2009年12月の記事一覧

21世紀も9/100

ああ,もうすぐ21世紀も9%ほど終了しますよ.9/100ですよ.どうしますか,みなさん.ほんとに.

などと無駄なものを書いている場合ではありません.

21世紀といえば,未来,だったはずんなんですけどね.

私たちの年代が子供だったときに見せられた未来は,1にエアカー,2に壁掛けテレビ,までは固いところだと思いますが,3になると結構まちまち.チューブトレインだったり,ロボットだったり,腕時計型テレビ電話みたいなやつだったり,「出来上がって盛りつけされた料理が出てくる箱」だったり,宇宙ステーションだったり.

壁掛けテレビは,ほぼdone,でしょう.一方エアカーは来る気配がまったくありませんね.今やエアカーといえばタタ・モーターズですから.圧縮空気ですから.世も末だ(あ,末は通り過ぎたのかw).

そんなことを考えつつ,何かネタはないかと大掃除がてら見回していたら,絵本発見.「だるまちゃんとかみなりちゃん<こどものとも絵本> (加古里子作・絵)」.初版が1968年8月1日.

これに出てくる雷の国が,当時の未来イメージを更に一回脚色した感じで楽しいです.ことのほか電波が飛びまくっているのは,無線が未来だからか,それとも「雷ちゃん」だからか.でも,今見たら,電磁波身体に悪そう… としか思えないなw

表紙と中の数頁,張ってみます.興味がある方は本屋さんなり図書館でどうぞ.本を大切にする図書館ならきっとあるのではないかと.

だるまちゃんとかみなりちゃん(表紙)
— だるまちゃんとかみなりちゃん (加古里子作・絵)  表紙

だるまちゃんとかみなりちゃん(20-21)
— だるまちゃんとかみなりちゃん (加古里子作・絵) pp.20-21

だるまちゃんとかみなりちゃん(24-25)
— だるまちゃんとかみなりちゃん (加古里子作・絵) pp.24-25

上に書いた未来イメージと絵本に出てくるものを照らし合わせてみると,エアカー → 雲,壁掛けテレビ → 薄さが中途半端だなw,チューブトレイン → モノレール(プロペラ推力?),ロボット → 出てこない,電話 → 無線にはなってるようだ,料理が出てくる箱 → ベルトコンベアーの先には何があるんだ??,宇宙 → 出てこない,てな感じかな.

楽しいなあ.

未来を考えるのは,暗いことなんかじゃなくて,やっぱり楽しいことだよ.

ね!

P.S.
とりあえず今切実に欲しいのは,服をたたんでクローゼットに入れてくれる洗濯乾燥機と,食器を棚に並べてしまってくれる食器洗い乾燥機だな.あと,紙の本はそろそろマジでなんとかして欲しい.

eight-hundreds

今年の春くらいは “TATSURO FROM NIAGARA” ばっかり聞いてた.ツアーの影響もあったんだが,もう,とにかく良くて良くて.

とはいえ34年前の曲ばかり聞いているのも人としてどうかと思い悩んでいたいたところ, “eight-hundreds” が出て,ようやく救われた.これで2009年の音楽にハマれる(笑).

という訳で,今年一番聞いたアルバムは,MONGOL800 — “eight-hundreds”

モンパチ,なんかすごいアルバム作っちゃったな,というか,すごいところに来ちゃったな.こんな音作りでも,くるりがやるのとは意味が違うぞ,みたいな.

てなことを年末にでも書こうかなぁ,とか,ほのぼのネタのストックのひとつだと思っていたら,武道館のライブレポがこんなことに.

後半、最新アルバムから畳み掛けられた「神様」「blue blues」「not equal」「I’ll be」の流れには宗教的な凄みがあった。

モンパチ武道館 – ROCKIN’ON JAPAN 編集部日記 | ブログ | RO69(アールオーロック) – ロッキング・オンの音楽情報サイト

中でも、特に圧巻だったのは、後半、17曲目“神様”あたりから20曲目“I’ll be”までの、最新アルバムの4曲を並べたブロック。「ハネて踊れて歌えるモンパチじゃない部分の結晶」みたいな、簡単に言ってしまうと「じっくり聴かせる」ことに徹した時間。
尋常じゃない集中力で、音が奏でられ、歌が歌われる。1曲、2曲と聴いているうちに、気がついたら、別の世界に連れていかれていた。そんな感じだった。基本的に祝祭ムードだった武道館が、その時間だけは別の空気に包まれていた。おごそか。そう、あんまり、バンドのライブでそういうことを感じることは少ないけど、「おごそか」という言葉が一番近いかもしれない。

MONGOL800 @ 日本武道館 | 邦楽ライブレポート | RO69(アールオーロック) – ロッキング・オンの音楽情報サイト

くあー.これはやはりあらゆる手を尽くして行くべきだったのか.

