IDEO—博報堂傘下に,のニュース(「グローバルに展開するデザイン/イノベーション会社IDEO社、博報堂DYグループの戦略事業組織「kyu」の一員に | 博報堂 HAKUHODO Inc.」)は,ニュース自体もそうだけど,ニュースに驚いている/動揺している方々をみて,ああこういう層の人たちがIDEOを見ているんだー,と観察するのも面白かった.

会社を売るからには大人の事情やらお金の事情やら何の事情やら色々とあるのだろうけど,そんなことはおくびにも出さず,どこまで本気でどこまで言い訳やらハッタリやら分からない檄文をTim Brown (CEO)が発表してしまい,さらに動揺が拡がる,みたいな.これです.

曰く,

  • 生まれてから30年が経過した俺らの組織は,もう今のハイペースな技術の進歩についていけない
  • 我々が創りだしたやり方は,もうピークは過ぎたし,そこら中にあふれている(コモディティ化した)
  • より大きな,社会的な問題に取り組む必要があり,それに新しい環境や体制が必要だ
  • ラボで回せるような規模での「観察・プロトタイピング・テスト」は他人に任せて,これから俺らは,どデカい対象をどデカい体制で“(interaction) design”するんだぜ,ヒャッホー(←こんなことは書いてありません :-)

「卒業」するにあたり,より大きな・社会的な課題を掲げる,というのはありがちなパタンなので100%真に受けてもいけないのだろうが,それにしても刺激的な‥‥

ところで.

今この現在,どデカい問題にどデカい体制で取り組んでいる人々がいないのかというと全くそんなことはなく,政府とかデカい企業とかが連綿とそれを続けてきた訳だ.彼らの言い分とか発奮とかもまた聞いてみたいものであるが,そういう人達の言葉はほとんど激文化しないのでちょっと残念.言い分はある筈なのだけどなあ.

文中では

analytical cultures traditionally start with an answer, and then break the problem down into its constituent parts

creative cultures start with questions and look at problems holistically

という対比が出てくる.結果として同じ「区分け」になる気もするけど,視点は違いますね.

あと微妙に引っかかったのが,

Organizations and systems must be redrawn so that they are able to make use of today’s technological capacity in ways that help humans, not hurt them. The sci-fi specter of A.I. that outsmarts us or an Internet of Things that controls us can only come true if human-centered design is not present at the drafting table.

というくだり.

ともあれ,この檄文を読めて大変に良かったです.

(誰か日本語に訳せばいいのに)

P.S.
こちらのポストも参考にさせていただきました.(なぜこれ↓はembedded postにならないんだろう??)

IDEOが、博報堂グループのKyu Collecticveの資本参加を受けるというニュースが飛び込んできました。ティム・ブラウンCEOが、その意図を説明しています。…

Posted by Atomos Design on 2016年2月9日

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恒例?のtumblrコーナー(これは自分のためのメモ用に便利だということに気付いたw)