2011年の記事一覧

90年代

GREEの田中さんのメッセージが話題になっている.新聞読めないんだけど,これと同じだというので読んでみた.

いきなり冒頭の,90年代が「…… どうせ何も変わらないから、頑張るだけ馬鹿らしい。悲観的なシニカルであることが賢いことで、建設的で前向きであることが愚かであるような、…… そんな雰囲気に包まれていたように思えたからです」という部分に“違和感”を覚えた.いや,90年代はそんな時代じゃなかったぞ,少なくとも俺の90年代は,と.

だがその先のシリコンバレーの話を読み進めていくうちに,自分の気持ちが理解できた.そうか,自分は90年代を通じてずっと,ネットとインターネットとウェブの真っ只中にいたから,そんな風には全く思わなかったんだ,そんなシニカルに考えている暇なんかない面白かったんだ,と.

という訳で,根本的な受け止め方としては,私と田中さんとで,あまり変わりはしないのかもしれない.ひとつだけ違うといえるのは,そんな輝きや価値観や生き方があったのは,決してシリコンバレーだけではないということ.社会やコミュニティの理解という意味では確かに劣っていたかもしれないけど,それは世界中にあったはずだ.たとえば,ジュネーブにも,イリノイにも,そして日本にも.

田中さんが結局日本から飛び出さずに,日本に居ながらにして,いま持っているものを持ち得たというのが,あそこで日本が大きく変わったことの証拠だと思う.シリコンバレーに行く必要がなくなっちゃったんだよね,実際に.

ちょっとそのリブログ,誰かの検索結果に表示されますよ

ついにきた.ネットサービス上のデジタルアイデンティティ統合の自動化が.

多くの人は複数のウェブサービスを使っている.私もそうだ.twitterにfacebookにtumblrにLinkedInにmixiにPicasaにYoutubeに,忘れちゃいけない自分のこのブログに…… そうそう,最近はGoogle+もだ.

通常,異なるウェブサービスでは異なるデジタルアイデンティティが使われる.例えばGoogle+に103124556158689945337というユーザがいて,twitterにtakadatというユーザがいたとき,それらが同一人物かどうか分かるだろうか? 本人ならば分かる.親しい友人なら分かるかもしれない.全くの他人からは? プロフィール等でおおよその察しはつくが,確信は持てない.では,人ではないプログラムやサービスからは同一人物かどうか分かるのだろうか?

Googleはそれが分かるようになった.Google以外も含めた複数のウェブサービスにおけるデジタルアイデンティティの結び付きを知り,それを検索等のウェブサービスに利用するようになった.

発端はGoogle+での,Kanzakiさんの投稿だった.

共有リンクがGoogleの検索結果に反映される?たまたま「蝉」を検索したら、「周期ゼミは、セミのうち…」という記事のスニペットの後に“+Toshihiro Takadaさんが共有しました”というおまけが付いてきた。サークルに入っているユーザが共有したもののみ表示される模様だが、この記事は彼のストリームには無いような(以前見たような気もするが)。どんな基準なのか、今のところ不明

恐らくヒットした記事はこれのことだろう.私のtumblrのポストだ.

《Googleウェブ検索ユーザのKanzakiさん》と《tumblrのtakadat》との間には,何の繋がりもない.しかし,《Googleウェブ検索のKanzakiさん》=《Google+のKanzakiさん》—[サークルに入れる]→《Google+のTakada》≡《tumblrのtakadat》という繋がりをGoogleが知ることで,Kanzakiさんのウェブ検索の結果にその情報を表示したのだ.

上の最後にある“≡”の部分,つまり《tumblrのtakadat》が《Google+のTakada》と同一人物だとGoogleが知っている理由は,Googleアカウントの“Connected accounts”や,Google(+)アカウント・プロフィールの“Link/リンク”にそのことを入力してあるからだ.今回の私の場合,tumblrのURLは後者のリンクのところにしか入力していないので,その情報が使われたことになる.

また,すこしGoogleウェブ検索を観察してみたところ,twitterのプロフィールの“Web”の項目に書かれたリンクも,同様に扱われているようだ.

