2020年の記事一覧

月曜日

(OTOTOY編集後記からの転載です)

月曜日です。今日は6月のはじまりでもあり、緊急事態宣言が全国で解除された後の新しい週のはじまりでもあります。月曜日は憂鬱と相場がきまっているのですが、電車に乗らないでよい、会社に行かないでもよい、テレワークな月曜日を今回経験された皆さん、そんな月曜日の憂鬱度はどうでしたか? 変わらないよという人、ぜんぜんマシだよという人、それぞれでしょうか。月曜日というのは、これまでの日常がまたはじまる日です。でも今日からはじまったのは、これまでとは違う日常。皆さんの新しい日常がすこしでも良き日々になりますように。月曜日の憂鬱といえば、バングルスの “Manic Monday”。今回プレイリストに入れたのはグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングが外出自粛期間中に毎週発表していたカバーシリーズからのリリースです。そして “Manic Monday” は昨年公開されたプリンスによるデモ・ヴァージョンも最高なので、そちらもぜひ。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、その〈今週は電車に乗って会社に行った月曜日? それともテレワークの月曜日?〉、Billie Joe Armstrongの “Manic Monday” と、〈宅録系SSW、笹川真生の“生身”に満ちた最新デジタルリリース〉、笹川真生の “悪魔” です。笹真の “悪魔” が素晴らしすぎる。まじ最高。

あけまして‥‥

(OTOTOY編集後記からの転載です)

やっぱり挨拶は「あけましておめでとう」なの?という軽口がSNSで散見される本日ですが、めでたいかのかどうか、まったくわかりません。これからは、いわゆる「新しい生活様式」を前提に生きていくことになります。これらの「新しい当たり前」は決して素人の思いつきや雰囲気で決められるのではなく、きちんとした根拠に基づいて決められるべきでしょう。とはいえそれは、与えられたものをただ受けいれることとイコールではありません。そこに人々の創意工夫があってこその新しさであり、そうだからこそ「当たり前」として定着するでしょう。これからのOTOTOYも、音楽と共にある生活の新しい当たり前をつくっていきたいと思っています。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈2001年生まれのSSW、Karin.の最新epから。声を、出そう〉、Karin.の “はないちもんめ” 、そして先週の推薦曲は、〈ロックの衝動の表現にはこういう方法もあるんだな〉、CHAIの “Ready Cheeky Pretty” でした。

新推し

(OTOTOY編集後記からの転載+αです)

「おこもり」なGW、これもひとつのきっかけかも。みなさんは何か新しい音楽と出会うことができましたか?

わたしは、新しいというわけではないのですが、連休後半、ひたすら私立恵比寿中学(エビ中)を観て・聴いていました。どうしてそんなことになったかは長くなるのでここでは略(自分のfacebookには書いた)。

つまみぐい的には昔から聴いてはいたのですが、今回ここ2〜3年の楽曲やライヴ映像にあらためて触れ、あまりの良さ・凄さにひれ伏さんばかりの勢いでハマりました。文章(批評)もいろいろと発掘したかったのですが、なかなか難しいですね。音源や映像を遡ることの容易さにくらべて、いまのインターネットにおいて情報を的確にたぐり寄せることの難しさを実感させられました(これはよい「課題」)。エビ中、メンバーの皆さん本当にそれぞれに魅力的ですが、観まくり聴きまくりの結果、安本彩花さんに惚れました。新推し爆誕です。よろしくお願いします。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈また会える日を待っています〉、Hump Backの “また会う日まで” と、〈陽光と幸福、そしてそれが幻想かもしれない切なさとが同居する〉、AWOLNATION ft. Rivers Cuomo of Weezerの “Pacific Coast Highway In The Movies” です。

後者は一見ウェスト・コーストでハッピーハッピーな曲かと思いきや陽光の下の陰鬱さが隠しようのない曲調、よく聴くと思いっきり暗い歌詞。

YouTubeで曲のPVを見たあとに、Aaron自ら語る解説 (Behind the Track)をみると、つまり、映画等で描かれるPacific Coast Highway (カリフォルニア州道1号線のLA部分?)は嘘っぱちで実際に来るとみんながっかりする、それは人が人生において期待しているものと実際に自らの手にあるものとのギャップと同じだ、とか言っている。これ、切ないやつだ。

