「関西」と「アジア」

(1996/09/21)

前注:私は東京生まれの東京育ちです。2年前に神奈川県に来るまではずっと東京都在住でした。

昨日、最後に書いた話ですが、これについてはまだ頭がまとまってないので、今日は小ネタで攻めます。:-)


東京の人間としてずっと不思議に思っていることの一つは、なぜ、関西の人々には『関西』という概念がないのだろうか? ということです。

私からみれば、どうみても彼/彼女らの頭にあるのは、「大阪」「京都」「神戸」「奈良」などといった個別の概念のみであり、「関西」という概念は存在しないとしか思えません。これは箱根の先の人間にとっては、謎です。

翻って自分を見てみて、そいじゃ、「関東」とか「首都圏」とかいった概念が本当にあるのか? と言われると若干不安にはなりますが、少なくとも、関西人(ほら、イヤな言葉でしょう :-)の「関西」概念の無さよりかは、マシなのではないかと思います。

んで、さらに翔んでみるに、実は、「アジア」という概念も実体のない幻想だったりするのでしょうか? まぁ、「アジア」というのは広過ぎますから、「東アジア」でも何でもいいのですが、結局、巷間言われるところの「アジア」というものは存在しないのでしょうか?

このように東京人が「関西」と「アジア」という概念を対比させること自体、結局、自分で"non-Japan-Asia"を肯定していることになるのでしょうか? とか。

存在し得ない概念を無理に作り出す必要もないのですが、例えば、今後、『サッカー・ワールドカップ・アジア予選』なるものでナショナリズムを高揚する過程で、「アジア」というものが生まれてくるのでしょうか。

# あ、この段落意味不明ですね。思いついたまま書いただけで、自分でも意味不明です。:-)

「英語化」でも「日本化」でも「国際化」でも「中華化」でも「アジア化」でも何でもイイですが、我々、というのはいかんですな、もとい、私はどこへ向かえば良いのでせうか?


<takadat@st.rim.or.jp>