2009年09月の記事一覧

未来を描く

なんだか分からないけど,ホンダのU3-Xって,劣情を催し(?)ますよね.見ると何かひとこと言わずにはいられなくなる.「これ一輪でどうなってるの???」的な直接的疑問から,「ホンダ(日本)すげえ!」あるいは「結局セグウェイ(欧米)のパクリ改良かよ」みたいなメタ言辞まで,それはもういろいろと.(長尾先生のブログも突然再開してるし)

ということで,私もひとこと.

ホンダとかトヨタの一連の(次世代?)モビリティものを見ると,そこから未来が見えるよう,ちゃんと考えられているよなあ,っていつも思う.

つまり,

  • このようなモビリティが将来,社会で必要とされること
  • その要請に応えることが産業として成立すること (たぶんこれが一番重要)
  • その産業の中で自らが主要なポジションを占めるという強い意志を示し,それを裏付けるもの(技術)を作ること
  • 上記三つをステークホルダーに納得させるプレゼンテーション/デモンストレーション

が,きちんと揃っている,と.

この中で一番重要なのは,単にその会社のその技術(製品)が売れたり普及したりということではなく,一企業に収まらない産業としてそれが成立する情景を示すことだ.ゴールが"EXIT"であるようなスタートアップ(おそらくは,面白かったり尖っていたりオンリーワンであったりすることが重要視される)と,大きな会社が未来を語るときの,最も大きな違うべき点はそこだろう.

ある製品/サービスを普及させるという話だと,当人以外は全員顧客候補となる訳で,そこから寄せられる感想は「幾らなの?タダなの? 発売/サービス開始はいつなの? でそれであんた儲かるの?(一部VC目線)」でしかあり得ない.一方,産業が創生されるのであれば,自らもプレイヤーの一部だという視点での「俺も儲かるの? 俺に何ができるの? じゃ何しようかな?」という注目を集めることができる.つまりは,ビジネス像じゃなくてエコシステム像を言うべき,ってこと.

上の話の「モビリティ」を「コンピュテーション」に置き換えた場合,Google, Amazon, Apple, 半周後れて Microsoft, Yahooあたりが,いま,クラウド的な何かを示すときも,やはりこの構成をしっかりと抑えているように思う.

では対象を「コミュニケーション」にするとどうなるか.残念ながら,すっきりとした話をここ最近聞いたことがない.おそらく何かがどこかで捻れている.

「メディア」??? まず一旦バラして…の真っ最中なので,次の画を描くのは,もう少し先なのか.

このように未来を見せることに,奇をてらったことは何一つ必要ない.使うのは,ニーズ,ビジョン,ミッション・ステートメント,コア・コンピタンス,といった伝統的手法で充分(というかそれが正道).あとは,いかに考えずに,いかに考えるか,ということに尽きる.しがらみとか過去の経緯とか先入観とかの余計なことを考えずに,多様に深く何手先までも考え尽くす.ほんとうは皆それを分かっているんだと信じたいけれども,なかなかねえ…

もちろん,きれいに描けていることと,それが将来現実のものとなることは全く別であり,実際に何がどうなるかなんて誰にも分からない.でも,それでもちゃんと描きたいし作りたいよね.

以上,友人達からの私信の返事に代えて.

Googleの神様視点は(今のところ)動体視力に欠ける

(前の記事の続きです)

神様視線があれば,持ってる人と欲しい人が分かるのだから当然マッチングしてあげたくなる,それって広告モデルそのものだよね,というのが前回のお話.

さて,不況と産業構造硬直化と雇用縮退に悩む日本に住む人間としては,このマッチングのメカニズムを労働市場にも適用できないのかなぁ,と当然思う訳で…

といいつつ,真っ当なことを考えても面白くないので,ここでは少し趣を変え,ハローワーク的パーマネントな雇用が理想である式の労働の話ではなく,育児や介護におけるファミリーサポート的な(高校生のベビーシッター的と言ってもよい),出来るときに出来ることをする/してもらう,時間切り売り的な労働,のマッチングについて考えてみる.

もし「神様視線」から,いまどこで誰が何をして欲しいか,そして,いまどこで誰が何が出来るか,を見通せるのであれば,単純にそれらの間でマッチングを取るモデルを作れば良い訳だが,そのようなモデルは,まだうまくいっていないように見える.(うまくいってる実例があったらごめんなさい.)

なぜうまくいかないのか? それを説明する仮説が2つ思い浮かんだので書いてみる.

仮説その1.「モノ」と「コト」問題.

