でも空しいので、やっぱ、「暇だから」ということにしておきます :-) > 力武さん

ひょえ〜

サ、サスケさん、どっからあんなもん見つけてきたっすか? 一気に脱力する今日この頃。われわれのしてきたことわ正しかったのか? はらひれ、ちゅうか。:-)


「あれ」と、この日記あるいはピクスピANSER ME,その他諸々(一緒くたですまん)の違いを10文字以内で述べよ。解答例:

全然違う亦は全く同じ

ちゅうか。

(すでに使い古された言い回しであるが)「ネットワークは増幅器」というのは果たして本当なのだろうか? 純粋な増幅器である場合もあれば、自分の中の「反自分」を拡大投射できる道具である場合もあるのかもしれない。仮面舞踏会、ちゅうか。

「あれ」は、本当の「あれ」を映したものなのか、それとも実は「反あれ」だったりするのか、そりわ見ただけでは分からん、ちゅうか。同じことは、この日記あるいはピクスピANSER ME,その他諸々(再度一緒くたですまん)にも当然言えることであって、それが分からない限り、上の設問には答えられず、かといってそれが分かったとしても、結局その正答は存在しない、ちゅうか。


う〜ん、おしいな。この「ひょえ〜」という衝撃と、こないだから、「ピクスピ"論争" :-b」を野次馬的に見てて感じていることが、結び付きそうで結び付かない。歯がゆし。


そいからgonzapさん。市区町村コードは100万年前(嘘)からJISで決まってるっす(本当)。JIS X 0401 と JIS X 0402 だったかな?

そう。この日記で表現でき得る文字も含めて(お約束のフリ :-b)、今や我々のすべては日本工業規格に握られているのであった。たかが「工業規格」の分際で、ちゅうか。:-)

自分でバンバンしなさい

なんか今日は寒いなぁ。

という訳で、NHK「新・電子立国日本」のMicrosoft話を観たりしち。いかにもNHKっぽく、持ち上げつつ貶めつつ、褒めつつ罵りつつ、ニュートラルを装ったようで装ってない、なんか気持ち悪ぃ番組。

しかし、みんな、なんであんなにBill Gatesが嫌いなんでしょーかね。じゃなくて、「嫌いだ!」と言ってる連中の声がでかいだけなんだな、きっと。ちなみに私、声のでかい奴はキライです、と小声で言いたい。

にしても、人の足引っ張って自己満足してる奴らは、どこにでもいるのだなぁ。日本だけじゃないのね。いいじゃん、別に、Bill Gates氏が何してよーがいいじゃん。文句あんだったらOSとアプリ自分で作れー、ちゅうか。

<余談> ちなみにここで「社会的責任」とか「公共性」とかいう単語が持ち出されてしまうと、とある事情によりブチ切れてしまうので、言わないでください。とある事情については、いずれ、キレます。:-b
</余談>

文脈自由ですが、私、Bekkoameに文句たれて自己満足してる連中もキライです。特にBekkoameについて話してる時、無意味に「外車」とかいうフレーズ挟み込むよーな奴。余計なお世話です。死んでほしいです。「ダブルのスーツで電通に営業」とか書く雑誌編集者なみに嫌いです(文脈特定)。自分で考えるか自分でバンバンしなさい(意味不明)、ちゅうか。

ま、持ち上げる方にしたって持ち上げる方だよな。Microsoftは何か偉大だったろうか? 偉大だったのは「PC/AT互換」というものだけだったよーな。よー分からんけど。同じ庭に泥棒に入って、結果、盗ってきたのはLisaとWindows 1.0だった。その差はなんだ、ちゅうか。

しかしどれもこれもだしなー。きっと"Windows NT 4.1"という型番あたりがバッチぐぅっす、と勝手に想像してるけど、その頃パーソナルコンピュータは存在するのだらうか。

型番といえば、"MK1301MAV"に恋い焦がれる今日この頃です。はやく出ろ〜。

初対面

つー訳で、今日は、youchanと夏生さんの結婚ぱーちーでした。一度も会ったことない人の2次会に行く奴、ちゅうか。:-)

youchanとは今回が初対面だけど前からメールは結構やりとりしていて、何でやりとりしてたかっつーと、youchanこそ今の日本をこんなにした張本人だからです(俺じゃねー、つーか :-)。

