微妙に琴線に触れたので…

ソーシャル・キャピタル – 池田信夫 blog

コミュニケーションを求める欲求は食欲や性欲と同じぐらい根源的なので、…

(長い文章の中の本質ではないワンフレーズ切り出しで申し訳ないですが)

最近,自分が以前に書いたこと(*1)(*2)を改めて考え直していたりしていて,いろいろ思いをはせている訳ですが,やっぱり,コミュニケーションというのはそういう位置付けのものですよね.

人間は… とかいうことではなく,生物のかなり根源的な動作原理というか.

そもそも有性生殖(接合による遺伝子の交換を含む)をする以上,個と個のコミュニケーション(1対1からn対nまで)は必須であるし,また,個体や種の生存のために「群れ」を利用する以上,ある種の群コミュニケーションも必須だし.(この2つのコミュニケーションは区別すべきではない同一線上にあるものなのか,それとも実は別のものなのかも私には分からない.)

そういったコミュニケーションというものを機械論的に捉えたとしても,その物理化学的な機構は実は全然分かっていないだろうし,またそれを生気論(二元論)的に捕らえたとしても,コミュニケーションによって伝えられる何らかの存在(「心を伝える」とか言うときの「心」? あるいはクオリア的何か?)がどんなものかも分かっていないのだろうし.

現時点で「伝えられる何か」を表現する手立てとして唯一最大に成功しているのが,シャノン=ウィーバーの『情報量』であるのは確かだけれとも,それで全て解決はいお終いではないよね,やはり.

で,以下,エントロピーをやりとりすることが生命の基本的ななんとかネゲントロピーがどしたこうした,とか言い出すとどんどん危ない世界に入っていくので,そっち方面は立ち入り禁止です! と.:-)

いずれにせよ,コミュニケーションというのはもっと根源的で,やるべきことというかやるべきアプローチは沢山あるのだよね,ということを自分に言い聞かせたい今日の日記でした,まる.

(*1) Diary: 1996/03/26: あなたは肌が恋しいですか?
(*2) Diary: 1996/07/12: 肌の定め