して欲しい/出来る,というのはモノではなくコトである.人間,モノの交換や売買には慣れ親しんでいるが,コトの交換や売買に馴染みがないため,うまくいかない.しかし,労働も,一旦,「ジョブディスクリプション+契約」とか「サービス」という形で「モノ化」されると比較的容易に商品となり得るので,それらはいずれ神様マッチングモデルの配下に収まる.

(うーん,いまいち.というか,この方向の整理がまだ頭の中で不十分)

仮説その2.「いま」の精度問題.

前の記事で書いたように,地理的に分散した対象のある時刻での状態を一点で把握することは通常不可能である.Googleの神様視点は偽神様なので,ある時刻ではなく,ある時間区間での状態しか把握できない.今のGoogleの場合,(サービスの種類や対象にもよるが)その時間区間の粒度は数日〜数ヶ月といったところがせいぜいであり,それが故に,労働の需要と供給のマッチング機能は実現できない.

(こっちの方がまだ芽があるかな.では,こっちで続きを…)

いまどこで誰が何をして欲しく,いまどこで誰が何が出来るか,を,ファミリーサポート的モデルでマッチングしようとするならば,その時間区間の粒度は数時間単位であることが必須だろう.今のGoogleは,どちらかと言えば世界規模の広がりをカバーすることに注力しており,時間方向の整理の粒度を上げることは後回しになっているように見える.

つまり,ここで足りないのは,皆の「いまなにしてる?」(あるいは「いまなにしたい?」)を見通す神様なのだ.

やっぱオチはそこかよ! というつぶやきが脳内にエコーするが,それはスルーするとして(笑)…

ともあれ,全ての "beam" を見通す神様視点を誰が実装するのか,それが勝負! なのだろう.そして仮にそれが実現されるのであれば,context-aware も life-log も sensor-network も ubiquitous-computing も,その大きな流れの一部に過ぎなかった,ということになるのだろう(か? ←やや自信がない :-).

Googleの神様視点

Holodeckが「神の視点」かと言われると少し違うような気がするが,それとは関係なく,Googleというのは「神の視点」の実現を本気で目指した組織だ,と思う.

小説(劇作や映画も含む)界隈での専門用語に「神様視点」というのがある.多くの場合,それは,複数の登場人物の心理描写ができる,すなわち,全ての人の心の中が分かることを意味し,「神様視点」を用いることで,作中の複数の人物の視点からの描写が可能になる.

コンピュータサイエンスの分野においても,この「神様視点」という言葉が比喩的に用いられる.例えば人工知能のような分野では,複数エージェントの内部状態を知ることができる状態を「神様視点」と表現するケースがあるし,分散システムの分野では,物理的に異なる場所に存在するもののある時刻での全ての状態を知ることを,そう言い表すこともある.

こうしたものを含めて広義に「神様視点」を定義すると,「異なる場所にある,異なるものの,ある時点での様子を,瞬時に知ることができる」くらいが適切な表現だろうか.

そもそも「神様」というくらいだから,それらの行為は,通常,実現不可能なものだ.人の心の中は窺い知れないし,全てのエージェントの内部状態が取得可能であるケースは少ない.また,仮に状態の取得が可能であっても,対象が分散している場合,通信には遅延があり,ある瞬間にはエージェント内ではなく通信路上に状態(を遷移させるコマンド)が乗っていることもあり,ある時点でのシステム全体の状態を一点で把握することは,ほぼ不可能である.

とはいえ,なんとかして「神様」の立場に立ちたい人もいるだろう.

小説の場合,小説であるが故にそれが可能になる(テクニック的には難しいらしいが).

コンピュータサイエンスの場合は,
・「神様視点」があることを前提に,何かをする
・「神様視点」が実現可能なようなtoy worldを規定し,その上で何かする
・限定された状況下での「神様視点」の実現に有用なテクニックを開発する
・そもそも「神様視点」などは無いことを前提に,現実の問題を解決する
等々が,通常,仕事となるのであり,現実世界の「神様視点」を実装することを本気で生業とすることなど,普通,考えられない.

ところがGoogleは,「現実世界の神様視点の実現」を組織のミッションとして掲げ,本気モードの規模のリソースと現実的なプランをもって,その実装に着手した.

Googleが実際にそれをやってみることで,明らかになったことがいくつかある.

ひとつは,神様視点に正解はない,ということだ.

神様視点と称するものを差し出されたとき,それが神様によるものではないことは容易にわかる(自分が知っていてGoogleが知らないことを一つ挙げればそれが反例となる).しかし,それがそれどのくらい神様から遠く,どれくらい神様に近いのかは,人間には分からない.分からない/正解がない以上,それは,より妥当な神様(もどき)を作り出したもの,一番神に近いと周囲に認められたものが勝ち,というレースになる.今のところ,このレースの先頭をひた走っているのは,まぎれもなくGoogleだ.

