話をしていて「同報」という言葉が出てきたときは危険信号だ.”Cc”だったら,まだ危険性は低い.経験則の一つ.
情報通信技術の発達により,messagingのコストは低下する.なので情報を共有しましょう,などと言う人がいる.E-mailもあるし,グループウェアもあるし,などと…
例えば,仮に,私が,ある事柄について,自分の直属上司(A)とその上司(B)とそのまた上司(C)と,更にCが抱えるスタッフ部門の数名(DとE)に電子メールを送ることになったとしよう.しかしよく考えてみると,これは,その行為自体が間違っているか,あるいは,そのモジュール(レイヤ)構造が間違っているかのどちらかだ.
Message passingのコストとモジュール構造の設計との間には関係があって然るべき.Message passingのコストが変ったのであれば,モジュールやレイヤの設計も検討し直すべきだろう.上のような行為が常日頃から横行する組織は,一見風通しの良いように見えて,実はmessagingのコストの変化に対応できていない,死にかかった組織である(可能性が高い).当然そこで行なわれていることは,無理があるか,無駄に終るか,である.
そこで再度経験則.なぜか,「同報しといて」「同報します」とかいう言葉が飛び交っているプロジェクトやWGは危険が危ない.あくまでも経験則なので,根拠も無ければ,『同報』という妙な日本語に慣れ親しんでいる実在する個人や団体とは一切関係ありません.:-)
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Ccと同報
2006/01/24 (火) @ 02:05
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す、鋭い!
メッセージが誰向けの物なのか、どういう権限で誰に何を促しているのか、その影響力・強制力は?などと考え出すと。。。
情報が分散こそすれ、収束しない。
組織として力を発揮できない
そんなとこですかね。
| 2006年1月24日 @ 02:16
とりあえず送った記録だけ残しておけばいい,という感覚はあるでしょうね.返事が返ってこなければ承諾とみなすという.
ドカドカと紙の代わりにファイルを添付してきて平気な人たちもmessagingのコストなんて考えてないんだろうな.
| 2006年1月24日 @ 07:44
「同報」って言葉を会社や会議で一度も聞いたことがないですが… (「ドーホーします」て言われても意味がわからない気も)
| 2006年1月24日 @ 11:25
ぐっときました。
ところで、私は、カイシャ勤め終了2ヶ月前にして「同胞失礼いたします」の意味がよくわかりません。何が失礼なんでしょうか?失礼なら出すなと。
そして、私の上司は「部長、先刻送ったメールの案件、いかがでしょうか?」と聞く部下に「あ、すまん、同胞って書いてあったから読まなくてもいいかと思ったよ」と答えていました。軽くヤバいと思います。
| 2006年1月25日 @ 00:18