(前の記事の続きです)
神様視線があれば,持ってる人と欲しい人が分かるのだから当然マッチングしてあげたくなる,それって広告モデルそのものだよね,というのが前回のお話.
さて,不況と産業構造硬直化と雇用縮退に悩む日本に住む人間としては,このマッチングのメカニズムを労働市場にも適用できないのかなぁ,と当然思う訳で…
といいつつ,真っ当なことを考えても面白くないので,ここでは少し趣を変え,ハローワーク的パーマネントな雇用が理想である式の労働の話ではなく,育児や介護におけるファミリーサポート的な(高校生のベビーシッター的と言ってもよい),出来るときに出来ることをする/してもらう,時間切り売り的な労働,のマッチングについて考えてみる.
もし「神様視線」から,いまどこで誰が何をして欲しいか,そして,いまどこで誰が何が出来るか,を見通せるのであれば,単純にそれらの間でマッチングを取るモデルを作れば良い訳だが,そのようなモデルは,まだうまくいっていないように見える.(うまくいってる実例があったらごめんなさい.)
なぜうまくいかないのか? それを説明する仮説が2つ思い浮かんだので書いてみる.
仮説その1.「モノ」と「コト」問題.
して欲しい/出来る,というのはモノではなくコトである.人間,モノの交換や売買には慣れ親しんでいるが,コトの交換や売買に馴染みがないため,うまくいかない.しかし,労働も,一旦,「ジョブディスクリプション+契約」とか「サービス」という形で「モノ化」されると比較的容易に商品となり得るので,それらはいずれ神様マッチングモデルの配下に収まる.
(うーん,いまいち.というか,この方向の整理がまだ頭の中で不十分)
仮説その2.「いま」の精度問題.
前の記事で書いたように,地理的に分散した対象のある時刻での状態を一点で把握することは通常不可能である.Googleの神様視点は偽神様なので,ある時刻ではなく,ある時間区間での状態しか把握できない.今のGoogleの場合,(サービスの種類や対象にもよるが)その時間区間の粒度は数日〜数ヶ月といったところがせいぜいであり,それが故に,労働の需要と供給のマッチング機能は実現できない.
(こっちの方がまだ芽があるかな.では,こっちで続きを…)
いまどこで誰が何をして欲しく,いまどこで誰が何が出来るか,を,ファミリーサポート的モデルでマッチングしようとするならば,その時間区間の粒度は数時間単位であることが必須だろう.今のGoogleは,どちらかと言えば世界規模の広がりをカバーすることに注力しており,時間方向の整理の粒度を上げることは後回しになっているように見える.
つまり,ここで足りないのは,皆の「いまなにしてる?」(あるいは「いまなにしたい?」)を見通す神様なのだ.
やっぱオチはそこかよ! というつぶやきが脳内にエコーするが,それはスルーするとして(笑)…
ともあれ,全ての "beam" を見通す神様視点を誰が実装するのか,それが勝負! なのだろう.そして仮にそれが実現されるのであれば,context-aware も life-log も sensor-network も ubiquitous-computing も,その大きな流れの一部に過ぎなかった,ということになるのだろう(か? ←やや自信がない :-).