そしてもうひとつ.

神様視点から見れば,いま誰が何を持っていて,いま誰が何を欲しいと思っているのか,すべては一目瞭然だ.だとすれば,持っている人と欲しい人とのマッチングを取らない手はない.Googleの広告収益モデルというのは,(それが生まれたきっかけはあくまでも偶然だったが) 実は最も理に適った,必然に近いものだったのだ.

(追記:次の記事に続きます)

Google Earth in the “t-Room”

田口さんのIDEA*IDEAで紹介されていた『The Google Holodeck』

あまりにも見た目がうちのt-Roomとそっくりなので,笑ってしまいました.(作ってる人間から見ると,設計思想やアーキテクチャが全然違うことも,また,一目瞭然なんですけどね.)

うちのt-RoomでGoogle Earthを動かしているところのビデオもあるので,紹介しておきます.

これ自身は京都にあるt-Roomの映像.一方,ディスプレイに映っている白い服の人は,神奈川県にあるもう一つの同様の装置内に居て,同じGoogle Earthの風景を共有して見ています.


ちなみに,Google Holodeckの誕生の経緯は,

The holodeck began as a tool for Street View engineers to evaluate picture quality. But it’s also a great way to experience other parts of the world.

だそうですが,一方t-Roomは,

t-Room is a room-sharing video system that allows people to simultaneously experience “distant space” and “remote time.”

を目指したものです.時間と空間を超えて,あたかも同じ部屋にいる感覚(同室感)を実現するためのシステムですが,仮想世界と同室することもまた可能になっています.

一応,我々自身の名誉のために言っておくと,Google Earth in t-Roomは,2年くらい前から動いています.(ていうか,Google Earthの利用許諾交渉の際に,写真やら何やら,日本法人に送ってあるんだけどな.:-)

参考リンク:

棚卸し

という訳で,どれを載せようかなあと思いつつ,書きかけ日記保存フォルダを眺めているのだけれども,昔に書いた文章というのは,どれもどこか何かしらの事情が変わってしまっていて,そのまま載せるのも問題あるし,かといって書き直すのも面倒くさいし… どうしたら良いのだろうか.(2年前のPerfumeネタとか :-)

まあ,事情が変わるという意味では,書いたときに公開して今それを見直したら現状にそぐわなくなってる,のと本質的には変わりない訳で,あんまり気にしても仕方ないんだろうな,とは思いますが…

書き直すのも面倒くさい,と言えば,とある人がとある日記で,LamportのPaxosアルゴリズムの論文のことを,投稿したまま放置されていたのが発見されて云々,とか書いてるけど,彼はあの論文の文面をそのまま信じているのかなぁ.

あの論文については,Lamport本人のWebに書いてあること()が真相だと思っていたのだけど,彼がそう言うのであれば,実はLamportの記述の方が更に手の込んだ冗談だったりして??? もう何を信じてよいか分からん.:-)

しかし,それにしてもこれ("The Writings of Leslie Lamport")は壮観だし,いろいろと懐かしいですね.学生時代に,(ブルバキみたいに)ランポートは一人じゃないとか誰かが冗談で言ってたのを思い出しました.

なんか話が完全に逸れてますが,というわけで,今後出てくる,微妙に違和感があったり説明が回りくどかったりする日記は全部書き溜めネタなので,ご了承ください,というお話でした.


(※) 一応この文章から読み取れる経緯書いておきますね.だいたいこんなんでしょうか.

  • ビザンチンの将軍」のウケが良かったので,今度は「ギリシア(エーゲ海)のPaxos島の議会」で論文を書く
  • TOCSに投稿したところ,査読者が「そのネタの部分,却下」と言う
  • 査読者うぜえ! (洒落が分からん奴らだ)と思ったランポート,そのまま投稿論文を放置
  • 数年の後,そろそろこの(重要な)論文をpublishする時が来たのではないかね,とエディタに提案
  • エディタ,出版には同意するも,年月が経った分,現状にそぐうようreviseしてね,と返答
  • 再び,うぜえ! (面倒くさいなあ)と思ったランポート,自分の手間を省きかつネタをより手の込んだものとするため,「失われた論文が発見された」ということにしてはどうか? と提案
  • 結局その案が採用される.演出と補足のための素敵な脚注付きで掲載

ついでに,

  • ACMの写植システムが××

とかも書いてありますね.さすが.:-)

インテグリティとユーザーエクスペリエンスとセキュリティ

(よくわからないカタカナ語を並べてみました > タイトル :-)

で,一応,今回の経緯などを少し.

その1.動機について.

今回日記をわざわざマージした理由を端的に言えば,隠せないのであれば積極的に見せるしかない,と,時間軸的厚みは価値である,の2つ.