ぜんぜん関係ないがBehind the Trackビデオに映るAaronのスピーカー、FOCALのTrio6 Beだなあ。こんなにコンパクトに置いてもOKなのか。欲しい……

また会おう

(OTOTOY編集後記からの転載です)

編集後記、はじめる前は「その週に行って良かったライブの話でも書けば」ということだったのに、はじめてみたら、まさかこんな日々がくるとは。今週プレイリストに推薦したのは新生・赤い公園のファースト・アルバムから “曙”。アルバムから1曲選ぶのがとても難しく “夜の公園” と最後まで悩んでこちらを。

その赤い公園、去年は4回観ることができたのですが(1月の立川バベル自主企画、9月のBAYCAMPとtricot爆祭、11月のワンマン)、観るたびに彼女たちのモードや観て感じることが変わっていきました。1月は石野理子の「バンドマンの目」に驚き、9月はある種の「狂気」を感じ(しかもその狂気がステージの上も下も皆んなを幸福にしている)、そして11月は、これはストーリーの途上も途上なんだということを思い知らされた。この続きを観ないわけにはいかない。先のことなんかわからないからこそ、「必ず、また会おう。」

P.S.
この「必ず、また会おう。」は、初夏ツアーの開催見合わせ発表時の米咲さんの手書きメッセージの最後の一文です。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈新生・赤い公園の新しい「幅」を感じられる一曲〉、赤い公園の “” です。

投げ銭

(OTOTOY編集後記からの転載です)

Save Our Place』のために新しく「投げ銭」の機能を開発しました。Save Our Placeの音源を購入するとき、販売価格以上の支払いをすることでより多くの支援をライヴハウス等施設に送ることができます。

そして実はなんとこの「投げ銭」、すでに購入済のタイトルについても、後から追加で、そして何度でも(!)「投げ銭」だけすることができるのです。やり方も簡単。購入済みタイトルのページにいき価格が【価格¥0 (Re)】であることを確認の上カートに入れ、投げ銭額を設定、決済してください。音源部分の価格は0円の扱いで投げ銭分の金額だけ決済されます。投げ銭をし忘れた、やっぱりもっとしたいという方、ぜひ追加での投げ銭はいかがでしょうか。

ちなみにこの機能、OTOTOYをよく使われている方はご存知の “ハイレゾ/ロスレスの音源はフォーマット(FLACやALACやWAV等)を変えて何度でも無料で再ダウンロード可能” という仕組みを利用しています。「投げ銭」ができるのは現在はSave Our Placeの音源だけですが、この再ダウンロード機能は全タイトル共通(ごく一部のレーベルで回数制限があります)。こちらもぜひご利用いただければ。

P.S.
いちおう書いておくと、投げ銭関係全実装は全俺。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈きらめく陽光・やさしい陽炎が似合う1曲。外で遊びたいなー、ほんとに〉、堀込泰行の “Sunday in the park + STUTS” です。

「ほくろっくび」と読みます

(OTOTOY編集後記からの転載です)

OTOTOYのオススメ曲が詰まったSpotifyプレイリスト「OTOTOY NEW RECOMMEND」。今週私が追加推薦したのは、黒子首のデビューEP『夢を諦めたい』からリードトラックの “Champon”。バンド名は「ほくろっくび」と読みます。CDは昨年リリース済でしたが、先週から配信もはじまりました。ぜひプレイリストからアルバムに移動して聴いてみてください。