いずれにせよ今のGoogleは,ユーザが自ら「これは私だ」と記述した情報を利用しているだけで,アルゴリズミックにユーザの素性を暴き立てることに成功した訳ではない.しかし,tumblrでリブログしたりブログにリンクを載せたりすると,それがどこかの誰かの検索結果に名前付きで表示される可能性があることは気に留めるべきだろう.しかもこれは,Google+ならば,サークルに入れられた人がShareした事実が,サークルに入れた人の検索結果に現われ,twitterならば,フォローされた人のWebに載っているリンクが,フォローした人の検索結果に表示される.Google+もtwitterも人間関係は非対称であり,サークルに入れる/フォローするのに,入れられる/フォローされる人(つまりそれは検索結果に名前が出る人)の承認は不要なのだ! (Google+での上限の5000人?をサークルに入れた人の検索結果は,さぞかし賑やかなことになっているのだろう)

それからこれは蛇足だが,この関係は,当たり前だが国や言語を超える.サークルに入れられてしまえば,誰の検索結果にも名前が表示され得る.ということは,なるべくならば「名前」は,多くの人にとって可読可能な文字・表記で書かれることを,サービス提供者は望むのではないだろうか.

Google+等のSNSやステータス投稿系へのユーザ入力とウェブのクロールから,フェデレーテッドなデジタルアイデンティティを構築することが出来るのであれば,SNSを横断した統合ソーシャルグラフを生成することも可能になるだろう.Googleにとっては,データがオープンアクセスでありさえすれば,個々のデータが自社のサービスではなく他社のサービス内に置かれていても,余り気にならないのかもしれない.そこが恐らくfacebookとは大きく違うところだ.

しかしこのことにふと気づいてGoogle+等にポストした(G+, fb, tw)した2日後には,本当に,Google+という“SNS”の枠を超えたサービス(今回は検索)として提供されるその光景を目の当たりにするとは.試用とか言っちゃって.Google恐るべし.

Federated identityへの道もリンクから.

……

以下参考まで.

接続アカウントやリンクの情報は,Google+等のプロフィールページに行き,そこから,Edit Profile/プロフィールを編集 → Links/リンクへ,そしてそこにある,Add custom link/カスタム リンクを追加,あるいは,Manage connected accounts/接続されたアカウントを管理,により設定/変更が可能だ.またそれらのデータの意味や使われ方については,

等に記述されている.3つめは日本語訳が用意されていないようだが,ここら辺の問題を気にするのであれば必読とも言える.

平坦な戦場にも記憶はある.厄介な

こんなグラフを見かけたので前から思っていることなど.

Global Music Industry Turnover (1973-2009)

これを見ると「単にCDがバブルだっただけじゃねーのか」という気がしないでもないが,右肩上がりを信じていた人々は,ピークのところ(1999年?)で何かが起きた,と信じたいのだろう.

Napsterが生まれたのが1999年,iTunes/iPodが出たのが2001年.まあ,関係なくは無い.

個人的状況を考えると,CDをあまり買わなくなった一番大きな理由は,iTunes/iPodにより,既に所有している音源を聴くので「手一杯になった」からだ.これはもう如何ともし難い.歳をとって新しいものへの欲求が減ったというのもまた事実で,自らのライブラリへの傾倒の容易さが更にそれに輪を掛ける.

iTunes/iPodには所有ライブラリが丸ごと入るため,そこでは全ての曲/アーティストが参加する壮大なリーグ戦となる.聴取機会を巡り,個人的「いい曲」の地位を巡り,現在の新譜や新人が数十年間の蓄積となる曲やアーティストと闘わなければならない.

戦う相手がビートルズやストーンズといったオーソドックスである,というのは,実はまだマシな話だ.それは真っ当な実力勝負とも言える(まあキツイ話だが).タチが悪いのは,iPodの持ち主の個人的な思い入れや思い出との闘いだ.そこでは,メジャー/マイナーはおろか,楽曲の良し悪しすら関係なかったりする.勝ち目の薄い,厳しい戦い.

全く同じことが,これから「文芸」においても発生するのだろう.(電子書籍云々がうまく立ち上がればの話だが) そして,その先,他のジャンルでもまた.

これからの作家や表現者は,古典と戦い,受け手の記憶と闘わなければならない.一見フラットな戦場も,微視的には記憶とか郷愁とか憧憬とかそんな厄介なもので満ちている.

ただひとつ言えることは,音楽の場合,その厳しい闘いを勝ち残るアーティストや曲が,今でも生まれ続けていることだ.それはとても素敵なことであり,それらをもたらしてくれるアーティスト達に心から,ありがとうと,貴方達のおかげでまたちょっと生きていくのもいいなと思うんだ,と言いたい.

希望はまだある.

(ツイート再生エントリ)