今年一番の痛恨ネタになってしまったではないか.

なんということだ…

Apple i… What?

アップルはiPhoneを,その名前の通り,携帯電話として売った.

実際のiPhoneを見れば分かるように,それはどんなものとして売ってもよかったものだ.例えば,ハンドヘルドPC,PDA,Internet communicator,リッチなiPod,iPod for Video,携帯ゲーム機,Knowledge Navigator,…

しかしアップルはそれを電話として売ることにした(*).2007年のあの時点において,世界やアップル社自身の流れの中で,それが最も良いと判断したからだろう.そしてその判断は正解だったと認めざるを得ない.

電話でありながら「何にでも使える」のは,それがまさに優れた汎用のコンピュータ(優れたハードウェアと優れたソフトウェアの組み合わせ)であるからだが,そんなことは表立ってユーザに言う必要はない.

さて2010年.アップルは「タブレットPC」を出すらしい.彼らはそれを何だとして売るのだろうか.

タブレットPC? である訳がないだろう.

ブックリーダー(Reading device),というのが最も妥当な線だが,それでJobsが満足するのだろうか.

iPhoneでBlackBerryからハードウェアキーボードを取り去ったことと,アップル・ブックリーダー(iBook? :-)でKindleからキーボードを取り去ることが,あまりに相似し過ぎているのが逆に気掛かりだ.Reading contentsをiTunes Storeに組み込む準備は,もう整ったのだろうか.

2010年.いま我々が最も「明示的に不満だとは認識していない不満」を抱えていて,「明示的に自らは認識していない渇望」を抱いている領域はなんだろう.

素直な気持ちでそれを聞くのが楽しみだと言える.ちょっぴりの口惜しさとともに.

(*) Jobsのkeynote addressを正確に辿れば,”Widescreen iPod with touch controls” と “Revolutionary mobile phone” と “Breakthrough Internet communications device” の3-in-1だが.

参考:スティーブはタブレットがひどく気に入っている « maclalala2

関連記事: Intermittent Diary — Apple iPad

Newspaper in Education

前のポストにmixiの方でコメントがついて,そこに

コドモ(小3)の教育上そのうち一般紙も取らないとアレかと思って…

とかあったので続きます.

これはまさに思う壺,お客さんいらっしゃい状態.販売員の口から,「そうなんですよ.実は,学習指導要領が新しくなりまして,新聞が…」と続きます.:-)

あれは絶対,新聞本社レベルからの営業資料(拡販ツール)として伝えられてますね.このセールストークが頭に入っている販売員は,その家庭に(何歳くらいの)子供がいるかどうか探りに入るのかも.プレゼントで何を選ぶかとかで探られていませんか? >あなたw

で,販売店員が言っていったことが本当かどうか調べてみたわけですが,結果,一応,言ってることは間違いではないようだ.具体的な内容を新聞側からの勝利報告(笑)的に書くと,こんな感じです.

  • 小学5、6年の国語では「編集の仕方や記事の書き方に注意して新聞を読むこと」が明記された。
  • 中学3年の国語では「論説や報道に盛り込まれた情報を比較して読むこと」が明記された。
  • 高校では、公民の「情報を主体的に活用する学習」において、「新聞、読み物その他資料を収集、選択し、読み取り解釈」するなどの学習活動を取り入れること、情報の「情報メディアの種類と特性」について、「新聞・テレビなどの特徴や働きについて扱うこと」など、「新聞」が明記された。

国の正式な文書に特定の単語を入れることが,どれだけ大変でどれだけ意味があるかは何となく想像つくので,彼らが誇らしげに勝利を謳いたい気持ちはよく分かります.

ただ,指導要領本文を眺めてみた感じでは,新聞だけが特に指定明記されているわけではなく,放送(テレビ)や雑誌や統計・年鑑・白書やさらにはインターネットと併記されるかたちで挙げられているので,本当に新聞が使われるかは,学校や先生次第なんですかね.とはいえ,やっぱ新聞とか,積極的に選ばれちゃいそうだけどね.