ポイントは何といってもヴォーカル堀胃あげはさんの圧倒的な声の存在感。ライヴでは特にその印象が強くなるのですが、堀胃さんの声の「楽器」としての鳴りが図抜けて魅力的です。そしてその存在感に負けずリアルな躍動を奏でるリズム隊も。このデビューEP、OTOTOYではロスレスで、さらに特別にデジタルブックレット(歌詞カード)付きでダウンロード販売中。まずはSpotifyで、これは!と思われたらOTOTOYで、いかがでしょう(こちらから)。ところで今日13日、すでにティザーが公開されている “Champon” のMVが…… 今晩チェックしてみてくださいね。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈圧倒的な声の存在感。リアルな躍動を奏でるリズム隊。魂の奥底が踊る〉、黒子首の “Champon” です。

Save Our Place (at Home)

(OTOTOY編集後記からの転載です)

OTOTOYで『Save Our Place』というプロジェクトをはじめました。これは、アーティストの皆さんがリリースする音源やライブ収録音源を音楽ファンの皆さんに購入していただき、その収益を(アーティストにではなく)ライブハウスやクラブなどの施設に送る、という取り組みです。

平常時から、お金というものは回ってこそ、そして音楽は人と人とのあいだで分かち合えてこそのものだと思います。そしていま、その一部の流れが滞りつつあります。幸いなことにOTOTOYがしているようなインターネットとウェブサービスを介した音楽のやりとりは、“stay home, keep distance (家にいよう、距離をとろう)”を守っていても行うことができます。であればその仕組を使い、かつて皆がクラブやライブハウスに集い、音楽が鳴り響く時間と空間を分かち合い、その結果として動いていたお金の流れを多少なりとも再現できるのはないか。そういう発想からこのプロジェクトがはじまりました。

もちろんこれが一番良い仕組みだというつもりも、他のやり方を否定するつもりも毛頭ありません。私どもOTOTOYが我々なりに考えた我々ができるひとつの手立てです。いろんな手段があって良いと思うのです。そのひとつとなれれば幸いです。さて、やることはまだまだあるぞー!

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、〈どこの国の言葉でもないユカリサ語を唄う3つの声〉、ユカリサの “musuitai” です。

歌がうたわれる場

(OTOTOY編集後記からの転載)

世情が揺れている。このようなとき、アーティスト自らの表現と聴き手の心情とがかっちりとハマる瞬間がある。昨日でいえばひとつはフジテレビの「Love music 特別編」で眉村ちあきが歌った “大丈夫”。歌をうたう喜び、ライヴがしたいという気持ち、もっと歌いたいという気持ちが塊となって伝わってくる熱演だった。

もうひとつは昨日配信が開始されたFINLANDSの “まどか”。塩入冬湖のnoteによれば、制作そのものは今の状況云々以前、昨年の京都アニメーションの事件のニュースをきっかけに作りはじめられたものとのこと。が、今のこの状況のど真ん中を穿つような詞と曲の鋭度。この凄さがこのタイミングで出ることこそアーティストがアーティストたる所以なのだろう。

たまたまだがこの2曲は共通の印象を持つ。それは数十年以上連綿と続く日本の音楽の歴史でもある。歌われ続けてきたこの音楽たちがその場を失うことの無いよう、我々も、我々ができることをいま計画しています。

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今週のOTOTOY NEW RECOMMENDへの推薦曲は、その〈世情へのピースの嵌まり方がハンパじゃない1曲〉、FINLANDSの “まどか” と、〈一度聴いたらもう愛していたのさ〉、インナージャーニーの “クリームソーダ” 、そして先週の推薦曲は、〈乾いていて少し湿っている丁度よい湿度のロックンロール〉、Jurassic Boysの “Blue Night Picture” でした。

ロックンロールを鳴らす意味

(OTOTOY編集後記からの転載)

