2009年10月の記事一覧

合ってなくもない…

青山
 …
 95年ごろにHPを作っていた人たちって、電機連合で本業に不満を抱えている人たちが多かったと思います。実はソニーや日立に勤めています、というような…。

勝間和代「目立つ力」インターネットで人生を変える方法 小学館|「αブロガーへの道」座談会全文掲載 1/3 (via otsune)

情報労連も入れてください.(笑)

マッチの有識者とポンプの有識者は違う有識者 (たまに入れ替わる)

国交省によると、安全対策を検討する有識者会議でチャイムやメロディー音も検討されたが「静かな住宅地で車からそうした音が鳴るのは違和感がある」などの意見が多数を占め、ガソリン車のエンジンに似た音を同じくらいの音量で発することが最適と判断した。

HVにエンジン類似音装置 国交省が義務化の方針 – 47NEWS(よんななニュース)

何が有識者会議だか.相変わらず下らないことやってますね.どんな音が最適か,なんて,自動車メーカーに任せれば,よい音を作るべく,必死になって競争する気がするけど.気づきやすく不快でない音とか,路上ではよく聞こえるが建物内に進入しにくい音とか.変な音がする車なんて買わないよね.あ,でも,DQN(もう死語?)特別仕様走行音車とか出て結構売れちゃったりするのかな.それは困るな.:-)

だいたい国交省はいまだに,LEDのDRL (Daytime Running Lights)が良いとか駄目とか,いちいちそんなことに口出してんじゃねーよ,と思います.(Audiのアイラインぽいあれとか,BMWのcorona ringsとか.あれ本国ではDRLですが,日本ではポジションランプに変えられています.)

その一方で,

国土交通省、昼間走行灯の義務化是非を検討

 国土交通省は、自動車の視認性向上を目的とする昼間走行灯(DRL=デイタイム・ランニング・ランプ)の義務化に関して、安全上の効果検証を徹底する。… 同省では、欧州での規制や事故状況、国内での二輪車との共存方法を検討するなどして、DRLの義務化の是非を慎重に検討する。

 DRLは、一部輸入車には標準で装備されているが、日本仕様車では機能を制限し、夜間のみ使用できるよう改められている。また、自動車運輸業界などが自主的に装着している市販品についても、検討結果によっては、技術要件などの見直しに至る可能性がある。

国土交通省、昼間走行灯の義務化是非を検討|GAZOO.com

とか.マッチポンプですかそうですか.

かくいう私の車は非日本的仕様なので,ライトをAutoにしておくと,もう夕方4時?とか,ちょっと雨降ってます,くらいで煌々とライトが光り輝きます.気に入ってます.:-)

インセンティブと性格の奴隷

数字と感情で人は動きます。
理屈では人は動きませんし、動かせません。

年収200万円以下の私が思う事 – ラグランジュ・エイト

これって微妙にずれた捉え方をしてる人がいるような気がするけど,言ってることは,

人はインセンティブと性格の奴隷である (p.1)

会社は頭から腐る (冨山和彦)

と同じことを別の角度から見たものですよね,たぶん.

話は変わりますが,私の住んでいるところは,数年前に家庭ゴミが有料化されました.そのとき,いわゆる地域系BBSを読んでいて思ったのは,やっぱ,人間,金だな,ということです.

BBSに出てくる人が,「一袋○円でこんだけしか入らない.ゴミを分別しないといけない.たいへんだ.めんどくさい」とか何とか文句を言ってる訳ですよ.つまり,それまでは資源ゴミも何も関係なく可燃と不燃だけで(たぶんそれもいい加減 :)捨ててたような連中が,自分の財布に手が掛かっただけでゴミの分別をするようになる(それも1回あたりで言えば数円とか十数円の金で).私は自治体の関係者でも何でもないですが,「有料化して良かった」と,BBSを読んでいて心からそう思いました(笑).

ひとりの人間も、集団としての組織も、インセンティブと性格の奴隷である (p.22)

(同上)

ですよ.いやほんとに.