新しい学習指導要領の完全実施は,小学校は2011年度,中学校は2012年度,高校は2013年度から.

ちなみに,今回案件のロビイングに尽力したと思しき方々はこちら.

まことにおつかれさまでございます.

インターネット側(なんてあるのか?)も,こういう努力が必要なんだろうなあ.その努力をしないのであれば,ゲリラ・革命・転覆路線しかない.どーしますかね,みなさん.(って,誰に問いかけてんだよw)

以下,参考リンク.

新聞戸別宅配

とうとう新聞の宅配を止めた.

ここ数年は実際には読んでいなかったのだけど,帰って新聞受(郵便受)を覗いても投げ込みのチラシしか入っていないのは,何か,もの悲しい.まあすぐに慣れるんだろうけど.

止めようとした際の配達員のおっちゃんの態度もあっさりしたもので,特に引き止めもなし.達観,というか.

と思ったら数日後,販売店のマネージャーだか同僚だか分からないけど,再セールスの電話あり.でも,セールストークの第二声が「嘘を言うこと(確度80%)」だったので,激しく萎えて相手にせず.

さらにしばらくしたら,販売店の経営者かそれにかなり近い人(たぶん上の電話と同一人物)が家まで営業に来た.直接話すと悪人ではないだろうことは判るのだが,それでもセールステクニックがいちいち姑息.最初にインターフォンを鳴らして名乗るときに店名(紙名)を言わず,新聞をとること自体を本当に止めたのかあるいは他紙をとっているのかを聞きだそうとする,に始まって諸々.止むに止まれぬ仕業なのか,それとも体に染みついてとれないのか.まあ暇なのでしばらく話をしてみると,とにかく壊滅的な状況のよう.購読を止める人たちの理由は,多かれ少なかれ,みな,「不景気で金がない」+「紙面が面白くない」+「そもそも購読してても読んでいない(いなかった)」のコンボ攻撃であり,これはもう駄目だろうな… というこちらの印象を強くしただけの営業タイムであった.

そういえば,いまのおっちゃんの前の配達員は明らかに新聞奨学生とおぼしき女の子だった.集金の際の格好も,販売店ジャンパーの下は決して小綺麗とは言えず… その子がいなくなる前の3月,一度だけスーツ姿で歩いているのを見かけた.今はどうしているのだろうか.

などという感傷的気分も含めて20世紀の遺物なんだな,きっと.

Amazon: 朝日新聞がなくなる日 —新聞・テレビ崩壊! (宮崎正弘)

Human Computationとインセンティブ設計

先日,Google 日本語入力のリリースに触発されて,Human Computationというエントリを書いた.といっても,このエントリは自分用のメモのようなもので中身は何もない.その後,第1回ウェブ学会シンポジウムetoさんの発表で集合知の話が出てきたりということもあり,せっかくの機会なので,ネタをひとつ投下します.

Human(-based) computationでも集合知でも何でも良いのだが(今回の話ではそこら辺の違いは余り重要ではない),ある作業を他の人々の行為へアウトソースする場合,そのインセンティブ設計は大きく二つに分類できる.適当に命名するならば,「価値観共有型」と「副作用利用型」だ.

例えば,WikipediaやPodcastleは前者に属し,reCAPTCHAGoogleサジェストGoogle日本語入力は後者に属する.

Wikipediaの場合,システム提供者の目標は,より良い百科事典をつくることであり,その編集に参加する人々のインセンティブは,より良い百科事典(の項目記述)をつくることや自分の知識による達成感・被承認感を得ることである.Podcastleの場合,システム提供者の目標は,より良い音声認識を実現することであり,そこに参加する(音声認識結果の誤りを訂正する)人々のインセンティブは,より良い書き起こし文が読めることや貢献感・達成感を得ることである.

これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブは同じ方向を向いている.すなわち,提供者と参加者との間で価値観が共有されている.これは一見シンプルかつ望ましい設計であるように見えるが,一方で,意図的に価値観を相違することでシステムを妨害することが可能だという欠点を持つ.つまり,悪意を持った人が,わざと間違いを書いたり誤った訂正をして,WikipediaやPodcastleを破壊することができる.