そうか、すべてはここから始まったんだなぁ。2年半すら経ってないのか、まだ。もちろんMosaicの前に、それこそLineModeBrowserとかtkWWWとかもあったし、youchanがやらなくても誰かがきっとやったんだろうけど、一番最初にやった人は一番最初にやったんだかんね、ちゅうか。つー訳で、いま、WWWで当たり前に日本語を使ってる人(つまりこの日記を読んでる人すべてってことだね)は、みんな、おめでとー、って言いましょう。せーの、おめでとー。

「これからは農業っす」とか「あん時みたいな興奮は最近全然ないよなぁ」とか「こんなんなるとは誰も思ってなかったよな」とか「当時は、HTML? あんなめんどくせーもん誰が書くんだー、とか言ってたよな」とか、そーゆー話をしました。なぜか昔話に終止してしまう今日この頃、ちゅうか。


<脱線> しかし、考えてみりゃすげえことだよな。マークアップどころか、こんだけ大勢の人間、しかも一般人に16進RGBで色書かせちゃうんだから。普通「やれ」っつったって絶対誰もやんねーぞ、そんなこと。:-) 16進でしか色指定できないPhotoshopとかPowerPointとか誰が使うか、ちゅうか。 </脱線>


と、話を戻して、そいで、夏生さんは素敵な方でした。「指環お揃いー」「当たり前じゃ」、つーか(意味不明)。

んで、ぱーちーでは、えとさんとtnkのDJの後に、新境地開拓のきくちゃんDJがあったっす。90年代のDJはこーでなきゃいけねーぜ、でも、「音小さくしてください」、とか。もやは恒例の、きくちゃん幹事へろへろっすー、とかあったけど、ともあれ、きくちゃんも幹事ごくろーさまでしたー。

帰りは、えびちゃを乗っけて264を行ったら、第三京浜通行止の影響だか何だか知らんけど、クソ渋滞。人の車ん中でxanimをmakeすんのわやめれ、ちゅうか。:-)

ちゅう訳で、何が初対面だか何なんだかよー分からん状態のまま、でも、Fな人たちって、なんかいい連中っすね。結構気持ち良かったっす。

てな訳で、youchan&夏生さん、おめでと〜。お幸せに〜。

ppp is not PPP

最初に見たとき「だれだこのでぶは」と思ったのは私です。もうしません。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

しかし、これと、あの人が今までやってきた/今やっていることって等価だよな、絶対。できるもんならやってみれ、会津氏に伊藤氏、ちゅうか。

とかいうことを書こうと思ってたら、insideに似たようなことが既に書かれていた。でも、これってネタばらししない方が絶対にいいのに。しかも編集後記で内輪で盛り上がるのって、すげぇセンス悪いと思うけど > 編集部。まぁ、言わずにはおれない気持ちもよく分かるけど。


ということで、今日はppp@halfmoon.ひらりんと岩間さんの追い出し。帰り車の中で白川さんと「その前にpppやったのっていつだっけ?」とか話したけど思いだせなかった。ひょっとして2年ぶりとかそんくらい? ともあれ、今回幹事のakの宇宙のパワーにより、久々のpppが敢行されたのであった。Thanks! > ak.

ちなみにpppとはpostpunk-partyであるところのpppであってPPPではな〜い。って、日記に解説入れてどーする。

相変わらずhalfmoonのカレーは旨いぞ、とか、しらいし画伯サイン会、とかもあったが、よく分からんが最高なのは北村さんの音源だ、つーか。なぜに謎のインド産サントラと"Pet Sounds"とが同居するのだ。最高っす! :-)

てな訳で、異郷で怪しい種を発芽させて欲しい今日この頃っす > 岩間さん&ひらら嬢

でわね。

『新ホームレス考』考

「Windows95より鉛筆」とか言ってる連中をまともに相手にする必要があるかどうかというのはおいといて、言いたいことは言ってみることにしよう。せっかく言えるのだから。なんてね。

