2015年09月の記事一覧

再ミックス

2015年08月05日(水)

2015年09月25日(金)

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いい時代なのか何なのか.

Leadership in an ‘anonymous-centric web culture’ era(糸冬了)

何すかこのニュースは.

米国の巨大匿名掲示板「4chan」管理人のmoot氏がサイトオーナーの交代を発表しましたよ。新たに「4chan」の管理人になったのは、2ちゃんねる創設者の、ひろゆきです。
ひろゆき、英語圏巨大匿名掲示板4chan管理人になる。「ひろゆきのもと4chanで何が起こるのか早く見たくてしょうがない」と前管理人mootさん | ガジェット通信

"anonymous-centric web culture"かー.ひろゆき氏がもたらしたもののラベルはこれが正しいんだろうか?? 「匿名中心のWebの時代」(日本語訳:竹中直純 :-).

His creation of 2channel in 1999 sparked an era of anonymous-centric web culture in Japan …
FULL CIRCLE by moot – News – 4chan

「巨大掲示板」は確かに当時は巨大だったんだけど,今となっては巨大感はほとんどない訳で.それは検索エンジン のパワーが上がり見通しがきくようになったとか,対比されるtwitter/facebook等の巨大さが半端無いとか,いくつか理由があるにせよ,まあ世代は移り行くのだな,とか.

… and I can’t wait to see what lays in store under Hiroyuki’s experienced leadership.
(同上)

(コミュニティの)「リーダーシップ」の概念も,ひろゆき氏が新境地を開拓したと言えるが,今はもう更に次のコーナーを回っているような気がする.次のコーナーの先にあるのががどんなんだかとか誰がその象徴かとかは分からんが(無能).

とかTwitterやらFacebookやらに書いてたら,竹中さんから超的確なリプライが.

ああ,さすが竹中さん.
「匿名の集合体にシンボルとしてのひろゆきとかmootが必要、ってなんか前時代的」
まったくその通りだ.

で,そこはもう既に次のステージに進んでいるんですよね,たぶん.

そういったときに,華麗に身を移して「現役感」を纏い続けるのも,頑なさや古さを貫くのも,どちらが良いとか悪いとかではなく自ら選ぶしかない訳で‥‥ てな物言いの対象になること自体が一時代経過な訳で,感慨深い.

なんというか,やっぱし今ここはもう別のフェーズなんだ! というのが改めて腑に落ちた2015年9月,みたいな.:-)

P.S.
「そんなひろゆきもアラフォー」これはいいフレーズw

懐疑心の総量は増えている

3.11以降からそうだったが特に最近は,今まで賢いなとか理知的だなとか思っていた人もいざとなるとこうなってしまうのか!という驚きを何度も何度も味わうことになった.

これは,互いに,“どちらの側”も“相手側”に対してそう感じているので,日本社会全体としての不安感とか懐疑心の総量は単純に増している.ついでに言うと虚無的とか“複雑な私”とかを装って中立であろうする人の態度もバレバレであり,それらを更に増加させるに過ぎない.

個人的には,老い先もそう長くはない訳で,その状況は自分の中で解消されるに至らず,残りの人生すべてはこの不安や確信のなさとともに生きていくのか,と思うと,中々これは味わい深いことであるな,と.うん.

RID

6月のニュース.

全米黒人地位向上協会(NAACP)ワシントン州スポケーン市の女性支部長レイチェル・ドレザル氏(37)が、白人にもかかわらず長年黒人女性と偽っていたと、彼女の家族がメディアに暴露し、騒然となっている。

全米黒人地位向上協会の女性支部長、実は白人だった 2006年頃から黒人を騙る – The Huffington Post

なんか非難轟々の雰囲気だったけど,実は同一性障害だった,とかしたらどうすんだよ,WtBとか.と思って検索したら,Racial Identity Disorder, RID, って言葉,USでは在るにはあるけどネタ扱いなの? 英語もアメリカも難しい…

それから3ヶ月.ふと思って見てみたらやっぱりracial identityについての議論になってた.さもありなん.

Rachel Dolezal – Racial identity – Wikipedia, the free encyclopedia

謎なのは"racial identity disorder"とかで検索すると茶化すような文が普通に出てくること.いまどきgender identity disorderを「wannabe」呼ばわりしたら大変なことになりそうだけど,raceでは平気でやってる.なの?

やっぱ米国よく分からんっす.

