世紀の快挙か大愚行かは歴史が判断するであろうasahi.comな朝日新聞だけど、今日の朝刊の家庭面にはインプレスの井芹さんのコメントとして、
ホームページは世界中に声の届く拡声機で、…(略)… 双方向のやりとりができ、世論さえつくれる。…(略)。
というのがあった。
さて、「Webは双方向か否か」ちゅう大問題である。
思うに、やっぱりWebは双方向では全然ないよなぁ。強いて言えば「一方向が沢山」というか。例えばHyperDiary界お得意の、「今泉大輔さん、見てますか。ファンです。(ほんとです ^^;)」みたいな、いつ読まれるとも知れない一方的な発信の集合体、みたいな。
もし双方向というならば、
他人が公開した情報へはどんな単位ででもリンクが張れて、情報の持ち主には誰かがリンクを張った瞬間に(何らかの方法で)それが伝わり、元情報の持ち主は自分に向けて張られたリンクを辿ってそれがどんなものかを見ることができる。
くらいのことはできないと。
って、これじゃXanaduそのものじゃない。けっきょくTed Nelsonはエライのだ、という結論になってしまうのはシャクだから、もうちょっと何か別のことを考えてみよう。:-)
んじゃ、「インターネットは新たなコミュニケーションを生むのか」、だ。
これもそう簡単には言い切れない気がする。例えばある人のページを読んでていかにも知った人のような気になっていても、また例えば、ある人とメールを何度も交わしていてすっかり昔からの知り合いのような気になっていても、結局その人や人達に実際に会うことのインパクトの前には全くの無力である。いくらメールで密に連絡を交わしていたとしても、直接会うことには全く敵わない。
すると問題は、「インターネットがなければとても知り合いにはなれないような人々と(メールやニュースやWebやmboneを使って)会話を交わす」ことにコミュニケーションの価値を置くか、「限られた人々とではあるが実際に会う」ことにコミュニケーションの価値を置くか、のトレードオフということだろうか?
てなことを考えてると、だからやっぱりアナテロはエライのだ、という結論になってしまうのはシャク… ま、イイか。:-)
彼らはHyperHitchHikeを通じて上の2つが排反するものではないことを実証しようとしている。
なんてぇのこれがまた年寄り評論家の勝手な物言いで、彼らはそんなこたぁ、ちっとも全然考えちゃいないだろう(考えてたらゴメン :-)。本人達にとっては、これは「ごく普通の行動」で「面白いからやってる」だけなんだろう。
でも、そっちの方がよっぽどシャクだ。:-)