しかし何ですな。「1日が30時間あればいいのに」とかはいくら思えどかなわぬ夢的な扱いをされるものですが、実は1年を1日増やすのは簡単なんですね。別に誰が困っている訳でもなし、文句言ってる奴がいる訳でもなし。時間や暦というのは政治であり権力であるからして、それを支配されることに関しては、もう人間は完全に慣れ親しんでしまったんでせうか。
まぁ、その手の処理を行なうプログラムを書くのは面倒くさいですね。でも、例えば暦の支配体系が変わった瞬間にその処理を変更することのできないプログラムは、それは下手くそなプログラムであって、んなプログラムを書く奴はhang the programmerというか。あ、実はそれはプログラミングではなく、正確には、システム設計、ちゅう奴ですね。
という訳で、今日は、木村泉先生の最終講義があったので、我が母校まで久々に行ってきました。
久々といっても、去年のソフトウェア科学会の震災シンポの時に行ったのだから最後に行ってから1年も経ってないのだろうけど、にしても異常に懐かしく感じるなぁ。ちょうど10年前に卒論書いてたんですね。しみじみ。行ってみりゃ本館の2食の脇とか壁が剥がれかかって周囲立入禁止とかになってるし、大丈夫か、我が母校。でも、本館とか歩いてると本当に懐かしいよな。今でも単位取れなかった夢とか見るし。:-) 「ああぁぁぁ」、ちゅうか。
木村先生の最終講義のタイトルは「知的守備範囲の広げ方」でした。木村節は健在。あのOHPのタッチも異様に懐かしい。
私が学部で受けた授業の中で一番役に立った(今でも役に立っている)と思える授業は、木村先生と久野さんがやった演習で、「(UNIXの)ed互換のエディタを作る」という奴でした。これは、数名のチームで、システムを設計し、仕様書を書き、レビューし、CLUでコーディングし、テストする、というもの(あ、CLUって言語知ってますか? :-)。
私はこれで、チームでプログラムを作成するということはどーゆーことか、システム設計というのはどーゆーものか、抽象化というのはなぜに必要なのか、など、ものすごく沢山のことを学びました。いや、学んだというのはおこがましくて、ちょっとだけ触れることができました、くらいが正確なとこかな。
それからもうひとつ木村先生に習ったのはPDP-11のマシン語。012737
って、もう、これは一生忘れないだろうなぁ。書きまくったものなぁ。そういえば今の授業は8086のマシン語(アセンブラ?)でやってるらしい。不幸だなぁ(どっちが :-)。
という訳で、私は非常によい教育を受けていたのだなぁ、と思う今日この頃(当然、当時はそんなことが分かるはずもなく、今になって思えば、だけど)。木村先生には本当に感謝したいと思います。
P.S. ついに力武さんまで日記を始めてしまった。あ、きっと私の場合は、真の創造性が欠如してるから日記なんぞを書いているのでしょう。と言ってしまうと自分でも空しいので、やっぱ、「暇だから」ということにしておきます :-) > 力武さん