1996/02/29 (木)
全世界410万人(推定)の2月29日生まれの方々、お誕生日おめでとうございます。
しかし何ですな。「1日が30時間あればいいのに」とかはいくら思えどかなわぬ夢的な扱いをされるものですが、実は1年を1日増やすのは簡単なんですね。別に誰が困っている訳でもなし、文句言ってる奴がいる訳でもなし。時間や暦というのは政治であり権力であるからして、それを支配されることに関しては、もう人間は完全に慣れ親しんでしまったんでせうか。
まぁ、その手の処理を行なうプログラムを書くのは面倒くさいですね。でも、例えば暦の支配体系が変わった瞬間にその処理を変更することのできないプログラムは、それは下手くそなプログラムであって、んなプログラムを書く奴はhang the programmerというか。あ、実はそれはプログラミングではなく、正確には、システム設計、ちゅう奴ですね。
という訳で、今日は、木村泉先生の最終講義があったので、我が母校まで久々に行ってきました。
久々といっても、去年のソフトウェア科学会の震災シンポの時に行ったのだから最後に行ってから1年も経ってないのだろうけど、にしても異常に懐かしく感じるなぁ。ちょうど10年前に卒論書いてたんですね。しみじみ。行ってみりゃ本館の2食の脇とか壁が剥がれかかって周囲立入禁止とかになってるし、大丈夫か、我が母校。でも、本館とか歩いてると本当に懐かしいよな。今でも単位取れなかった夢とか見るし。:-) 「ああぁぁぁ」、ちゅうか。
木村先生の最終講義のタイトルは「知的守備範囲の広げ方」でした。木村節は健在。あのOHPのタッチも異様に懐かしい。
私が学部で受けた授業の中で一番役に立った(今でも役に立っている)と思える授業は、木村先生と久野さんがやった演習で、「(UNIXの) ed互換のエディタを作る」という奴でした。これは、数名のチームで、システムを設計し、仕様書を書き、レビューし、CLUでコーディングし、テストする、というもの(あ、CLUって言語知ってますか? :-)。
私はこれで、チームでプログラムを作成するということはどーゆーことか、システム設計というのはどーゆーものか、抽象化というのはなぜに必要なのか、など、ものすごく沢山のことを学びました。いや、学んだというのはおこがましくて、ちょっとだけ触れることができました、くらいが正確なとこかな。
それからもうひとつ木村先生に習ったのはPDP-11のマシン語。012737
って、もう、これは一生忘れないだろうなぁ。書きまくったものなぁ。そういえば今の授業は8086のマシン語(アセンブラ?)でやってるらしい。不幸だなぁ(どっちが :-)。
という訳で、私は非常によい教育を受けていたのだなぁ、と思う今日この頃(当然、当時はそんなことが分かるはずもなく、今になって思えば、だけど)。木村先生には本当に感謝したいと思います。
P.S. ついに力武さんまで日記を始めてしまった。あ、きっと私の場合は、真の創造性が欠如してるから日記なんぞを書いているのでしょう。と言ってしまうと自分でも空しいので、やっぱ、「暇だから」ということにしておきます :-) > 力武さん
1996/02/28 (水)
サ、サスケさん、どっからあんなもん見つけてきたっすか? 一気に脱力する今日この頃。われわれのしてきたことわ正しかったのか? はらひれ、ちゅうか。:-)
「あれ」と、この日記あるいはピクスピ,ANSER ME,その他諸々(一緒くたですまん)の違いを10文字以内で述べよ。解答例:
全然違う亦は全く同じ
ちゅうか。
(すでに使い古された言い回しであるが)「ネットワークは増幅器」というのは果たして本当なのだろうか? 純粋な増幅器である場合もあれば、自分の中の「反自分」を拡大投射できる道具である場合もあるのかもしれない。仮面舞踏会、ちゅうか。
「あれ」は、本当の「あれ」を映したものなのか、それとも実は「反あれ」だったりするのか、そりわ見ただけでは分からん、ちゅうか。同じことは、この日記あるいはピクスピ,ANSER ME,その他諸々(再度一緒くたですまん)にも当然言えることであって、それが分からない限り、上の設問には答えられず、かといってそれが分かったとしても、結局その正答は存在しない、ちゅうか。
う〜ん、おしいな。この「ひょえ〜」という衝撃と、こないだから、「ピクスピ"論争" :-b」を野次馬的に見てて感じていることが、結び付きそうで結び付かない。歯がゆし。
そいからgonzapさん。市区町村コードは100万年前(嘘)からJISで決まってるっす(本当)。JIS X 0401 と JIS X 0402 だったかな?