渋谷公会堂ファイナル

赤西仁のコンサートの話から,ふと,渋谷公会堂を最後に使うのは誰なんだろう? と思って調べてみたら,沢田研二だった

そういえば一昔くらい前,70年代前半くらいに活躍したミュージシャン達のコンサートが中高年ファン達で熱い!みたいな話がよくテレビで取り上げられていて,その中に沢田研二さんもいた.あとはチューリップとか?

思えばそういった話を,ちょっと冷ややかな感じで見ていたのは確かだ.

しかしながら,次は自らが同じ状況に襲われることになる.

自分にとっての嚆矢は2008年からの山下達郎だったんだろうか? そして今年のREBECCAは本当に強烈だった.80年代中後半がやってくる.

90年代も,そして洋楽方面も安泰とはしていられない.再来月はRIDEにジザメリ.

自分の経験からすれば,たとえ冷ややかな目で見られても致し方ない.

まあ,ディッキ高校生大学生達に揉まれつつ某平均年齢20歳バンドを観たりして,心の安静を保つことにしよう.

専門家への信任・権限移譲,それに対する民主的関与,そしてユーザ参加型社会の未来

深津さんの文章と,それに付けられたNoriaki Yoshikawaさんのコメント(お二方とも一方的にフォローしており面識はない).これが見事な自分の中での補助線になって,モヤモヤが晴れそうな気がした.ネットは「それでもやっぱり」素晴らしい.

この文脈でプロセスの透明化や説明責任やコミュニケーションデザインを言う人達に対して私が感じるモヤモヤは一体何だろう?とずっと思ってたが,それは,『それら(=透明化・説明責任・コミュニケーションデザイン)をちゃんとやれば専門家への権限委譲は続き民主的関与から自由でいられると思ってるようだけど,それは幻想じゃね?』ということだったのかも.

....

専門家への全面的な権限委譲は許されず(好意的なものから暴力的なものまで広範な)民主的関与が求められる,という路を進むのであれば,あらゆる分野,身近な例でいえば,税金原資の科学技術政策における個別課題の評価等もまたそうすべきだ,という状況まであと数歩,てな感じなのかもしれない.

そうなると例えば,個別課題の採択や事後の評価にも民主的関与が当然とされる.名無しさん達がググって「これはこのMITの論文のパクり」とか2chにポストしたことが,“まとめ”られ,それにより評される.今回の極端な例になぞらえれば,本来は発表時期が後の論文を「パクってる」とか言われる.別の極端な全く正しくない例をとるなら,たとえば自分の論文の1パラグラフを他人の論文に埋め込んだものが誰かに作られ,「ほら,通して読んでも違和感がない.パクりだ」と言われる.(現時点では英語が一つの壁にはなるだろう.エンブレムは不幸か幸か画像であり言葉の壁はなかった.)

今回,あるいは昨年の理研CDBの件で研究者倫理から義憤にかられ(それ自体は全く正当である),一部の極端な「関与」の手法を肯定したり,その尻馬に乗った揶揄をしたことがある者は,すべからくそれらを受け入れなければならない.ダブルスタンダードは許されない.掘り返され糾弾されるだろう.

一方,それは杞憂で,その専門家集団への信頼が厚く当人達に明らかな瑕疵がなければ,そう簡単には事態は動かず,権限委譲は続き民主的関与の要求も起こらない可能性もある.が,小さな瑕疵はどこにもあるだろう.問題点は情報戦により意図的に作り出すことも可能だ(例:「キールアーチ」).

例の「G型大学×L型大学」というのが,そのような委譲への疑問の投げかけであり外部からの民主的関与のひとつだと仮定した場合,それに対する専門家集団の対応は上手く進められているとみてよいのだろうか?(あまりそうは思えないが)

「ネットならモノ申せる」「ユーザー/市民参加型」「直接民主制的を可能にする」的な「空気」が拡がる以上,あらゆる分野において専門家への権限委譲に疑問が呈され,民主的関与の要求が増えるだろう.それは避けらない事態で,また正しくもある.だが,暴力的な関与をも認め,面白がり,尻馬に乗るのは果たして正しいのか.

というのがモヤモヤの正体だったのかなぁ‥‥とか.明日になったらまた変わりそうな気もするがw

という訳で,それにつけても思うのは,ユーザ参加型社会の未来に「研究」という糸口から取り付いた,江渡さんニコニコ学会βの先見の明の鋭さである.うん.