話をしていて「同報」という言葉が出てきたときは危険信号だ.”Cc”だったら,まだ危険性は低い.経験則の一つ.

情報通信技術の発達により,messagingのコストは低下する.なので情報を共有しましょう,などと言う人がいる.E-mailもあるし,グループウェアもあるし,などと…

例えば,仮に,私が,ある事柄について,自分の直属上司(A)とその上司(B)とそのまた上司(C)と,更にCが抱えるスタッフ部門の数名(DとE)に電子メールを送ることになったとしよう.しかしよく考えてみると,これは,その行為自体が間違っているか,あるいは,そのモジュール(レイヤ)構造が間違っているかのどちらかだ.

Message passingのコストとモジュール構造の設計との間には関係があって然るべき.Message passingのコストが変ったのであれば,モジュールやレイヤの設計も検討し直すべきだろう.上のような行為が常日頃から横行する組織は,一見風通しの良いように見えて,実はmessagingのコストの変化に対応できていない,死にかかった組織である(可能性が高い).当然そこで行なわれていることは,無理があるか,無駄に終るか,である.

そこで再度経験則.なぜか,「同報しといて」「同報します」とかいう言葉が飛び交っているプロジェクトやWGは危険が危ない.あくまでも経験則なので,根拠も無ければ,『同報』という妙な日本語に慣れ親しんでいる実在する個人や団体とは一切関係ありません.:-)