そう。この日記で表現でき得る文字も含めて(お約束のフリ :-b)、今や我々のすべては日本工業規格に握られているのであった。たかが「工業規格」の分際で、ちゅうか。:-)
1996/02/25 (日)
なんか今日は寒いなぁ。
という訳で、NHK「新・電子立国日本」のMicrosoft話を観たりしち。いかにもNHKっぽく、持ち上げつつ貶めつつ、褒めつつ罵りつつ、ニュートラルを装ったようで装ってない、なんか気持ち悪ぃ番組。
しかし、みんな、なんであんなにBill Gatesが嫌いなんでしょーかね。じゃなくて、「嫌いだ!」と言ってる連中の声がでかいだけなんだな、きっと。ちなみに私、声のでかい奴はキライです、と小声で言いたい。
にしても、人の足引っ張って自己満足してる奴らは、どこにでもいるのだなぁ。日本だけじゃないのね。いいじゃん、別に、Bill Gates氏が何してよーがいいじゃん。文句あんだったらOSとアプリ自分で作れー、ちゅうか。
<余談> ちなみにここで「社会的責任」とか「公共性」とかいう単語が持ち出されてしまうと、とある事情によりブチ切れてしまうので、言わないでください。とある事情については、いずれ、キレます。:-b
</余談>
文脈自由ですが、私、Bekkoameに文句たれて自己満足してる連中もキライです。特にBekkoameについて話してる時、無意味に「外車」とかいうフレーズ挟み込むよーな奴。余計なお世話です。死んでほしいです。「ダブルのスーツで電通に営業」とか書く雑誌編集者なみに嫌いです(文脈特定)。自分で考えるか自分でバンバンしなさい(意味不明)、ちゅうか。
ま、持ち上げる方にしたって持ち上げる方だよな。Microsoftは何か偉大だったろうか? 偉大だったのは「PC/AT互換」というものだけだったよーな。よー分からんけど。同じ庭に泥棒に入って、結果、盗ってきたのはLisaとWindows 1.0だった。その差はなんだ、ちゅうか。
しかしどれもこれもだしなー。きっと"Windows NT 4.1"という型番あたりがバッチぐぅっす、と勝手に想像してるけど、その頃パーソナルコンピュータは存在するのだらうか。
型番といえば、"MK1301MAV"に恋い焦がれる今日この頃です。はやく出ろ〜。
1996/02/24 (土)
つー訳で、今日は、youchanと夏生さんの結婚ぱーちーでした。一度も会ったことない人の2次会に行く奴、ちゅうか。:-)
youchanとは今回が初対面だけど前からメールは結構やりとりしていて、何でやりとりしてたかっつーと、youchanこそ今の日本をこんなにした張本人だからです(俺じゃねー、つーか :-)。
そうか、すべてはここから始まったんだなぁ。2年半すら経ってないのか、まだ。もちろんMosaicの前に、それこそLineModeBrowserとかtkWWWとかもあったし、youchanがやらなくても誰かがきっとやったんだろうけど、一番最初にやった人は一番最初にやったんだかんね、ちゅうか。つー訳で、いま、WWWで当たり前に日本語を使ってる人(つまりこの日記を読んでる人すべてってことだね)は、みんな、おめでとー、って言いましょう。せーの、おめでとー。
「これからは農業っす」とか「あん時みたいな興奮は最近全然ないよなぁ」とか「こんなんなるとは誰も思ってなかったよな」とか「当時は、HTML? あんなめんどくせーもん誰が書くんだー、とか言ってたよな」とか、そーゆー話をしました。なぜか昔話に終止してしまう今日この頃、ちゅうか。
<脱線> しかし、考えてみりゃすげえことだよな。マークアップどころか、こんだけ大勢の人間、しかも一般人に16進RGBで色書かせちゃうんだから。普通「やれ」っつったって絶対誰もやんねーぞ、そんなこと。:-) 16進でしか色指定できないPhotoshopとかPowerPointとか誰が使うか、ちゅうか。 </脱線>
と、話を戻して、そいで、夏生さんは素敵な方でした。「指環お揃いー」「当たり前じゃ」、つーか(意味不明)。
んで、ぱーちーでは、えとさんとtnkのDJの後に、新境地開拓のきくちゃんDJがあったっす。90年代のDJはこーでなきゃいけねーぜ、でも、「音小さくしてください」、とか。もやは恒例の、きくちゃん幹事へろへろっすー、とかあったけど、ともあれ、きくちゃんも幹事ごくろーさまでしたー。
