2015年10月の記事一覧

(Free) riding on social trust

CityLab (from The Atlantic)の記事.「なぜ日本の子どもたちはこれほどまで自立してるのか?」って感じでしょうか.「なぜ」かは一番最初に分かるようようになってiいて(副題に書いてある),

In Japan, small children take the subway and run errands alone, no parent in sight. The reason why has more to do with social trust than self-reliance.

だそうです.

そう見えるのかー,という点で面白い.

動画に出てくる「はじめてのおつかい」はカメラクルーを画角にいれない昔のバージョンですね(参考:「20年前と今の『はじめてのおつかい』の変化 – 活字中毒R。」).この意味では日本も変化しているということなのだが(脇道).

欧米人がなぜ,と思って掘り下げてみたら自分達にはない掃除当番と給食当番に行き当たった,っていうのが日本人的には不思議にも思える.掃除当番はよくわかんないけど,給食当番は,自分が食べるものの処理を皆でやるというのは社会的信頼のひとつの究極なので,ちょっとは関係あるのかな?(その信頼を悪用されると「カレー事件」になる訳である)

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(女子)中高生とかが相手に聞こえることを前提に「キモっ」とか言うのは,反撃される(殴られるとか刺されるとか撃たれるとか)リスクがないと分かっているからだ.なので,街中や電車でキモいとか言われたオッサンは,怒らず狼狽えず,安全な公共空間を作り・保っていることを誇りに思えばよいw (でも,そういうのを,それが当り前だと思って無駄に消費してると,もしそれが失われたら取り戻すのは果てしなく大変,というのを伝える別ルートはあった方がいいのかな,とも思うけど.)

その一方で,この記事でも名指しで書かれているが.この安全な公共空間/信頼関係と電車での痴漢問題が永遠に同居しているのは,いったいなぜなんだろう? 謎だ.信頼へのフリーライドなのか,それともひょっとして何かそこに不可分の構造があったりして.

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なおリンク先記事は,この文章経由で知りました(さらに一つリンク遡ったけど).

一部抜粋訳があります.

a ray of hope

達郎さん繋がりで,もうひとつ以前から書きたかったことを.

山下達郎の「希望という名の光」という曲がある.2010年に映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』の主題歌として発表され,その後2011年の東日本大震災を境に鎮魂と希望の歌という新しい意味付けが加えられるようになった.曲がアーティストの手を離れて一人歩きする良い例だが,山下達郎の場合は一人歩きの女王(笑)であるところの「クリスマス・イブ」があるので,それに較べれば大して方向は違わぬ歩みなのかもしれない.

3.11後にそう受け取ろうとする人々の心情はわかるが,個人的にはこれがどうもしっくりこない.歌詞を読んでも映画(「さんご畑」は一度行ってみたいんだけど興味を持ってから沖縄に行く機会がなく残念)を観ても,感じるのはそういった大きな物語ではない.これは一人の人間の孤高(とその後ろにいる人々の視線)を唄う歌だ.(「うただ」を変換したら「宇多田」になった.伏線w)

そう,この曲を聞くとき私の心に浮かぶのは,宇多田ヒカル.より正確には,雨宮まみさんが書いたこの文章に出てくる,宇多田ヒカルという人間の存在について.

ライブの中継を観ているとき、私はこのすさまじい才能が、たった27歳の、生きている人間の若い女の子にのっかっているのだということにふるえた。宇多田はこの才能を、自在に使いこなし遊びこなして楽しんでいるように見えるけど、こんな巨大な才能がたった一人の、何かあればケガもするような脆い「人間」の形の上にあるって、おそろしいことだ。普通に「電気代とかも知らない痛い大人になりたくない」って言っちゃうような、そういう女の子の上にある、そのことはもちろん宇多田ヒカルの表現する歌と不可分なことだけど、こんなにも大勢の人間の心を否応なくゆさぶる力を持つ才能が、永遠ではないこと、感情があり、生活があり、当たり前に続いていくものではないこと、それを考えると、かけがえのなさに今さら気づかされてたまらなかった。この一瞬にしかこの一瞬は存在しないっていう、当然のことを私はあのとき初めて強く意識した。この怪物のような才能は、怪物ではなく人間なんだと気づいて、恐怖と貴重さに慄然とした。

2010-12-25 – 雨宮まみの「弟よ!」

……本当ならここで上を受けて自分の言葉でパラフレーズするのが普通の文章の構成だけど,この雨宮さんの才能溢れた文章に相対して何かを書くことはとてもできない.あえて付け加えるならば,私の中でこの延長線上には岡崎京子がいる.

