おう、8月だ(意味なし)。
一昨日は「きくちゃんの絵も野茂の球も世界共通の言語でいいなぁ」などという謎のセリフでお茶を濁してしまったけど、今日はちょっとマジだぞ。
という訳で、言語の力というか知の力について。
結局のところNetscapeは標準で日本語をサポートしてしまったために日本でもしっかり覇権を握ってしまった訳だけど、聞くところによるとこれは、日本人が出掛けて行って日本語の部分を作って来たとかいうのではなく、あちらのNetscapeにおいて、日本に留学経験があるといった程度のchinese americanなど数人が作ったということだそうな。(Netscapeの日本法人ができた今はどうなってるのか知らないけど。)
なんでそんなことが可能なのか? 実際に作った人間に会った訳でもなければ話を聞いた訳でもないけれど、それは、ひとつにはKen Lunde氏の功績だと断言してしまいたい。
実際それほど、例の河豚本 ("Understanding Japanese Information Processing")は偉大な本であり、まっとうな理解力とプログラミング能力がある人間がこれを読めば、とりあえず日本語をハンドリングする程度のソフトウェアは必ず書けてしまうはずだ。それこそが「知の力」であり、「知を言語によって他に伝える力」なんだろう。
翻って日本を見てみればというと、「河豚本」を超える、どころか、これに相当することがきちんと書かれた本すら未だに一冊もないのが現状だ。(しかし本当にないのか! もしあったら教えてください。あ、「JIS規格」というのは却下です :-)
もちろん、「河豚本」の内容だけでは単に日本語が表示できる+α程度のことしか実現できないのも事実である。で、よく、「結局1バイト言語圏の奴らには日本語のことなんて分かんないんだよなぁ」みたいなことをいう人がいるけれども、それはやっぱり、「自分が分かっていること」を他人に伝えることができない能無しの言うセリフなんだよな、所詮。悔しかったら試しに伝えてみれ、っちゅーか。
現在日本では「河豚本」の日本語訳が進行中とのこと。なんでこの本を翻訳で読まなければいけないんだぁ。いや翻訳が出ることはものすごくいいことなんだけど、なんでこれに相当する本が日本人の手で書かれないんだ!
Netscapeを使っていると、たま〜に河豚本とNetscape 1.1Nの存在そのものがアメリカの底力を体現してるような気がして打ちのめされそうになる。日本にだって当然、理解力もプログラミング能力も独創性も立派にあると思うけど、この「知を書き表し伝える力」は無い… んじゃないのかぁ、ひょっとして、とか。
てな訳でNetscapeを使ってる人はKenにもちょっと感謝しましょう、という話でした。はぁ。