かつてロックが大衆音楽の主流となって以来、いま初めてロックが主流ではない時代を迎えつつある。そんな時代にロックンロールをどう奏でるかのひとつの回答が、Jurassic Boysなのかもしれない。彼らの音楽から感じとるものは人それぞれだ。カッコいい、シブい、懐かしい、……。よく言われる〈佐野元春〉のように自分のよく知るミュージシャンを思い出すこともあるだろう。その受けとめかたの間口の広さこそがロックの歴史でもある。今回、昨年ライブを観て以来ずっと話を聞いてみたいと思っていたJurassic Boysのインタヴューを実現することができた。彼らは何を思ってロックを鳴らしているのか? そのひとつの回答が、「ライヴを観た人や音源を聴いた人に『俺らが最高の気分でやっている』っていうのが伝わればいい」であり、「そして『Jurassic Boysの音楽を聴いてたら最高の気持ちになってきた』と思ってもらいたい」だった。こんな最高の答えがあるだろうか。ぜひインタヴュー記事を読んで、そして彼らの音楽を聴いていただければと。

ネット配信における遠隔参加者の一体感醸成手法の一起源

(facebookノートからの転載です)

趣旨:ライブ・イベントのネット配信や遠隔講義等におけるリモート参加者の疎外感・一体感の欠如を解決する手法のひとつが「『伝わり』のフィードバック・ループ」であり、そのオリジナルは1997年の坂本龍一氏のコンサートのネット配信で使われたRemote Claps / RemoteApplause (竹中、江渡ら)にある。

TLTR

ネット配信や遠隔会議は数年おきに、技術・社会の要請から盛り上がりをみせそして沈静化する、というサイクルを繰り返す。2020年春、公衆衛生上の問題解決の手段として再び遠隔地間をつなぐことの需要が生まれている。かつて(2000年代)前職で遠隔通信の研究というか、いわゆる“デモ芸人”的なことをしていた時期、「遠隔○○の参加者の疎外感を解消する方法はないか」的な相談を何度かされることがあった。そのときの答はいつも、「その問題は既に1997年に解決済です」だった。2020年のサービスの最新状況を正確には把握していないが、ここ数日の「無観客ライブ・ストリーミング」への反応をみるに、正しく知られているか疑問に思うこともあった。そこで昔の書きかけの文章を発掘し、整理してみる。ちなみに以下の文章は本当に2000年代に書きかけたものであり、当然現職とは何の関係もなく、こんなことになるとは予想だに……です(笑)。

21世紀になっても(だからこそ?)、ライブやイベントのネット配信・遠隔講義・遠隔会議等におけるリモート参加者の疎外感・一体感の無さが問題として挙げられ、それを解決する方法はないか?という話がされる。私見では、それに対する解は存在し、そのオリジナルは1997年の坂本龍一氏のコンサートにある。

その解とは、以下の構造が成立していることだ。

  1. 主会場からの中継を遠隔地で観る参加者(達)がいる
  2. 彼らが中継から何かを感じ、リアクションをしていることが、主会場(や他の遠隔参加者)に伝わる
  3. そこで伝わったものを主会場の演者、主会場の参加者(と他の遠隔参加者)が見ている
  4. その見ているという事実そのものが、また遠隔参加者に伝わる、

つまり、主会場の演者→遠隔参加者→遠隔参加者の反応→主会場→主会場の演者と参加者→主会場の演者と参加者の反応→遠隔参加者、というフィードバック・ループを成立させることが遠隔参加者の一体感を生み出す。

言い換えるとそれは、

「『伝わっている』ことが伝わっている」ということが伝わる

であり、言葉を補うと、

「『遠隔地の参加者に主会場の様子が伝わっている』ことが、遠隔地参加者の反応という形で主会場や他遠隔地に伝わっている」ということが遠隔地に伝わる

となる。

1997年から98年の坂本龍一氏のインターネット・ライブ中継で導入された Remote Claps / RemoteApplause が、まさにそれを(必要最小限に)実現するシステムだった。これらのシステムについては、ウェブ上にわずかに痕跡が残っている。

このシステムは、遠隔参加者がStreamWorks/RealAudioで映像中継を観る一方でJavaアプレットを起動し、中継を観ながらキーボードの特定のキー(‘f’や‘d’)を押すと、その文字が主会場後方の大スクリーンに表示されるというものだ。キーを1回押す=1回手を叩く(拍手)というメタファである。

