プロのポジショントークよりホビイストの自分語りの方がはるかに有益,という状況が一般化したのがインターネット時代.
情報を探すにあたり行う,プロの真摯な啓蒙活動とポジショントークを見分けること,と,ホビイストが出す情報の質を見極めること.どちらもやることは同じだし労力も大して変わらん,ということなのだろう.
とぎれとぎれの日記帳…
2015/02/18 (水) @ 09:34
プロのポジショントークよりホビイストの自分語りの方がはるかに有益,という状況が一般化したのがインターネット時代.
情報を探すにあたり行う,プロの真摯な啓蒙活動とポジショントークを見分けること,と,ホビイストが出す情報の質を見極めること.どちらもやることは同じだし労力も大して変わらん,ということなのだろう.
2015/02/17 (火) @ 23:58
Facebookを長年眺めていると,その人の儘ならない打ち砕かれることも多い人生(皆そうだろう)で,どこがプライドの保ちどころで何によってアイデンティティを維持しようとしてるか,が何とはなしに透けてみえてしまうことがあり,なかなかつらい.
残酷なツールだよな.
2015/02/16 (月) @ 19:01
モーリさんのはてブロ後編みて思い出した.
吟じます! 「ラッスンゴレライ」の仲間たちには、まだこんなにあったのにー、すっかり忘れてたー!
— in between days
その昔,「にほんごであそぼ」で観た「こころよ」が深く心に滲み,こんな良いものなのにネットで誰も言及してないなーと思っていたら,暫くして「こころよ」を取り上げたブログ記事が流れてきた.
おーようやく来た!と思って読んだらそれはモーリさんの記事で,そのとき,日本のブログ論評界の狭さなのか,自分の観測範囲の狭さなのか,自分の価値観共有圏の狭さなのか何なのか分からないけど,とにかく自分を取り巻く世界の既に完結してるっぷりに,結構深く絶望したのであった.
(ちなみにモーリさんには何の罪もありませんw)
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Facebookへのポストからコピペしました(若干加筆あり).