他方,reCAPTCHAの場合,システム提供者の目標は文字認識の精度の向上であり,reCAPTCHA利用者のインセンティブは,ウェブサイトにおけるセキュリティの確保(正確にはSPAM BOT除け)である.Google日本語入力の場合,システム提供者の目標は,より良いIME実装のための辞書や言語モデルを獲得することであり,Google検索(サジェスト)の利用者のインセンティブは,より良い検索結果を得ることである.

これらのケースでは,システム提供者の目標と参加者のインセンティブとの間には何の関連もない.参加者が自らのインセンティブに基づいて何かをしたことの副作用として,システム提供者が求める利益が得られる構造になっている.そして,提供者と参加者との価値観の共有を必要としないことで,悪意のある参加者の参入を阻止することが可能となる.Google Books (reCAPTCHAはGoogleに買収されGoogle Booksの文字認識に利用されているらしい)を妨害しようとしてreCAPTCHAに誤った入力を与えたり,Google日本語入力を使えなくするためにGoogleで意味のない検索をしたりする,といった行為が有効かどうかは不明であり,そんなことをする気には余りならないだろう(悪意はもっと直接的に発揮された方がカタルシスを得やすい).

以上,Human Computationや集合知生成システムのインセンティブ設計には,「価値観共有型」と「副作用利用型」の二種類がある,というお話.

最後に,ここまでの議論をもう一度軸を変えて見てみると,以下の二つのことが言えるだろう.

Human Computationを実現したい,集合知を得るシステムを実装したいという場合は,参加者がシステム提供者と価値観を同じくすることを前提とするのではなく,参加者のインセンティブとシステム提供者の目的とが独立であり副作用としてそれが繋がるような設計が良いのではないか(←検証されている訳ではない.第一,Wikipediaは成功していることになっている!).但しそのような設計は,価値観共有型と較べて,非常に優れた工夫が必要となる.

一方,利用者(処理をアウトソースされる側)の人間から見ると,そのシステムの提供者(アウトソースする側)の目的を理解し共感しているタイプと,そのシステムの目的さえ知らずにしかし結果として協働しているタイプの,二種類のHuman Computation/集合知生成システムが存在する.どちらが利用者にとって望ましいかは,この場では不明である.

というのが本エントリの主張.嘘か本当かは,知りませんw

さて,ここら辺から辿って,年末にでも勉強しますかね…

集う2.0

衝動的にぐぐってみたら驚いたことに何も出てこないので,ここで権利確保(笑).

「集う2.0」

realityではなく.fidelityではなく.

一緒にいる,一緒になにかをしている.フィクション感とともに.

同室感.

距離を超えて,時間を超えて.
規模を超えて.long tailを超えて.weak tieを超えて.

ニコニコ動画.擬似同期.フィクション感.
twitter.非対称.一方的.選択的同期.フィクション感.
過去再生.疑似同期.フィクション感.

個人の空間(「スタジオ」).スケールする重ね合わせ.
スケールするアンビエンスと,深化するコンシャスネス,みたいな.

インタラクションが成立しない相手との協調・協働.
インタラクションが成立しない原因は,距離,時間,規模,非同期,一方的,異文化,…

対称性重要.
(対称性が非対称なものを許容する)

コミュニケーションのかたちが技術により変容する中,そこで,集い,協働するということはどういうことなのか.

インセンティブ設計重要.
(使ってもらう.“人”も使う,Human-based computation)

要素技術の探求(だけ)ではなく,それらの技術を適切に統合し人々に新たな経験を与えるアーキテクチュアルな思考.

「集う2.0」の,デザイン・実装・評価・理論

(随時更新中)

よし,これでいこう! … て,あの人達には通じないよな,どう考えても.ま,いいや.

第1回ウェブ学会シンポジウム

昨日は第1回ウェブ学会シンポジウム

案内されていたプログラム構成の字面だけみると若干の不安感も漂い,どうしたものかと思ったものの,「行かずに後悔するより行って後悔(する方が良い)」の絢さん理論を久々に発動させて,行くことに.結果的には,これは行って正解.重要ではあるが下らないであろうこと必定の別件をサボって行った価値があった.いいもん見させてもらいました.関係者の皆様,本当にありがとうございました.

シンポジウム自体は,USTREAM録画とtwitterログのまとめが残っているので,残り香を味わいたい方は,こちらをどうぞ.

さて,以下,雑感.

プログラム構成は,当然100点満点とはいかないまでも,8割方は素晴らしい発表.明らかに問題だったのは若干1件くらいではないだろうか.あとは好き嫌いの範疇かと.まあ,(新しいものがないかわりに)現時点までの集大成的な話が多いので,ある意味,密度は担保されていたのかもしれないが.

