微妙に琴線に触れたので…
コミュニケーションを求める欲求は食欲や性欲と同じぐらい根源的なので、…
(長い文章の中の本質ではないワンフレーズ切り出しで申し訳ないですが)
最近,自分が以前に書いたこと(*1)(*2)を改めて考え直していたりしていて,いろいろ思いをはせている訳ですが,やっぱり,コミュニケーションというのはそういう位置付けのものですよね.
人間は… とかいうことではなく,生物のかなり根源的な動作原理というか.
そもそも有性生殖(接合による遺伝子の交換を含む)をする以上,個と個のコミュニケーション(1対1からn対nまで)は必須であるし,また,個体や種の生存のために「群れ」を利用する以上,ある種の群コミュニケーションも必須だし.(この2つのコミュニケーションは区別すべきではない同一線上にあるものなのか,それとも実は別のものなのかも私には分からない.)
そういったコミュニケーションというものを機械論的に捉えたとしても,その物理化学的な機構は実は全然分かっていないだろうし,またそれを生気論(二元論)的に捕らえたとしても,コミュニケーションによって伝えられる何らかの存在(「心を伝える」とか言うときの「心」? あるいはクオリア的何か?)がどんなものかも分かっていないのだろうし.
現時点で「伝えられる何か」を表現する手立てとして唯一最大に成功しているのが,シャノン=ウィーバーの『情報量』であるのは確かだけれとも,それで全て解決はいお終いではないよね,やはり.
で,以下,エントロピーをやりとりすることが生命の基本的ななんとかネゲントロピーがどしたこうした,とか言い出すとどんどん危ない世界に入っていくので,そっち方面は立ち入り禁止です! と.:-)
いずれにせよ,コミュニケーションというのはもっと根源的で,やるべきことというかやるべきアプローチは沢山あるのだよね,ということを自分に言い聞かせたい今日の日記でした,まる.
(*1) Diary: 1996/03/26: あなたは肌が恋しいですか?
(*2) Diary: 1996/07/12: 肌の定め
佐藤雅彦が小学生のとき、友達同士の家を電線と豆電球でつないで、お互いにチカチカさせる遊びをしてたらしいんです。
自分がチカって光らせたら、誰かがチカって光らせて返す、みたいな。
想像ですけど、自分がチカってやっても、返事がないときもあったかも。
僕はとにかくこの話が好きなんですけど、リモートなコミュニケーションを考えるにあたってすごく示唆的な気がしています。
| 2009年1月16日 @ 13:27
人間には生理欲求(食欲,睡眠欲,性欲など)と関係欲求(コミュニケーション)があるというのは,例えば松本元さんなんかはよく言ってましたね.
関係欲求の根源やメカニカルなメカニズムがどうなっているのかはよく知らないのだけど,いずれにしても,関係欲求を満たさないと生きていけないのは事実らしい.
これに関して極端な実験が行われたことがあるようで,生まれたばかりの赤ちゃんに対して,その生理欲求は満たしても,関係欲求を全く満たさないようにしておいたのだそうです.つまり,人間と一切コンタクトしないようにしておいたらしい.そうすると,2週間くらいで生理活性が落ちてきて,死に至ったのだそうです.
中世ヨーロッパの頃に,そういう実験をした人がいるらしいですよ.
ちなみに,関係欲求に関しては,単にコミュニケーションやインタラクションをとるだけではだめで,自分が「受け入れられている」という状況を作り出さないといけないのだそうです.これは非常に重要なことで,人間の脳の臨界時期は3歳の頃にきますので,それまでに十分に愛されて受け入れられているという充足感がないと,その後の人格の発達に大きな影響があるのだそうですね(松本元の受け売りです).
| 2009年1月16日 @ 19:04