朝日新聞夕刊「経済気象台」1996年2月19日付第5面『新ホームレス考』より、

ところがシリコンバレーでは、インターネットのホームページを持っていない企業、組織を「ホームレス」と呼ぶのだそうである。

あ〜、そ〜ですか。そりゃ、よ〜ござんした。

第一にあわてないでいただきたい。ホームページは情報の供給と需要の出合いの場であるから、情報の供給体制を整えるだけでは話は完結しない。ホームページを開設するのはそれほど困難ではないが、提供する情報に対する需要がほとんど無かったりしたら惨めなことになる。(中略)ホームページの開設は、広く提供する情報があり、それに対するかなりの需要が存在しなければ意味がない。

例えば私の個人ページなんぞには、「広く提供する情報」などはないし、「それに対するかなりの需要」なんてものも存在する訳がない。ということで、この日記には「意味がない」「惨めなもの」であると。そりゃ、ごもっともでござんす。


上の私の反応の中で、あえて私がしているのは、「企業・組織」と「個人」を混同して反論(というほど大層なものではないが)している点だろう。でもまぁ、これは経済面のコラムであるし、おそらくここでは「個人」という立場はスコープ外なのだろう。

(「スコープ外なのだろう」と言っておきながらシツコイが :-)ひとつだけ言いたいのは、インターネット云々という文脈で、「組織としての立場やその発言というものをどう捕らえるのか?」「それに対する個人とその発言というものをどう捕らえるのか?」という点をすっ飛ばしてしまうのは、あまりに軽率ではないか、ということ。組織に所属しない個人であるとか、組織の中の個人、というものを軽視するのであれば、

第二に、よく観察していただきたい。(中略)ホームレスうんぬんに驚く必要はまったくないが、パソコンの普及に注目を怠ってはいけないということだろう。

というこのコラムに対して、

ふ〜ん。無理しないで鉛筆でも削ってれば?

と、朝日新聞全体をひとくくりにしたセリフを投げつけたい、今日この頃である。


さて、話を本筋に戻して、「ホームページにおいては(も)、需要のない情報を供給することに意味はないのか」という点。

これについては、私の考えは明らかに異なる。過去にも書いたことがあるので繰り返しはしないが、ひとことで言えば、WWW (あるいはその後継)は、需要のない情報を低コストで供給することが可能なメディアである、ということだ。

この考えが正しいのかどうかは、私には分からない。分からないので分からないままにしておいて次にいく。

次に問題となるのが、「低コスト」はあくまでも「低コスト」であって、コストがゼロである訳ではない、ということ。

ほんのわずかの(今までの意識で言えば無視できる範囲の)需要に対して、(たとえどんなに低コストであっても)コストをかける必要が企業にあるのか? という点。

実際、これもよく分からない。1円とか50銭の単位でコストを削っている企業に対して、そんなことが言えるのかどうか?

と、ここで再び話は「朝日新聞」に戻るのだが、私から見れば、ふだん企業の社会的責任などを声高に主張する人間が「需要のないことなどは、やっても惨めになるだけ」などという単純な理論を展開すべきではない、と思えるのだが、果たしてそれは正しいのだろうか?


ちなみに、ここまでウダウダと書き連ねておきながら、私の個人的結論は、それとはまったく関係なく、

惨めなことになって何が悪い。

である。


正しいことと何でもありなこと

まとめ書きでやんす。

まず金曜日の深夜。「徹底討論! どうなる? 日本のインターネット」は、番組始まった途端面子を見て「あ〜」とか思ったのもつかの間、竹中さんのこれを見つけて、後はテレビ流しながらreload猿、ちゅうか。お蔭で最強に楽しめました。つまらないとかくだらないとか言ってる暇があったら自分で楽しくしよう、ちゅうか。ぐれいと。

とか言ってたらあっとゆー間に番組も終わってしまいの、午前4時。「どうなる? 明日の準備」とか言ってる間に、もう朝6時。う〜む、と言いつつ、寝る。すんまへん。

翌日。雪にもめげず東名を突っ走るも、首都高池尻の平面交差のとこでぶつかってる馬鹿がいてドン詰まり。遅刻して申し訳ありませんっす(_o_)。

「正しい」ねぇ。本来「正しい」なんて言葉は好きじゃない。正しいか正しくないかは自分で勝手に決めればよいことである。♪If you can’t change the world, change yourself. … And if you can’t change yourself then, change the world.♪の順番は絶対に正しいぞ、ちゅうか。"the the"の最初のtheは定冠詞なのか〜、ちゅうか。考えてみりゃ"the the"って無茶苦茶検索エンジンにとっては厄介そうな固有名詞だな、っと。言ってることが最強に意味不明だけど、結論として<BLINK></BLINK>を使うのは勝手だが<Hn></Hn>で「文字の大きさを変える」のは間違いだぞ、ちゅうか。

