ハードウェアとソフトウェアの進歩

(1996/09/25)

最近続けて日記を書いてるのだけれども、とある事情によりrimnetの方のサーバに載せられません、きしょうめ。金曜日には何とかなるはずだけども、ほんとに何とかなるのかな?

さて、最近、DHUのFreeBSD 2.1.5R (MS-Windows95とのdual boot)にfvwm95を載せて遊んでたりするんだけど、これやってると、マジで今どっちにいるのか訳分かんなくなりますね。

にしても、やっぱUNIXは楽しいなぁ。

楽しいといっても、「これでいつでもどこでもコーディングできるぜい!」とか言ってる割には日がな一日.Xresourcesや.fvwm2rc95いぢって遊んでたりして、98%くらい無意味なんだけど。:-)

でも、やっぱUNIXは楽しいなぁ。

でも実は、こーして使っていれば使っているほど、何つーか、いわゆるX Window System (環境)の古さとゆーか寂しさをひしひしと感じてしまいます。いわゆる世間一般のUNIX/Xパワーユーザ達が『Windows95+TeraTerm+バックエンドのUNIXマシン』という環境にゴロゴロと転んでいく気持ちが良く分かる、ちゅうか。

確かにやはり、現時点での理想の環境を考えてみると、机上には、

で、ほとんどの作業はそれでこなして、んで、裏には、 っつーのが絶対に正しいよな、現時点では(でも一寸先は闇 :-)。

ノートの場合はなぁ。dual bootの95とFreeBSDはネットワークで繋がんないからなぁ(当たり前)。あ、ノートの中に計算機が2セット入ってて、それぞれで95とFreeBSDが動いてればいいのか。って、そりゃ無理だから、となると、WinシミュレータとかBOW 1.5とかの路線かなぁ。それもイマイチだなぁ。


とクダらないことをウダウダと書いてますが…

にしても思うことは、計算機の、というか、ハードウェアとソフトウェアの進歩だね。

一番最初にSUN (1.5だったなぁ)でSunView (で良かったっけか? 名前)を使ったとき、「UNIXとウィンドウシステムって、なんて相性悪いんだろう」とか思ったもんだよな。あれでプログラム書いてると、「こんな理不尽(?)なことがあっていいのか〜」とか思ったけど。

そんな頃、しばし経って現れたX Window Systemの発想っちゅーのは、まぁ、分からんではないけど、なんか、理想主義的過ぎ、っちゅうか、机上の空論、っぽく感じられた、というのは極めて個人的感想だったけど…

それが今や、こんなノートごときでもXがサクサク動くんだからなぁ。偉大だなぁ。

これは勿論ハードウェアの驚異的進歩があってこそなのは確かだけども、実はそれにも負けず劣らずソフトウェアも進歩してるはずなんだよな。設計法とかアルゴリズムとか言語とかライブラリとか環境とか。

でもなんか、ソフトウェアの進歩って、見えるようで見えないとゆーか、目立つようで目立たないとゆーか、なんかあましムクワレていないような気がするのは、ソフト屋のヒガミでしょーか、とか。

あ〜、なんか、結論がねーな、この話。:-)

という訳で、今作った、今日の結論。

近年のハードウェアとソフトウェアの驚異的進歩により、今や、Microsoft社でもWindows95のごとき素晴らしい環境を作成することが可能になったのである。
ちゅうか(上の文の解釈は各自にお任せします :-)。


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