以下,ついでなので,もう少し引用.この本,第1章はたいへん読ませるのではないでしょうか.:-)

ほとんどの人間は土壇場では、各人自身の動機づけの構造と性格に正直にしか行動できないという現実であった。そこには善も悪もなく、言い換えればインセンティブと性格の奴隷となる「弱さ」にこそ人間性の本質がある。(p.5)

インセンティブとは、働く上で何を大切に思うのか、人それぞれの動機づけされる要因である。… このインセンティブは、人によって違う。また、同じ人でも人生のステージによって変わっていくものである。ここには、能力の優劣はまったく関係ない。(p.26)

そもそも、経営が送り出すメッセージに対して、ただちに心から反応し、動機づけられて行動する人間は多くない。経営者がそのメッセージをどこまで本気で送っているのか、… まずは値踏みモードに入るものである。こんなとき、人々は経営者の本音が最も出る部分、すなわち人事、それも制度ではなく固有名詞の人事を見ている。(pp.31-32)

一人ひとりの動機づけ,すなわち自己益というもの。企業組織として動機づけられている方向性である組織益。最後に社会全体の有する動機づけ、すなわち社会益。これら三つが根本的なところでシンクロしているのか。私たちは常に自問自答し、それらをいかに同期させるべきかを追求し続けなければならない。(p.32)

(同上)

なんか,民主党政権とか,官僚とか,予算とかのネタ書くときにも十分使えますね,この引用.:-)

セールストーク

読み流しちゃったので出典がもう分からないのだけど,思いっきり自戒を込めて,メモ.
(記憶に頼って書いてるので,たぶん何かしら表現が違ってます.元の記事はWebのどこかで読みました.分からずに書いてごめんなさい>元記事の人)

曰く,物やサービスを売り込もうとするときに言うべきことは,

  • 経営者には,「安くできます」「コストを下げられます」
  • 現場の人には,「簡単に使えます」
  • 「なんでもできます」は一番駄目

おっしゃる通り.

結局,使ってもらえる,ものづくりの全ての指針はこれなのかもしれない.個人で物買うときだって,(お金を出す)経営者と(使う)現場の人の二人の人格が自分の中で会話してるよね.

殺して食べます

マイミクさんの日記にアサリの話があったので…

日常的に自らの手で(自分の家のキッチンで)命を殺めて食べるものって,アサリとシジミとハマグリくらいだなあ,って調理してていつも思う.

他に自分が最低1回でも経験があるのは,ホタテとカキとエビとカニとアジ(だったかな)くらいか?

自分で魚を釣る人は,魚の経験も豊富なのかな.

野菜は自分で畑から取ってくることもあるけど,植物の死の定義がよく分からんので,この文脈ではパス.(ベジタリアンにも,茎や根や葉も食べる人と,果実しか食べない人がいるよね.でも,果実食うのと卵食うのは結局何が違うんだ,とか思うけど.)

生鮮とか言いつつ,スーパーで売ってるほぼ全てのものは既に死んでる,ってことだね.

関係ないが,なんで魚介に限って天然物がことさら重要視されるのだろうか? 肉や野菜は,普通食べてるのは全部「養殖物」だろうに…

「いただきます.」

疑似tumblり (その1)

Tumblr使うかわりに日記でやるコーナー,その1.(続くかどうか不明)

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「はてブつまらない」「はてブ見ない」アピールはネット依存型中二病の始まり – しなちょうメルクマール – 熊手部

Twitter / 津田大介: 「テレビつまらない」「テレビ見ない」アピールはネット …

「テレビつまらない」「テレビ見ない」アピールはネット依存型中二病の始まりですね。

>「弾小飼つまらない」「弾小飼見ない」アピールはネット依存型中二病の始まりですね。
なるほど。
いろいろとメジャーなものを入れてみるとそれっぽくなるなあ。

で,
「…は中二病の始まり」アピールはネット依存型中二病の始まりですね。
で完結,と.

一生やってろ.ばかばかしい(笑).

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拡張現実(AR)ゲームと道路使用許可 – Keep Crazy;shi3zの日記

AR鬼ごっこを秋葉原で開催していいかどうかということについて、さきほど万世橋警察署の交通課の方と話をしました。

一般的な鬼ごっこの場合、走るとか走らないとか無関係に許可は不要だが、いくつか注意事項があるとのこと。

* 少人数である(不特定多数の人間をあつめない)
* 通行の妨げにならないこと
* ゼッケンを付けたりコスプレをしたり等、目立つ格好をしないこと(腕章はOK)
* 観客を集めたりしないこと

という条件のもとであれば、鬼ごっこを路上ですること自体を規制する法律はないとのことでした。

ただ、これはこの交通課の警官さんの私見なので、実際に目立ちすぎるようなことがあれば職務質問をされたり、厳重注意されたりする場合が考えられますが、原則として大丈夫とのことでした。

この日本の管理されっぷりは,もう絶望的だと思う.

