杉山さんの日記(8/22)にも書いてあるけど、てな訳で、あちこち、「ホームページによる情報提供停止」だの「電子メールの送信停止」だの、エラいことになってますな。

ホームページの例でいうと、例えば、こことかこことかこことか(この選択に恣意がある訳ではありません)。

# あ、旬のモノなんで後からこの日記を読んでる人はクリックしても無駄っす。

その割には、日曜劇場も不思議発見もワーズワースもやってんじゃねーの?、とかゆーことは、他人が口出ししても大きなお世話なので割愛させて頂きますです。

んで、この状況を見て思ったこと3つ。

その1.

今や本当に、WWWや電子メールとゆーものはメジャーなものというか認知されたものになったんだなぁ、という感慨。どちらも、こーいった状況で何の戸惑いもなく明らかに明確に停止の対象となるんだなぁ。確かに企業の活動であることは当然なのだけれども、それが当然であるということが本当に今までは当然だったのだろうか? と思えども、でも今は、とーぜん、当然なんだな、とか。

その2.

やはり、個人としてネットワーク接続が必要な人は、個人としてネットワークに参加すべきなんだね。今回のこの出来事を機に、個人は個人として接続する人が増えるのかもしれない。実際、私も、最初にRIMNETにアカウント作って、なおかつそこでページ上げた時は、結構人から言われました。「また何で?」、「別に平気なのに」、とか。面倒くさいから笑って誤魔化してたけど、私は私なりの思想や見切りがあったのさ〜 :-b。でもそれが「何で?」ではない時代も、もうすぐそこかもしれない。古き良きいんたーねっとはまたひとつ遠くなりにけり、ですな。へへ(含意)。そー言ってる自分も、いーかげん、私的なML関連は移さんといかんのだけれどもぉ…

その3.

そして、やはりWWWはこのようなときに『止めることが可能な』メディアである(これとはニュアンス違うけど)、ということが実証されたこと。しかし、かといって他人のcacheの中身やローカルファイルにセーブされたデータを消すことができる訳でもない。URL自体の流通は止まりようもない。WWWとは、放送なのか配付なのか伝達なのか蓄積なのか。ほんとーによく分からん代物である。

と色々と考えさせられる今日この頃でございます。

誰も彼も、当然私も、他人事ではないのだよな、これが…