確かにバックの演奏も上手かった。 サウンドチェックも良く出来ていて、音の良いコンサートだった。 レニーのアーティストとしての才能を感じずにはいられないライブだった。
しかし、レニーのボーカルの、あの迫力の前では、 そういった諸々のことが全て吹っ飛んでしまったような気がする。 レニーの唄の、聞き手の心に訴えかける力が、余りに強烈過ぎる。
ライブを見た後には、レニーのボーカルの存在感、 人間としての存在感の強さが残るだけだった。
ひょっとしたら、音楽そのものを評価しようとする場合、 レニーが持つあの圧倒的なパワーは害になるのかもしれない。なぜなら、 あの叫びの前では演られる音楽の良し悪しなどどうでもよくなってしまう、 そんな力さえ持っていると思えたからだ。
レニーの音楽が先達のコピー/コラージュに過ぎないとは、良く言われている。 その多くは間違っていると思うが、当たっている部分も勿論あると思う。 メロディー、コード進行、ギターやドラムのリフ、被さるハーモニー。 どれもこれも、確かにどこかで聞いたことのあるようなものばかりだ。 もし仮に、レニーのボーカルにあれだけの迫真性がなかったら、 彼は単なるパロディストとしてかたずけられてしまっていたかもしれない。
彼の音楽それ自身は、80年代と90年代の狭間に咲いた徒花なのかもしれない。 腐るほどある既存の音楽に埋もれて窮々としている時代だからこそ、 あのような音に皆が目を止めただけなのかもしれない。
でもでも、やっぱり、僕にとっては、彼のアルバムを聞き、ライブへ行き、 そうして、今、生きているレニー・クラヴィッツと同じ時間を共有できたことの 喜びは、とてもとても大きなものだった。
レニーのボーカルは、本当に心に突き刺さってくる。
レニーの口から出る一つ一つの唄には、コラージュだの、 ジョン・レノンのコピーだの、あらゆる否定的、 更には肯定的評論をも乗り越えてしまうパワーがある。
音楽的にみれば、新しいパーツや、新しい部品の組み合わせ方を生み出すこと だけが"クリエイティヴ"ではない、ということを改めて見せつけてくれた。
僕らは、決して60年代のレコードやフィルムを見聞きしているのではなく、 1991年の今現在、外部状況に対して音楽という手段で自分をぶつけていく ひとりの人間が、自分の内なるものを音楽として放出せずにはおれないひとりの 人間が、レニー・クラヴィッツというこの男が、今、自分の目の前に いるのだということを実感させてくれた。
それだけで、幸せだった。
今回のレニーのコンサート・ツアー、特にチッタ2日目は、 僕の(それほど多い訳ではないが)ライブ経験の中でも、 文句なしにベストと言えるライブだった。
レニーの力と才能と信念とテンションと、そして何より、 彼自身の中に存在する、計り知れない程の"何か"を感じることができた (決して理解はできないだろうが)ライブだった。
見れば見るほど、聞けば聞くほど、思い起こせば起こすほど、 去年の来日中止の口惜しさが100万倍になるライブだった(;_;)。
# それにしても LET LOVE RULE TOUR, 本当に見たかったなあ。 # MY PRECIOUS LOVE や DOES ANYBODY OUT THERE EVEN CARE を # 生で聞きたかったよう。しかし、あのシャウトが、あのボーカルの力がある限り、 これからも、レニーはレニーであり続け、 そして、僕らに感動を与え続けてくれるだろう。 それを一緒に見守っていける僕は幸せだろう。
次のアルバムは、どんなものになるんだろうか。 次のツアーは、いつなんだろうか。 早く。早く、その日が来るのを待ちわびつつ。