原理か可用性か、あるいは、選民思想

(1996/10/08)

とーとつですが、榊原くんから教えて貰ったURLを2つ。

ふむ。


さて、HTMLは難しいか、だ。

難しいかなぁ。まぁ難しいっちゃあ難しいけど、安直っちゃあ安直だよな。

そもそも私めは、プログラムですらlintなんぞは通さない(コンパイル通って動きゃあいい)タイプの人なので、自分のHTMLで書いた文書ごときをlintしようなんてー気は全く起きないっす。タグ付が多少いい加減だろーとなんだろーと知ったこっちゃねー、俺わ、つーか(言ってることが全然違うぞ、勝手な奴 :-)。

というか、

この問題は、そもそもWWWというものをどのように考えるかとゆーか捕らえるかとゆーか位置づけるかによるのだよな、きっと。言わば、果たしてWWW/HTMLごときをそげなstrictなものにする必要があるんだろーか?、ちゅうか。

コンピュータや機械を使っていて厳密さであるとか難しさであるとかを要求されるとき、それは殆どの場合、人間の側に問題があるのではなく、テクノロジーの未熟さを人間に押しつけているが故の代物であることが多い。

だいたい、そもそもHTMLによるtaggingなんつーことを人間に(しかも多くの場合は普通のエディタで)やらせること自体が間違っているのだと思う。

まぁ、その手の(オーサリング+サーバ)環境が作られるより前にこれ程広まってしまったこと自体が意外というか想像を超えるものだった、というが個人的な感想ではあるけれども。


んで、

『バカでも使えるものはバカしか使わない』というのは、久保さんの「WWWノススメ」に出てきた台詞だったような気がするが(今はofflineなので確認できないけど、とりあえずリンクだけは付けておこう)、そーゆー意味では、その筋の技術者/研究者は、HTMLの厳密さの必要性などを叫ぶ暇があるなら、「バカ」(括弧付ですよ、誤解しないでね)に優しいものをとっとと作らんかい、おら、と思う今日この頃。

とはいえ、選民のための選民による選民の先端を目指す人々の存在は勿論大切だし、実際それが新たな領域を切り拓きいてきたのも事実ではある。

自分を、「選民のための選民による選民の先端で突っ走れるだけ突っ走る(から後はよろしく)」という立場に置くのか、それとも、「後のことを考える」という立場に置くのかは、自分自身のあり方としては、難しい選択ですね。

個人的な気持ちとしては、後者指向かなぁ…

という訳で、何の結論もなく、まとまらずに終わる今日の日記であった。:-)


<余談>
ところで、馬鹿に馬鹿な額ふっかけれらて、言われるがままに馬鹿な金を払って馬鹿な頁を作られ、そのまま馬鹿な頁を見せている馬鹿は、やっぱり馬鹿だと思うぞ、ちゅうか。:-)
</余談>


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