遠隔参加者は自分がした「拍手」がスクリーンに表示される(=伝わっている)こと、自分以外にも「拍手」をする遠隔参加者がいることを中継で観ることができる。主会場の観客と演者はスクリーンに文字が表示される=遠隔参加者の拍手ということを認識しており、観客(と場合によっては演者)は遠隔参加者の存在とアクションを知る。

拍手が沢山集まるとスクリーンがその文字で埋まる。それを見た主会場のどよめきが遠隔地に中継されることで、遠隔参加者には、主会場側で自分たちの存在とアクションが認知されており、それに対するリアクションがあるということが伝わる。自分も参加していること、自分の存在と反応(もっと言ってしまえば感情であり人格でもある)が主会場で認め・受け入れられていることを知ること。それが疎外感を排除し、一体感をもたらす。Remote Clapsシステムの要点はそこにあった。

フィードバック・ループの形成による一体感の醸成という手法は、恐らくそれ以前のメディアにおいても認識されていたのではないかと思われる。例えばテレビやラジオと電話(FAX)を組み合わせた視聴者参加型番組。さらに(1回転するのに数ヶ月掛かるが)雑誌の投稿欄の盛り上がりの構造にも類似性が見られる。

しかしネット中継という文脈におけるオリジナルは、Remote Clapsにおける、アイデアの考案・実装・コンサートでの実証だったのではないだろう。しかも当時のテクノロジー状況下で、1文字のみを伝えるという、その本質ぎりぎりを削り出したかのような見事な実装で。(そのアイデアと実装は、竹中直純、江渡浩一郎らによるものだと認識している。)

後に大成功を収めるニコニコ動画のコメントも同じ機能を果たしている。ユーザのコメントは他のユーザにも伝わり、その伝達メカニズムはユーザ間で認識として共有され、さらに他のユーザがコメントに反応することで(“擬似同期”しているあるいは生放送を見ている)ユーザ達に一体感が醸成される。

Remote Clapsで遠隔視聴者が拍手をしスクリーンが‘f’で埋め尽くされる様は、10年後にニコニコ動画で見られるようになる“88888888”を完全に先取りしていた。そして現在それは、ライブ配信サービスの「アイテム送信(いわゆる“投げ銭”)」という形でプラットフォームに組み込まれている。

余談だが、2016年4月2日にロンドンTHE SSE ARENA WEMBLEYで行われたBABYMETALのコンサートとその日本でのライブ・ビューイングでも同様の効果を用いた演出が行われたのではないか(実際に観たわけではなく、映像の断片を見ただけなので間違っている可能性もあるが)。このとき、ロンドンでのライブの様子が日本ライブ・ビューイング会場である各Zepp会場に生中継されていた。ある曲のあるシーンで、日本のライブ・ビューイング会場の観客側の映像が、ロンドンの主会場前方のサイド・スクリーンに大きく映され、その様子がライブ・ビューイング会場に中継されて戻ってきた。つまりライブ・ビューイング参加者にとっては、自分たちの存在がメイン会場に伝わり、メイン会場の観客達がそれを理解し盛り上がる様を、中継を経て認識することができた。このように、伝わりのループを構成することは一体感を醸成する演出手法のひとつとして、現場的には確立されているのだと思われる。

もう一点。ここ数日の「配信ライブ」を観ていてとてもおもしろく思うのは、主/演者がひとりでスマホやPCの画面に向き合い配信するタイプのものでは、主/演者がその場で「コメント」を読みながら対応し「フィードバック・ループ」を密に形成する一方で、配信の規模が大きくなるにつれ、たとえば演奏の合間にスマホを手に取りコメントを読む等、ループの力が弱くなることだ。通常のライブの、デカいホール vs. 狭いライブハウスではないが、使用する「メディア」によって一体感の形成度合いが異なってしまう。面白い現象だと思うと同時に、メカニズムを理解さえしていれば「不利なメディア」でもやりようがあるのに、とも思った。

これは完全なる私見です。勉強不足のため実はメディア/エンターテイメント/メディアアート等の研究史では別にオリジナルが存在するのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。以上、江渡さん、竹中さん、他チーム坂本マジすごい、というお話でした。