といって嘆いているだけではしょうがないので,どうすれば良いか考えるに,警察が国家管理が自由が人権がどうしたというのではなく,逮捕されたり家宅捜索されたり起訴されたり不起訴されたり有罪になったり無罪になったりということを糾弾しない風潮を作るしかない,と思う今日この頃.

でもそれが一番難しいんだけど.

実際,

今週末の土曜日、ヒマで死にそうなiPhoneユーザの方、また秋葉原で鬼ごっこしませんか? – Keep Crazy;shi3zの日記

「公道でイベントを開催するには、道路使用許可が必要では?」
という指摘があり

結局,警察より,こういう指摘をする奴(メンタリティ)が,そもそも諸悪の根源であるのだから.

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で,Tumblrなんですが,どうも微妙に今ひとつで…

私的には,QuoteにDescriptionが無いのが一番痛い.Sourceにコメントも書く,って何だよそれ(俺には絶対できない :-).

それと,人をFollowするとどうにもDashboardが肌色風味になるのが… いや別に普通の人をFollowしてるだけだと思うんだけどなあ(笑).いずれにせよ,これは,外や職場で使えん(笑).

あと,reblogで同じものを何度も見ることになるのも何とかならないのかな,何とかなると思うんだけど.

とか勝手に文句言ってますが,とはいえTumblrがTed Nelsonの理想へと着実に歩みを進めるための一歩となってるのは確かな訳で,ぜひこのまま突き進んでいって欲しいです.(私も,密かな用途で使ってます.:-)

国民総営業社会

五輪東京落選.

「石原老害」とか「税金返せ」とか言ってる分にはお気楽な話で相変わらず今日も平和な日本な訳だが,この情景の一部を我が身に照らして見ると暗澹たる気分になる.

いろんな人がいろんな言い方をしているのだが,比較的分かりやすい例として,これを引用.

で、東京は五輪招致活動を続けるのだろうか。: 見物人の論理

 財政、設備、運営技術、安全性といった面で、東京(あるいは日本の主要都市)に充分な開催能力があることは、おそらくIOC評議員の多くが理解していることだろう。だが、五輪開催地はそれだけで決まるものではない。北京で五輪が開催されたことも、単一競技の大会ではあるがサッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開催されることも、石原都知事が言うような面だけではない別の理由によって決まっているはずだ。
 それを広い意味でいえば「政治」である。長年政治家として生きてきた石原都知事がそれを理解していないというのは解せない。ついでに言うと、「南米で初の五輪を!」という単純で骨太の呼びかけが、どれほど理屈抜きで人の心を動かす力を持っているかについて、政治家より長く文学者として生きてきた石原慎太郎が理解していないらしいことも解せない。文学者というのは人の心を動かす専門家ではないのだろうか。

(以下,「と、都知事に対する嫌味はこのくらいにして、少しこの先のことを考えてみたい。」と続くように,引用部分の冷笑的表現は元記事の本質ではないことを注記しておきます.)

共同体に所属していれば半自動的に役割が与えられていたような時代はもう来ない.今日び人間生きていくためには,ほとんどの局面でセールスマン(NPC wordだな)たる必要がある.

日々の糧を得るには,自分の能力/技術/属性あるいは自分が創造/創作したモノ/コトを他人に売り込まなければならない.幸福な生活や生殖のためには,自らの人間的魅力やら性的魅力やら前文と同様の項目(やっぱお金よね,とか :)を,そして他者からの認知が人間にとって生きていく上で不可欠なのであれば,自らの人間性そのものを,セールスする必要がある.

そしてセールスマンとして勝つためには,みな,
・売り込む「商品」そのものの優秀性
の向上に励めばよいだけではなく,
・政治家としての能力
・文学者(物語を作る/人の心を動かす者)としての能力
に長けていなければならない.

いやそれは,当たり前のことで,皆,日々そうして暮らして居るんだけれども(論文通すのもファンド取るのもプロダクト売るのも商売やるのも彼氏・彼女作るのも就職・転職するのもポスト・ポジション得るのもみんなそう),改めてそうなんだと言われると,暗澹たる気分とまではいかずとも,まあ,正直しんどい,というのが偽らざる心境なのだ.

P.S.
みんながみんな,本当にしんどいと思うようになったら,そうしないで済むような「大きな物語」が復活するのかな?