なんか、ひっさしぶりに『早熟』なんてーのを聴いたりして… いやー、やっぱ、いいなー。

『禁じられた生きがい』に対する感想は、いつか書こう書こうと思いつつも、なんか書かずにいた内にアルバムそのものを全く聴かなくなってしまったので、そのまま放っておいたのだけれども、結局、私の言いたいことのほとんどすべては、この萩原健太さんのレビューで言い尽くされているような気がする。それもプロの文章で。

まぁ、このレビューはアルバムそのものに対してではなくコンサートに対するものであるし、私は、岡村ちゃんのライブなんぞには怖くて :-) 行ったことがないので、ひょっとしたらズレてるのかもしれないけど、でも、やっぱ思いは一緒かもしんない。そうだよね、聴くなら、『早熟』だし『家庭教師』だよな。

いや、しかし、プロの文章ってーのは読んでて快感ですな。

でも、件の武道館公演即日sold outの話を聞いた時にも思ったのだけれども、いったいいつから、「岡村靖幸」とゆー単語は公衆の面前で口に出してよい言葉になったんでしょーか :-)。その昔は、「俺/私は岡村靖幸のファンだ」なんてーことは、決して人前では言ってはいけない、秘めやかなる楽しみとしてしか存在してはいけないものだったのではないでしょーか。

ちなみに私は、ある時私が『早熟』を取り出してプレイヤーにかけたら、横にいた女の子が何げなくそのジャケットを手に取って開き、その瞬間「きゃっ」と言ってジャケを放り投げられた、とゆー経験があります。たとい『早熟』の時代でも、これが世の普通の反応であるべきではないでしょうか。:-)

などと話はますます発散していく一方ですが、ともあれ、岡村ちゃん、こんなもんじゃねーよな、などとゆー受け手の身勝手な要望を是非とも蹴散らして欲しい今日この頃。個人的には、『禁じられた生きがい』は、『家庭教師』っつー超強力大傑作の後の軽ーい息抜きシングルコンピアルバム的なものとして受けとめる、てなことになるんでしょうか。なんて、ほんと、生みの苦労も考えない身勝手な言い分だなぁ。

モノ作る人間は、みんな、こんな身勝手な要求を相手に商売してんだなぁ。エライなぁ。でもそれにしちゃ、コムロに対する要求は甘いんじゃねーか>一般大衆 :-)。でも、コムロはどーでもいいけど、アムロは凄いぞ、あれはほんと凄いぞ、マジに凄いと思うぞ。などと言い出すと更にまとまらなくなるので、このネタは、やめ。

あ、ちなみに、この"Kenta’s … nothing but Pop!"を見つけたきっかけは、リンク逆探知で杉山さんの日記を見つけて、そこから更に見つけたとゆー次第です。とゆー訳で、リンク探知で健太さんもここへ来たりするのかなー、あ、こんにちは、とか。意味不明です。

あ、杉山さん、リンク張ってくれてありがとうございます。私も「発見」して以来ずっと読んでますよ〜。でも人を歴史上の人物にはしないでくださ〜い。:-)

てな訳で今日は、本文は軽く、タイトルは思わせぶりに、でした。:-)