今泉さん。なぜ突然"pink".なぜ今時…

しかし話が"pink"となると黙ってはおれません。俺にも何か言わせろ、ちゅうか。:-)


私はあまりマンガを読む人ではないけど、マンガというものの中で一番大切なものを出せと言われたら、間違いなくこの"pink"を差し出すだろう。別にマンガなんて枠を作らなくても、絶対に忘れてはならないものの中に必ず入る。それほどまでに"pink"は自分にとって大切なものだ。

このあまりに素晴らし過ぎる作品について説明することなんてとてもできないから、3年前に(3年かぁ…)とあるメーリングリストで"pink"の話が出たとき書いたメールの断片をそのまま引用してみる。

ふとしたことでどこかが壊れてしまった普通の人間が、その壊れてしまったことを決して悲観せずに、壊れたまま普通に明るく生きていくのが良いっす。自分自身が明るく生きていけさえすれば、人生何でもありっす。

#現実はそうはいかないけどね。

と、これも陳腐だね。

岡崎京子といえば、今はもう"リバーズ・エッジ"なのだろうか。作者本人もそう言ってるんだから、そうなんだろう。確かに"リバーズ・エッジ"はとてつもなく凄い作品であることは充分分かってる。でも私にとっては"pink"だけは別格の重みを持って存在している。自分にとってこれを越えるマンガにはもう出会えないかもしんない… とか。

"pink"と"リバーズ・エッジ"の違いって何なんだろう? ひょっとしたら1989年と1994年の違いだけなのかもしれない。だとしたら、単に自分が、少なくとも1994年よりは1989年の方が疾走しているつもりだった、だけなんだろうか?

"pink"と"リバーズ・エッジ"に共通している、何というかあのジリジリした感覚。あの感覚に憧れを感じてしまう自分は、もうただの年寄りだな。あのジリジリした感覚から何とか逃れようともがいていたことを「疾走」と呼んでしまうのは、やっぱり年寄りの証拠。そんなカッコイイもんじゃなかったはずだ。疾走感の喪失感、つーか。

しかし、いいなぁ、岡崎京子。何に入ってるか忘れたけど、ピンクの透明のゲロみたいな宇宙人が出てくる短編、あれもいいよな。あれ読むとちょっとだけ元気が出る。元気がなくなってどうしようもないときに"pink"を読むと、「こんなんに出会えるんだったらもうちょっと生きててもいいかな」とか思う。

— 「去年pinkが私に与えたものは海よりも深い」((C) 吉本ばなな)