まず理由前者について.

以前にウェブで読んだとても印象的な話のひとつに,こんなのがあった.今北産業的に言うと,

不要になったものをヤフオクに出した.
試しにその型番で検索してみたら,
自分が昔書いた悪口が出てきた.

という内容で,その結論として,今や個人のレベルでも首尾一貫性のマネジメントが必要な時代なのですね,という話.

(私は,この話は今泉さんのblogで読んだのだと思いこんでいたのだけど,いま探してみても金輪際みつからない.自分のブクマにも何故かない.という訳で,話の内容自体に何かの思い違いがあるか,あるいは,話はあってるけど出典不明か,です.ごめんなさい.)

私もWebでは往時さんざんやりたい放題なので,もやは,これについては,もう,どうにもならない.

今や過去を消そうと思っても,それは,元のデータを消してGoogleとWebArchiveに削除を依頼すれば何とかなる,というようなものではない.逆にそういう中途半端なことをすると何が起こるかというと,一般人や検索の意図がニュートラルだったりポジティブだったりする人からは見えず,ある種の専門家や検索の意図がネガティブな人からは見える,てなことになるのが関の山だ.

つまり,消せないのであれば,潔く自らの手で提示しておくのが次善かも,というのが理由の一つめ.

次に理由後者.

何か(特にサービス業的なもの)を探すとき,ウェブ検索に依るところは非常に大きい.

とはいえ,いまどき小綺麗でもっともらしいホームページを作ることはとても簡単で,表面的なホームページの内容では何も判断できない.しかし,そんななか,活動の時間的積み重ねというものは,そう簡単には捏造できないものだ.たとえばそのホームページに,明らかに過去数年間の活動の記録があり,そこからある一貫した姿勢とか態度とかが読み取れる場合,(その姿勢や態度に共感できるのであれば)そこを選んだ結果が「当たり」となる確率はかなり上がる.

つまり,自分の14年というのはそれなりの意味があり,それを破棄するのはいささかもったいないかも,というのが理由の二つめ.

等々,まあ要するに,個人のレベルでもそーゆーマネジメントをしないと,これからはいろいろと危険が危なかったり大損だったりするんじゃね?,という個人的思索からの帰結により,このような犯行に至りました,みたいな.

その2.サイト設計について.

RIMNET時代にも書きましたが,この日記の最想定読者は自分自身なので,サイト設計も私のユーザーエクスペリエンスが最大になるようにデザインされています.あー気持ちいい.:-)

WordPressは実際に使ってみたら分かったんだけど,こりゃ,テンプレートもテーマもプラグインもへったくれもなくて,要するにテンプレートとしてPHPのプログラムは何でもかんでも実行可能だし,結局テンプレートだろうがプラグインだろうがアクション/フィルターでいつでもどこでも何でもPHPのコードが実行可能だし(しかもglobalすれば何でも触り放題変え放題),ああそういえばWordPressコアの関数のオーバライドも可能ですね,というか,まあ本当に「こ れ は ひ ど い (笑)」.おかげさまでいろいろできて,本当に自分のユーザーエクスペリエンス最大です.気持ちいい.ありがとうございます.(いやしかし本当に何でもできるんですかね.何かしら私が知らないセキュリティ機構があることを信じているのですが… でもいまのところやろうと思ったことは何でもできた.:-)

一方,自分以外の読者様には,となると,実際我が身を振り返ってみれば今日び他人のブログなんぞRSSリーダー経由以外では滅多に読まないので,フィードで全文出してさえいればそれで良いのではないかと思う今日この頃,皆様ご愛顧賜り厚くお礼申し上げます(livedoor readerで3人,Google Readerで4人,両方とも内1人は自分 :-).

という訳で,今後ともよろしくお願いいたします.

一年生になったら

自分用メモ.

今回の衆議院選,自民党の初当選は5人.

  • 金田勝年 (秋田2区,比例復活) → 59歳.元参議院議員
  • 斎藤健 (千葉7区,比例復活) → 50歳.国政立候補2回目
  • 伊東良孝 (北海道7区) → 60歳.元道議.元釧路市長.国政初立候補
  • 橘慶一郎 (富山3区) → 48歳.元高岡市長.国政初立候補.世襲5世
  • 小泉進次郎 (神奈川11区) → 28歳.国政初立候補.世襲4世

ちなみに民主党は初当選143人(内,元参議院議員は4人?).

うーん.

話は別だが,それにしても,今週あたりのメディアの,既得権益が侵されることや業態が衰退していくことへの恐れとそうであるが故の裏返しの高飛車さがミックスされた言動は,そうそうめったに見られるもんではない貴重な見苦しさであるなあ.