RSSリーダで記事を読み進めて行くと,新聞の記事から,「有名人のブログ」から,そこらの誰かの日記から,VIP板のスレ(嗚呼! -_-;)から,何から何までがshuffleされ,出鱈目に表示される.(そう,私の「フィード」はフォルダ一切無しで全て平らに並べてある.) それが当り前のこととして何も感じなくなっている今日,価値紊乱という言葉さえも,もうどこかへ飛んでっちゃってるよな.
などと改めて思ったのは,それでもやはり,それらの記事群の中に「半ば忘れていた自分の一部」が突然出てきたりすると,ギョッとしてしまうことを発見したからだ.
「ギョッ」の原因は,よしおかさんのはてダ.
infotalkのアーカイブやら何やら,諸々のものが捨て置いたままになっている.うーむ,面目無い限りだ.
…
オープンソースのおかげで技術的なヨタ話を思う存分できる環境ができて、東京界隈じゃそれこそ毎日のようにいろいろなところで勉強会だ、カーネル読書会だなんだと開催されていて10年前の夢がかなったと言ってもいいと思う。
「オープンソースのおかげ」は言うまでもない.
が,「東京界隈じゃそれこそ毎日のようにいろいろなところで勉強会だ、カーネル読書会だなんだと開催されてい」ることと,日本でも「リスクマネーで起業冒険できる仕組み」が築かれ,シリコンバレーに行かずともstartup(とexit)が可能になったことも,決して不可分ではないように感じる.
話は逸れるが,それが日本でも可能になったのは,孫正義氏が居たからだ.孫氏が何かをやり,世間が動き,旧体制(上の場合は東証)が当然のような顔をして豹変する.孫氏がブチ上げないことには動かない日本,という図式はいい加減ウンザリする.
ともあれ,それでも,動き,環境が整備され,色んな意味で若者にチャンスが与えられたことは,素直に喜ぶべきことなんだろう.(あ,若者だけじゃなく,おじさんにも,ですね :-)
今の日本は10年前と比べて息苦しさはずいぶん減ったと思う。
減った減った.確かに減った.
でも,ここ数日の,あるいは,ここ半年の,村上ファンドやライブドアな動きを「なんか息苦しく感じる」人々と,そうじゃない人々との断絶は,喧伝される「格差」なんかより遥かに深く,大きな問題のような気がするのは私だけだろうか.
個人的にとある出来事が会社であったこの日に,よしおかさんがこんな日記を書き,それを読んだ私が自分や世間の来歴を振り返ることになったのも,何かのシンクロニシティだろう.
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
…
Let’s hope it’s a good one
Without any fear
…
[from John Lennon - Happy Christmas (War Is Over)]
さて,今日はInteropに行くぞ,と.
ぎょっとさせてしまいました。すいません。
10年前に夢想したことが、少し近づき、技術的ヨタ話ができる環境が日本という地域でも出てきたことを幸せに思います。
ブロードバンドインターネットとかオープンソースとか10年前になかったものを十二分に活用している若者(あ、おじさんにも)には期待したいっす。
| 2006年6月7日 @ 06:37
社会運動としてのインターネットはもう終わってしまったものかもしれないですね.何かおもしろい動きがあっても広がらないのは,結局危機感の欠如した人たちが世間の大多数だからでしょうし.
しばらく停滞の時期がまた続くんだろうな.
| 2006年6月7日 @ 08:32