あまりまとまった話ができなくて、というか、系統立てて話ができなくてすみませんでした。しかし系統立てて話をしようとすると30時間くらい掛かりそうだなぁ。:-)

ううむ。にしてもハルマゲドンはもう起こった訳だし、あの檄文は再デビューさせてもいいのかなぁ。でも、今更、という気もするし、状況も変わってしまったので、今から檄文書こうとしたら全く別のことも書けそうだし、ちゅうか。これを書いたのは去年の5月だなぁ、まだ1年も経ってないのか。なんて姑息なことをするのも「正しくない」HTMLの書き方でしょうか。なんてね。

帰りになっても雪は止まず。大井松田/沼津間通行止め、ちゅうか。小田厚もチェーン規制。ま、とりあえず家には着く。しかし日曜日はもっと凄かったんだろーな。え? 東京/一宮? そりゃすげーや。何だそりゃ。滑ってコケる奴は勝手にコケさせときゃいいんだろーに。余計なお世話だ。勝手にさせい、ちゅうか。

とここで話は飛んで、あぁ、とうとうNTTがIIJに出資したんですか。わたしゃろば耳さんとこではじめて知りました。

しかし、インターネットビジネス参入への「噂」だの「思惑」だのつっても、OCNって別に内緒の話でも何でもなかったと思うけど… 「どう?この読みは?」と言われても私ゃ知りません、つーか。でも、ま、太古の昔からIIJに出資すべきだと言ってた人もいたことはいたんでわないんでしょーか。もし今回のこれがそれに連続した話だとすると、意思決定に3年掛かった、つーことですかね(駄目だ、そんな組織。:-b)。ま、関係ないでしょーけど。

それからNHK.ニュースで繰り返し「酒を飲んだ翌日は…」とか言うのは止めなさい。何考えてるんだ一体。フジテレビか、てめーは。「NHKは民放になり、民放のニュースはワイドショーになり、一般紙はスポーツ新聞になり、スポーツ新聞は東スポになり、変わらないのは東スポだけだった」というのは本当に正しいのかもしれんっすね。

何でもありとは、やはり何でもありなのかっ、つーか。

という訳で、やはりまとまりはないぞ。タイトルもいい加減。

でわね。

とうとう今年も…

晴れ。とても良い天気。ぽかぽか。

日記に天候の記述を入れたがるのは日本人に特化した習性だ、っつーのは、紀田順一郎さんの本で読んだんだったかな。にしても、いい天気だなぁ。

ということで、ついに今年も来てしまいました。花粉が。

でも、「花粉症」ネタって、つまんないんだろうな。当人同士は「そうそう」って言い合うだけだし、花粉症じゃない人にしてみりゃ何言ってんのか理解できないだろうし。ま、ともあれ今年もとうとう来てしまいましたね。薬貰ってこないと。

とうとうと言えば、とうとう答申案も決まりそうですね。みんな嫌いなNTT (by Rikitake-san :-), ちゅうか。

長距離と東と西ねぇ。誰が考えてんのか知らんけど、つまんねぇ案だなぁ。いまさら社員数が5万人だか何万人だかの「先天性大企業病的特殊法人」を3つも作ってどーすんだ(んなもん1つで十分だ :-b)。10個とか20個とかに乱切りしたほうがずっとおもしれーぞ。

で、しかも、結局今年も「半年から1年間の先送り」ですか。この壮大なエネルギーの無駄(そんなことにエネルギー消費してる方がマヌケという説は大)を、もう1年間続けると。この時期に。しょーもない。

この際ですから「毎年3月末に1年間先送りすることを決定する」って決定した方が良いんじゃないっすかねぇ。2行で済むっす。数学的帰納法だぜ(意味不明)。

でなかったら、「NTT大石良雄」「NTT吉田忠左衛門」「NTT原惣右衛門」…… とかいって47個に分離・分割するとか。どーせ、くそdomesticなんだからこれで十分だよな。あ、ふざけるんじゃないってか。どうもずびばぜん(_o_)。

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