帰りは、えびちゃを乗っけて264を行ったら、第三京浜通行止の影響だか何だか知らんけど、クソ渋滞。人の車ん中でxanimをmakeすんのわやめれ、ちゅうか。:-)
ちゅう訳で、何が初対面だか何なんだかよー分からん状態のまま、でも、Fな人たちって、なんかいい連中っすね。結構気持ち良かったっす。
てな訳で、youchan&夏生さん、おめでと〜。お幸せに〜。
1996/02/22 (木)
最初に見たとき「だれだこのでぶは」と思ったのは私です。もうしません。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
しかし、これと、あの人が今までやってきた/今やっていることって等価だよな、絶対。できるもんならやってみれ、会津氏に伊藤氏、ちゅうか。
とかいうことを書こうと思ってたら、insideに似たようなことが既に書かれていた。でも、これってネタばらししない方が絶対にいいのに。しかも編集後記で内輪で盛り上がるのって、すげぇセンス悪いと思うけど > 編集部。まぁ、言わずにはおれない気持ちもよく分かるけど。
ということで、今日はppp@halfmoon.ひらりんと岩間さんの追い出し。帰り車の中で白川さんと「その前にpppやったのっていつだっけ?」とか話したけど思いだせなかった。ひょっとして2年ぶりとかそんくらい? ともあれ、今回幹事のakの宇宙のパワーにより、久々のpppが敢行されたのであった。Thanks! > ak.
ちなみにpppとはpostpunk-partyであるところのpppであってPPPではな〜い。って、日記に解説入れてどーする。
相変わらずhalfmoonのカレーは旨いぞ、とか、しらいし画伯サイン会、とかもあったが、よく分からんが最高なのは北村さんの音源だ、つーか。なぜに謎のインド産サントラと"Pet Sounds"とが同居するのだ。最高っす! :-)
てな訳で、異郷で怪しい種を発芽させて欲しい今日この頃っす > 岩間さん&ひらら嬢
でわね。
1996/02/19 (月)
「Windows95より鉛筆」とか言ってる連中をまともに相手にする必要があるかどうかというのはおいといて、言いたいことは言ってみることにしよう。せっかく言えるのだから。なんてね。
朝日新聞夕刊「経済気象台」1996年2月19日付第5面『新ホームレス考』より、
ところがシリコンバレーでは、インターネットのホームページを持っていない企業、組織を「ホームレス」と呼ぶのだそうである。
あ〜、そ〜ですか。そりゃ、よ〜ござんした。
第一にあわてないでいただきたい。ホームページは情報の供給と需要の出合いの場であるから、情報の供給体制を整えるだけでは話は完結しない。ホームページを開設するのはそれほど困難ではないが、提供する情報に対する需要がほとんど無かったりしたら惨めなことになる。(中略)ホームページの開設は、広く提供する情報があり、それに対するかなりの需要が存在しなければ意味がない。
例えば私の個人ページなんぞには、「広く提供する情報」などはないし、「それに対するかなりの需要」なんてものも存在する訳がない。ということで、この日記には「意味がない」「惨めなもの」であると。そりゃ、ごもっともでござんす。
上の私の反応の中で、あえて私がしているのは、「企業・組織」と「個人」を混同して反論(というほど大層なものではないが)している点だろう。でもまぁ、これは経済面のコラムであるし、おそらくここでは「個人」という立場はスコープ外なのだろう。
(「スコープ外なのだろう」と言っておきながらシツコイが :-)ひとつだけ言いたいのは、インターネット云々という文脈で、「組織としての立場やその発言というものをどう捕らえるのか?」「それに対する個人とその発言というものをどう捕らえるのか?」という点をすっ飛ばしてしまうのは、あまりに軽率ではないか、ということ。組織に所属しない個人であるとか、組織の中の個人、というものを軽視するのであれば、
第二に、よく観察していただきたい。(中略)ホームレスうんぬんに驚く必要はまったくないが、パソコンの普及に注目を怠ってはいけないということだろう。
というこのコラムに対して、
ふ〜ん。無理しないで鉛筆でも削ってれば?