「希望という名の光」を聴くたびに私は,この雨宮さんの文章を思い出す.そして,宇多田ヒカル云々を超えて,あらゆるartifactsはどこかにいる(いた)人間がつくったものであることを,もしそこに才能やhard workを見いだすのであればそれは「『人間』の形の上」に存在することを,その人間は脆く・いつ失われても不思議ではない・ただの人間であることの貴重さを思い出し,恐怖する.

んなもん,なんかもっと頑丈なものに入れらんないのかよ,とか身勝手に思ったりもする訳だが(←ほんと酷い言い草),その「頑丈なもの」って何だろう?と考えてみると,ひょっとしたらそれは,社会やコミュニティや,あるいは個々の人間から人間へ手渡される「バトン」なのかもしれない.だとすると3.11の後,一人の人間という生物の脆さから"a ray of hope"を掬い上げてみたらそこに共同体の希望を見い出さざるを得なかった,というのは,ぐるっと回って正解なのかもしれないな,などと考えを改めてみたり,ね.

幸か不幸か,現代には,才能ではなくその果実を入れる「頑丈な容れ物」として「メディア」というものがある.それがどれくらい頑丈であるべきで,どれくらい自由であるべきか,というのは,また別のお話.

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Facebookの「ノート」の新装開店記念に試しにノートで書いてみた話(ネタ自体はそれこそ5年前から頭にあった).その後ノートは使っていない……(笑)

雨は夜更け過ぎに 〜 1975年1月22日の東京の天気

気象庁は過去の気象データを公開している[気象庁|過去の気象データ検索].

気象台や測候所のデータは観測開始時からすべて見ることができる.例えば東京管区気象台(千代田区)のデータは1872年(明治5年)分から存在する.

という訳で(何がだかw)1975年1月24日から遡ること数日の天気を調べてみよう.

とりあえず1975年1月の天気[東京 1975年1月(日ごとの値)主な要素].

なんと22日が雨ではないか!

22日の状況を見てみよう[東京 1975年1月22日(1時間ごとの値)].

午前中から雨が降り出す.正午の気温が3.8℃.雨はだんだんと強くなり,気温も下がっていく.午後3時で2.5℃,6時で1.5℃.

1975年1月22日の東京は冷たい雨が降っていた.

その“雨は,夜更け過ぎに雪へと変わるだろう”かとも思われたが,実際には日付が変わる前には止んでしまったようだ.深夜0時には雲量が「0+」となり,翌23日は晴天.

試しに秩父河口湖のデータをみると22日は「大雪」となっている.ひょっとしたら福生あたりは雪まじりだったのかもしれない(ちなみに福生に近い八王子青梅に設置されているのはアメダスでありそのデータは1976年分からしか載っていない,残念).もちろん彼がその日福生に居たかどうかは知る由もないのだが.

でも,“変わるだろう” なんだから,実際には雪ではなく雨だった,ほうがリアリティがある気がするな.

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てなことを「山下達郎40周年ツアー勝手に予習 DJ EVENT – circustown.net」の会場でスマホでポチポチと調べていて発見したとき,かなりの胸の高鳴りを覚えた.これもそれもそのほかも含めて素晴らしいイベントでした.行って良かったです.お誘いいただきありがとうございました>one of staffの人.

ここに書いた1975年1月22日の天気がどういう意味を持つかについては,私なんぞが書くのは僭越であり,より適切な人が,そのうち書いてくれるだろう.

ヒントはここら辺で.最初の2つだけで情報はすべて出揃っていますね.

ツアーが楽しみです.

Live Cafe Again

 
 
 
(2015.12.25 追記)
クリスマスイブの夜にこの日のことも触れられているたかはしさんの記事が公開されました.題して「すてきなメロディー」.今ツアーでの“再生”はとてもとても素敵でした.私は好きだなあ.幸運なことに2016も当選しました.また聴けるのかな.すてきなメロディーが流れて来ることを願って.