でもさ,諸々の概念とか定義とか手法とか証明とか背景とか何とか,例えばCCライセンスな文章の蓄積があって,それらを縦横に「使って」論文が書けるのであれば,それはそれでとても素晴らしいことだよね.

「使う」方法はもちろん「コピペ」や「引用」なんかじゃなくて,例えば transclusion (Project Xanadu by Ted Nelson) 的なもの.それは例えば「記述内容の信憑性や文章の価値の伝播」的な概念を取り込んだシステムとすることも不可能ではないだろう.

今回の件がそれとは全く話の異なる,それとこれとは全く別,であることは完全に同意する.

でも…… パーソナルコンピュータとかインターネットとかウェブとかを愛する人々が理想郷として見つめていた方向は,本来そっちだったんじゃないのか? みたいな感情が世間を眺める私の心の奥底でイガイガと転がっている.

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Facebookへのポストからコピペしました(若干加筆あり).