と、朝日新聞全体をひとくくりにしたセリフを投げつけたい、今日この頃である。
さて、話を本筋に戻して、「ホームページにおいては(も)、需要のない情報を供給することに意味はないのか」という点。
これについては、私の考えは明らかに異なる。過去にも書いたことがあるので繰り返しはしないが、ひとことで言えば、WWW (あるいはその後継)は、需要のない情報を低コストで供給することが可能なメディアである、ということだ。
この考えが正しいのかどうかは、私には分からない。分からないので分からないままにしておいて次にいく。
次に問題となるのが、「低コスト」はあくまでも「低コスト」であって、コストがゼロである訳ではない、ということ。
ほんのわずかの(今までの意識で言えば無視できる範囲の)需要に対して、(たとえどんなに低コストであっても)コストをかける必要が企業にあるのか? という点。
実際、これもよく分からない。1円とか50銭の単位でコストを削っている企業に対して、そんなことが言えるのかどうか?
と、ここで再び話は「朝日新聞」に戻るのだが、私から見れば、ふだん企業の社会的責任などを声高に主張する人間が「需要のないことなどは、やっても惨めになるだけ」などという単純な理論を展開すべきではない、と思えるのだが、果たしてそれは正しいのだろうか?
ちなみに、ここまでウダウダと書き連ねておきながら、私の個人的結論は、それとはまったく関係なく、
惨めなことになって何が悪い。
である。
1996/02/18 (日)
まとめ書きでやんす。
まず金曜日の深夜。「徹底討論! どうなる? 日本のインターネット」は、番組始まった途端面子を見て「あ〜」とか思ったのもつかの間、竹中さんのこれを見つけて、後はテレビ流しながらreload猿、ちゅうか。お蔭で最強に楽しめました。つまらないとかくだらないとか言ってる暇があったら自分で楽しくしよう、ちゅうか。ぐれいと。
とか言ってたらあっとゆー間に番組も終わってしまいの、午前4時。「どうなる? 明日の準備」とか言ってる間に、もう朝6時。う〜む、と言いつつ、寝る。すんまへん。
翌日。雪にもめげず東名を突っ走るも、首都高池尻の平面交差のとこでぶつかってる馬鹿がいてドン詰まり。遅刻して申し訳ありませんっす(_o_)。
「正しい」ねぇ。本来「正しい」なんて言葉は好きじゃない。正しいか正しくないかは自分で勝手に決めればよいことである。♪If you can’t change the world, change yourself. … And if you can’t change yourself then, change the world.♪の順番は絶対に正しいぞ、ちゅうか。"the the"の最初のtheは定冠詞なのか〜、ちゅうか。考えてみりゃ"the the"って無茶苦茶検索エンジンにとっては厄介そうな固有名詞だな、っと。言ってることが最強に意味不明だけど、結論として<BLINK></BLINK>を使うのは勝手だが<Hn></Hn>で「文字の大きさを変える」のは間違いだぞ、ちゅうか。
あまりまとまった話ができなくて、というか、系統立てて話ができなくてすみませんでした。しかし系統立てて話をしようとすると30時間くらい掛かりそうだなぁ。:-)
ううむ。にしてもハルマゲドンはもう起こった訳だし、あの檄文は再デビューさせてもいいのかなぁ。でも、今更、という気もするし、状況も変わってしまったので、今から檄文書こうとしたら全く別のことも書けそうだし、ちゅうか。これを書いたのは去年の5月だなぁ、まだ1年も経ってないのか。なんて姑息なことをするのも「正しくない」HTMLの書き方でしょうか。なんてね。
帰りになっても雪は止まず。大井松田/沼津間通行止め、ちゅうか。小田厚もチェーン規制。ま、とりあえず家には着く。しかし日曜日はもっと凄かったんだろーな。え? 東京/一宮? そりゃすげーや。何だそりゃ。滑ってコケる奴は勝手にコケさせときゃいいんだろーに。余計なお世話だ。勝手にさせい、ちゅうか。
とここで話は飛んで、あぁ、とうとうNTTがIIJに出資したんですか。わたしゃろば耳さんとこではじめて知りました。