発表者は,なるべく若く,現役でバリバリやっている人,という観点から選ばれていたように思えるが,その中で,Old Schoolを長尾真先生ひとりに代表させ,かつ,実はその長尾先生自身は,国立国会図書館長という新しい立場において現役として現場に立っているという二重構造を確保しているという… よくできている.

こういう場での東さんの存在は本当に価値がある.物事の見方や考え方や解釈の仕方を変えてあげることでその時代を生きる人の問題を解決するという哲学者の役割(←俺様定義 :)を,確実に果たしている.東さんの言葉により,対象となる議論が空想的だ衆愚だプライバシーだ(これはこれのとき)だといったところに落とされたまま這い上がれなくなるという事態から救われている.東さんの発言で個人的に響いたところは,以下の勝手抜粋と,東さん自身のtwitter再掲で.(哲学コンプレックスだからさw 後述)

「一般意志2.0」という言葉で僕が何を言おうとしているか. …

Twitter / hiroki azuma: 英語で対応して言えば、ここでルソーははっきりと、十分 … (reblog)

Twitter / hiroki azuma: ぼくの一般意志2.0論のエッセンスはすべてこの一文に … (reblog)

Twitter / hiroki azuma: 懇親会で @eto さんあたりと話したときに言ったけ … (reblog)

一方の聴衆はといえば,Google日本語入力を先日公開しました,という工藤さんへの拍手に尽きる.いい会場じゃないか.いやマジで.

会場ではtwitterの発言も見ながら講演を聴いていたのだが,あの流量は無理だ.少なくとも,更新が1分に1回のツール(クライアント)では,どうにもならない.もう一段のブレイクスルーが必要か.あと,twitterを自分のメモ書きに使ってみようとも思って試みはしたが,これも破綻した(笑).

twitter発言の中で一番私の心を捉えたのは,豊田さんが検索エンジンスパム(SEO)用に作られたリンクファームの構造を可視化したものに対して言われた,この発言.

ほー工場萌えの一種? #webgakkai — Twitter / 駄目人間(botもあるよ→@damebo

機能合理性を追求した結果が別の形で美しさを生むという意味では全く一緒.これは卓見だわ.その他多くの人は「菌みたい」とか言ってたが,まあ,それもある意味同じことではある.

個人的に,可視化というのは,どうも好きになれないというか素直に敬意を表せない(笑)研究分野なんだが,豊田さんのは例外的に,ぐっとくる.豊田さんが操作(インタフェース)の人でもあるということと,対象がWebであるということが当然あるのだろうが,他にも何か違うものがあるのだろうか.

そうそう,インタラクションとかユビキタスの研究分野(の研究者)って,アートコンプレックスとかデザインコンプレックスな人が結構いて,その人たちの存在がいろいろな形で研究に陰を落としていたりするんだけど,昨日,twitterのTL等を見ていて思ったのは,ああいう場になると,技術コンプレックスとか実装コンプレックスとか政治コンプレックスとか哲学コンプレックスとかビジネスコンプレックスとか,ほんと色んな人がいて,それらの人々が思わずその心境が滲み出るよう発言をしていたりして,非常に興味深い.

こういう時のtwitterのTLであるとか,あるいは自分がそれなりに分かっている分野のニュースを対象とした2chの(特に)ニュー速系のログとか見ていると,「訳の分かっていない」「素人が」「ピントのずれた議論」をしてるのが「目に余る」わけだが(笑),しかし実は,それらの人々こそが,「世間一般」であり,ビジネス云々を言うのであれば「お客様」であるし,あるいは「仕分ける側の人」である.であるならば,この乖離感を何かポジティブな方向に使う手立てはないのだろうか? とも思う.これは大きな課題.

一部で,結局何から起算して「ウェブができて約15年」なの? 問題も言われていたが,1st WWWW3Cが出来てから15年なので,それでも良いのではないかと.:-)

以上,雑感おわり.

まとめると,仰ぎ見る空中戦の華麗さと,地上戦から生還した戦士が語る言葉の重み,その両方に触れた一日でした.改めて,関係者の皆様,おつかれさまでした.ありがとうございました.

Human Computation

ことここに至っては,これはもう引き返せない道ですね.

しかしこれはCSの勝利なのか敗北なのか(笑).

以下,自分メモ用参照リンク.