かつてリバーズエッジだった場所

(1996/05/27)

う〜む、もう5月も終わってしまうのですね。なんか、なんもしてないなぁ。

私はといえば、先週の木曜日の夜に、非常にビビッドかつリアルな夢をみてしまったため、それ以降、思考が重く深く進行しています。したがって、今日の日記は極めて他者からは意味不明になっております。夢の内容は内緒。

岡崎京子さんはどうやら快方に向かっているようで良かったです。といってもこれからが本当に大変なんだろうけど。こういう時に何と言えば良いのか言葉が見つからないので… ここでは何も言えません。

で、以下完全に脈絡不明です。

うちの近くといえば近くの所に宮ヶ瀬ダムとゆーのが完成しまして、現在、着々と水が溜まりつつあります。宮ヶ瀬とゆーのは、神奈川近郊の人なら元は中津渓谷だった所と言えば通じ易いのかもしれません。ま、しかし、何せWWWは世界情報網てな訳で、そんなドメスティックなことを言っても結局通じない人の方が多そうなので、無理するのは止めましょう。

ともあれ、今、ダムに水が溜まりつつあります。

そこでふと思ったのですが、永遠にどこかにしまっておきたいもの、この世から消し去りたくはないのだけれども二度と再び取り出したくはないもの、がある人は、それを、これから水没してしまう所に埋めに行くのがグッドかもしれません。

さてそれでは、一体何を埋めるのが良いでしょうか?

廃車、PCB、核廃棄物、サリン、非加熱血液製剤、などの「ゴミ」を捨てるとゆーオプションもありますが、まぁ、ダムの水は水源になることもありますし、何より、そーゆー始末に困るものを捨ててしまうというのは、あまり素敵な発想ではないよーな気がします。

昔の恋人と撮った写真、昔の恋人からもらった手紙やプレゼント、などとゆーのは一見御洒落そうですが、その手のものを処理することにそれほどの永遠性が必要であるか否かについては若干の疑問がないではないです。

けっこう素敵でかつ実用性がある用途としては、死体、などが思い浮かびます。

昔、刑事コロンボのパイルD-3が何とかというタイトルの話で、死体をコンクリの基礎に埋め込む話がありましたが、それよりはダム湖底の方が確実性があるように思えます。

もちろん、これほどの実用性を兼ね備えた物件である以上、関係者にも抜かりはないのかもしれません。もし抜かりなくきっちりと警戒していれば、色々と面白いものを埋めに来る人々を捕獲できるのではないでしょうか。それともそんな暇は関係者にはないのでしょうか。試しに一度、真夜中にでも行って、関係諸氏が本当に活動しているかどうかを確認してみよう、とか。

しかし、水源ダムだと有害物質云々とゆー問題があるのであれですが、何か、このような「永遠に埋もれてしまう場所」を丸一日解放して、「今日一日24時間は何を埋めても隠しても一切その刑事上民事上倫理的責任は問わない」というイベントをやると、人間というものや人生というものをもう一度見つめ直すことができるのではないか、などいう妄想がひろがる今日この頃でもあります。ただし、機械力の導入を許すと人は途端に己れの分も弁えない行為に走るので、「但しその作業には機械は用いてはならない。全て人力のみで行なうこと」という注意書きが必要でしょうが。

と、かなり論旨が意味不明化していますが、結局何が言いたいのか、と申しますと、「絶対に回収することは不可能だが、それはここにある、ということを何時でも確認できる場所」。これはなかなか得難いポジションなのではないでしょうか、と、単にそれだけです。

リバーズエッジは確実に我々の傍らにあるけれど、そのリバーズエッジすらもあっという間に消費されていく。そんな中、あるリバーズエッジを私だけのものとして固定化したい、という願望を強く感じる今日この頃。

てなことを言っても、実際に御自分の生家がそーゆーポジションに置かれてしまった数多くの人々が既に存在するが故に、私は、水を飲み、シャワーを浴び、電気を使っている訳ですから、何をたわけたことを言ってるんだ、と言われるのがオチでしょうけど。

妄想の向こう側にあるリアルは、妄想とは無関係にリアルとして存在し続けているのですね。

私の妄想はどこにどうやって埋めれば良いのでしょう。


<takadat@st.rim.or.jp>