しかし、インターネットビジネス参入への「噂」だの「思惑」だのつっても、OCNって別に内緒の話でも何でもなかったと思うけど… 「どう?この読みは?」と言われても私ゃ知りません、つーか。でも、ま、太古の昔からIIJに出資すべきだと言ってた人もいたことはいたんでわないんでしょーか。もし今回のこれがそれに連続した話だとすると、意思決定に3年掛かった、つーことですかね(駄目だ、そんな組織。:-b)。ま、関係ないでしょーけど。
それからNHK.ニュースで繰り返し「酒を飲んだ翌日は…」とか言うのは止めなさい。何考えてるんだ一体。フジテレビか、てめーは。「NHKは民放になり、民放のニュースはワイドショーになり、一般紙はスポーツ新聞になり、スポーツ新聞は東スポになり、変わらないのは東スポだけだった」というのは本当に正しいのかもしれんっすね。
何でもありとは、やはり何でもありなのかっ、つーか。
という訳で、やはりまとまりはないぞ。タイトルもいい加減。
でわね。
1996/02/14 (水)
晴れ。とても良い天気。ぽかぽか。
日記に天候の記述を入れたがるのは日本人に特化した習性だ、っつーのは、紀田順一郎さんの本で読んだんだったかな。にしても、いい天気だなぁ。
ということで、ついに今年も来てしまいました。花粉が。
でも、「花粉症」ネタって、つまんないんだろうな。当人同士は「そうそう」って言い合うだけだし、花粉症じゃない人にしてみりゃ何言ってんのか理解できないだろうし。ま、ともあれ今年もとうとう来てしまいましたね。薬貰ってこないと。
とうとうと言えば、とうとう答申案も決まりそうですね。みんな嫌いなNTT (by Rikitake-san :-), ちゅうか。
長距離と東と西ねぇ。誰が考えてんのか知らんけど、つまんねぇ案だなぁ。いまさら社員数が5万人だか何万人だかの「先天性大企業病的特殊法人」を3つも作ってどーすんだ(んなもん1つで十分だ :-b)。10個とか20個とかに乱切りしたほうがずっとおもしれーぞ。
で、しかも、結局今年も「半年から1年間の先送り」ですか。この壮大なエネルギーの無駄(そんなことにエネルギー消費してる方がマヌケという説は大)を、もう1年間続けると。この時期に。しょーもない。
この際ですから「毎年3月末に1年間先送りすることを決定する」って決定した方が良いんじゃないっすかねぇ。2行で済むっす。数学的帰納法だぜ(意味不明)。
でなかったら、「NTT大石良雄」「NTT吉田忠左衛門」「NTT原惣右衛門」…… とかいって47個に分離・分割するとか。どーせ、くそdomesticなんだからこれで十分だよな。あ、ふざけるんじゃないってか。どうもずびばぜん(_o_)。
1996/02/12 (月)
今日は映画観てきました。「南京の基督」。
オープニングのスタッフ・ロール(?)見て、「あー、ISO-2022-* (注:これは"ISO/IEC 2022:1994"とわ無関係である :-b)原理主義者の人々は、これを一体どうやって表示・表現せよと言うのだろうか」などと考えてしまうのは完全に病気っすね。もう駄目だと言えよう。しくしく。(ま、結局はどうでもいーんだ。そんなこと。問題ですらない。要はその先。その先、何をするかだ。ということを再認識できたので、よしとしよう。)
しかし、富田靖子さんの裸体にはドキドキしてしまいました。美しいなぁ。美しい。
とだけ書いて映画の内容に触れないと、それだけ観てきたように思われてしまわないでもないだろーけど、でも…、まぁいいや。:-)
帰ってきてテレビつけたら、岩盤爆破は更に失敗していて、司馬遼太郎さんは亡くなられていました。前者は空しく、後者は寂しい。
日本の判断力/決断力/技術力って、やっぱそんなものなのですね。ひたすら底が割れ続ける今日この頃、っつーか。あ、そんなこと言ってる場合じゃないですね。不謹慎な発言ですみません。
そうかぁ、もう新作は読めないのか。そういう意味では悲しいですね(不謹慎の2乗)。でも、どうせそのうち全集物の刊行が始まる(昔っからあることはあるか)のでしょうから、それを徹底的に読んでいくことはできるのですね。それは多分楽しみなことになるのでしょう。って、これじゃ、♪At the record company meeting. On their hands a dead star …♪ と言ってることが一緒ですね。不謹慎の3乗。
他人事と他人事ではないこととの境に何を見い出せばいいんだろう。
1996/02/11 (日)
つー訳で"48 HOURS OF PROTEST" (通称:"Black Thursday")ですか。ほんとにあっちこっちが真っ黒ですな。やっぱし"Yahoo! (適当に置換可)" が真っ黒になるとインパクトでかいですな。今やYahoo! (同上)はメディアであり権力である、っつーか。
それはいいとして、しかし、「何であなたまでページ黒くしてんの? 何をどう理解して、どーゆーかかわりを持とうとしてんのか聞いてみてーぜ」とかいうことを言うとまた顰蹙をかうだけだから止めておこう、って結局言ってちゃしょうがないよな。
で、Black Thursdayの件というか、この件全体に対してどう考えればよいのか、自分の中で咀嚼できていなかったし、今でもできていないんだけれども、とりあえず思ったことを順に書いてみよう、つーか。
- 基本的には他人事、関係ねーよな
- 私は日本国籍の人だし、今現在も日本に住んでる訳だし、アメリカの国内法のことなんか知ったこっちゃねーぜ。
- だいたいからして何のこっちゃ分からん
- まあ、法案とかは手に入るみたいだし、
- (こーゆーときだけ「英語分からんもん」つって逃げるのは卑怯だと思うので敢えて言っとくと :-)英語が分からん訳じゃないけど、
- でも、通常の英文と、こーいった法律文って全然別モノだよな。結局何のこっちゃさっぱり分からん。
- しかしなぁ
- 試しに法案のぞいてみると、"in interstate or foreign communications"とか書いてあるなぁ。interstateとforeignは同列なのか。さすがアメリカ :-)
- で依然として何も分からんままだけど個人的かつ一時的な結論としては
- positiveに無視する方向で考えてくのが一番エエんでわないだろうか、という所におさまりました。とりあえず。
- 「内政干渉」したってしょーがーねーもんな
- へっへー、他人事だぜ、他人事。知ったこっちゃねーぜー、で、いこう。
まず、通信その他に対して国家が検閲をすると明言している(Internetの場合、技術的にそれが可能かどうかはここでは置いとくとして)国はいくらでもある。別にわざわざ日本から太平洋を越えんでも、もっと身近(?)にいくらでもある。で、それらの国に対しては何のアクションを取るでもないのに、アメリカでそーゆーことになると過敏に反応せざるを得ないのは、やっぱし、アメリカという存在が我々にとって、特にThe Internetという文脈に置いて欠くことの出来ない存在だからだろう。
そういった状況に対して、「そんな馬鹿なこと言い出す奴等なんて相手にしねーよーだ。そいじゃあこの際、アメリカ抜きでInternetを構築する方法を他のみんなで模索しようぜ、べいべー」ってなことを考える、という対処のしかたもあるんだろうな。
けど、一方では「つながってなんぼのInternet」というのも捨てがたい事実なんで、そーゆー訳にもいかんのかなぁ。どーしよっかなー。
あー、今日もまとまらんっす。
ま、ひとつだけ印象としてあるのは、もし仮に今回の法案が巷で言われてるように、一般の雑誌・書籍よりもはるかに厳しい規制をtelecommunicationに対してのみかけようとしているものであるとすれば、(例えばその他、clipper chipの件なども考え併せるに)今回のこれは、telecommunicationっつーものは今までのものとは違う、従来の国家権力による管理(もっと言っちゃうと国家自体)では手におえない代物だってことを、国家自体が白状してしまったんではないか、とも思えること。
そう思ってみると、やっぱしアメリカは一番進んでいて一番分かってるのかもしれないなぁ、などというのは深読みのし過ぎ? :-)